中継地点の偶像と、泥だらけの草 2 〜犬猫の司教と、どこにでも生える救い〜
2.
「というわけで、本日は外部から特別講師をお招きしている。彼女の実践的な調合技術から、大いに学んでくれたまえ」
豪華なシャンデリアが下がり、窓にはステンドグラスがはめ込まれている広い教室。
教壇に立つ教師の紹介を受け、コロはウルの巨体を連れて静かに前に出た。
ちなみに今喋った教師は、先程買い取りの場に居合わせた教師よりも些か若く、到底『頼りがいのある』とは言い難い、痩せぎすの男だ。
だが、ずらりと並んだ純白の法衣を纏う十数人の生徒たちの反応は、冷え切ったものだった。
「……信じられない。あんな泥だらけの服を着た平民の小娘に、何を教われと言うのですか?」
「それより先生、この机の上の泥のついた薬草は何とかなりませんこと?服に匂いが染み付いてしまいますわ」
「ああ、爪の間に泥が入ったら、夕方のお茶会に出られないわ」
縁に彫刻が施された見事なマホガニーの机の上に、土塊のついた無骨な根や葉が無造作に転がっている。
だが、生徒たちは自分の机の上に転がっているそれを、まるで汚物でも見るかのような目で眺め、誰も触れようとすらしない。
ステンドグラスを通した色鮮やかな光が室内を神聖に照らしているが、その光すらも、生徒たちからすれば「汚物を際立たせる忌まわしい照明」でしかないようだ。
『……おいコロ。なんだ、このゴミの掃き溜めみたいな連中は』
ウルが苛立ちを隠さずに低い唸り声を上げる。
教室の空気が一瞬張り詰めたが、生徒たちは「野蛮な魔物まで連れ込んで!」とさらに不快感を露わにするだけだった。
教師は「まあまあ、知識として知っておけば……」と完全に生徒たちに媚びへつらい、まったく場を制御できていない。
そう、彼らは教会のパトロンの子息や息女だからだ。
「……じゃあ、始めるよ」
コロはマズルを顰めるウルや、生徒たちの不満など一切無視して、無表情のまま教壇に用意されていたすり鉢を手に取った。
そして、泥のついた薬草を流水で手早く洗い、一切の無駄のない動きで成分を抽出していく。
ゴリッ、ゴリッ、とすり鉢の中で繊維がすり潰される鈍い音が、静まり返った教室に響く。
それと同時に、むせ返るような青臭い土の匂いと、鼻を突き刺す強烈な薬効成分の香りが爆発したように広がり、教室内を満たしていた甘ったるい香水と香の匂いを一瞬にして駆逐していった。
「あなたたちの目の前に置かれた薬草のうち、見栄えや匂いを気にして、使われるようになったものが混じっている」
そんなコロの第一声に、生徒たちは首を傾げたり、眉を顰めたりと、ピンと来ている者が皆無なのは火を見るより明らかだ。
それでもコロはそんな反応を一切無視し、言葉を継いだ。
「たとえば、そこにある『太陽の葉』は、都市部でしか手に入らない、謂わば『嗜好品』だよ」
「こんなものが嗜好品だと?ははは、薄汚い平民とは感覚がまるで違うな……」
「全くもって時間の無駄遣いですわ……」
口を開ければ不平不満がこぼれ出てくる生徒たち。
それでもコロは表情ひとつ変えず、淡々と言葉を継いだ。
「教会で働くならね、こんな嗜好品じゃなくて、泥のついたその辺の野草から薬効を引き出すのは、最低限の生存スキルだね」
「生存スキル……?何を馬鹿なことを」
「貧しい村には綺麗に整えられた薬草店なんてないよ。私みたいな採取家が薬草を持ち込むのなんて待っていられない。それに、採取家が、わざわざ『太陽の葉』のような、見栄えを意識したような『嗜好品』を持ってくるとも限らない。だから、司教が直々にその辺の草から柔軟に薬を作れなければ、信者はそのまま熱を出して死ぬだけだよ」
その「事実」を淡々と突きつけられた生徒たちは、自分たちの高貴な信仰を「泥臭い実務」にまで貶められたように感じたのか、一斉に顔を真っ赤にして憤慨した。
「ふざけないでくださる!?」
バンッ!と机を叩き、最前列に座っていた見目麗しい令嬢が立ち上がった。
彼女はこれ見よがしに高価な扇子で鼻を覆い、コロを蔑むように睨みつける。
「わたくしは、アリム王国の由緒あるセルヴァン伯爵家の娘でしてよ!そんな程度の低い泥だらけの村や集落になど、赴くわけがありませんわ!わたくしが導くのは、もっと高貴な、相応しい方々です!」
扇子を握りしめる彼女の手は怒りでブルブルと震え、首筋まで真っ赤に染まっている。
最高級の絹で仕立てられた純白の法衣が、荒い呼吸のたびに擦れ合い、微かに衣擦れの音を立てていた。
それは信仰心からの怒りなどではなく、自身の特権階級としての安い自尊心を泥靴で踏みにじられたことへの、醜い癇癪でしかなかった。
そんな傲慢な宣言に、他の生徒たちも眉を潜めるどころか「そうだそうだ」と頷いて同調している。
彼らは信仰を学んでいるのではない。
「高貴な司教」という特権階級の椅子に座るための手順を、仕方なく踏んでいるだけなのだ。
「……へえ」
コロは手を止め、氷藍色の瞳で令嬢をじっと見つめた。
そして、令嬢の安いプライドを根本から粉砕する、冷水よりも冷たい正論を放った。
「じゃあ、別にそれでいいんじゃないかな?」
「えっ……?ええ、そのとおり――」
「余裕のない人たちだってね、あなたみたいな傲慢で無能な人に来てほしいなんて思わないんじゃないかな。双方の利害が一致しているね」
「なっ……!?わ、わたくしに向かって無能ですって!?」
「だって、自分で摘んできた草から薬も作れないんでしょ。救いを求める人たちにとって、あなたの地位や資産なんて、腹の足しにもならない『すごくどうでもいい話』だよ。地位や資産を耳にするだけで、万病を癒やせる力があるのなら話は別だけど」
コロのあまりにも身も蓋もない真実に、令嬢はワナワナと震え、言葉を失う。
コロはすり鉢をコトリと机に置くと、さらに致命的な一撃を冷酷に突き刺した。
「それに、何を勘違いしているのか分からないけれど。司教っていうのはね、あくまで女神様と繋がるためのただの『中継地点』に過ぎないんだよ」
「ちゅ、中継地点……?」
「うん。わかりやすく言えば伝書鳩。いや、本当に意見が届いているのか分からないから、伝書鳩ではないね。ひょっとすると、本当に女神様に祈りを届けられるかもしれない、ただの中継地点。……別に中継地点なんて、誰でもいいんだよ」
コロは言葉を区切ると、呆然とする生徒たちを見回して、決定的な一言を放った。
「なんなら、『お座り』と『待て』がしっかりできる、躾けられた利口な犬や猫が司教だとしても、祈りの作法さえ間違えなければ、人類は『まぁこれで十分か』って、そのうち慣れちゃうと思う。犬や猫は自分の血統や生まれをひけらかしたりしないしね」
――静寂。
自分たちの神聖な権威を「犬猫以下」と切り捨てられた生徒たちの顔から、血の気が引いていく。
「ただの中継地点が、偉そうに信仰者の取捨選択をするなんて……。そんなことしていたらね、さすがの女神様だって、すごく怒ると思うな」
「き、ききき貴様ぁぁッ!!衛兵!衛兵を呼びなさい!!この異端の小娘と魔物を、今すぐ叩き出しなさいッッッ!!」
令嬢が金切り声を上げ、教室中がパニックに陥った。
教師も青ざめてオロオロとするばかりだ。
その時。
教室の隅で丸くなっていたウルの巨体が、ゆっくりと立ち上がった。
『……おい。うちの相棒の授業態度が気に入らんのなら、俺が少し躾をしてやろうか?』
ゴロゴロと、地鳴りのような低い声。
黄金の瞳が細められ、ウルの身体からチリチリと黒雷が漏れ出す。
パチッ、と空気が爆ぜる音が鳴った瞬間、豪奢な教室は一瞬にして『死の森の深奥』へと変貌した。
ウルの言葉が理解できずとも、その身体から溢れ出す濃密な魔力が、極寒の冷気となって床を這い、生徒たちの足首に絡みつく。
彼らは自分たちが「高貴な人間」であるという事実すら忘れ、ただ眼前の絶対的な捕食者に睨みすくめられた無力な『餌』として、絶望的なまでに本能を支配されていた。
「じゃあ、授業はこれで終わりだね。……ウル、行こうか。ここは息が詰まる」
『フン。お前がこの街を嫌がる理由が、嫌というほどよく分かった』
「そうでしょ。言葉が理解できるのに、一切通じ合う気がしないこの感じ。別の世界を生きている『何か』と遭遇した気分だよ」
『言い得て妙だ』
「あの報酬でも割に合わないと思えるんだから、もう脱帽だね。私にとっても、この人たちにとっても、すごく無駄な時間だった」
『今晩、女神に告げ口してやれ』
コロはチャリン、と報酬の金貨袋を鳴らした。
そして、ウルだけでなく、彫像のように硬直する生徒たちへも向けるかのように口を開いた。
「この腐っている現状で、何の天罰も下らないんだ。女神様はね、寛大ってよりは、この人たちに、これっぽっちの興味もないんだと思う」
そう言い捨てると、コロは彼らを置いて、あっさりと教室を後にした。
白亜の建物の重厚な扉を押し開け、一人と一匹が外へと出た時のことだった。
建物の裏手、豪奢な装飾からは見放された、湿り気のある植え込みの陰に、数人の影が潜んでいた。
「……あ、あの……!」
声をかけてきたのは、先ほどまで中にいた生徒たちより若干年若く見える少年少女だった。
だが、その姿は残酷なまでに対照的だ。
法衣は継ぎ接ぎだらけで、裾は泥に汚れ、指先は薬草の灰汁で黒ずんでいる。
彼らは支度金も用意できず、養成所で奴隷同然に扱われながら、いつか司教になれる日を夢見て下働きをしている『見習い』たちだった。
「……何か用?もうあの教室に用はないんだけどね」
「お、おねがいします!せめて、少しだけでも……私たちに教えていただけませんか!」
彼らは地面に額を擦り付けるようにして、必死に頭を下げた。
「窓の外から、あなたの話を聞いていました!……『太陽の葉』どころか、薬草なんて買えないし、教科書も見せてもらえない私たちにとって、さっきの話は……何よりも、必要なことなんです……!」
震える声。
彼らからは、金貨の匂いも香水の匂いもしない。
ただ、必死に生きようとする焦燥感と、貪欲に知識を求める、野草のようなたくましい匂いが漂っていた。
『……こいつらは、さっきの連中より「マシ」な顔をしているな』
ウルがゆったりと尻尾をしならせながら鼻を鳴らす。
コロは少しだけ足を止め、懐の中の重たい金貨袋を手のひらで転がした。
「……いいよ。教師からは、十分すぎるほどの報酬をもう受け取っているからね。時間はまだあるし、引き受けるよ」
その一言に、見習いたちはパァッと顔を輝かせた。
コロはそのまま、手入れの行き届いた『観賞用』の庭園ではなく、あえて雑草が茂る裏庭の隅へと彼らを歩かせた。
「この辺の方が良いね。ほら、そこに生えているギザギザの葉っぱ。それはただの雑草じゃないよ」
「えっ、これが……!? 」
「根を乾燥させて粉にすればね、『青風葉』と同じ、熱を下げる薬草になるよ」
「庭師さんにいつも引き抜いて捨てろって言われていた草が……?」
「そう。教典とやらに載っていないんだろうね。だからここの人たちは誰も知らないだけじゃないかな」
「なるほど……!」
「……あと、あっちの湿った石に生えている苔。あれを解熱剤に少し混ぜれば、薬効が上がる。ただ、とても似た苔があってね、えーと……あった。これなんだけど――」
コロは這いつくばるようにして草を覗き込む見習いたちに、淡々と、しかし確実な『生存の術』を伝授していく。
それは、大理石の教室では決して語られることのない、泥と汗の匂いがする本物の講義だった。
「とりあえずこんなもんかな。教会が認めた薬草だけが薬じゃないよ。女神様が作ったこの世界にはね、どこにだって救いは生えている。……それを形にできるかどうかは、あなたたちの腕次第だよ」
見習いたちは、指先をさらに泥で汚しながら、コロの言葉を一言も漏らさぬように必死で頷き、自生する草の感触をその手に刻み込んでいた。
「じゃあ、教えるのはここまで。……後は、自分たちで確かめなよ」
コロはそう言い残すと、驚きと感謝で見送る彼らを背に、今度こそ迷いのない足取りで宗教都市の門へと向かった。
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