エルフの時計と、名もなき献身 2 〜押し付けられた命と、『パパ』の称号〜
2.
「よし。ざっとこんなもんだな。……いちいち世話が焼けるぜ」
男が大げさにため息をつきながらも、まだ一度も使われた痕跡のないポーション瓶に、作ったばかりの薬を注ぎ入れた。
焚き火の光を乱反射し、まるで宝石のように透き通る液体。
ほのかに甘く、それでいて鼻の奥がスッとするような清涼感のある香りが小屋の中に広がる。
それは澱の一つもない、かなりの腕の薬師が作ったような代物の薬だった。
「……おじさん。凄く繊細な手つきだね」
「……あ?」
コロは敷物を畳みながら、水筒の水を一口飲んだ。
「魔力の流し方も然りだけど、本業の薬師顔負けだし、手つきだけでいえば、まるで吟遊詩人みたいに器用だなって」
『そうだな。手元だけを見れば、楽器を抱えて歌っていそうだ。手元だけを、な』
コロの言葉に、ウルも退屈そうに同意する。
「そういえば、名前、聞いてなかった。私はコロ、こっちは相棒のウル」
男は次の薬草を手に取ると、丸太の椅子にドカッと腰掛けた。
「……ケッ。俺は、エルリオンだ。ガキはリィン、女だ」
「エルリオン? ……綺麗。やっぱり吟遊詩人とかに居そう」
「うるせえな!俺だってチグハグだってくらい分かってらぁ!楽器なんざ弾けんぞ」
男はすり鉢を構えながら、コロとウルをキッと睨みつける。
「見た目通り、獣だとか魔物の悲鳴を嗜むくらいだ」
『だろうな』
「だろうね」
「俺はテイマーじゃねえけどな、その犬っころがさっきから失礼な事をペチャクチャ抜かしていることくらいは分かるぞ!」
大男――エルリオンが牙を剥くように凄むが、ウルはどこ吹く風とばかりに前足に顎を乗せて、フワァと大きな欠伸をした。
『事実を述べたまでだ』
「言葉が通じてなくても、煽られてるのだけは分かるみたいだね」
「チッ……可愛げのねえ犬っころだ」
エルリオンは忌々しそうに舌打ちをすると、再びゴリゴリとすり鉢へと視線を落とした。
外からは、ますます勢いを増した雨が、小屋の屋根をバチバチと激しく叩きつける音が聞こえてくる。
土の匂いも一段と濃くなっていた。
ふと、エルリオンはすりこぎを動かす手を止めず、焚き火の向こう側にいる一人と一匹を顎でしゃくった。
「……おい。この土砂降りだ、当分止む見込みはねえぞ」
「そうだね。山の天気は変わりやすいって言うけど、これはちょっと長引きそうかな」
「暗くなってから山をうろついて泥に足を取られて野垂れ死なれても、家の前が死体臭くなるだけで後味が悪ィからな」
エルリオンは不器用に視線を逸らし、ぶっきらぼうな声で続けた。
「狭いが、今日はそこら辺で寝ていきな。……ただし、夜中にガキを踏んづけたらタダじゃおかねえぞ」
乱暴な言葉遣いの中に隠された、彼なりの不器用な気遣い。
コロはクスッと笑い、素直に頷いた。
「ありがとう、エルリオン。お言葉に甘えさせてもらうよ」
『フン、仕方ない。今夜はこの硬い床で我慢してやるとするか』
「そういう時は素直にありがとうって言うんだよ、ウル。……それに、外で雨に濡れるよりずっとマシでしょ」
外の荒れ狂う嵐とは対照的に、小屋の中は焚き火の煙と暖かな空気に満たされている。
時折吹き込む冷たい隙間風も、火の粉を散らす薪の熱の前にかき消されていった。
パチパチと爆ぜる薪の音と、絶え間なく打ち付ける雨の音。
それはまるで、この小さな空間を守る心地よい子守唄のように響いていた。
「さて。それじゃあ私も下処理くらい手伝うよ」
「おい、ちゃんと手を洗えよ!」
「当たり前だよ。そこら辺の心得もちゃんとあるから」
かくして一人と一匹は、見かけによらず手先の器用な大男と、その腕の中で笑う赤ん坊と共に、この小さな山小屋で一夜を過ごすことになった。
翌日。
分厚い雨雲は嘘のように晴れ渡り、木々の葉から滴る雫が朝日にキラキラと輝いていた。
雨上がり特有の、土と草の濃い匂いが肺を満たす。
山道を下り、一人と一匹、そして一人の大男と赤ん坊が麓の村へとやってくると、そこにはすでに朝の活気と、各家から漂う朝食の香ばしい匂いが溢れていた。
「おいエルリオン!この間のオーガ討伐、助かったよ!猪の肉があるんだ、少し持っていきな!」
「あ? ……チッ、脂身の少ないところをよこせ。ガキの腹の足しにならねえ」
「ははは、相変わらず素直じゃねえな!ほれ、一番いいところだ!」
村に入った途端、道ゆく村人たちが次々とエルリオンに気さくな声をかけてくる。
野盗のような恐ろしい見た目のエルリオンだが、村人たちの目に怯えや嫌悪の色は一切ない。
むしろ、頼れる用心棒に対するような、深い親愛と感謝の念が入り混じっていた。
『……おいコロ。なんだこの村は。このむさ苦しい男がずいぶんと歓迎されているじゃないか』
「凄腕の戦士だもん。彼がこの村の近くに住み着いてくれているだけで、厄介な魔物が寄り付かなくなる『魔除け』になってるんじゃないかな。村にとっては最高の用心棒だよ」
コロが納得したように頷きながら、村のパン屋の店先へと向かう。
エルリオンは少し離れた服屋の軒先で、真剣な顔で赤ん坊用の布を品定めしていた。
「おばちゃん、そのソーセージ二つと、こっちの硬いパンを三つちょうだい」
「はいよ、お嬢ちゃん。……おや?あんたたち、あのエルリオンの知り合いかい?」
ふくよかなパン屋のハーフリングの女将が、コロとエルリオンを交互に見ながら目を丸くした。
「知り合いというか、山で雨宿りさせてもらっただけだよ。……おばちゃんたち、あのおじさんと仲がいいんだね。すごく怖そうな顔してるのに」
「ああ、そりゃあね。エルリオンはこの村の恩人さ。あんな見た目だし、口は悪いけど、根はすごくいい奴なんだよ。なんせ……」
女将は少し声を潜め、真剣な表情で布を選んでいる大男の背中を見つめた。
「あの背中の赤ん坊だって、本当はあいつの子じゃないんだからね」
「へえ、そうなんだ?」
「二年前の話さ。大きな王都で傭兵やってたエルリオンの部屋の前に、あの赤ん坊が置き去りにされてたんだとさ」
「置き去り?なんでエルリオンだったんだろう……」
コロの疑問は尤もだった。
エルリオンはお世辞でも『子育てが出来る』ような見た目をしていない。
フンと鼻を鳴らしたウルが小さな唸り声を上げた。
『どうせ商売女との間に作った赤ん坊だろう』
「え?商売女とって……隠し子とか?」
ウルの言葉こそ理解できていないが、コロの至極現実的な疑問に、女将はカラカラと笑って手を振った。
「それがさ、リィンちゃんが産まれた時期から逆算すると、その時期は、ずーっと遠方の国境防衛の仕事で王都を離れてたんだってさ。で、帰還して自分の部屋に戻ったら、翌朝には玄関の前に籠に入れられた赤ん坊が置かれてたんだとさ」
「……なるほどね。完全な赤の他人なんだ」
コロの呟きに、女将はコクリと頷いた。
「そうさ。でもエルリオンは『こんな薄汚い都会の空気じゃ、ガキが育たねえ』なんて、わざわざこんな辺境の、空気の綺麗なうちの村の近くまでやってきたんだよ。……血も繋がってないのに、自分の人生を全部投げ打ってさ。ほんと、不器用で優しすぎる男だよ」
女将の言葉には、エルリオンに対する深い敬意と、少しの呆れが混じっていた。
「……なるほどね」
コロは、遠くで服屋の店主と「この布じゃ肌触りが荒すぎる」と揉めている大男を眺めた。
武器を握り続けて分厚くタコができた大きな手で、何枚もの布をそっと撫でては首を振っている。
彼の着ている服はツギハギだらけのボロ布だというのに、赤ん坊の肌着一つに、そこまで口うるさくこだわっているのだ。
「で、お嬢ちゃん。パンはこれで全部かい?」
「うん。あと、もしチーズがあるなら少し切ってほしいな。山歩きのお供にしたいから」
他人の美談を聞かされても、コロは決して義憤に駆られたり、感動で涙を流したりはしない。
あくまで実務的に、自分の買い物を進めるだけだ。
ただ、その氷藍色の瞳の奥底には、ほんの少しだけ、柔らかな光が宿っていた。
「しかし、あの男の不器用さも困ったもんだよ。あんなに可愛がってるのに、頑なに『愛』なんて言葉は口にしないんだから」
「……長生きする種族だからこそ、言葉の重みが怖いのかもしれないね」
「え?」
「ううん、こっちの話。おばちゃん、お釣りはいらないから、このパンの端っこももらっていい?」
コロはそう言って、焼きたてのパンの香りが詰まった袋を受け取ると、ウルと共にエルリオンの待つ場所へと歩き出した。
パン屋を後にしたコロとウルは、服屋でブツブツと文句を言いながらも上質な布を大量に買い込んだエルリオンと合流し、村の薬草店へと向かった。
昨晩、エルリオンが作ったポーションを売却するためであり、コロにとっても手持ちの薬草を換金する良い機会だった。
カラン、と乾いたベルの音を鳴らして店に入ると、土のついた薬草のツンとした匂いと、乾燥させた甘い花の香りが混ざり合った、どこか落ち着く空気が鼻をくすぐる。
壁一面の棚には、無数のガラス瓶や引き出しが整然と並んでいた。
そんな店を営んでいるのは、人の良さそうな初老のハーフリングの夫妻だった。
「おお、エルリオン!待っていたよ。また質のいいポーションを作ってくれたんだろ?」
「チッ……足元見やがったら、次は別の街に売りに行くからな」
悪態をつきながらも、エルリオンは鞄から無造作にポーション瓶を取り出してカウンターに並べた。
それを見たハーフリングの夫は、窓から差し込む太陽の光に瓶を透かした。
琥珀色の液体がキラキラと光を放ち、不純物が一切ないことを証明している。
それを見て、夫は感嘆の息を漏らした。
「相変わらず、とんでもない純度だ……制作者の見た目のわりに」
「ポーションの出来と俺の見た目は関係ねえだろ」
「薬師として店が持てるが、お前さんがカウンターの向こうにいたら、半分以上の客は逃げちまうな!」
「うるせえ!ガタガタ言ってねえでさっさと金をよこせ!」
『盗賊顔負けの恫喝だな……』
夫とエルリオンのやりとりをジッと眺めていたウルがそう漏らすと、コロはついついクスッと笑ってしまった。
その横で、ハーフリングの妻がカウンター越しに身を乗り出し、エルリオンの背中でキョロキョロと周囲を見回しているリィンに向かって、満面の笑みで手を振った。
「リィンちゃーん、今日もご機嫌だねぇ」
「あー!あー」
「リィンちゃんのパパは、こんなに凄いお薬を作れるんだよ〜?かっこいいねぇ」
「……あ?誰がパパだ!俺はただの保護者……いや、家主だ!」
「はいはい。パパは今日もリィンちゃんのために、高い布をたくさん買ってたみたいだねぇ。パパ、頑張り屋さんだねぇ〜」
「だーっ!人の話を聞け!」
顔を真っ赤にして吠えるエルリオンを完全に無視して、妻は「パパでちゅね〜」とリィンをあやし続ける。
リィンも「あうー!」と楽しそうに手を叩き、エルリオンの長い耳を引っ張って遊んでいた。
「さて、私の薬草も買い取ってもらえるかな」
コロは呆れたようにそのやり取りを眺めつつ、自身の鞄から綺麗に処理された薬草の束をカウンターに置いた。
「おや、嬢ちゃんも同業者かい?」
「昨日、雨宿りさせてもらってね、そのまま泊めてもらったんだ」
「ははは、不器用だけど優しいヤツだからなぁ……って、こりゃまた凄い品質だ……!どいつもこいつも規格外の品質だねぇ」
コロの薬草を見た夫が目を丸くし、即座に相場の少し上の価格で買い取ってくれた。
しっかりとお金を受け取ったコロたちが店を出ようとすると、妻が名残惜しそうにリィンに手を振る。
「バイバーイ、リィンちゃん。パパの言うこと、ちゃんと聞くんだよ〜」
「家主だ!!あばよ!!また作ったら売りに来るからな!!しっかり金を用意しておけよ!!」
先程、ウルがぼやいた通り、まるで盗賊の恫喝のようにしか聞こえないエルリオンの言葉にも、初老のハーフリングの夫妻はニコニコして手を振っている。
薬草店を出た後も、村のすれ違う村人たちが口々に「お、パパの顔になってきたな!」「リィンちゃんのパパ、またな!」と声をかけてくる。
その度にエルリオンは「チッ……どいつもこいつも」と舌打ちをして不機嫌そうにしていたが、決して本気で怒鳴り散らしたり、リィンを背中から下ろそうとはしなかった。
『……人類というのは、どいつもこいつも事実を曲解するのが好きだな』
「ふふっ。でも、エルリオンも否定する割には、なんだかんだで受け入れてるみたいだけどね」
ウルとコロは、すっかり『村の愛されパパ』として定着してしまっている大男の広い背中を、からかうように見つめながら歩くのだった。
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