中継地点の偶像と、泥だらけの草 1 〜金貨の匂いと、泥臭い最適解〜
1.
よく整備された、幅の広い石畳の街道をひたすら北へ。
一人と一匹の視線の先には、抜けるような青空を突き刺すようにそびえ立つ、白亜の大理石で造られた三つの巨大な尖塔が見えていた。
雲一つない空を背景に、金やガラスで豪奢な装飾を施された尖塔が異様なほどの自己主張を放っている。
それは祈りを捧げるための慎ましい建築というよりは、天にいる神に対する『人間の権力と富の誇示』を具現化したような、傲慢な威容だった。
『……人類の傲慢さを象徴するモニュメントか?』
「あれが、この宗教国家が誇る最大の都市。『司教』を育てるための大きな養成所がある場所だよ」
コロは、陽光を反射してこれ見よがしに輝く尖塔を見上げながら、ひどく面倒くさそうに説明した。
『ほう。司教を育てる場所か』
ウルは黄金の瞳を細め、遠くに見える壮麗な都市の輪郭を眺めた。
そして、物憂げな表情を浮かべている相棒の顔を見て、ウルは首を傾げてしまう。
『お前は女神が好きな割に、こういう大それた信仰の場には一度も足を向けたことがないな』
「んー……そうだね」
『少なくとも俺は初めて来たぞ』
「……女神様が好きだからこそ、来なかったんだよ」
『ん、なんだそれは。どういう意味だ?』
「ま、行けば分かるよ。ウルにとっても、あんまり気分のいい場所じゃないと思う」
『人類の町で気分が良くなることのほうが珍しいけどな』
「そういうことじゃなくて。まあ……分かるよ」
『ふむ……』
コロはそれ以上多くを語らず、深いため息をついて歩みを進めた。
高い城壁の門で、きっちりと高額な通行税を徴収され、都市の中へ足を踏み入れる。
街並みはどこもかしこも塵一つなく清掃され、行き交う人々も小綺麗な身なりをしている。
足元の石畳には馬糞ひとつ落ちておらず、すれ違う養成所の関係者と思しき者たちは皆、まるで舞台役者のように芝居がかった穏やかな笑みを顔に貼り付けている。
そのあまりにも整いすぎた人工的な風景が、逆に背筋を撫でるような薄ら寒さを感じさせていた。
コロは周囲をキョロキョロと見回しながら、終始ボヤきっぱなしだった。
「はぁ……。旅の行程上、どうしてもここを通って物資の補給をしないといけなかったから立ち寄ったけど……やっぱり、息が詰まるね」
『……同感だな。綺麗に整えられてはいるが、妙に鼻につく匂いがする』
ウルが不快そうに鼻を鳴らす。
街の至る所から、神聖さを演出するための高価そうな香の匂いが漂っているのだが、その奥底にどうしても隠しきれない『人類の強欲さ』がこびりついているのを、アッシュウルフの嗅覚は正確に捉えているようだ。
「とりあえず、手持ちの薬草を売ってしまいたいんだけど、おかしいな……。薬草店が見当たらないね」
『この規模で薬草店がない街など、これまで見たことがないぞ』
「前に来た時に薬草店があった場所が雑貨屋になっちゃってた。うーん……ずっと昔の話だし、どっかに移転したのかな」
しばらく大通りを歩いてみたものの、一般的な都市なら必ずあるはずの、干した草や木の根の匂いを漂わせる看板が一つも見当たらない。
仕方なく、一人と一匹はウルの夕食用の肉を調達するついでに、大通りから少し外れた場所にある肉屋の主人に、薬草店の場所について話を聞いてみることにした。
「ん、薬草店?お嬢ちゃんたち、よそから来た旅人かい」
血抜きされた新鮮な肉の塊を切り分けながら、恰幅の良い肉屋の主人が鼻で笑った。
薄暗い店内には、鉄と血のむせ返るような匂いが充満している。
表通りの綺麗に作られた「神聖さ」とは無縁の、泥臭くて生々しい平民の生活の匂い。
しかし、肉を切り分ける主人の太い腕にも、その言葉の端々にも、教会という絶対的な権力に対する諦めと鬱屈が重くこびりついているように見えた。
「うん、薬草を売りたいんだけど、全然見つからなくてね」
「この都市に、民間の薬草店なんて気の利いたもんはないよ」
「え?いや、昔はあったと思うけど……」
「昔?相当前にはこの町にも民間の薬草店があったらしいけど、今はねえな。薬草の買い取りから調合、薬の販売に至るまで、ぜぇーんぶ、あの『司教養成所』が独占して取り仕切ってんだ。俺たち平民は、法外なお布施を払って教会から薬を『授けていただく』しかねえのさ」
「へえ……。それはまた、ずいぶんと徹底しているね」
コロは一切の驚きを見せず、代金の銅貨を支払って肉の包みを受け取った。
肉屋から少し離れた路地裏で、コロは呆れたように肩をすくめた。
「前回来た時よりも、システムがガメつくなっているのかもね」
『その前回とやらは何年前だ?』
「ずーっと昔にね。まだ、私が人類っていう生き物のことをよく分かっていなかった頃の話だよ」
コロは遠い目をして、それきり口を閉ざした。
彼女から漂うひどく冷めた感情の揺れを察し、ウルは鬱陶しそうに巨大な尻尾を揺らした。
『……そんなにウダウダ言うなら、こんな街はさっさと通り抜けて、次の町に行くか?』
「ううん、すぐに売りたい素材があるからね。採れたての新鮮なうちに売らないと、薬効が落ちて値崩れしちゃうんだ」
コロは背負った荷袋をポンと叩き、いつもの実務的な無表情に戻って言った。
「養成所が買い取りを独占してるなら、そこへ持ち込むまでだよ。サッと高く売って、パッとこの都市を出よう」
街の中心にそびえ立つその施設は、近づくにつれて常軌を逸した金のかけ方を露わにしていく。
大理石の壁面にはこれ見よがしに細密な聖人の彫刻がびっしりと施され、窓は極彩色のステンドグラスで隙間なく埋め尽くされている。
それは信仰を深めるための場所というよりは、搾取した富を誇示するためだけに建てられた、下品なまでに巨大な宝物庫のようだ。
一人と一匹は、そんな、最も豪奢で無駄な装飾に満ちた白亜の施設――司教養成所へと向かって歩き出した。
重厚な大理石の門をくぐり、司教養成所の敷地内へと足を踏み入れた瞬間。
ウルは「ぶわっ」と毛を逆立て、たまらず盛大なクシャミをした。
『……クソッ!最悪だ。鼻が腐り落ちるぞ、コロ』
「静かにしてよ、ウル。目立っちゃうでしょ」
『無理な注文だ。高価な香の匂いで必死に誤魔化しているようだが、隠しきれていない。金貨の擦れる下品な鉄の匂いと、虚飾に塗れた脂ぎった匂いが充満している。ここは本当に信仰を学ぶ場所なのか?いかに効率良く金を搾取するのかを学ぶ場所だと言われたほうが納得できるぞ』
「さあね。私にも、信仰を学ぶ場所じゃなくて、権力を買うためのオークション会場みたいに見えるけど」
コロは、すれ違う純白の法衣を着た見習い司教たちを一瞥して、淡々と分析していた。
彼らの法衣にはシワひとつなく、指先は泥に触れたことすらないように白く透き通っている。
平民でも入っていける建物の中にある受付で薬草の買い取りを依頼すると、一人と一匹は買い取りの査定を担当するという『薬草学』の教師の部屋へと通された。
「ほう……。旅の採取家が持ち込んだと聞いて、どんな泥だらけの雑草かと思えば……」
分厚いモノクルをかけた中年の教師は、コロが卓上に広げた薬草の束を見るなり、目を丸くして言葉を失った。
「見事だ。根の先まで一切傷つけず、最も薬効が高まる半乾燥の状態を完璧に保っている。これほどの処理技術を持った者は、この養成所の高学年にもそうはおらんぞ……」
「そう。じゃあ、高く買い取ってくれる?」
無表情に対価を要求するコロに対し、教師は探るような鋭い視線を向けた。
「君、ただの素人ではないな」
「それで食べているからね。腕に自信があるんだ」
「よし、少し知識を試させてもらおう。……もし、寒冷地で『太陽の葉』が手に入らない場合、止血剤はどう調合する?」
それは、薬師の調合書に載っている基本のレシピを暗記しているだけでは答えられない、意地悪な引っかけ問題だった。
だが、コロは瞬き一つせずに即答する。
「『太陽の葉』なんてね、見栄えと匂い対策のために、後から入れるようになった代用品だよ」
「……ほう?」
「止血の主成分はね、一緒に入れる『赤岩の苔』の方。だから、寒冷地ならその辺に生えてる『霜降り草』の根でもすり潰して、苔と一緒に煮込めば十分。臭くなるし、色味が少し濁るけど、血が止まらなくて死ぬよりマシでしょ」
「なっ……」
「現に、人里から離れたところで暮らしている部族とかはね、未だにその土地に合ったものを使っているね。わざわざ『太陽の葉』なんかを高く買い取っているのは、人里だけだね」
売り物としての「見栄え」を完全に無視した、あまりにも身も蓋もない、しかし絶対的に正しい『生存の実務』。
教師は一瞬絶句した後、額にじわりと脂汗を浮かべた。
「……み、見事だ。ならば……ならば、もう一つだけ聞こう」
「買い取りをしてほしいだけなんだけどね。それ、まだ続くの?」
「い、いや!あと一つだ!」
「うん、分かった。私も無料のサービスはそこまでだよ」
教師は身を乗り出し、まるでコロを試すというより、純粋な知識の底比べをするように声を潜めた。
窓から差し込む極彩色のステンドグラスの光が、教師のニヤついた顔に歪な影を落としている。
その分厚いモノクルの奥には、教会の権威を笠に着て、生意気な平民の小娘の鼻を明かしてやろうという、ひどく俗物的な優越感が渦巻いていた。
「重い熱病の患者に、教典通り『癒しの香』を焚きたいとする」
「ああ、あれね」
「だが、外は嵐で香炉も薪も濡れており、どうしても火が点かない。君ならどうする?」
意地の悪い笑みを浮かべる教師を他所に、コロは小さくため息をついた。
そのため息を聞いたからか、コロの隣で行儀よく座っていたウルは大きなあくびを一つ、退屈そうに吐き出した。
「どうするもこうするも……初めから香なんて焚かなくていいと思うよ」
「なっ……」
「その香の原料の『青風葉』を直接すり潰して、患者の舌の下に入れておけばいいだけだよ」
「し、舌の下に!?」
「火で焚いて煙を吸わせるより、唾液と混ぜて粘膜から直接吸収させた方がずっと即効性があるんだよ。口の中はひどく苦くて痺れるけど、半日もしないうちに熱は下がる」
コロは、さも当然のことのように肩をすくめた。
その淡々とした言葉には、綺麗に整えられた教典の中には決して書かれていないであろう、血と泥にまみれた強烈な『現場のリアリティ』が宿っていた。
まるで、生死の境を彷徨う患者の荒い息遣いまでもが、この豪奢で安全な部屋に持ち込まれたかのような錯覚さえ覚える。
「見栄えのいい煙なんて、祈りの雰囲気を高めて、患者の家族を安心させるためのただの『演出』だね。命がかかってる現場じゃ、そんな悠長なこと言ってられないよ」
『儀式だの見栄えだの、人類は本当に無駄なことばかり好むな』
コロの圧倒的な実務知識に、ウルも呆れたように同意の鼻を鳴らす。
「教典の作法を、完全に無視している……」
「本来の姿を無視したものが、その『経典』とやらだよ」
「だが、命を救うという一点においては絶対的に理にかなっている……!相当勉強しているのだな……」
「……そもそもね。『苦いのは嫌だ』とか『臭いのは嫌だ』とか、そういう泣き言を言う人類ばかりが集まるのが街だからね。本来の姿を知っていたら、別に勉強するとかしないとかって以前の話だよ」
教師は震える手で分厚いモノクルを押し上げ、何かを閃いたように口元を歪めた。
「……素晴らしい。実は今日の午後、高位貴族の子息たちを集めた薬草学の実習があってな。君のその『泥臭い実務の知識』を、少しばかり彼らに見せてやってはくれないか?」
どうやらこの教師、実力はあるものの、厄介なパトロンの子供たちに手を焼いているらしい。
自分の代わりに、この旅の小娘の圧倒的な知識を「実演のダシ」に使おうという腹積もりのようだ。
「……薬草を売ったら、すぐに出るつもりだったんだけどね」
「もちろん、タダとは言わん。特別講師の礼として、この薬草の買い取り額に金貨三枚を上乗せしよう」
チャリン、と教師が皮袋を揺らす。 その音を聞いた瞬間、コロは脳内で素早く計算を終えた。
「……適正な労働対価だね。いいよ、引き受けようかな」
『……おいコロ。また面倒なことを』
呆れ返るウルをよそに、コロはあっさりと交渉を成立させてしまった。
神聖な奉仕や名誉といった言葉には微塵も心を動かさなかった氷藍色の瞳が、金貨がぶつかり合う鈍い音にだけは、優秀な商人のように鋭く反応する。
「神への祈り」よりも「明日の肉とパン」の確実性を重んじる。
それこそが、彼女の貫く実務の世界だった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




