蜻蛉の羽と、未来の残滓 2 〜使えない古銭と、百年越しの答え合わせ〜
2.
「早速だが、どこか落ち着けるところで答え合わせと行こうではないか!」
伯爵はステッキをクルクルと回し、夜の広場で声を弾ませた。
そのまま軽やかなステップを踏み、手にした銀細工のステッキをバトンのように器用に回してみせた。
石畳を叩くステッキの音は、まるでどこかの舞踏会のリズムを刻んでいるかのよう。
魔力灯の光を浴びて背中の蜻蛉の羽がプリズムのように七色に煌めき、すれ違う人々が「なんだ、あの男は」と足を止める。
都会の夜の喧騒さえも、彼が通り過ぎるだけで、古びた舞台劇の一幕のような色調に塗り替えられていく。
「私たちの部屋で良いなら、女将に言えば泊まれると思う」
コロは小さく、けれど重いため息を吐き、指先で眉間を軽く押さえた。
効率を考えれば、旧知の相手と一晩を共にするのは悪くない選択ではある。
だが、この圧倒的なまでの「声の大きさ」と「目立ち方」は、彼女が愛する平熱な日常を、容赦なくかき乱していく。
彼女の頭の中の計算では、伯爵という制御不能な変数がもたらす『面倒臭さ』の数値を、急速に上昇させていた。
『……おい、こんな奴と一緒に泊まって平気なのか?』
コロのあっさりとした提案に、ウルは露骨にマズルを顰めて抗議する。
だが、伯爵は気にするそぶりも見せず、大袈裟に肩をすくめてカラカラと笑った。
「ハッハッハ!私にとってはつい最近の感覚だが、歳を重ねると可愛げがなくなってしまうのは、人類もアッシュウルフも同じであーる!」
『ぐっ……!』
ウルは喉の奥で、岩が擦れるような低い唸り声を鳴らし続けた。
銀色の毛並みは逆立ち、特にその立派な二本の角からは、不快感を隠しきれない黒雷がバチバチと小さな火花を散らしている。
ウルにとってのサンオセール伯爵は、自らの「格」が通用しないばかりか、消し去りたい幼少期の記憶を平然と突いてくる、この世で最も天敵に近い存在だった。
場面は飛んで、ルミナスの小綺麗な宿屋の受付。
「ごめんね、知り合いのオジサンとばったり会ったから、今晩だけ同じ部屋に泊めたいんだけど」
コロが女将にそう告げ、追加の宿泊費を支払おうとした、その時。
「ハッ!子供に支払わせるなど言語道断!ここは私が払おうか!」
トン!と。
伯爵が自慢のステッキで床を勢いよく突くと、懐から重々しい革の財布を取り出した。
「おやまぁ、気前のいいお連れ様で――」
「いいから。あとで部屋で受け取るから」
女将が笑顔を向けたのも束の間。
コロは素早い動作で自分のお金をカウンターに叩きつけると、伯爵のコートの裾を引っ張り、強引に階段の方へと連行していってしまった。
「お、おい!お嬢さん、私にも大人のメンツというものが――」
「静かに。目立つから」
バタン、と。
割り当てられた客室の扉を閉めるなり、コロは伯爵に向かって手を突き出した。
「お財布、ちょっと中身見せて」
「む?まぁお嬢さんなら別に構わんが……」
伯爵が不思議そうに渡した財布の中身を覗き込み、コロは深々とため息をついた。
「やっぱりだ」
「ん?何が『やっぱり』なんだ?」
「……ただでさえ変な人なのに、出すお金も変なお金だと、変に目立って嫌なんだよね」
コロが財布の中からつまみ出したのは、現在のアルド金貨を含むアルド硬貨とは似ても似つかない、すり減った四角い銀貨や、中央に穴の開いた青銅貨。
様々な時代の、すでに流通が終わっている古銭が雑多に入り混じっていたのだ。
古銭のコレクターや歴史学者なら血眼になって欲しがる代物だが、宿屋の女将に渡せば「偽造硬貨だ」と衛兵を呼ばれかねない。
「変!変!変!変なのはお互い様ではないか!変な少女に、変な銀狼!変な者同士、もっと仲良くしようではないか!」
伯爵は全く悪びれる様子もなく、両手を広げて愉快そうに笑う。
部屋の隅の椅子にちょこんと行儀よく座ったウルが、呆れたように鼻を鳴らした。
『その中でも群を抜いて変なのはお前だ。普通の人類なら、今頃は土の下で骨になっているはずだぞ』
「やれやれ。前回会った時は、撫でてやると気持ちよさそうに腹を見せたものだが、いっちょ前に憎まれ口を叩くとはな!」
『なっ……!?そ、それは……ッ!』
「ほらほら、しょうもない言い合いはそこまで。さっさと『答え合わせ』といこうよ」
苦笑いを浮かべたコロは、あたふたと言い訳を探すウルの言葉を断ち切るように、パンッと柏手を打った。
その氷藍色の瞳は、普段の冷え切った計算式の時とは違う、純粋な好奇心とウキウキとした期待感で微かに輝いている。
「おお、そうだ!そうだそうだ!君の口から答えを聞くのが楽しみで、まだ誰にも確認していないぞー?」
伯爵も嬉々として、ドスンと床に置いた異様に巨大なトランクの留め金に手を掛けた。
『……ところで、さっきから言っている答え合わせとは何だ?』
一匹だけ事情の呑み込めていないウルが、首を傾げてコロに尋ねる。
コロは丸椅子を引き寄せ、トランクの前に座りながら嬉しそうに答えた。
「前回、前々回に会った時にね、私が『この素材は、この先の未来で希少さが増すんじゃないかな』ってあたりをつけたものを、伯爵に託しておいたんだ。つまり、私の予測した価値がどうなっているのかを確かめるんだよ」
「ははは!前回、坊やはスヤスヤと眠りこけていたからな!」
ガチャリ、と重たい音を立てて、伯爵のトランクが開かれる。
その瞬間、埃っぽい羊皮紙や、見たこともない異国の香辛料、そして何百年も前の停滞した空気の匂いが、小綺麗な宿屋の一室へと一気に溢れ出した。
底なし沼のように深いそのトランクの中から、伯爵は小瓶や木箱に小分けされた様々な素材を、ズラズラとテーブルの上に並べ始めた。
「さあ!稀代の鑑定眼を持つお嬢さん!私の『財産』がこの百年でどう化けたか、見てくれたまえ!」
コロは袖をまくり、一つ一つの素材を丁寧に手に取って、匂いや魔力の状態を確認していく。
「んー、まずはこれ。『水底の白金藻』だね。……残念、ハズレ。三十年前までは特定の湖にしか生えてなかったけどね」
「ふむ!ということは……」
「そう、今は人工栽培の技術が確立されちゃったんだ。ただの水草と同価値だね。惜しかったね」
「むむっ、なんと!人工栽培技術め……!」
「そんな事言ったって仕方がないよ。で、次はこれ。『岩喰い鳥の嘴』。……これもハズレかな。これを素材にするより、鉱山で安く手に入る魔法金属を使った方が効率的だってことに人類が気づいちゃったんだ。需要ゼロ。最近の流行りについていけない、昔ながらの老薬師とかが使うかもしれないって感じかな」
「むむむ……人類の知恵め……!次はどうだ!?」
「次?あー、これもダメだね。『赤雷の竜胆』。……魔力は強いけど、副作用が強すぎてね、今のポーション基準じゃ、大抵どこの国でも違法薬草扱いだよ。売ったら捕まっちゃうかな」
次々と下される無情な「価値暴落」の宣告に、伯爵は「おおぅ……」と頭を抱えていく。
だが、四つ目の小瓶――干からびた黒い根のようなものを手にした瞬間、コロの目の色がわずかに変わった。
「あ、これは当たりだね。『夜啼きマンドラゴラ』。私が予想した通り、乱獲がたたって自生種はほぼ絶滅してる。貴族の薬草学者みたいなのが、喉から手が出るほど欲しがるよ。……当時の十倍、いや、状態がいいから五十倍の値はつくね」
「おおっ!? 五十倍!!」
「さすが伯爵だよ。採取したての新鮮なものなんて滅多に存在していないからね」
「すべて挽回したな!」
「ふふ、それだけじゃないよ。こっちも大当たり。『月涙の琥珀』。鉱脈が完全に枯渇したらしくてさ、今は王族の装飾品にしか使われない超高級素材って聞く。未加工状態だし、こっちは当時の百倍で売れる」
「それは堅いか?」
「うん。堅い。多分もっと高く売れるかも」
「しめたな!あっはっは!これだから辞められん!よーし、次だ!」
二人は興奮気味に次なる素材へと手を伸ばす。
最終的に、並べられた十数の素材のうち、読みが当たって価値が高騰していたのは三割。
残りの七割は、技術の進歩や需要の変化によって無価値なゴミと化していた。
結果を見終え、コロは満足げに息を吐く。
「大当たりが三割ってところだね。まだまだ相場を読む計算が甘かったね」
『おいおい、価値が上がっていないその七割のゴミはどうするんだ?』
ウルが呆れたように、テーブルの上のハズレ素材の山を顎でしゃくった。
五十倍、百倍という大当たりがあるとはいえ、時間旅行という途方もない手段を使った割には、あまりにも無駄が多い。
だが、伯爵はシルクハットを被り直し、自慢のステッキで高らかに床をコンと突いた。
「決まっている!価値が上がるまで、次回に持ち越しということだな!」
カラカラと、部屋の中に伯爵の底抜けに明るい笑い声が響き渡る。
コロもまた、呆れるどころか「それもそうだね」とでも言いたげに、静かに口角を上げていた。
『……フン。それで、高く売れて儲けた金はどうするつもりだ?』
呆れ半分に尋ねるウルに対し、伯爵はトランクの蓋をポンと叩いて答えた。
「ん、儲け?ふむ、そうだな。魔結晶にでもしようかと思っている!」
「それがいいよ。この時代の金貨の品質は、お察しの通りだからね」
「だな!如何せん不純物が多くてな!そういう時は魔結晶に換えるのが一番だ。常識だよ、子犬の坊や!」
『ふむ、そういえばコロも、大金が転がり込むと魔結晶に換金して持ち歩いているが……』
「そうだね。一番最初に伯爵と会った時に教えてもらったんだ。『魔結晶だけは嘘つきの中でもマシな方だ』ってね」
コロは当時の記憶を思い出すように目を細め、どこか楽しそうに笑った。
金貨や銀貨は国や時代が変われば価値が暴落し、ただの金属片になり下がる。
金貨にしても、金の含有量によって価値が左右される以上、今の時代の金貨は伯爵のお眼鏡にかなわなかったようだ。
そして、純粋な魔力の結晶体である魔結晶だけは、どの時代でも等しく魔物や魔術師に求められる絶対的な「価値」を保ち続けるのだ。
「おお!感心感心!お嬢さんは実に勉強熱心だ!」
「役に立つ情報や計算式は、しっかり覚えておく質だからね」
伯爵は大袈裟に頷きながらコロを褒めちぎり、コロも満更でもない様子でそれを受け入れている。
一人と一匹でいる時の平熱な空気とはまた違う、どこか「気の置けない悪友」のような二人のやり取りに、ウルは小さく鼻を鳴らした。
――グゥゥゥゥ……
不意に、部屋の中に間の抜けた音が響き渡った。
音の出処は、偉そうに胸を張っている伯爵の腹の虫である。
「……はて。すっかり答え合わせに夢中で気づかなかったが、どうやら私はひどく腹が減っているようであーる」
「はぁ……。さっき私とウルは食べてきたばかりなのにな」
渋面を作るコロに対し、伯爵は悪びれる様子もなくニコッと笑った。
「すまないがお嬢さん、何か胃の腑に収まるものを見繕ってきてはくれないか?私のこの財布では、怪しまれてしまうからな!」
「……分かったよ。ウル、ちょっと付き合って。下の女将さんに何か残ってないか聞いてこよう」
『やれやれ、世話の焼ける人類だ』
コロは呆れたように肩をすくめると、ウルを伴って部屋を出た。
パタン、と扉が閉まり、静かになった廊下を歩きながら、ウルは振り返るようにしてコロに向けて口を開く。
『おい、コロ。荷物を部屋に置いたままだが、大丈夫なのか?』
「ん、大丈夫って?」
『あの胡散臭い男だぞ。俺たちが目を離した隙に、金目のものを持って消えるかもしれん』
「伯爵が?あはは、平気だよ。伯爵はそんなセコいことをする人じゃないからね」
コロは階段を下りながら、あっさりとウルの懸念を否定した。
「伯爵も私を、私も伯爵を、それぞれが『そういうヤツじゃない』って知っている。……だからこそ、伯爵もわざわざ私を見つけ出してくれるんだろうね」
『ふむ……。しかし、実際問題、あいつはどうやって俺たちを見つけ出しているんだ?時を渡るにしても、広大な世界でピンポイントに遭遇するなど、計算が合わんぞ』
首を傾げるウルに、コロは「さあね」と短く息を吐いた。
「本当かどうかは知らないけど、昔から『自分は人一倍勘が鋭い』って言ってるからね。ひょっとすると、時を渡る過程で、探しものを見つけるための特別な『ギフト』みたいなものを得たのかもね」
それが真実なのか、ただの伯爵のホラ話なのかは分からない。
だが、コロはその「勘」のおかげで、こうして何度か面白い答え合わせができているのだから、計算式としては悪くないなと内心で思いながら、女将のいる一階へと足を進めた。
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