旋律の汚濁と、割に合わない免罪符 3 〜下品な金貨の音と、泥水に沈む免罪符〜
3.
薬草屋の店内には、濃厚な植物の香りと、薬湯がグツグツと煮立つ低い音が満ちていた。
オレンジ色のランプの灯りが照らし出す調合台の前で、ミランダの手はまるで優雅な舞のように動き続けていた。
乾燥した葉をすり鉢で粉砕し、絶妙なタイミングで沸き立つ大鍋へと投入する。
途端に青白い煙が立ち上り、店内の空気がピリッと引き締まるような清涼な香りに包まれた。
そんな魔法のような職人技が繰り広げられるすぐ傍らで、実務的でひどく人間臭い『聴取』が淡々と進められていた。
「――つまり、ミランダさんが魔力の乱れを感知して路地裏に向かったところ、既にこのお嬢ちゃんたちが現場に居合わせた、と」
「そういうこと。私の店の大事な仕入先に、あの気取った耳長が危害を加えようとしていたからね」
「耳長って……まぁ、つまりは、お嬢ちゃんたちを助けに行ったということだな?」
「逆よ」
「ん、逆?なんだよ、逆って……」
「そのお嬢ちゃんの相棒をなんだと思っているだい。その辺のフォレストウルフなんかじゃないんだよ」
「へ?あー……言われてみりゃ角があるが……おいケビン、知ってるか?」
「え?全然知らねえよ。この辺じゃ見かけねえし?」
「なんか標高が高い地域で生息してそうだよな」
「ほう!ダン、お前そういや、山の方出身だったな」
「あ、いやいや、イメージだよ、イメージ」
「紛らわしいことを言うなよ!お前のイメージなんざ、どうだっていい!」
「キャンキャンうるさい!アッシュウルフだよ、アッシュウルフ!」
衛兵たちの視線が一気にコロとウルに向けられる。
コロは無表情のまま見つめ返し、そしてウルは大きな欠伸をしている。
「……アッシュウルフ……だと?」
「おい、なんだよダン。そのアッシュウルフってよ」
「え?初耳だよ」
「おい!『知ってます』みてえな口ぶりで「アッシュウルフ……」とか言ってたじゃねえか!」
「うるさいって!とにかく、一対一で無傷で勝てるヤツなんざいないくらいの魔物だよ!」
「ふーん……い、一対一……?」
再び視線を一挙に集めるコロとウル。
今度はコロが大きな欠伸をし、『欠伸が移った』と唸り声をあげつつウルまで大きな欠伸をしてしまう。
「そのお嬢さんが長耳に口封じされそうになったんだ。当然、そっちの相棒はあの長耳を殺そうとする。だから店の主として、路上の生ゴミを、ただのゴミにしに行ったってだけだよ」
調合の手を一切止めることなく、ミランダはチロッと二股の舌を出しながら事実だけを述べる。
羊皮紙に羽根ペンを走らせていた衛兵の小隊長は、やれやれと息を吐き出しながら、今度はウルの銀毛に寄りかかっているコロへと視線を向けた。
「お、お嬢ちゃんの方も、それで間違いないかい?あのエルフは、倒れていた女性に何をしていた?」
小隊長の問いかけに、コロはパチリと氷藍色の瞳を瞬かせ、一切の感情を交えないフラットな声で答えた。
「男の指先から、攻撃的な魔力が漏れていたよ。あれは治癒系じゃなくて、明らかに攻撃性を持った魔力の巡りだったね」
「……獣人なのに、よく分かるね……?」
「そのお嬢さんが売りに来た薬草を見た私から言わせて貰うけど、そういうものが見えてないと到底判別できないような品質のものを持ってきたよ」
ミランダの言葉に、衛兵たちは半ば納得したような、しかし半ば信じられないと言わんばかりの複雑な表情を隠せずにいる。
「続きも話す?」
「ん?あ、頼む」
「それから、私たちが邪魔をした形になったからね、かなり高密度の攻撃魔法を編み上げようとしていたのも事実だね」
子供らしからぬ、あまりに的確で論理的な証言。
小隊長は一瞬面食らったような顔をしたが、「攻撃魔法の行使、ならびに拉致未遂……か。こりゃあ言い逃れはできないな」と、渋い顔で羊皮紙にペンを走らせ続けた。
事情聴取という重苦しい空気が流れる中、当のコロとウルの間には、そんな騒動などどこ吹く風といった様子の、ホクホクとしたマイペースな時間が流れていた。
『……しかし、見事な手際だな。無駄な動きが一つもない』
前足を組んで伏せているウルが、ミランダの調合風景を眺めながら感心したように低い喉を鳴らす。
コロもそれに同意するように小さく頷き、ミランダの艶やかな黒い鱗の尻尾が機嫌よく揺れるのを眺めていた。
「うん。本当に腕のいい薬師だね。あの鮮度を保ったまま一気に薬効を引き出すなんて、相当な技術と経験、それと精密な魔力制御がないと無理だよ」
『ふむ。……なあ、コロ。せっかくこれほど腕の立つ薬師の店にいるのだ。何か買い替えておきたいものはないのか?そろそろ見直す時期ではないのか?』
「あ、そうだね。せっかくだし、手持ちの中でも結構経ったものは、あのミランダさん?の品質の良いものに替えておきたいかな」
『お前さんの好きな『コスト』というやつだろう?』
「ふふ、言うね、ウル。ミランダさんの手が空いたら、いくつか見繕ってもらおうかな」
『ああ、せっかくだしそうしろ』
衛兵が頭を抱えるような凶悪犯罪の調書が作られているすぐ横で、一人と一匹は「明日の買い出し」という極めて平和で実務的な相談を交わしている。
どんな悪意も権威も、この一人と一匹の「日常の計算」の前では、取るに足らない路傍の石に過ぎなかった。
一人と一匹が、真夜中の薬草屋でそんな呑気な明日の予定を話し合っていた、まさにその時だった。
――バンッ!!
店の分厚い木製ドアが、蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで乱暴に開け放たれた。
店内に満ちていた心地よい薬草の香りを切り裂くように、冷たい夜風とともに数人の男たちがドカドカと雪崩れ込んでくる。
皆、一目で上流階級とわかる仕立ての良い服を着ているが、その顔は脂汗にまみれ、肩でぜえぜえと荒い息を吐いていた。
突然の無作法な闖入者に、衛兵のダンが目を丸くして声を上げる。
「おい、ミランダさん。客だぞ」
「今は真夜中だよ!営業なんかしてないよ!それに今は大事な調合の真っ最中だ、気が散るッ!」
鍋から立ち上る紫色の煙から一切目を離さず、ミランダが背中越しに怒鳴り声を上げる。 すると、息を切らした男たちの一人が、血走った目で店内を見回しながら叫び返した。
「あっ……ち、違う!我々は客じゃない!」
その見事なまでの噛み合わないやり取りに、衛兵たちが「じゃあ何なんだよ……」と呆れたような顔を見合わせる。
だが、男たちに周囲の空気を読む余裕など一切なかった。
彼らの視線は、部屋の隅で静かに伏せている銀狼と少女――コロとウルを的確に捉えていた。
「い、いたぞ……!君たちだな!さっき路地裏でロバートと会ったというのは!」
男は衛兵たちを完全に無視して、コロの座るテーブルへとズカズカと歩み寄る。
コロは面倒くさそうに視線だけ男たちの方へ向け、口を開く。
「ロバートって、ひょっとしてさっきの――」
男たちのうちの一人が、コロへの返答の代わりに、懐から取り出したずっしりと重い革袋を、テーブルの上に『ドンッ!』と乱暴に置いた。
袋の口が僅か開き、眩い輝きを放つ金貨がジャラジャラと無作法な音を立ててこぼれ落ちる。
「な、なあ、お嬢ちゃん?……さっき君が見たのは、急な体調不良で倒れた御婦人を、我らがロバートが献身的に介抱していた姿だったよな?なッ?そうだっただろう!?」
金貨をチラつかせながら、金による暴力でコロの記憶を上書きしようと捲し立てる男。
その目は、焦りと保身、そして「これだけ積めば、子供など簡単に言うことを聞くはずだ」という浅ましく傲慢な計算で濁りきっていた。
「献身的に介抱していたロバートさんは見てないかな」
「いいや、お嬢ちゃんは見たはずだ!」
「眠らせた女の人に乱暴しようとしていたエルフの人のこと?」
「そ、そうだ!その――いや、違う!!」
「あ、違うの?」
「くそっ!!とにかく、そういう誤解を受けているエルフがロバートだ!!」
「……ふーん」
必死過ぎて頭がうまく働いていないのか、唾ばかりを飛ばす男から、マズルを顰めて顔をそむけてしまうウル。
フサフサの尻尾がゆったりバフンと床を叩く。
コロはテーブルの上に散らばった金貨を一瞥もせずに、氷藍色の瞳をスッと細めて淡々と告げた。
「あのね、おじさん。……治癒系の魔力と、攻撃系の魔力を見間違えるような質の悪い目をしていたらね、真夜中の森で繊細な薬草を摘むなんて不可能だよ」
「なっ……な、何を言っている!この金が見えないのか!?」
「見えているよ。でも今、路銀は間に合っているし、そんなにお金ばかり要らないかな」
コロの徹底した拒絶。
金貨という絶対的な力を信じて疑わなかった男は、まるで理解できない言語を聞かされたように口をパクパクと開閉させた。
「な、なんだこのガキは……!ええい、ならば――」
男が苛立ち紛れにコロの腕を掴もうと身を乗り出した、その瞬間。
『――グルルルルッ……!』
バフン、と床を叩いていたウルの尻尾がピタリと止まり、低く、地鳴りのような唸り声が店内の空気をビリビリと震わせた。
ウルの銀色の毛並みの間から、パチパチと黒い雷光が不吉な音を立てて弾け飛ぶ。
「ヒッ……!?」
圧倒的な『死』の気配を前に、男は腰を抜かして無様に尻餅をついた。
すかさず、背後で様子を見ていた衛兵たちが呆れ果てた顔で男たちの襟首を掴み上げる。
「おいおい、あんたら……正気か?」
「なっ、離せ!我々はロバートの――」
「俺たち衛兵の目の前で、堂々と目撃者の買収工作とは、随分といい度胸をしてるじゃねえか。俺たちを、この街の法を何だと思ってるんだ?」
ダンたち衛兵の目は、もはや完全に「哀れな犯罪者」を見るそれになっていた。
そして、極めつけは調合台の前に立つ店主からの、怒りに満ちた咆哮だった。
「――気が散るッ!!!」
ミランダが振り返り、艶やかな黒い鱗の尾で床を『ダンッ!』と激しく叩きつけた。
その蛇の目には、獲物を丸呑みにせんばかりの恐ろしい殺気が宿っている。
「今は薬草の鮮度を閉じ込める、一番大事な時間だって言ってるだろうが!……これ以上私の店で、金貨の鳴る下品な音と、つまらない嘘を撒き散らすなら、この二股の舌でテメェらの喉笛を縫い合わせるよ!!」
ミランダの怒号に、店の中がシーンとする。
ゴクリと生唾を飲む男たちと衛兵たちとは対照的に、コロとウルはホッとした表情を浮かべ、唐突に帰ってきた沈黙を満喫している様子。
いつまでも固まっている男たちへ向け、小さくため息を付いたコロが口を開いた。
「……とにかく、そのお金を詰め所まで持っていって、もっと別の人を買収しなよ」
「お、おいお嬢ちゃん!変な知恵を授けるな、俺たちはそんなもん受け取られねえよ!」
「受け取『ら』れねえじゃねえよ!受け取らねえだよ!」
「心の声が出てんぞ、ミロ」
衛兵たちが慌ててツッコミを入れ合っているが、コロは「ふぁ……」とまた一つ欠伸をして、ウルのモフモフの銀毛に顔を埋めてしまった。
「いいから、ほら、お前らさっさと歩け!贈賄未遂でしょっぴいてやる!」
衛兵たちに両脇を抱えられ、男たちは絶望で青ざめた顔のまま引きずられていく。
テーブルの上に散らばった金貨も、ダンたちによって証拠品として無造作に袋に回収されていった。
嵐のような連中が去り、バタンと重い扉が閉まると、店内には再び薬湯のコトコトと煮立つ音だけが戻ってきた。
「……まったく。欲張ったヤツの嘘ってのは、一番厄介なノイズだね」
ミランダが呆れたように毒づきながら、完成した紫色の軟膏を小さなガラス瓶に流し込んでいく。
そして、彼女は店主としての妖艶な微笑みを浮かべ、コロたちの方へと振り返った。
「お待たせ、お嬢ちゃん。鮮度抜群、最高品質だったよ」
「腕には自信があるんだ」
「最高の腕を持っているね!あのバカどもを追い払ってくれた礼も踏まえて、買取価格に上乗せするよ!」
「本当? ありがとう、ミランダさん」
コロはホクホク顔で報酬を受け取る。
そこからコロはミランダに、期限が迫りつつあるポーション類の下取りと、新しく買い取りをお願いし始める。
先程まで薬草店に訪れていた嵐など、初めから無かったかのように。
一人と一匹が店を出ると、外では、しらじらと夜が明け始めていた。
表通りの水たまりには、人々を熱狂させた『銀糸の歌い手』の華やかなビラが落ちていたが、今は冷たい泥水に沈み、誰の目にも留まることなく、爆発的に広まる噂とともに、静かにふやかされていくのだった。
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