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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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女傑の盤面と、旅人たち 1 〜豊かな領都と、賢明な制度〜

1.


吸血の種族による連続変死事件を陰ながら片付けた一人と一匹。

その後も特に目的地を定めることなく、宛てもなく漠然と、ただ北へ北へとのんびり旅を続けていた。


そして季節は秋が深まってきた頃。

肌を撫でる風には北国特有の鋭い冷気が混じり始め、街道沿いの樹々は鮮やかな黄金色や赤銅色に染まって、乾いた落ち葉がカサカサと石畳の上を舞っている。


辿り着いたのは、豊穣な大地と堅牢な防衛線を持つことで知られる、レムリア王国の北方領土だった。

その中心たる広大な領都は、その辺の小国の王都に劣らぬほどの活気と、北国らしい重厚な石造りの街並みが広がっていた。

立ち並ぶ露店からは、香草と一緒に炙られた骨付き肉の脂が弾ける音や、甘い蜜を塗って焼かれた堅果類の香ばしい匂いが漂い、行き交う人々の食欲を否応なしに刺激してくる。

さらに遠くに見える城壁は分厚く、一定の間隔で見張りの塔がそびえ立ち、この地がただ豊かなだけでなく、外敵に対する厳重な備えを敷いていることが一目で伺えた。


「へえ……ここも随分と豊かな街だね」

『ふむ。この街は王都ではないのか?』

「だね。ここはレムリア王国の伯爵領だよ。なんていう名前の領だったかな……」

『ん、レムリア王国という名前は知っているぞ』

「どれくらい前だったかな。ラミアに挨拶に行った前後だから……二十年くらい前かな」

『だな。伯爵で思い出したが、あのトンチキな伯爵に会う前だ』

「酷い言い方だなぁ。トンチキじゃなくてサンオセール伯爵でしょ?そうだね、伯爵に会う前だね」


記憶を辿りつつも、領都の目抜き通りをゆっくりと進む一人と一匹。

ふと行き交う人並みに視線を向けたコロが口を開く。


「行き交う人たちの衣服もしっかりした生地だし、流通している商品の質も悪くないね」


すれ違う市民たちの中には、これからやってくる本格的な寒さに備えた分厚いウールや良質な獣皮の外套を羽織っている姿が散見される。

その顔つきに飢えや切羽詰まった陰りはなく、すれ違う荷馬車には丸々と太った麦の袋や、冬支度のための薪が山のように積まれていた。

北方特有の早い備えの一環のようだ。


『フン。幾分か落ち着いていて悪くなさそうだな。あれだな?ここは飯がうまい類の街だ』

「ふふ、正解。平和で豊かな国のご飯は美味しいからね」


コロは氷藍色の瞳を細めながら、大通りの露店に並ぶ干し肉や堅果類の質を値踏みするように眺めて歩く。

道中に希少な薬草で荒稼ぎしているコロの斜めがけのカバンには、十分すぎるほどの蓄えがある。

そのため、今回は商売のためではなく、純粋にこの地方固有の薬草の流通具合と、現地の市場調査という趣味の領域でぶらぶらと歩いていた。


「この街の薬師ギルドに顔を出してみようかな。この手の平和な街は薬草の需要が少なくてさ、あんまり高値で買い取ってくれないけど、他の地方では見向きもされないような面白い薬草が買取対象になっていたりするからね」

『お前のその職業病も治らんものだな。ここへ来るまで毎日のようにせっせと草むしりをしては、せっせと金に換えていただろうが』


呆れた様子でフンと鼻を鳴らすウル。


「その通り」


しかしコロはクスッと笑って、ウルに向けてウインクしてみせた。


『目にゴミでも入ったか?』

「つれないなぁ」

『フン。何が『パチ』だ。くだらん』

「まあ、目ぼしいものが無かったら、つかの間の休息かな」

『期待せずにいるとする』


ウルは退屈そうに鼻を鳴らしつつも、コロの歩調に合わせてその銀色の身体を滑らせていった。




領都の中央通りに建つ、立派な青石造りの『薬師ギルド・レムリア北方支部』。


堅牢な黒樫の両開き扉を押し開けて中に入ると、外の冷気とは打って変わり、熱気にも似た人々の活気と、幾重にも混じり合った薬草の匂いが押し寄せてきた。

天井の太い梁からは束ねられた青葉や干し根がズラリと吊るされ、独特の清涼な香りと土の匂いを放っている。

カウンターの奥では、年代物の真鍮製の天秤がカチャカチャと小気味よい音を立て、分厚い外套を着込んだ採取家たちと、神経質そうな鑑定頭との間で、銀貨を巡る熱い交渉が絶え間なく交わされていた。


多くの採取人や職人たちが慌ただしく行き交う中、コロは受付の脇に掲げられた、薬草の買い取り規約や品質管理の項目が並ぶ大きな木札を見上げ、ふと、その内容に目を留めた。


壁一面を覆うほどの巨大なその木札には、魔導ランプの温かい光に照らされながら、誰にでも読めるような大きく端正な文字で、数百種類にも及ぶ薬草の細かな査定基準がビッシリと書き込まれていた。


「へえ……」


じっと木札を見つめていたコロの口から、感心したような小さな声が漏れる。


「ふぅん……へぇ……」

『どうした、コロ。へえへえふんふん、と。何か妙なことでも書いてあるのか?』

「ううん、逆だよ」

『逆?』

「うん。このギルドの買い取り制度、凄くよく考えられた仕組みだと思ってね。感心してたんだ」


コロは木札の一文を指差しながら、いつもの冷徹で合理的な視点で分析を始めた。


「普通、こういう大きな街のギルドって、持ち込まれた薬草の『量』や『等級』だけで一律に値段を決めるでしょ?」

『知らん。そうなのか?』

「あ、そっか。うん、そうなんだよ。でもここは違うんだ。採取した『日付』と『乾燥の手順』、それに『根を傷つけずに残しているか』とかぞれぞれに儲けられた独自の基準で、細かく奨励金が上乗せされる仕組みになっている。細かく規格があるみたい。へえ、これで受付が誰であろうと、パッと規格に当てはめて細かく査定?ふぅん……」

『面倒くさそうだな』

「面倒くさい人は細かい査定なしで買い取ってくれるみたい。少し安く見積もった買取価格も書いてる」

『ふむ』


首を傾げつつ、コロが指さす木札を見つめるウル。

コロはウルが見つめる木札に右手をそっと添えた。


「普通の採取家(ギャザラー)なら、少しでも高く買い取ってもらうために、丁寧に仕事をするようになる」

『貰いが増えるなら、まあそうだろうな』

「それにね、報酬に関わってくるなら、知識のない採取家(ギャザラー)が根こそぎ乱獲して群生地を潰すのを防げるし、職人側も一番品質が良い状態の素材を安定して仕入れられる」

『なるほどな、ふむ……なるほど』

「面倒くさいと思う採取家(ギャザラー)は相場より安く、手っ取り早く売り払う。そうしてくれれば薬師ギルドも安く手に入る。これは現場の動きと流通の本質を、本当によく分かっている人が作った制度だよ。こんなに大きなギルドなら金欠で買い取ってもらえない心配は、まず要らないし」

『ほう……。小狡い人類どもが作る組織の割には、珍しく頭の回るやつがいるのだな』


コロの納得の言葉を聞き、受付で書類を整理していた年配のギルド職員が、誇らしげに顔を上げて微笑みかけてきた。


「おや、そこの小さな旅人さん、よくその仕組みの本質に気がついたね」

「うん。こんな効率の良い制度を採用している大きな薬師ギルドなんて初めてだよ」

「そうだとも、この制度はここ数年で導入されたばかりなんだ」

「へえ、どうりで」

「導入されてから、ここの領地では貴重な寒冷薬草の乱獲がピタリと収まり、質の高い薬草が集まるようになってきた。お陰で薬の価格も無理せずに抑え気味になってきた」

「へえ。この仕組みを作ったのは、ここのギルド長さん?なかなか頭のいい人だね」

「いや、それが違うんだ」

「あ、そうなの」

「これはね、この土地を治めるオルブライト伯爵家の、現夫人であらせられるマリー様が、自ら現場の採取人や職人たちから聞き取りを行って立案され、ギルドへ導入させた仕組みなんだよ」


職員の言葉に、コロは小さく眉を上げた。


「へえ……。お貴族様なのに、随分と現地を知っているような制度だね。机の上の学問だけじゃ、絶対にこんな実利的な仕組みは思いつかないよ。面白いこともあるもんだね」


コロは純粋な職人としての感心を口にするのだった。




ギルドの重い扉を抜け、冷たい秋の風が吹き抜ける外へと出た一人と一匹は、ふたたび領都の賑やかな目抜き通りへと戻り、今日の宿を探すために歩いていた。

西に傾きかけた太陽が、石造りの街並みを黄金色に染め上げ、家路を急ぐ人々の長い影を路上に落としている。


「さて。明日からはガンガン採取しようかな」

『……そう言うと思った』

「だって、凄く面白い制度だと思ったもん。この制度を活用したら、私たちは凄く儲けられるってことだよ」

『現段階で凄く儲かっているヤツの口から出るセリフか。お前、カシムのようになってきたな』

「ふふ、まあ儲けられるってよりは、純粋に面白そうって思ったんだ」

『もはや仕事じゃなくて完全なる趣味だな。報酬そっちのけで採取し始めたらオシマイだぞ』


その時だった。


パカパカと軽快な蹄の音を響かせ、前方からオルブライト伯爵家の紋章が刻まれた、随分と豪華で上品な意匠の馬車が通りかかった。

二頭の雪のように白い駿馬に引かれた、漆黒の木材に銀の装飾が施された見事な車体。

馬たちの吐く息が秋の冷気に白く溶け、車体側面に彫り込まれた『交差する麦の穂と剣』をあしらった紋章が、傾きかけた陽光を浴びて誇り高く輝いている。


「この領地を治めている伯爵家だよ」

『ふむ。さっきの制度の立案者か』

「だね。あの感じだと、その才覚は薬師ギルドの制度だけに留まらないんじゃないかな。感心、感心だよ」


目抜き通りを行き交っていた人々が自然と道を空け、馬車が一人と一匹のすぐ横を通り過ぎようとした、まさにその一瞬。


ガラガラと音を立てる馬車の窓のカーテンがスッと引かれ、中から一人の美しい女性が顔を覗かせた。

それは、仕立ての素晴らしい最高級のドレスをまとい、気品溢れる佇まいをした、三十歳半ばくらいの立派な伯爵夫人だった。


だが、窓の外にいた一人と一匹の姿をその瞳に捉えた瞬間――夫人の完璧な貴族としての表情が、一瞬にして驚愕と激動へと塗り替えられた。


「止めて!馬車を止めなさい!!」


悲鳴にも似た女主人の鋭い声に、御者が驚いて手綱を強く引く。

ヒヒィーンと馬が前足を浮かせ、豪華な馬車が車輪を軋ませながら石畳の上に急停車した。


『……何もしていないぞ』

「うん。でも私たちの顔を見て馬車を止めたよ」

『顔見知りか?』

「レムリア王国に貴族のお友達は居ないかな。ウルは?」

『分かっていて聞いているな』

「そりゃそうだよね」

『従魔は駄目な国だったか?いや、そんなことはないはずだが……』

「まぁ、さっきからチラチラ見かけるしね」

『で、どうする?逃げるか?』

「まだ、かな……?」


周囲の家臣や市民たちが何事かとざわめく中、夫人は貴族としての厳格な格式も忘れ、ドレスの裾を大きく揺らしながら、自ら馬車の扉を開けて石畳の上へと飛び出してきた。


深い群青色のベルベット生地に、雪ウサギの白く柔らかい毛皮をあしらった、最高級の冬のドレス。

本来ならば、泥一つ跳ねることを許されないであろうその豪奢な裾を無造作に掴み上げ、彼女は「奥様!?」「突然飛び出されては危険です!」と慌てふためく護衛の騎士たちの制止も完全に無視して駆け出していた。


そして一人と一匹と向き合いつつ呆然と立ち尽くし、自身の目元を震わせながら一歩、また一歩と歩み寄ってくる美しい伯爵夫人。


周囲の空気が凍りついたように静まり返り、道行くすべての領民たちがぽかんとその異様な光景を見守っている。

そんな彼女のただならぬ様子に、立ち去ろうとしていたコロとウルは足を止め、不思議そうにその姿を見つめ返した。


「……ねえ、ウル。あのお貴族様、なんだか凄い顔でこっちを見てるけど……誰だっけ」

『おい、俺が知るわけがあるか。……む?』


じっと夫人を凝視していたウルが、微かにマズルを動かした。

鋭い嗅覚で、品の良い香水の奥底に僅かに残る、あのたった一日の記憶を嗅ぎ取ったのだ。


『む……むむ……?』

「え?まさか本当にウルの顔見知り?」

『――っ!あれだ。思い出したぞ?例の臭いお嬢さんだ』

「また随分と酷い――あー、分かった。あの画家と駆け落ちした?」

『うむ。間違いない。ほれ、面影もある』

「……よく覚えているね。言われるまで記憶の片隅で埃を被っていたよ」

『馬鹿言え、俺だって埃を被っていた』


そんなドライ極まりない会話を交わす一人と一匹の前で、夫人はついにその足を止め、二十年分の懐かしさと震える声を絞り出した。


「……あなた、たち……なのね?あの時の……あの時のままの、お嬢さんとワンちゃん……!」


涙目を潤ませながら自分を呼ぶ伯爵夫人の姿に、コロはそこでようやく納得したように小さく頷いた。


「ああ、やっぱり。これは驚いた。あの時のお嬢さんだ」

『だな。なんとかという名の臭いお嬢さんだ』

「ウル……名前は?」

『知るわけがあるか。臭いお嬢さんは臭いお嬢さんだ』

「……薬師ギルドでマリー様って言ってたっけ」

『む!そうだ、マリーだ』

「ああ、マリーね……はいはい。んー……?」


二十年の時を越え、現地の仕組みに溶け込んだ轍の先で、かつての旅人たちと、立派な鳥かごの主となった令嬢の視線が、再び真っ直ぐに交錯したのだった。



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