不法投棄の神域と、沈黙の家紋 3 〜肥大化した悪知恵と、お友だち〜
3.
「――今だよ。お役人さん」
狂乱する集落の中央。
罵声と殺意に満ちた空気の中で、コロの澄んだ声が静かに響いた。
それは、仕掛けられた罠の蓋を閉じるための、冷徹な合図だった。
直後、集落の周囲を囲む鬱蒼とした茂みが大きく揺れ、金属の擦れる冷たい音が静寂を切り裂いた。
「そこまでだ、賊徒共!全員その場を動くな!」
鋭い怒号と共に飛び出してきたのは、鈍く光る鋼の鎧に身を包んだ領主軍の兵士たちだった。
手には抜き放たれた長剣と、魔力による拘束を目的とした重厚な鎖。
その数は十数名。
辺境の集落を鎮圧するには、あまりに過剰で、そして確実な軍事力。
先程まではこの集落とは無縁だった、金属と金属とがこすれ合う音が、集落の喧騒を塗り潰す。
さらにその中心から、速記用のペンと羊皮紙を手に、冷徹な眼鏡をかけた文官が静かに歩み出た。
「……領主館直属、法務執行官である!たしかに、たった今。お前たちの『言質』は、私の耳と!この記録紙が正確に受理した!」
文官は、恐怖で硬直する村長と村人たちを見渡し、氷のような声で宣告した。
集落の者たちがゴクリとつばを飲み込む音さえ聞こえそうな静寂が集落を支配する。
「旅人に対する略取誘拐および魔物への人身供犠!お前たちの醜悪な自白、一点の曇りもなく記録させてもらった!」
「……っ!?な、ななな……」
村長は、喉の奥からひきつった声を漏らした。
先程までの狂ったような歓喜や安堵はどこへやら。
脂汗が滝のように流れ落ち、ヤギのようなねじれた角がガチガチと震え始める。
だが、彼は瞬時に計算を切り替えたようだ。
人類の、特に地位にしがみつく老人の往生際の悪さは、魔物の生存本能よりも遥かに粘り強く、そして醜い。
「……はっ!はははっ!なっ、何かと思えば……ば、馬鹿なことを言わないでください!な、何かの間違いだ!我々は……ッ!そう、我々はただ、その少女に薬草の採取を依頼しただけですよ!」
村長は、へたり込んだ姿勢のまま、必死に手を振り回して叫んだ。
「キ、キチンと伝えました!森は危険だ、危険だからこそ報酬は弾むと!その証拠に、ほら、前金だって支払っています!危険を承知で依頼を受けたのは彼女の方だッッッ!我々に非があるはずがない!そ、そうだ!非など、どこにもない!!」
「そうだそうだ!我々は善意で仕事を回してやっただけだ!」
「我々は祭りで手が離せなかったから、旅人に頼んだだけのこと!!」
「もし仮に死んだとしても、それはそいつの不徳だ!村は関係ない!」
一人の叫びに呼応するように、周囲の村人たちも一斉に喚き出した。
彼らの顔には、罪悪感の欠片もない。
ただ「自分たちという群れ」を守るためなら、平然と嘘を真実へと塗り替える――その一致団結した醜悪な一体感が、広場にむせ返るような不快な熱気を生み出していた。
文官は、眉一つ動かさずに冷淡な視線を村人に向けた。
「喚き立てたところで調査は済んでいる。この集落では長年、身寄りのない奴隷や旅人を甘い言葉で誘い込み、神獣様への『生贄』として森へ捨ててきた。それはれっきとした重大犯罪だ」
「重大犯罪!?よもや、よもや!!はははっ、証拠は!?証拠を出してくださいよ!今のところ、この国の法では裁けないはずですが!?」
村長は、血走った目で文官に詰め寄った。
その口角からは泡が飛び、顔の皮膚が怒りと恐怖で醜く歪んでいる。
「ひょっとすると奴隷ですか?ああ、ヤツのことか!あれは確か『可哀想だから』と、この厳しい土地で生きるための隷属化を解いてやったというのに、恩を仇で返して勝手に逃げ出しただけの逃亡奴隷ですよ!旅人だってそうだ!あんなに危険だと念押ししたのに、欲に目が眩んだんでしょうなぁ!」
醜くも唾を飛ばしながらも、己の身の潔白を捲し立てる村長。
コロの隣にいたウルはスッとその場に座り、ボフンと尻尾で地面を叩き、大きな欠伸をしてみせる。
そんな退屈そうなウルの様子など気にもとめず、村長の必死な言葉は続く。
「そう、行方知れずになっただけですよ!ここは山奥、代々住んでいる我々でないと安全には暮らせない!外から来た馬鹿共が自滅したのを、なぜ我々のせいにされねばならんのです!?」
「そうだ、証拠を出せ!神獣様に生贄を捧げたという確固たる証拠を!」
村人たちは文官を取り囲むようにして、口々に罵声を浴びせる。
彼らは知っているのだ。
ここは外界から隔絶された、自分たちのルールが支配する閉鎖的な世界。
被害者たちは皆、あの霧深い森の奥で朽ち果てて、物言わぬ骨になっている。
たとえ生き残った奴隷が告発しようとも、「逃亡した犯罪者の虚言」として処理できる。
生き残った旅人だって、依頼をしている以上、ただの遭難として片付けられる。
法と論理の隙間を熟知した、弱者の皮仮面を被った捕食者の狡猾さ。
本来なら、ここで証拠不十分として捜査は行き詰まるはずだった。
しかし、文官は眼鏡の奥でニヤリと、獲物を追い詰めた蛇のような笑みを浮かべた。
「……ふむ、なるほど。お前たちにとっては、骨は証人にならず、逃亡者は発言権を持たないというわけだ。旅人においてもキチンと依頼もして前金も払う以上、罪には問えぬ。徹底した法理学だな。感心してしまうよ……こんな僻地でも『悪知恵』というものが、ここまで肥大化するとは」
文官は一度言葉を切り、コロの背後に立つ獣人の少女――生糸のような髪を長く伸ばした、氷藍色の瞳を持つ少女へと視線を向けた。
そして、そのまま言葉を継いだ。
「だが、お前たちは一つだけ計算を間違えている」
「間違い?間違いも何も、そもそもあなたの仰るような『犯罪』などないですよ!」
「法というものは、被害者の訴えがあって初めて成立するものだ。……そして、今回ここには、これ以上ないほど雄弁な『被害者』がいらっしゃる」
そんな文官の言葉に、村人たちは一瞬、狐につままれたような顔をしてしまう。
そして真っ先に、村長が大袈裟に笑い始めた。
「はははっ!笑わせないでくださいよ!だからその旅人の娘には前金を払っていると申したではありませんか!」
村長が、余裕を取り戻したようにコロを指差して嘲笑った。
しかし文官は深いため息をつき、視線を醜くも高笑いする村長へと戻した。
「コロという少女ではない」
「なに……?ではその従魔の狼とでも言うのですか!?うはははっ!都会の御方の冗談はキツイですなぁ!」
急に矛先を向けられたウルは、マズルを顰めて小さく唸る。
「違う。もう一人、いらっしゃるだろう」
文官の言葉に、村人たちはキョトンとしてしまう。
そう、コロの背後には、自分たちが見たことのない獣人の少女が立っているからだ。
「そんな小娘、本当に見たことがないですよ!よもや証言の捏造ですかな?法と秩序を重んじる方々が、そのような――」
「――お前たち、いい加減にしろよ」
低く、深く、そして集落の全住民の魂を凍りつかせるような声が響いた。
声の主は、コロの背後にいる獣人の少女だった。
彼女は、気怠げに自らの銀髪を掻き上げると、ゴミでも見るような視線を村人たちへ向けた。
「さっきから聞いていれば、ああだの、こうだの。……お前たちの身勝手な物語に、なぜ私がいつまでも付き合わねばならんのだ……」
少女が、一歩、前に踏み出した。
その瞬間。
――ドォォォォン……ッ!!
目に見える物理的な衝撃波が広場を駆け抜け、焚き火の炎が恐怖したように一瞬で消失した。
村人たちの叫びが止まり、赤ん坊の泣き声すらも空間の圧力に押し潰されて消える。
圧倒的な、理不尽なまでの『魔力』の質量。
「ひ……ひぃっ……!?」
腰を抜かしてへたり込んだ村長が、失禁しながら後退りする。
目の前の少女から溢れ出すのは、人類が数百年かけても到達できない、生命としての格の違い。
少女の身体が、青白い雷光と淡い光に包み込まれ、急速に膨れ上がっていく。
銀糸の髪は剛毛へと変わり、細い四肢は岩をも砕く強靭な爪を備えた脚へと変貌を遂げる。
光が弾け、霧が散った中心に現れたのは――
集落の家屋よりも巨大な、山のような体躯。
三本の巨大な尻尾を悠然と揺らし、額から鋭い角を突き出した、白銀の巨狼。
村人たちが狼の面を被り、卑屈なまでに崇めていた『神獣』そのものの姿だった。
村人たちだけではない。
兵士たちや文官までもがその場にへたり込んでしまうほどの、圧倒的な『威圧』だった。
「その姿のままだと、まともな話し合いにならないよ」
『その辺の魔物も尻尾を巻いて逃げたな』
コロだけでなく、ウルもくつくつと笑いながらそう告げた。
『ふむ、そうだな……』
一人と一匹の指摘を受け、素直に頷いた上位種は再び、単なる獣人の小娘の姿に戻ってみせた。
「被害者ならここにいるぞ、人類共」
上位種は、淡々と、しかし氷藍色の瞳に峻烈な怒りを宿していた。
「毎度毎度、私の庭にお前たちのゴミを捨てられ、どれほど私が迷惑を被ってきたと思っている。別に食いたくもないものを無理やり差し出され、迷った挙句に死んだ死骸の処理をさせられ……。お前たちの、その不衛生で、傲慢で、救いようのない不法投棄に、私はもう、心底辟易している」
上位種の声は、圧倒的な威圧感を孕んでおり、その声は集落を震わせた。
村人たちは、自分たちが崇めていた「神」が、実は自分たちを「ゴミを捨てる迷惑な隣人」としてしか見ていなかったという残酷な事実に直面し、ただ這いつくばって震えることしかできなかった。
コロはその圧倒的な光景を、隣で欠伸をしているウルと共に、どこまでも冷静な瞳で観測していた。
領主軍による制圧と事後処理は、驚くほど迅速かつ機械的に進められた。
長年にわたる悪しき因習は白日の下に晒され、村人たちは一人残らず鎖で繋がれ、外界へと連行されていく。
あの狂乱の広場から少し離れた、村の最奥。
神域の森との境界線を示す古びた注連縄の前に、三つの銀色の影が佇んでいた。
傾きかけた秋の陽光が、森の輪郭を黄金色に縁取っている。
「――これで、集落は暫く領主軍の管理下に入ることになったよ。定期的に監視の目も入るだろうし、もうあいつらも勝手な真似はできなくなるね」
コロは、騒がしい気配が遠ざかっていく村の方を一瞥し、いつもの平熱のトーンでそう告げた。
『しかし、傑作だったな』
隣に座るウルが、喉の奥でくつくつと笑い声を漏らす。
『あいつら、自分たちが捧げ物をしているから、お前さんに村を守ってもらっているとばかり思い込んでいたらしいぞ』
その言葉に、生糸のような髪を風に揺らす獣人の少女――本来の姿を隠し、小娘の姿に戻った上位種は、不満げにぷくっと頬を膨らませた。
何百年も生きる強大な魔物でありながら、その仕草は年相応の少女のように酷く幼く、どこか愛らしい。
「ふん、実に馬鹿馬鹿しい。ここは私の縄張りの中なのだから、私の眷属以外の魔物など恐れをなして寄り付くわけがなかろう。ヤツら、たまたま外敵が来ないのを、私の庇護下にあるとでも都合よく勘違いしたのだな」
「魔物避けの結界代わりに使われてたってことだね。勝手に縄張りに巣を作られたら、次からはお姉さんも身の振り方を考えないとね」
「そうだな。その辺のリスやネズミが巣を作ったのと同じ感覚で放置してしまったのが運の尽きだ。リスやネズミの方が余程可愛げがあるというのに……これだから人類という種族は……」
忌々しげに三本の白い尻尾を揺らし、上位種は深々とため息をついた。
しかし、その氷藍色の瞳からは、先程まで村人に向けられていたような絶対的な零度の怒りはすっかり消え失せている。
彼女はふと視線を落とし、足元の落ち葉を爪先で弄りながら、ぽつりとこぼした。
「……しかし、あれだ。お前たちのような奇妙な奴らとつるんでみて……悪くなかった。初めて行った人類の街。そこへ至るまでの道中。久しぶりに、楽しかったぞ」
それは、長い長い時を孤独に生きてきた森の主が、初めて同格の存在に見せた、不器用でささやかな親愛の情だった。
照れ隠しのようにそっぽを向く上位種を見て、コロはクスッと笑い、ウルもまた優しく目を細めて喉を鳴らした。
「ははは、そうだね。……楽しかったね」
コロは、注連縄の向こう側に広がる深い森を見つめながら、心の底からそう言った。
それは「効率」や「報酬」といったいつもの計算を介さない、素直で、瑞々しい感情の吐露だった。
その言葉に上位種は、不満げにぷくっと頬を膨らませていたが、やがてその表情をふっと緩めた。
彼女は真っ白い長い睫毛を伏せ、自らの三本の白い尻尾を、どこか照れくさそうにパタパタと揺らす。
「……ふん。ならば、またそのうち遊びに来るがいい」
不器用な、けれど確かな招待の言葉。
長く長い孤独の中で森を統べてきた彼女にとって、それがどれほどの譲歩であるかを理解したのだろう。
隣に座るウルが、喉の奥で優しく、深く喉を鳴らした。
『そうだな。……次は生贄ではなく、ただの『友人』として来るとしようか』
ウルの冗談めかした、けれど敬意の籠もった提案に、上位種は一瞬だけ驚いたように氷藍色の瞳を丸くした。
やがて彼女は、自分の胸元をギュッと掴み、溢れ出しそうな喜びを抑え込むように口角を上げる。
「そうだね、ウル。次は、何か手土産でも持ってくるよ。……もちろん、生贄なんかじゃないものをね」
コロが笑いかけると、上位種は益々気に入ったというように、少女の姿のまま天を仰いで朗らかに笑った。
「くくっ……いいだろう。楽しみにして待っているぞ。――さらばだ、我が友よ」
上位種の少女はそう言い残すと、弾けるような光の粒子と共に、深い霧の奥へと消えていった。
森の奥から、祝福するような低い咆哮が一度だけ響き、再び静寂が訪れる。
一人と一匹は、その余韻を噛みしめるようにしばらく立ち尽くしていた。
※ ※ ※
その日の夜。
気がつけば、そこはいつもの白い空間だった。
柔らかな光に満ちた、世界の「外側」。
「……人類って、本当に面倒くさい生き物だね」
コロは、目の前に現れた女神に向けて、いつもの平熱のトーンで話しかけた。
女神は穏やかな微笑を湛え、慈愛に満ちた瞳でコロを見つめている。
「神様を勝手に作り上げて、都合のいいように解釈して、他人の庭にゴミを捨てて……。でも、当の神様は、リスやネズミと同じだって思ってた。あのズレた計算が、何百年も続いていたなんてさ」
コロは自分の手のひらを見つめ、握ったり開いたりしてみせた。
やがて女神が広げた腕の中にボフンと飛び込み、女神の温もりを満喫するように目を閉じた。
「ふふふ、そんなことより、私はあなたにお友達が出来たことを、とても嬉しく思っているわ」
「うん、あのお姉さん『楽しかった』って言ってくれたよ。……『友人』になれた。これは、私の中にもなかった結果だった」
女神は何も言わずに、ただコロの頭を優しく撫でる。
その温かな感触に、コロはゆっくりと目を閉じた。
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