狂気の配合と、死すら許されない納品物 3 〜軋む肉体と、地獄に続く白い部屋〜
3.
「おおおおぉぉ……完成した……!ついに……ついに完成したぞぉぉおおっ!!」
薄暗い錬金工房に、老人の歓喜の絶叫が響き渡る。
老人はドス黒く輝く粘液の入ったフラスコを天高く掲げ、濁った瞳からポロポロと大粒の涙を零していた。
その涙が分厚いレンズの眼鏡を濡らし、薄汚れた床へと落ちていくのも構わず、老人は堰を切ったように早口で捲し立て始めた。
「誰にも、誰にも理解されんかった……!」
「常……いや、凡人には理解できないだろうね」
「そうなのだッッッ!!だが、型に囚われた錬金術では決して辿り着けぬ高みがあって、私はずっとそこだけを目指し続けていたのだッッッ!」
老人はフラスコを愛おしそうに胸に抱き抱え、フンフンと鼻息を荒くして吐き捨てる。
「馬鹿共は、つまらん『ままごと遊び』のような錬金術で作ったゴミにしか興味を示さん!だが、見ておれ……今、この瞬間に、錬金術の概念そのものが覆るのだ!数百年と同じところで足踏みしていた『くだらなかったままごと』の歴史が、停滞していた分だけ、今日、ここで爆発的に進化するッ!」
世界を変える偉業を成し遂げたと、全身をワナワナと震わせて恍惚の表情を浮かべる老人。
しかし、その歴史的瞬間の立ち会いを許可された一人と一匹は、至って冷静だった。
『あのヘドロのようなものが、か?』
「……多分」
『そもそもあれは飲み薬か?塗り薬か?』
「いや、そういう感じの液体なのかすら……液体と呼んで良いのかも分かんないかな」
一人と一匹の小声の会話など、もはや狂喜乱舞の最中にいる老人の耳に届くことなどない。
「で、お爺さんは結局、何を作ったの?」
あまりにも壮大な自己陶酔をスッパリと切断する、コロの平坦な問いかけ。
老人は一瞬だけ不満そうに眉をひそめたが、すぐに自慢の傑作を披露できる喜びに顔を歪ませた。
「ふふ、ふははは!聞いて驚け!これはな、ただの薬ではないッッッ!!服用した者の肉体を、若く美しい少女の身体へと完全に『再構成』する魔法薬だ!!」
一瞬、部屋の中が沈黙に支配された。
ただただ、よく分からない装置が、よく分からないタイミングで放つ、よく分からない『ポコポコ』という音だけが聞こえてくる。
「……え?」
『はぁ……?』
あまりにも予想外の、そして狂気じみた解答に、さすがのコロとウルも目を丸くして呆気にとられた。
「ん?聞こえんかったか?若く美しい少女の身体に――」
「いやいや、そうじゃなくて。若い美少女に再構成するって……まさかお爺さん、それを自分の身体で実験するつもりなの?」
「ん?ははは、当然だ!この老いさらばえた醜い肉体を捨て、私は完璧な人生をやり直すのだ!」
老人の一切の迷いもない断言に、コロはサッと周囲の薄暗い工房内を見回した。
先ほどからコロが抱いていた、ある『違和感』の正体がカチリとはまったのだ。
「……そういえば、この家に入ってから、ネズミ一匹、小動物の気配を全然感じないんだけど……お爺さん、もしかして動物での試験を一回もやらないの?」
「うははは、馬鹿者。下等な獣で試すなど、私の偉大な研究に対する侮辱だ!そんな無駄な真似をするくらいなら、まずはこの私が一番に飲むに決まっているだろうが!!」
老人は血走った目でコロを睨みつけ、唾を飛ばしながら言い放った。
安全性はおろか、動作確認のプロセスすら完全に放棄した、狂気のぶっつけ本番。
コロはその常軌を逸した言葉を聞き、静かに「……そっか」とだけ呟いた。
これ以上何を言っても、数十年分の妄執に呑み込まれたこの老人には、論理的な警告などノイズとしてしか届かないだろう。
止めるだけ無駄だ、と判断したコロは、それ以上、老人に意見することなく、ただ氷藍色の瞳で『これから起こる事象』を静かに見届ける態勢に入った。
ウルも、老人の耳には唸り声にしか聞こえない筈なのに、それ以上は何も言わず、ただジッと目の前の狂人をジッと観察していた。
「――という事だ!!」
『何か』を延々と語っていた老人の口が、ようやくピタッと閉じた。
コロは何も言わず、ただ小さくコクっと頷いた。
「よし、さあ……私は、私はついに生まれ変わるのだぁっ!」
老人は高らかに宣言すると、フラスコの口を自身の唇に押し当て、ドス黒い液体を一息に飲み干した。
『お、おいコロ……!本当に飲んだぞ……?』
「飲んだ、ね……凄いな」
『この爺さんが、このままくたばったらどうする?』
「……薬草店に助けを求めてから、考えようか」
フラスコを取り落とし、老人がゴクリと喉を鳴らした直後だった。
ドクン、と。老人の足元から、脈打つような不気味な魔力の波紋が広がった。
濁っていた老人の瞳孔が極限まで見開き、その全身の血管という血管が、ドス黒い薬液の浸透によって皮膚の裏側からどくどくと不気味に浮かび上がる。
それは魔法の神秘的な輝きなどではなく、致死量の毒を無理やり全身の隅々にまで巡らせているような、生々しい異物混入の光景だった。
「ガァアアアッ……!?ギ、ゴェエエエ……ッ!!」
老人は喉を掻き毟りながら、汚れた床の上を転げ回った。
――メキメキ、バキバキッ!
工房に響き渡ったのは、太い木の枝を束ねて無理やりへし折るような、おぞましい破砕音の連続。
『……おい、これ、どうする?』
「どうするも何も……この状態をどうにかできる手段なんて知らないよ」
『暫くは様子見か』
「これは、お爺さんが想定していた正しい反応かもしれないしね」
長年かけて硬化した老人の骨格が、薬の力によって「少女のサイズ」へと強制的に圧縮され、砕かれ、再構築されていく。
しかし、強引な骨格の縮小に対して、皮膚や筋肉の変異が追いついていない。
肉の余った腕や脚が不自然に捻じ曲がり、皮膚の下で軟部組織が異常に膨張と収縮を繰り返す。
「……正しい反応、ではなさそうだね」
『何もかもが分からん』
「世の中は広いんだなと思わされるよ」
本来なら長い年月をかけて成長するはずの「少女の身体構造」を、たった数分という時間で強引に出力しようとした結果生じた、残酷な結果に思えた。
「アァ……ッ!イガッッッ、いがぁあ……ッ!!」
喉の構造が作り変えられたことで、老人のしわがれた絶叫は、やがて甲高くか細い『少女の悲鳴』へと変わっていった。
だが、その声のトーンとは裏腹に、悲鳴に込められた感情は、長年を生きた老人の『死の恐怖と激痛』そのもの。
若く美しい声帯と、それに適合しない老人の脳が完全に混線し、聞く者の精神を削り取るような狂気の不協和音となって響き渡る。
『これは……後学になったのか?』
「少なくとも、『とりあえずネズミかなんかで実験する』ということは、すごく大切なことなんだって痛感した」
『ネズミに試した結果がどうであれ、この爺さんは難癖をつけて、自ら実験体になりそうだがな……』
数分後。
絶え間なく続いていた悲鳴と骨の軋む音が、ようやく唐突に鳴り止んだ。
「終わったみたい……かな?」
ドス黒い魔法の光が収まった後の薄汚れた床には、確かに、透き通るような銀髪を持った美しい、人間族の少女が倒れていた。
しかし、その身体はピクピクと不規則な痙攣を繰り返すだけで、自力で立ち上がることすらできていない。
『……チッ。ひどい匂いだ。新しい肉が古い神経を焼き切ってやがる』
ウルがマズルに深いシワを寄せ、吐き捨てるように唸った。
『おい、コロ。こいつ、頭と身体が完全に滅茶苦茶になってないか?……生きてるのが不思議なレベルだな』
「うーん、だから言ったのにね……」
激痛と嘔吐感の中で、白目を剥きながら口をパクパクとさせていた「元・老人」の少女が、焦点の合わない目を必死にコロへと向けた。
「あ……アァ……た、たすけ……」
美しい少女の口から、老人の醜い懇願が漏れる。
「や、薬草……!お、お前、腕のいい採取家、だろう……!」
「うん、腕に自信はあるんだ」
「な、なにか、この、痛み、を、なっ、な、治す……薬草を……!」
「さすがに無理だよ。薬草は『自然の治癒力』を高めるものだけど、お爺さんの今の体は、もう自然の理から完全に外れちゃってるから。何をどうすればいいのか皆目見当がつかないよ」
「な、ならば……ち、治癒、ま、魔法は……!お前、ま、魔法は……!」
「私はただの採取家だよ。それに、こんな見たこともないような症状を直せるような高度な魔法なんて、それこそ教会の出番じゃない?」
コロが淡々と事実を告げると、元老人は絶望に顔を歪め、ガタガタと痙攣する手でコロの足首を掴もうとした。
ウルが低く唸ってそれを制する。
元老人は床に這いつくばったまま、最後の命綱にすがるように叫んだ。
「きょ……教会だ……!街の、教会へ、し、知らせ、てくれ……!」
『ああ、そういえばあったかもしれんな』
興味深そうにクンクンと元老人の匂いを嗅ぎつつ、ウルがそう言うと、コロも少し考えてから「ああ、あそこだね」と言って、手のひらを拳でポンと叩いた。
「あそこなら、高位の聖職者が……奇跡の力で、私を、助け……!」
「まあ、お爺さんがそうしてほしいなら、連絡くらいはするけど……」
必死に救いを乞う元老人。
コロは小さくため息をつくと、ウルを引き連れ、街の教会へと向かうことに。
しばらくして、けたたましい馬車の音と共に教会の聖職者たちが駆けつけてきた。
しかし、異臭の立ち込める工房に踏み込み、倒れている少女を見た彼らの目に浮かんだのは、老人がすがりついたような慈悲や救済の光ではなかった。
それは、ギラギラとした学術的な好奇心だった。
「……ほう!これは素晴らしい。前例のない魔法変異だ……!」
「は、早く……助け、ろ……!!」
「代官様、すぐに本国へ報告を。これは教会の重要な研究材料となります」
「だな。これは凄いぞ……!これで見た目通り歳を重ねるようであれば、人間族の寿命を飛躍的に伸ばすことに――いや、それだけじゃない……!!」
「……ええ、決して死なせてはなりません。この『状態』を維持し、永遠に記録を取り続けるのです。まずは地下の、例の『真っ白な部屋』へ運びなさい」
「お、おいっ……!そ、それ、より……は、はっ、早く……助けろっ……!!」
血の気を失った少女の懇願を完全に無視し、聖職者たちは手際よく少女を拘束具で縛り上げ、馬車へと運び込んでいく。
その様子を冷めた目で見つめながら、コロは鞄を肩に掛け直した。
「お爺さん、死ぬことも許されないまま、ずっと誰かに『管理』されるんだね」
『だな。どいつもこいつも醜い欲望でギラギラしていたぞ』
「ある意味、一番安全で完璧な人生のやり直しになったのかな」
その呟きは、馬車の扉が閉まる重たい音にかき消され、ウル以外には誰の耳にも届かなかった。
拘束された元老人を乗せた馬車が、慌ただしく工房から去っていく。
主を失った工房の前に残された一人と一匹は、騒ぎなど初めから無かったかのように、静かに背を向けた。
『あのまま連れて行かれたら、一生拘束されたまま、研究材料になるわけか』
「……私たちの仕事は、注文通りの素材を集めて納品すること。あとの『使い道』については、私たちの責任の範囲外だよ」
コロは冷徹なまでの実務の境界線を口にすると、「ふぁ……」と小さく欠伸をした。
「さあ、次の街に行こう。……お腹、空いちゃった」
『だな。綺麗な景色が見たい気分だ』
「そうだね。やっぱ薬師向けに活動する採取家でいいや」
『是非そうしてくれ』
「あ、次の街に行く前に、どこかで魔結晶に変えておかないとだ」
『うるさいハエが集まってくるからな』
「それに、あのお爺さんが持っていた金貨ってだけで、なんか器に影響がありそうな気がしてくるよ」
一人と一匹が、街の中へと消えていく。
その日の夜。
宿屋の柔らかいベッドで眠りについたコロの意識は、深く、静かな底へと沈み――やがて、果てしなく広がる真っ白な空間へとふわりと降り立った。
そこは、コロと女神だけが繋がることのできる、夢の中の特別な場所。
ただ純白だけが広がるその空間で、コロはゆっくりと女神が広げた両腕に飛び込んだ。
「ただいま」
「おかえりなさい。私の愛おしいコロ」
女神の腕の中で、目一杯息を吸い込んだコロの尻尾はゆったりと左右に揺れている。
「今日は随分と、悪臭の漂う気味の悪い仕事を受けていたようね」
まるで鈴のように響く、優しくて慈愛に満ちた声。
「そうなんだ。私もウルも鼻がおかしくなりそうだったよ」
コロは今日得た莫大な報酬を思い返すように、真っ白な空間で小さく首を傾げた。
「人類は、自分の限界を無視して、器だけ新しくすれば幸せになれるって信じてるのかな」
「ふふ、とんでもないお爺さんだったわね」
「……結果的に、外側は綺麗になったけど、中身と合わなかったみたいで、死にかけの虫みたいにピクピクしてた」
「ええ……。無理な書き換えは、結局は自分自身への反逆だもの。あのお爺さんも、教会の真っ白な部屋の中で、これから死ぬまでゆっくり自分の間違いを数え続けることになるかもしれないわ」
「そうだね」
コロは氷藍色の瞳をパチリと瞬かせた。
「……女神様。私は、女神様とちゃんと繋がってるこの器が、一番使いやすいと思うんだ」
「ええ、それがコロにとって一番馴染む器よ」
「不自由だなって思うこともあるけれど、すごく気に入っているよ」
女神の身体に回した両手に、若干の力が入る。
コロに抱きしめられた女神は、慈愛が溢れんばかりの笑みを浮かべ、コロの背中を愛おしそうに何度も、ゆっくりと撫でている。
「……たくさん稼いだのですから、明日は美味しいものでも食べて、ゆっくりお休みなさい、コロ」
「うん、そうするよ。ウルもここ最近、すごく頑張ったしね」
優しい声と共に、真っ白な空間がゆっくりと溶けていく。
意識が現実へと浮上すると、コロの頬にはウルのモフモフとした銀毛の温もりが触れていた。
窓の外からは、歴史ある宿場町の絶えない喧騒が、遠い波音のように聞こえてくる。
永遠に続く白い部屋の地獄に落ちた、哀れな錬金術師の絶叫など、微塵も届かない場所。
少女と銀狼の、静かで平和な一日が始まる。
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