魔術師の教本と、名もなき個体差 2 〜上位種様の番と、空の暴力〜
2.
休憩の後。
「次こそは大丈夫ですわ!」
御者台の半分を陣取る若い女魔術師セリアが高らかに宣言していた。
つい先程、ゴブリン襲撃の際、腰を抜かして本職の護衛に助けられ、ガタガタと震えていた姿など微塵も感じさせない。
ある意味、見事なまでの立ち直りの早さ――悪く言えば、恐るべき学習能力の欠如だった。
『……おいコロ。あの女、なぜあんなに堂々としていられるんだ?俺には理解できん……』
「『あれはイレギュラーな出来損ないだっただけで、私の知識が間違っていたわけではない』って、自分の中で上手く整理がついたんじゃないかな。ある意味、すごく人類らしいメンタルの保ち方だと思うよ」
『アレだな……いや、まぁ、そうか……』
荷台の隙間で、一人と一匹が呆れたようにヒソヒソと会話を交わす。
そんな二人の呆れ顔などつゆ知らず、セリアは再び膝の上に本を広げた。
その時だった。
馬車の横を並走する深い森の木々の間から、四つ足の獣の影が複数現れた。
風に乗って微かに漂ってくる獣特有のツンとした匂い、規則的でいて小気味よさすら感じる足音、緑がかった体毛を持つ、中型の魔物。
フォレストウルフの群れだ。
「ひっ!フォ、フォレストウルフ……!」
「皆様、慌てないで!わたくしの教本通りですわ!」
乗客たちがざわめく中、セリアはパチンと指を鳴らして立ち上がった。
「ウルフ系の魔物は集団で狩りを行います。彼らは今、馬車の速度と我々の戦力を値踏みしているのです。ですがご安心を!わたくしのような高位の魔術師が威嚇を行えば、彼らも無駄な消耗を避けるはずでありまして――」
セリアが饒舌にペラペラと能弁を垂れ、杖の先に魔力を集め始めた、その裏側で。
『わぁ!やっぱり!凄く強そう!』
『すげえ!角がある!初めて見た!』
『俺達なんかより全然強いぜ!?』
並走するフォレストウルフたちは、セリアの存在など完全に無視し、キラキラと目を輝かせながら馬車の最後尾――荷台でふんぞり返っているウルの姿をガン見していた。
彼らは馬車を襲おうとしているのではなく、ただ単に「同族の凄まじい上位種」の匂いを嗅ぎつけ、興奮して森から飛び出してきただけの『熱烈なファンボーイ』たちだったのだ。
『フン……。辺境の若い個体のようだが、上位種を敬う礼儀は知っているようだな』
まんざらでもない様子のウルが、太い尻尾をゆったりと揺らしながら喉の奥で満足げに唸る。
そして、前足でチョイチョイとコロの肩を叩いて急かした。
『ほれ、コロ。おい』
「え?はいはい。ファンサービスね」
コロは呆れつつも、自身の荷袋から干し肉をいくつか取り出した。
「ほら、先輩からのプレゼントだよ。あんまり人類の前に出てきていると、殺されちゃうからさっさと森に帰りなよ」
コロが荷台から干し肉をポーンと街道の端へ放り投げると、フォレストウルフたちは空中でパッと干し肉を咥え取った。
『ありがとうございます、上位種様!』
『おい!あのお供の人類、俺達の言葉が分かるんじゃねえか?』
『上位種様と同じ匂いがするぜ!どういうことだ!?』
『やっぱ俺の言うことが合ってたじゃねえか!上位種様の番だって!』
今度はコロの方を見つめて盛り上がり始めるフォレストウルフたち。
コロはニヤリと口角を釣り上げ、ウルにグイグイと肘をぶつける。
「ほら、ウル。ねえ」
『ぬぅ……人類共の手前、お前が事情を説明するわけにも行かんしな。――おい、理由はどうあれ、この人類は俺と同じアッシュウルフで俺の……あれだ、つ、番だ!分かったら人類に殺される前に縄張りに帰れ!』
ウルの言葉を聞いて納得したからか、彼らは見事な身のこなしでUターンし、あっという間に森の奥深くへと消えていった。
「……ふふっ。見ましたか、皆様!」
そんな裏のやり取りなど知る由もないセリアは、杖を掲げたまま、ドヤ顔で乗客たちを振り返った。
「わたくしの言った通りですわ!ウルフ系の魔物は頭が良いですから、相手――つまりわたくしが格上だと判断し、そして!あのように自らサッと身を引くのです!」
自信満々に語るセリアに、乗客たちは「なるほど、戦わずして退けるとは」「さすがは魔術師様だ」と安堵の息を漏らす。
『……頭が良いからこそ、わざわざ進んで、ハエのようにうるさい人類に関わろうとしないのだがな』
見当違いの講釈を垂れるセリアを他所に、ウルが退屈そうにボヤく。
コロは苦笑しながら、ふと視線を感じて前を向いた。
荷台の少し前方に座っていた本職の護衛の青年が、コロとウルの方を見ていた。
彼は、コロが魔物に干し肉を投げ与え、平和裏に退かせた一部始終をしっかりと見ていたのだ。
青年は『テイマーの嬢ちゃん、上手く穏便に済ませてくれて助かったぜ』とでも言いたげに、片目を瞑って軽く顎をしゃくった。
「……やれやれ」
コロもまた、小さく息を吐いてから、青年に向かって『お互い様だね』と目線だけで挨拶を返すのだった。
「そろそろ休憩を挟みま――「皆様、そろそろ次の休憩地点が見えてまいりますわ!開けた場所ですが、わたくしがいれば上空からの脅威も――」
気の弱そうな御者の言葉を遮り、御者兼護衛気取りのセリアが再び得意げな演説を始めようとした、その時だった。
突如として、太陽の光が巨大な影によって遮られた。
バッサ、バッサと、空気を重く叩きつけるような羽音が頭上から降り注ぐ。
足元の草むらを巨大な黒い染みが猛スピードで舐めなずっていく。
「心配ありま――え……?」
「そ、空だッッッ!上を見ろ!!」
乗客の一人が悲鳴交じりに指差した先。
抜けるような青空を背景に、巨大な皮膜の翼を持つ爬虫類――ワイバーンが、真っ直ぐにこの乗合馬車を目掛けて急降下してきていた。
鼻をつく腐肉のようなワイバーンの体臭が強引にねじ込まれたかの如く、辺りに充満する。
「ワ、ワイバーン!?なぜですの!?教本には、あのような大型の飛竜は、自分の縄張りである高山から決して降りてこないと……ッ!」
セリアが教本を捲りながらヒステリックに叫ぶ。
「んなこと知るかよ!全員、伏せろッッッ!!」
本職の護衛の青年が叫び、乗客たちを荷台の奥へと押し込む。
急降下してくる巨大な質量と風圧に、馬車を引く馬たちがパニックを起こしていななきを上げた。
その混乱の最後尾で。
『……チッ。空からとは面倒な』
ウルがゆっくりと立ち上がり、空から迫るワイバーンへ向けて、低く、地響きのような威嚇の唸り声を上げた。
先ほどのフォレストウルフたちであれば、この一睨みだけで失神して逃げ出すほどの、上位種としての絶対的なプレッシャー。
『おい、トカゲ!こんな平原、お前の縄張りでは――』
だが。
「ギィェェェェェェェェッ!!!」
ワイバーンは、ウルの警告など一切無視して、剥き出しの牙に涎を垂らしながら真っ直ぐに突っ込んできた。
恐怖するどころか、ウルの存在に夢中になっているかのような、完全な一直線だ。
『……駄目だ。こいつ、言葉が通じるほどの知能すらないぞ』
ウルが呆れ果てたように吐き捨てる。
上位種の威圧も、縄張りの主張も、それを理解するだけの「脳みそ」がなければ何の意味もない。
「頭の悪い魔物って、ああなると本当にタチが悪いね」
『ただ食欲だけで動いている、羽の生えたトカゲの親玉だ。……コロ、少し揺れるぞ』
「ウルの存在に吸い寄せられて来ちゃったんだもんね。仕方ないか……」
『そういうことだ。ケツくらいは拭いてやる』
コロは食いかけの干し肉をしっかりと袋にしまい込み、ウルの背後の死角へと身を隠した。
「ど、どうして!?わたくしの火炎を見ても怯まないなんて!おかしいわ、本には……!」
「だから本をしまえって!すげえ魔術師ってのはよーく分かったから引っ込んでろ!!」
パニックになって的外れな魔法を空撃ちするセリアを怒鳴りつけ、護衛の男たちが武器を構えて立ち上がる。
馬車という狭い空間で、言葉も理屈も通じない「空の暴力」との、強制的な物理戦闘が始まろうとしていた。
「ギィェェェェェェェェッ!!!」
風を切り裂き、巨大なワイバーンが馬車の最後尾――荷台のウルを目掛けて一直線に急降下してくる。
大口を開けたその口腔からは、腐肉の悪臭と、獲物を喰らうことしか考えていない濁った欲望の匂いが吹き付けてきた。
「くそっ、デカすぎる!馬車ごと持っていかれるぞ!」
護衛の青年が剣を構えながら顔をしかめる。
彼ら本職の傭兵であっても、空から全体重を乗せて突っ込んでくる飛竜を、走る馬車の上で無傷で迎撃するのは至難の業だ。
ましてや、御者台では、本来なら空の魔物に対抗できるはずのセリアが「ひぃぃっ!」と頭を抱えてうずくまっている。
護衛たちが覚悟を決めて踏み込んだその瞬間。
『……俺をただのエサだと認識した、その貧相な脳髄ごと消し飛べ』
荷台の縁に前足をかけたウルの身体から、チリチリと、周囲の空気を凍りつかせるような禍々しい黒雷が溢れ出した。
ウルから放たれた空気が焦げたような匂いが、ワイバーンの腐肉の匂いを上書きしていく。
――パァンッ!!!
空気が爆ぜる轟音と共に、ウルの巨体が荷台から跳躍した。
馬車の屋根を蹴り、空へと躍り出た銀色の流星。
「ギィッ!?」
エサが自ら口の中に飛び込んできたと思ったのか、ワイバーンが歓喜に大口を開けた――次の瞬間。
ウルの前足に纏わりついた濃密な黒雷が、大気を引き裂きながら、ワイバーンの脳天へと無慈悲に振り下ろされた。
――ドガァァァァァァァァンッッッ!!
雷鳴のような轟音が平原に響き渡る。
上位種の圧倒的な暴力。
それをまともに頭から食らったワイバーンは、断末魔の悲鳴を上げる間もなく、全身から黒い煙を吹き出しながら、馬車の数十メートル後方の地面へと隕石のように激突した。
ズズズンッ……!と、街道の土がえぐれ、もうもうと土煙が舞い上がる。
「なっ……!?」
「うそ、だろ……?ワイバーンを一撃で……?」
護衛の男たちも、乗客たちも、そして御者台で震えていたセリアも。
全員が口をポカンと開け、眼の前で起きた規格外の光景に絶句していた。
先程までの騒ぎが嘘だったかの如く、静寂が辺りを支配していた。
『……フン。不味そうなトカゲだ。歯を立てる気にもならん』
土煙の中から、ウルが悠然と姿を現す。
ピクリとも動かなくなった巨大な飛竜を一瞥することもなく、ウルは軽い足取りで馬車の後方を追いかけ、ひらりと軽業師のように荷台へと飛び乗った。
「お帰り、ウル。お疲れ様」
『たかがハエ叩きだ。礼を言われるほどのことでもない』
「これで肉が美味しければ文句無しなのにね」
『こんな腐肉を喰らうくらいなら、俺はその辺の雑草でも食う』
「じゃあウルが草食動物になる前に、これを食べてもらおうかな」
『手懐けられているようで癪だな』
「あ、要らなかったんだ?」
『フン。いる』
コロは干し肉を袋から取り出してウルに差し出しながら、何事もなかったかのようにウルを労う。
その、あまりにも日常的で実務的な一人と一匹の空気に、護衛の青年が引きつった笑いを浮かべて声をかけてきた。
「お、おい、嬢ちゃん……。あんたの連れてるその狼、とんでもねえ化け物じゃねえか……」
「ただの狼じゃないよ。それに、あれが来たのはこの子のせいみたいだったからね。自分の落とし前は自分でつけただけだよ」
「い、いや、そういう問題じゃ……」
コロが淡々と首を振ると、護衛の青年は「世の中、分からねえもんだな」と深い溜息をつき、呆れたように剣を鞘に収めた。
「……あ、あり得ないわ。あんな……あんなの、教本には……っ!」
一方、御者台のセリアは、完全に理解の範疇を超えた事象を前に、泥だらけの教本を抱きしめたまま虚ろな目でブツブツと呟き続けていた。
『平均値』ばかりを詰め込んだ彼女の頭は、知能ゼロの例外と、規格外の暴力という二つの例外を処理しきれず、完全にショートしてしまったようだ。
「……あの死骸の扱いは御者か護衛の人に任せて、ゆっくりしていようか」
『そうさせてもらおう』
一人と一匹は、護衛たちの畏怖の視線も、女魔術師の混乱も綺麗に無視し、停まってしまった馬車の荷台に再び乗り込むのだった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




