狂気の配合と、死すら許されない納品物 1 〜適正価格の薬草と、鼻が曲がる錬金工房〜
1.
とある山々を縫うように伸びた、起伏の激しい街道。
その鬱蒼とした深い緑の合間を、大きな銀狼と、小柄な獣人の少女がゆっくりと歩んでいる。
やがて一人と一匹の視界に、山の斜面にへばりつくようにして発展した、古い歴史を持つ宿場町の石壁が見えてきた。
「……通行税、銀貨8枚。普通の街よりちょっと割高だね」
関所の門番に指定された硬貨を支払い、あっさりと街の中へ足を踏み入れたコロは、小袋の軽さを確かめるようにチャリンと音を鳴らした。
石畳の左右には、長旅の疲れを癒やすための宿屋や武具屋が軒を連ね、商人たちの威勢の良い声と、荷馬車を引く獣たちの嘶きが絶え間なく響いている。
長い年月をかけて踏み固められたであろう歴史ある街並みは、つい先ほどまで一人と一匹が歩いていた山間の厳しい自然とは対照的な、むせ返るような人類の活力と欲望に満ちていた。
活気ある街のざわめきを見渡しながら、ウルの柔らかな銀毛を撫でる。
「まあ、他国へ抜ける要所にある歴史ある宿場町だし、通行税もこれくらいはするとは思うんだけどね」
『フン。人類が勝手に決めた関所など、山を一つ越えれば誤魔化せるものを』
「そういう面倒事を招きそうな違反はしないの。……でも、この通行税の分は、道中で摘んできた薬草を売ってきっちり取り返さないとね」
小さな拳を握るコロの耳に、ウルの呆れたような低い声が響いた。
『……そんな事をいちいち考えずとも、ここまでで摘んだ薬草で通行税くらい、簡単に取り返せるのではないか?』
「それはそうだけど、そういうことじゃないんだよ、ウル」
コロは「チッチッ」と人差し指を振ってみせた。
「お金がいっぱいあるからって、じゃあ普通よりも多く払ってもいいやってことにはならないでしょ」
『はぁ……お前のその面倒な計算には、一生かかっても理解が及ぶ気がしない』
ウルが深い溜息をつき、その鼻息で道端の砂埃がふわりと舞う。
そんなホクホクとした、いつも通りの実務的な会話を交わしながら、一人と一匹は宿場町の石畳を進んでいった。
やがて見つけて入ったのは、町外れにある平凡な薬草店だった。
やり手の薬草店特有の、むせ返るような凄みや妖しい魔力の匂いはなく、ただここを通る旅人のために用意されたような、あまり凝った雰囲気の店構えではなかった。
日差しが差し込む店内には、よく乾燥された一般的な薬草の束が並び、生活に根ざした素朴な土と植物の匂いが漂っている。
コロが扉に手をかけ、ゆっくりと押し開けると、カラン、と素朴なドアベルが鳴る。
「い、いらっしゃい……ひぃっ!?」
店番をしていた小柄なハーフリングの女性は、コロの背後に音もなく付き従ってきたウルの姿を見るなり、カウンターの奥でヒクッと短い悲鳴を上げた。
奥から「どうしたんだい母さん」とのんきな顔で出てきたハーフリングの夫も、ウルの鋭い金色の瞳と目が合った瞬間、完全に石像のように硬直してしまう。
だが、コロはそんな彼らのような反応にはすっかり慣れっこだった。
一切の愛想笑いもせず、ただ淡々と、しかし丁寧な手つきで、背負っていた鞄の中から布に包まれた薬草の束を取り出してカウンターに並べていく。
「こんにちは。道中の山で摘んできた薬草なんだけど、買い取ってもらえるかな。鮮度と下処理にはちょっと自信があるんだ」
小さな窓から差し込む柔らかな日差しが、空気中を舞う細かい植物の塵を黄金色に照らしている。
だが、カウンターの上に広げられたコロの薬草は、店内に並ぶ乾燥しきった品々とは完全に一線を画していた。
葉脈には微かに青白い魔力の名残が脈打ち、つい先ほど朝露ごと摘み取られてきたかのような、瑞々しい生命力と完璧な保存状態を保ったまま横たわっている。
コロのその落ち着き払った事務的な声に、ハーフリングの夫は恐る恐るカウンターへ近づき、広げられた薬草の束を覗き込んだ。
「おー、これは……」
その瞬間、怯えで強張っていた夫の顔が、プロの薬師としての驚きに染まった。
「すごい……。茎の切断面が完璧に塞がれていて、魔力が一切抜けていない。それにこの根の土の落とし方、ただ水で洗っただけじゃないね?」
「うん。根の魔力腺を傷つけないように、微弱な魔力の振動で払い落としてるから。……で、いくらで買い取ってくれる?」
コロが淡々と事務的な確認を入れると、ハーフリングの夫はハッと我に返った。
「あ、ああ!これだけの品質なら、銀貨十五枚……いや、二十枚でどうだい!」
前のめりにそう答えるハーフリングの夫。
コロは「うん、妥当な線だね」と頷き、提示された銀貨をチャリンと小袋に硬貨を収める。
これで関所で支払った割高な通行税は、きっちりと回収できた計算になる。
「ありがとうね」
コロが短く告げ、踵を返して店を出ようとした、その時だった。
「あ、あの!ちょっと待っておくれ、お嬢ちゃん!」
カウンターから身を乗り出すようにして、ハーフリングの夫が声をかけてきた。
その後ろで、妻が「ちょっとお父さん!あれを言うつもりかい?」と慌てて夫の袖を引いている。
コロが首だけを振り返らせると、夫はウルの鋭い眼光にビクッと肩を震わせながらも、必死に言葉を紡いだ。
「も、もしお嬢ちゃんが腕の立つ採取家なら……その、一つ厄介な依頼の話を聞いてくれないかと思ってね」
「厄介な依頼?」
「ああ……。実はこの町のはずれに、一人で暮らしている変人の錬金術師の爺さんがいるんだが……その爺さんがここ数年、普通の薬草店じゃ絶対に取り扱わないような、不気味な素材ばかりを要求してきて参っているんだよ」
夫の言葉に、妻も深くため息をつきながらコクリと頷いて口を開いた。
「そうなんだよねぇ。薬草っていうかさ、なんていうか、もう『毒』や『呪い』の類にしか見えないような気味の悪い草や根っこばかりでね!」
「錬金術師……ふーん」
「そのお爺さんもね、軍資金だけはかなり持っているみたいだから、報酬は破格なんだけど……」
「如何せんさ、普通の採取家は見向きもしないような素材だし?ほら、生息地も人類が普通は寄り付かないような危険な場所ばかりなんだ!だからさ、いくら依頼を出しても誰も受けてくれなくてね……」
そこで夫は、ゴクリと生唾を飲み込み、コロの背後に控えるウルの巨体を見上げた。
「……そんな強そうなアッシュウルフを従えて旅をしているような人なんて、俺は初めて見た。お嬢ちゃんたちなら、もしかしたらあの爺さんの依頼もこなせるんじゃないかと思ってね。もしよかったら、仕事がないか聞きに行ってもらえないだろうか?」
その提案に、コロは氷藍色の瞳をパチリと瞬かせた。
路銀は先ほどの売上で十分に黒字になっているため、金銭的な魅力は薄い。
だが、コロの頭の中には、純粋な『実務者としての興味』が湧き上がっているようだった。
コロは「ふーん」と小さく呟き、ウルの銀毛をポンポンと叩いた。
無言のままジッとコロの目を見つめ、コクっと頷いてみせるウル。
「よし、いいよ。どんな異常な依頼を押し付けてくるのか、ちょっと後学のために見てみたいしね」
「おお、そうかい!」
「……そのお爺さんの家、どの辺り?」
コロが引き受ける意思を見せると、ハーフリングの夫婦はパッと顔を輝かせ、町外れにあるという錬金術師の家の場所を丁寧に教えてくれた。
ハーフリングの夫婦に教えられた通り、宿場町の中心から離れ、人けの少ない外れへと向かって歩く一人と一匹。
町の喧騒が遠ざかるにつれて、周囲の風景には明らかな『異変』が混じり始めていた。
道端に生えている雑草は不自然に枯れ、あるいは毒々しい紫色に変色している。
街の中心部にあれほど満ちていた喧騒と生活音は、この辺りには一切届かない。
足元の土は黒く変色して無惨にひび割れ、枯れた雑草はただ命を終えただけでなく、何かに苦しんで身悶えしたかのように不自然に捻じ曲がっている。
まるでこの一角だけが、世界から見放され、静かに腐り落ちていく病巣のようだった。
ポツンと建っている古びた石造りの一軒家が見えてくると、その煙突からは黄緑色の気味が悪い煙がモクモクと吐き出されていた。
『聞くまでもなく……あれ、だよな』
「それしか考えられないね」
『……チッ。酷い悪臭だ。鼻が曲がりそうだぞ』
「我慢してね、ウル。……確かに、生き物の気配が全然しないね」
『虫の気配すらせんぞ……』
「こんな環境破壊を平然と繰り返していて、よく町代官とか領主から怒られないね……」
『怒られているが、それを無視するほどの偏屈ということもあるかもしれんぞ』
「もしくは、偉い人類を黙らせるほどの『何か』を作っているか」
『いずれにせよ、碌でもない類の人類だ』
「身も蓋もないね」
風に乗って漂ってくるのは、先ほどの薬草店のような自然の香りではない。
鼻の奥をツンと突くような、酸と金属が混ざったような人工的で嫌な匂いだった。
ウルは終始マズルに険しいシワを寄せていて、尻尾もダランと力なく垂れ下がったままだ。
コロは一切表情を変えずに周囲の植生を観察すると、ためらうことなくその石造りの家の前に立ち、重たい木製の扉をノックした。
――コンコン、コン。
しばらくの沈黙の後、内側からガチャガチャといくつもの鍵を開ける音が響き、扉が重々しく開かれた。
正体不明の薬品の飛沫でまだらに変色した分厚い木扉が、油の切れた蝶番をギギギと不快に鳴らしながら重苦しく開く。
隙間から覗いた老人の顔は、長年太陽の光を浴びていないのか蝋のように青白く、顔の半分を覆うボサボサの白髪の間からは、異様な執着と猜疑心を孕んだ濁った瞳がギョロリと来訪者を睨みつけていた。
「……なんだお前は。こんな所にガキの来る用などないぞ。分かったらさっさと帰れ。シッシッ」
だが、そんな威圧的な態度を向けられても、コロは普段通りの平坦な声で用件を切り出した。
「薬草屋から、普通の採取家が寄り付かないような、変わった素材を欲しがってるお爺さんがいるって聞いて来たんだけど」
「ん……なんだと? お前のような子供が、私の依頼を受けようというのか?はんっ、冗談は――」
老人が鼻で笑い、乱暴に扉を閉めようとした、その時だった。
コロの隣で「ふぁ……」と退屈そうに大きな欠伸をした銀色の巨体に、老人の視線が吸い寄せられた。
「な、なななっ……!?」
老人の濁っていた目が、限界まで見開かれる。
その喉からは、空気が漏れるようなヒュッという悲鳴が上がった。
「そ、それは……アッシュウルフか!?」
「そうだよ。だから来てみたんだ」
「一個小隊でも無傷で済むかわからんような、あの凶悪な魔物を……き、貴様、テイミングしているというのか!?」
ワナワナと震える指でウルを指差す老人。
当のウルは、騒がしい老人に鬱陶しそうな視線を向け、フンと短く鼻を鳴らしただけだった。
コロは自分の技術について具体的なことを語るつもりはなく、氷藍色の瞳で老人をじっと見つめ返したまま、淡々と告げた。
「……想像にお任せするよ」
その一切の虚勢もない、あまりにも自然体な少女の態度に、老人の目の色がギラリと変わった。
どうやら、狂気じみた探求心を持つ錬金術師の脳内で、何らかの『確信』が弾けたようだ。
「……なるほど。お前なら、あるいは……。いいだろう、入れ。中で少し待っておれ」
老人は不気味な笑みを浮かべると、コロとウルを招き入れるように、重たい扉を大きく開け放った。
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