狂気の配合と、死すら許されない納品物 2 〜ポーション瓶の濁った茶と、悲鳴を上げる錬金術〜
2.
重たい扉の奥、老人の錬金工房の中は、外の異変や悪臭が可愛く思えるほどの異様な空間だった。
窓は分厚い布で塞がれ、昼間だというのに室内は薄暗い。
壁際に並べられた棚は、得体の知れない重みで中央がたわんでいる。
そこには、赤黒い液体の満ちた巨大なフラスコや、何かの胎児のように丸まった青白い植物の根、鈍く光る鉱石が所狭しと並べられていた。
部屋の隅では、魔力で動く奇妙な撹拌機のような『何か』が、泥のような『何か』を「ゴトッ……ゴトッ……」と重苦しい音を立てて絶え間なく混ぜ合わせ続けており、それが室内の息苦しさを一層助長している。
「適当なところに座って待っておれ。すぐに茶とリストを持ってくる」
老人はそう言い残し、工房のさらに奥へと消えていった。
『……その『適当なところ』がないんだがな……』
「まあ……とりあえず座ろうか」
コロは部屋の隅にあった丸椅子から怪しげなカエルの置物をどけて腰を下ろし、ウルもまた、床にこびりついた謎の染みを避けるようにして、器用に部屋の隅で丸くなった。
やがて、「ほれ」というしゃがれた声とともに、老人が戻ってきた。
その手には羊皮紙の束と、客人に振る舞うための『お茶』が握られていた。
コトッ、と埃まみれのテーブルに置かれたそれを見て、一人と一匹は完全に無言になった。
緑色の濁った温かい液体が注がれているのは、どう見てもティーカップではない。
目盛りが刻まれた、使い古しの『ポーション瓶』だったのだ。
瓶の底には謎の黒い沈殿物がどろりと溜まっており、液体の表面では時折、小さな気泡が「プツン」と弾けて微かな酸の匂いを放っている。
持ち手の部分にはいつ付いたかも分からない薬品の黒ずみがこびりついており、お茶というよりは、失敗した魔法薬の残骸にしか見えない代物だった。
『……コロ。俺はパスだ。腹を下す』
「……」
この老人の手前、不用意なことを喋るわけにもいかないコロは、氷藍色の瞳からスッと感情を消し去り、ポーション瓶をそっとテーブルの端へと追いやった。
老人はそんな客の反応など全く気にする様子もなく、自分のポーション瓶からズズッと音を立てて謎の液体をすすると、丸めた羊皮紙をコロの前に広げた。
「これがお前たちに依頼したい素材だ。……どうだ、集められるか?」
老人の枯れ木のような指先は、羊皮紙を指し示す度に変色した爪がカツカツと嫌な音を立てる。
その濁った瞳の奥には、正気と狂気の境界線をとうの昔に踏み越えてしまった者特有の、焦燥感にも似たドス黒い熱がチロチロと揺らめいていた。
コロはテーブルからひょいと拾い上げた羊皮紙に視線を落とす。
そこに書かれていたのは、確かに普通の薬草店では決してお目にかかれない、狂気じみた素材の羅列だった。
『夜泣き毒茸の胞子嚢』『腐肉漁りの大百足の体液』『黒呪樹の脈打つ根』――
どれもこれも、人体を回復させるどころか、破壊し、変異させるための猛毒や劇薬の類ばかりだ。
だが、コロの表情には一切の恐怖も嫌悪も浮かばない。
その頭の中にあるのは、純粋な『採取の難易度』と『納品までの工程』だけだった。
「……うん、なるほどね」
「どうだ?できそうか?」
「何に使うのかは全然興味ないけど、これだけ特殊なものだと、採取の条件もかなりシビアになりそうだね」
コロは鞄から自分用のメモ帳と石筆を取り出すと、老人に向かって淡々と、まるで機械のように正確なヒアリングを開始した。
「一つずつ確認するよ」
「よし来た!何でも聞いてくれ!」
「うん。まずはこの『黒呪樹の脈打つ根』から。……これの正確な生息地の特徴は?見た目の色とサイズ、それから、刃物を入れた時に発生する毒ガスや酸の有無は?」
コロの質問は、対象への恐怖や倫理観を完全に排除した、あくまで「安全な採取作業」を遂行するための徹底したリスクアセスメントだった。
「毒素が皮膚から浸透するタイプか、気化して粘膜から吸収されるタイプか」「根を掘り起こす際、周囲の土壌が酸性化していないか」。
老人が語るおぞましい素材の性質に一切呑み込まれることなく、コロは石筆をカリカリと正確なリズムで走らせていく。
子供らしからぬ、あまりにも手慣れた実務的な質問の数々に、老人は一瞬面食らったように目を瞬かせたが、すぐに口元を歪めて「……ほう。ただのガキではないようだな」と、嬉々として素材の危険な性質を語り始めた。
小一時間ほどの綿密な確認作業を終え、コロは老人が用意した周辺の地図と、自分のメモ帳を見比べた。
「……なるほどね。他国に行ったり、未踏の迷宮に潜ったりする必要はないんだね。全部、この界隈の山々で採取できそう」
「そうだ。だが、普通の人間が足を踏み入れれば、瘴気や魔物で生きては帰れん場所ばかりだがな」
「それは別に問題ないよ。ただ……」
コロは地図の上のいくつかの中継地点を指でトントンと叩いた。
「生息域がバラバラだし、夜間にしか採取できないものもある。少なくとも、日帰りでパッと帰ってこられるような工程にはならないよ。全部揃えるには、数日はかかる計算になるけど」
「おおっ!一向に構わん!数十年待ち望んだ悲願だ、数日程度いくらでも待とう。……必ず、最高の状態で持ってこい!」
ギラギラと目を血走らせる老人を背に、一人と一匹はその足でヘンテコな依頼の採取へと向かった。
その日の深夜。
鬱蒼とした黒い森の奥深くで、コロは特殊な手袋をはめ、地面からドクン、ドクンと不気味な脈動を繰り返す赤黒い植物の根を慎重に切り出していた。
「……よし、切断面の封じ込め完了。これで五つ目だね」
『……なんだそれは。随分と長くコロの仕事を見てきたが、全然見たことがないな』
周囲を警戒していたウルが、顔を顰めながらコロの手元を覗き込む。
コロはそれを魔力遮断の布で幾重にも包み込みながら、小さく首を傾げた。
「私も全然見たことがないし、知らなかったよ。でも、さっき聞き取りした『黒呪樹の脈打つ根』の特徴とは完全に一致してるから、たしかにこれだね」
『おい、微かに腐臭がするぞ。一体何に使うつもりなのだ、あの老人は』
マズルを顰めたウルの言葉に、コロは苦笑いしながら小さく肩をすくめてみせた。
「さあ?薬師と違って、錬金術師って必要になる素材がまるっきり異なるんだね。……まぁ、私たちには関係のないことだよ。さ、次のポイントに向かおうか」
『まぁ、知ったところで理解できるとも思えんな……』
一人と一匹は、常人なら精神を病むような瘴気の森で、常人なら近寄ることすら躊躇ってしまうような『何か』を、ただ「仕事の行程」として淡々と採取して進んでいくのだった。
数日後。
再び悪臭漂う錬金工房を訪れた一人と一匹は、依頼された不気味な素材の数々を、完璧な下処理を施した状態で埃まみれのテーブルに並べていた。
「おお……おおおっ!嘘だろう……?す、素晴らしい!なんという完璧な保存状態だ!」
老人は震える手で『黒呪樹の脈打つ根』や『夜泣き毒茸の胞子嚢』を撫で回し、狂喜の声を上げた。
「なんだお前!?凄いじゃないか!!凄すぎるぞッッッ……!!」
「採取で食べてるからね。初めてのものばかりだったけれど」
「初めて採取したとは思えん!!ああっ、お前は神が遣わせた使者か……!?」
「薬草屋が遣わせた旅人だよ」
コロの言葉など半分も耳に入っていないかの如く感動に打ちひしがれていた老人は、椅子をひっくり返して立ち上がり、部屋の奥へと走ってしまう。
視線だけで会話をしたコロとウルは、互いに小さくため息をつく。
やがて老人が、部屋の奥から引っ張り出してきたずっしりと重たそうなボロい皮袋を、惜しげもなくコロの前にドンッと置く。
その薄汚いボロ袋の口からは、眩い金貨がジャラジャラとこぼれ落ちていた。
「よし、全部受け取れ!約束の報酬だ!」
「えっ!?……こんなに報酬をもらえるの……?これは多すぎるよ?」
コロが珍しく大声をあげてしまい、隣で行儀よく座っていたウルの尻尾がビクッと跳ね上がった。
しかしコロの驚きは仕方のないことで、袋の中は、その見た目とは似つかわしくない、下手をすれば百枚以上はくだらないほどの金貨がギッシリと詰まっていた。
薄暗いランプの光を反射して、零れ落ちた金貨が暴力的なまでの輝きを放っている。
それは、普通の人類がまともな商売を何十年続けても決して拝むことのできないような、常軌を逸した額面だった。
部屋に充満する腐臭と、床の薄汚れた染み、そして目の前にいる枯れ木のような老人。
そのすべてと不釣り合いな圧倒的な『富』の暴力が、コロの足元に無造作に転がっていた。
「これでついに……ついに私の長年の悲願が成就するのだァァァッ!!これら素材が短期間のうちに集まらずに、何度苦汁をッッッ……!!んなはした金、全部くれてやるわいッッッ!!」
「そっか、じゃあ受け取るよ」
コロは金貨の枚数を素早く確認すると、もとのボロ袋に収めながら淡々と口を開いた。
ウルは『本当に貰って平気な金か?』と、心配そうに小さく唸っている。
「受け取れ、受け取れ!よし、お前さんの名前をとって、この薬の完成としよう!!おい、お前、名を何という?」
「いや……お爺さんの素晴らしい功績なんだから、お爺さんの名前をつけないとだよ」
「うははは!そうか?そうだな、そうするか!」
「ねえ、お爺さん。これだけの素材を使った錬金術ってどんなものなのか、ちょっと後学のために見学させてもらってもいいかな」
「はっはっは!熱心なのは良いことだ!よし、気分がいい、特別に許可してやろう!そこで歴史的瞬間の証人となるがいい!」
上機嫌な老人は快諾し、すぐさま巨大なフラスコや坩堝が並ぶ調合台へと向かった。
マズルを顰めたままのウルが、何度も右前足でチョンチョンとコロの足を突くが、コロは涼しい顔をして、座る場所を探すばかり。
やがてコロとウルは部屋の隅に陣取り、その狂気の作業を静かに観察し始める。
老人が作業を始めた直後、コロはそこに明確な『違い』を覚えていた。
所謂普通の薬師の調合とは、何もかもが決定的に異なっていたのだ。
腕のいい薬師の調合が、植物の本来持つ力を引き出し、自然の理に寄り添うような洗練された技術であるならば、この老人の錬金術は、自然の理に対する徹底的な『反逆』であり、暴力だった。
素材を乳鉢で無残に叩き潰し、強引な熱と魔力で本来の性質を破壊する。
赤黒く脈打っていた『黒呪樹の根』は、乳棒で叩き潰されるたびに、まるで動物の断末魔のような軋み声を上げ、ドロドロの繊維質へと強制的に分解されていく。
老人の手元からは、植物の命を散らすような清涼な香りなど微塵も立ち上らない。
ただ、酸が肉を焼くような不快な白煙と、酷い鉄錆の匂いが工房の空気をどす黒く塗り替えていくだけだった。
そして、決して混ざり合うはずのない異質な物質同士を、触媒となる薬液とドス黒い魔力によって強制的に結びつけていく。
――ゴポッ……グポポポッ……
巨大なフラスコの中では、赤黒い液体と緑色の粘液が、まるで互いを食い合うように激しく泡立っていた。
触媒として注ぎ込まれた未知の薬液が、決して交わることのない二つの素材を無理やり溶解させていく。
ガラスの表面には、高熱を持った無数の亀裂のような光が走り、限界を超えた魔力の衝突が室内の空気をビリビリと震わせる。
それは調合というより、極小のフラスコという空間の中で、人工的な災害を意図的に引き起こしているような狂気に満ちた光景だった。
『……ひどい有様だな。素材が悲鳴を上げているのがわかるぞ』
「うん。薬草の鮮度を活かして組み合わせるんじゃなくて、一度全部壊して、全く別の形に再構築しようとしてる。……かなり強引で、負荷が大きいやり方だね」
『錬金術とやらは、あれが正解なのか?』
「案外、そうなのかもしれないね。現に、てんで出鱈目な仕事をしているようにも見えないよ」
ウルの呆れたような呟きに、コロは氷藍色の瞳で淡々と分析する。
室内に充満する異臭はさらに濃さを増し、魔法陣の描かれた調合台は、異常な熱と魔力でビリビリと震えていた。
だが、老人はその危険な兆候に全く頓着する様子もなく、ただ血走った目でフラスコの中身を見つめ、歓喜の声を漏らし続けている。
やがて、強烈な閃光と鼻を突く異臭と共に、フラスコの中の激しい反応がふっと収まった。
硝子の底に沈殿したのは、ドス黒く、それでいて妖しい魅力を放つ粘液のような薬だった。
泥のように粘り気のあるその液体は、光を吸い込むような底なしの黒に染まりながらも、奥底で毒々しい紫色の光を蛍のように明滅させている。
ひとたび蓋を開ければ、周囲の生命力を根こそぎ奪い取ってしまいそうな、圧倒的なまでの『呪い』の気配。
しかし老人の濁った目には、それが世界で最も美しい宝石であるかのように映っていた。
老人はそのフラスコを愛おしそうに両手で包み込み、ワナワナと歓喜に打ち震えている。
「おおおおぉぉ……完成した……!ついに……ついに完成したぞぉぉおおっ!!」
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