不法投棄の神域と、沈黙の家紋 2 〜完璧な作戦と、醜悪なる生存本能〜
2.
「へえ、それじゃああなたが命令してるわけじゃないんだね」
『当たり前だ。このなりを見て、矮小な人類どもに縋らないと食うに困るような雑魚に見えるか?』
静寂に包まれた神域の森の最奥。
先程までの、大気を押し潰すような絶対的なプレッシャーは嘘のように霧散していた。
白銀の三本の尻尾を持つ巨大な狼は、ドスンと地響きを立てて冷たい岩肌に腰を下ろすと、忌々しげに鼻にシワを寄せた。
その姿は、畏怖すべき森の支配者というよりも、度重なる近隣トラブルに頭を抱える疲労困憊の家主そのものだった。
「ははは、さすがにそれはないね」
『だいたい、お前。その貧相な人類の器をしておきながら、人類特有のあの薄気味悪い、身勝手な欲望の匂いが全くしないな』
「ふふ、分かる?」
『……なるほど。中から匂い立つ魂の形は、我らと同じ狼の血族……そこの黒雷を纏う同胞と同じだな。どうりで、私のような『上位種』の威圧を前にしても平然と口答えをするわけだ』
白銀の狼は、コロとウルの匂いを正確に嗅ぎ分け、深く納得したように息を吐いた。
そう、村人たちが恐れ敬う「神獣」の正体。
それは、神獣などという高尚なものではなく、ただウルやかつてのコロと同じ狼の血脈に連なる、途方もなく長く生き、強大な力を得た『上位種の魔物』に過ぎなかったのだ。
「うん、正解。やっぱり鼻がいいね」
コロは呆気を取られていた状態から完全にいつもの平熱を取り戻し、クスッと笑って肩を竦めた。
『端から同族だと分かっていれば、無駄な威圧などしなかったものを……。この時期は人類どもが、ヤツらの同胞を捨てに来る時期でな。入ってこられないよう圧を強めていたのだ』
『たしかにそこいらの人類なら、足が竦んでしまっていただろうな』
「だね。あの集落で狼の仮面を被って踊ってる姿を見てさ、これは『対話できるな』と思ったんだ。あれが狼じゃなくて猫みたいな仮面を被っていたら、私は無視してたよ」
そう言ってくつくつと笑うコロに、ウルはフンと鼻を鳴らしながらもニヤリと笑った。
「でも、これではっきりした。生贄を求めてる神様なんて最初からいなくて、あなたはただの『不法投棄の被害者』ってわけだね」
『左様。全くもって不愉快な生き物だ、人類というのは』
上位種の狼は、パタパタと気怠げに尻尾を揺らしながら、木の根元に散乱する白骨を一瞥した。
『あいつらは、食えばそれなりに美味いが、特別美味いわけでもない。そして何より……一匹でも食えば、後から後から徒党を組んで、復讐だ討伐だと喚きながら森を荒らしに来る。はっきり言うが、味や食べ応えの割に合わん、ただ面倒な存在でしかないのだ』
「そうだね。私たちにとって『割に合わない存在』っていうのを、彼らはイマイチ理解していない」
『いつだったか……獣の血を引く人類どもが私の縄張りの隅の方にコソコソと巣を作ったのは分かっていたが、我らと同じ狼の血を引く者もいるからと見て見ぬふりをしていたのだ』
ウルは同じ森に生きる魔物として、招かれざる不純物に縄張りを荒らされる苦労に共感したのだろう。
深く同意するように、フンと鼻を鳴らしてその場に伏せた。
『初めのうちは互いに不干渉だったから良かった。しかしいつからか、何がきっかけだったのかは知らんが、なぜか私に同族を差し出すようになったのだ』
そう言って大きなため息を吐いた上位種。
吐いたため息はごく小さなつむじ風を創り出し、ハラハラと落ち葉が中を舞い始めた。
そんな落ち葉を眺めつつ、上位種は言葉を継いだ。
『大体、その辺に散らかっている骨の奴らもそうだ。私が呼んだわけでもないのに、勝手に私の庭に入り込み、勝手に迷って、そして勝手に死んだ。その腐敗臭を処理する私の身にもなってみろ。生きたまま捨てられた奴に至っては、死なせないように私がわざわざ幻術を使って、森の外まで誘導してやらねばならんのだぞ?束になって襲ってくる面倒な生き物を、好き好んで食うと思っているのか?』
「それはなんとも……本当に同情するよ。人類っていうのは、自分たちの都合のいいように世界を解釈するからね」
『全くだ。……さて、お前たちは迷って死ぬような脆弱な輩ではなかろうが、長居されても奴らが探りに来て目障りだ。さっさと用を済ませて、二度とこの森には近づくな』
よっこらせ、とでも言い出しそうな重たい足取りで立ち上がった上位種に向け、コロは澄んだ声で呼びかけた。
「待って。帰る前に……私たちとちょっと、手を組まない?」
『……手を組む?』
上位種の氷藍色の瞳が、訝しげに細められる。
「うん。私たちはね、あの人類たちに薬草の採取を頼まれて、報酬の一部をもらってここに来たんだ。まぁ、敢えて騙されてあげたんだけどね。とはいえ、採取家として手ぶらで帰るわけにはいかない」
コロはニヤリと、冷ややかな狩猟者の笑みを浮かべた。
相手が上位の同族であろうと、彼女の根底にある「効率」や「計算式」は決してブレないようだ。
「あの人類たちから、これ以上不法投棄させないための『言質』を取って、この馬鹿げた儀式を解体してあげられるかも。……あなたには、そのために動いてもらいたいんだけど」
『……この私に、人類の小芝居に付き合えと言うのか』
上位種は喉の奥で低く唸ったが、そこに明確な殺意や怒りはなかった。
むしろ、目の前に立つちっぽけな銀髪の少女が、微塵の恐怖も抱かずに全く対等な取引を持ちかけてきたことに、純粋な興味を惹かれているようだった。
「小芝居なんかじゃないよ、快適に暮らすためのちょっとした行動。あなたにとっても、これ以上庭に生ゴミを捨てられなくなるなら、悪い話じゃないでしょ?」
『……ふん。口の減らん小娘だ。横にいる黒雷の銀狼も、随分とお前に気を許しているようだな』
上位種は、コロとウルの関係性を面白そうに交互に見比べた後、再びドスンと腰を下ろした。
『よし、よかろう。何百年と生きてきたが、供物として捨てられた分際で、私に取引を持ちかけてきた太々しい輩はお前が初めてだ。……して、その『言質』とやらを取るために、私は何をすればいいのだ?』
「簡単だよ。まず、あなたには――」
深い霧に包まれた神域の森の最奥。
不法投棄に悩む森の主と、冷徹な計算で世界を観測する一人と一匹の間で、集落の因習を根こそぎ解体するための静かな契約が結ばれた。
それから、数日後。
深い山と谷に囲まれ、外界と隔絶された亜人の集落には、心地よい秋の陽光が降り注いでいた。
広場では女たちが小気味よい音を立てて機を織り、男たちは冬に向けた農作業の準備を進め、獣の耳を持った子供たちが土埃を上げて無邪気に走り回っている。
かまどからは穀物を煮る甘い匂いが漂い、どこからか穏やかな歌声すら聞こえてくる。
彼らの顔には、コロたちを迎え入れた夜のような「狂気じみた必死さ」は欠片も残っていない。
他者の命を薪にくべて得た暖かな火に当たりながら、厄災への供物を捧げ終え、当分の安全を金で買ったという、酷く醜くも平穏な日常の空気が流れていた。
だが、そのまやかしの安寧は、唐突な足音によって破られることとなる。
――ザッ、ザッ。
決して戻ってくるはずのない、深い霧に閉ざされた『神域の森』へと続く薄暗い道。
そこから、乾いた土を踏みしめる足音が響いてきたのだ。
決して逃げ惑うような乱れた歩調ではない。
まるで裏庭の散歩から帰ってきたかのような、一定のリズムを刻む静かな足音。
長く伸びた三つの影が、日差しの照りつける広場へとゆっくりと這い出してくる。
「……あ、あれ……」
井戸端で水を汲んでいた女が、手から木桶を滑り落とした。
ガランッ、という乾いた音が広場に響き、冷たい水が土へと黒い染みを作って広がっていく。
その音を合図にしたかのように、広場を包んでいた生活音がピタリと止んだ。
機織りの手は止まり、子供たちの笑い声は凍りつき、村人たちの視線が一斉に村の入り口へと向けられる。
そこに立っていたのは、幽霊でも幻覚でもない。
衣服のほつれ一つなく、無傷のまま平然と歩く銀髪の獣人の少女と、巨大な黒雷の銀狼。
そして、その背後から気怠げについてくる、紡ぎたての生糸のような髪を長く伸ばした、狼耳と三本の白い尻尾を持つ獣人の少女の姿だった。
「やあ、村長さん。依頼の品、ちゃんと採ってきたよ」
コロは無表情のまま、村長の足元へ、淡い光を放つ青白い薬草――『月白草』をポイッと投げ捨てた。
「品質は保証する。さあ、約束通り、危険な森の奥の祠まで行って採取したんだ。残りの報酬、きっちりアルド金貨八枚分、支払ってもらおうか」
静寂。
ぽっかりと空いた無音の空間で、村人たちの顔から、血の気が一瞬にして引いていく。
彼らの目は限界まで見開かれ、まるで地獄の底から這い上がってきた悪鬼を直視してしまったかのように、ガチガチと歯を鳴らして震え始めた。
手にした農具を取り落とす者、恐怖のあまりその場にへたり込む者。
「な……ななな、なぜ……!」
村長が、腰を抜かしたように地面にへたり込み、震える指でコロを指差す。
「何故も何も、そう頼まれていたからね。ちょっと遅くなっちゃったけど」
だが、次の瞬間。
村長や周囲の村人たちの視線は、コロの後ろに立つ、冷ややかな瞳を持った獣人の少女へと釘付けになった。
「……!そ、その背後にいる女は……神獣様への、代わりの生贄ということだな!?」
パニックに陥った村長の口から、悍ましい勘違いによる安堵の言葉が飛び出した。
急速に伝搬してゆく、狂ったような歓喜。
先程までの恐怖で引き攣っていた村人たちの顔が、今度は生存本能という醜い欲望でぐにゃりと歪んでいく。
「ふ、ふざけるな!お前たちが戻ってきてしまったら……と、思ったが!はははっ!なるほど、なるほど!そういうことかっ!気が利くではないか!なあっ!?」
「そ、そうだ!お前たちが喰われなかった代わりに、神獣様を宥めるための供物を持ってきたのだな!」
「お前のような身寄りのない流れ者が一人死ぬだけで……いや、二人、気が利くではないか!どのみちお前たちが死ななければ、この村の安寧は保たれんのだ!」
「さっさと森へ戻れ! その女と一緒に喰われて、今度こそ村を救うのだ!!」
彼らは額に脂汗を浮かべ、血走った目で獣人の少女を指差し、口角に泡を溜めながら一斉に喚き散らした。
広場に響き渡る、あまりにも身勝手で、醜悪な罵声の嵐。
自分たちが犯した罪から目を背け、他者の命を犠牲にして生き延びることを「正当な権利」だと信じて疑わない、人類という種族の業を煮詰めたような醜悪さ。
一通り飛び交う罵声を浴びながら、ウルは呆れたように小さく欠伸をした。
後ろに立つ獣人の少女は、その氷藍色の瞳をゴミでも見るように冷たく細めている。
「……うん、こんなもんで十分かな」
コロは、怒号と悲鳴が入り混じる狂乱の村の中央で、クスッと冷ややかな笑みを漏らした。
「村長さんたち、自分の口で全部言ったね。……完璧な言質、しっかりと取らせてもらったよ」
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




