愛され妖精の秘密と、崩壊の足音 2 〜珍しい存在と、つまらん小細工〜
2.
浅い森のエリアで効率よく素材を集め終える頃には、木立の隙間から差す光が茜色へと変わり始めていた。
大森林のひんやりとした風を背に、ずっしりと重くなった革鞄を抱えた一人と一匹は、夕暮れ時の街の城門をくぐり、まっすぐ路地裏のレンガ造りの建物――『緑風薬草店』へと向かった。
ドアの鈴がカランと鳴り響くと、カウンターの奥で薬の調合をしていた年老いた店主が顔を上げる。
「ただいま、店主さん。今日の分、持ってきたよ」
「おや!もう戻ってきたのかい!どれどれ……?」
コロがリュックサックのフラップを開け、保存箱から鮮やかな緑色をした肉厚の『緑血の苔』や、傷一つないシダの束をカウンターの上に手際よく並べていく。
「そこまで深いところまで行ってないと思うんだけど、手つかずな群生地が多かったよ」
瑞々しい魔力を放つ最高品質の素材の山を目にし、店主の目が驚きに大きく見開かれた。
「おや、こりゃあ素晴らしい!初日から早速いい仕事をしてくれるじゃないか」
「うん。ちなみにね、今日、散策した限りだと、店主さんの言ってたような物騒なものは何一つ見当たらなかったよ」
コロはカウンターの隅に腰を預け、服に付いた木屑を払いながら小さく笑ってみせた。
「そうかいそうかい。まぁ、そんな頻繁に人が消えるわけじゃないしな。ほら、約束通りの特別買取価格だ。ずっしり入ったこの麻袋を持っていきな!」
「本当に銀貨がいっぱいだ。ありがとう、店主さん」
カウンターに置かれたのは、他の街の相場の何倍にも跳ね上がった、重みのある銀貨袋だった。
コロがホクホクとした顔で銀貨の音を鳴らし、満足そうに鞄へと仕舞い込む隣で、床にペタンと伏せていたウルが、待ちきれないとばかりに大きな鼻先でコロの膝を小突いた。
『おい、コロ。草むしりの話と小銭の勘定は終わったな?腹が減ったぞ』
「ははは、そうだね。よし、約束通り宿屋に戻って、今日のこの大儲けのお金で美味しいご飯でも食べようか」
『フン、最低でも三人前は持たせろよ』
「三人前?儲けがなくなっちゃいそうだなぁ。店主さん、また明日も美味しいところを持ってくるから、よろしくね」
「ああ!楽しみにしてるよ、腕利きの宝探し屋さん!」
ポンポンと、まるで諭すようにウルの頭に手を乗せたコロ。
ウルはマズルを顰めてフンと鼻を鳴らす。
宿屋に戻った一人と一匹を待っていたのは、大森林の恵みをこれでもかと活かした、極上の夕食だった。
清潔な食堂の広いテーブルに運ばれてきたのは、厚い鉄板の上でジュージューと豪快な音と脂を爆ぜさせる、近郊の森で獲れたばかりの『鹿のジビエ肉の香草焼き』だ。
引き締まった赤身肉に、森の野生のローズマリーと岩塩がたっぷりと擦り込まれており、ナイフを入れると肉汁が溢れ出し、野性味溢れる濃厚な香りが立ち昇る。
それは大食漢のウルが存分に舌鼓を打てるよう、特別に大盛りで用意された至高のごちそうだった。
『……フン、なるほど。悪くない肉だ』
「ふふ、よく食べるなぁ。鹿のお肉、気に入った?」
『うむ。ただ柔らかいだけの家畜肉と違い、適度な歯ごたえと野の香りがしっかり残っている。合格だ』
「野生の鹿の肉なのに、臭みが殆どないね」
『人類の食への探究心は、目を見張るものがある。美味い』
ウルの喉が満足げにグルル……と鳴る。
一方のコロの目の前には、鹿のジビエ肉の他にも、森で採れた新鮮なキノコと山菜をふんだんに使った温かい料理の数々が並んでいた。
大きな深い皿に注がれているのは、数種類の乾燥キノコと塊肉をじっくりと煮込んだ濃厚なブラウンシチュー。
そして、少しほろ苦い春の山菜を、カリッと香ばしく炒めて果実の酸味が利いた特製ソースを絡めた一皿だ。
「こっちのキノコのシチューもすっごく美味しいよ。噛むとキノコの旨味がじゅわって口の中に広がる」
『草やキノコばかり食べて何が美味いのか分からんが、お前が美味いならそれでいいだろう』
「山菜のほろ苦さも、この黒パンにすっごく合うんだよ。……うん、この町、買い取り価格は高いし、ご飯は美味しいし、言うことなしだね」
満腹になった一人と一匹は、大きくて柔らかいベッドで泥のように眠り、明日のさらなる大儲けへと鋭気を養った。
それから数日後のことだった。
この日、コロとウルは森の『浅いところ』の薬草をある程度回収し終えたため、さらに高額な素材を求めて、森のまた別の場所――苔生した巨大な岩場が連なる、少し湿度の高い奥のエリアへと足を伸ばしていた。
「よしよし、このあたりは良い薬草がいっぱい生えてるね」
コロがハサミをシャキシャキと鳴らして斜面のシダを採取していると、前方からズシズシ、と重い足音が近づいてきた。
木立をかき分けて現れたのは、苔に覆われた頑丈な灰緑色の毛皮と、巨大な二本の牙を持つ森の主――『森林の牙猪』だった。
だが、現れた巨大猪はウルたちの気配に怯えて逃げるでも、敵意を剥き出しにして突進してくるでもなく、まるで散歩でも楽しむかのようにのんびりと目の前を通り過ぎようとする。
そして、その大きな猪の頭のてっぺん辺り、ごわごわとした硬い剛毛の真ん中に、小さな、本当に小さな何かがちょこんと座っていた。
「……ん?」
『ん?なんだ、あれは』
それは、成人男性の手のひらにすっぽりと収まるほどの極小サイズで、背中に美しい半透明の羽を生やした、正真正銘、本物の『妖精』だった。
妖精は巨大な猪の頭の上で足をプラプラと揺らしながら、コロとウルに向かって楽しそうにキョンキョンと小さな手を振っている。
「へえ……妖精だ。こんなところにいるんだね、珍しいな」
『フン。ただの羽の生えた小虫ではないか』
「そう言わないの。ほら、見てよ。あんな大きな猪の頭の上でおとなしく座ってるよ」
『まあ、珍しいのは確かだな。今までずっと旅をしてきたが、あのような妖精は片手で数えるほどしか見たことがない』
「うーん、そうかも。うん、そうだね。私も片手で数えるくらいしか見たことないよ。亜人の『妖精族』は街でもたまに見かけるけど、ああいう本物の小さい妖精は、本当の深緑の森にしかいないしね」
コロたちは特に警戒することも、追いかけることもなく、「珍しい生き物がいたな」くらいの軽い気持ちで手を振り返し、そのまま見送って採取作業へと戻った。
そしてその日の夕方。
薬草店に採取した素材を持ち込み、店主による査定と買い取りを待っている間、コロは何気なく昼間の出来事を口にした。
「そういえばさ、店主さん」
「んー?なんだい」
「今日さ、森のちょっと奥の方で、猪の魔物の頭に乗ってる小さい妖精を見かけたよ」
「おや!妖精かい!」
店主は査定の手を止め、まるで可愛いお孫さんの話でも聞いたかのような、温かく親愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「うん、相当珍しいね。最近はどこへ行ってもあんまり見かけないからさ、びっくりしちゃった」
「へえ、そうかい、そうかい。妖精を森で見かけるなんて、お嬢ちゃんたちは運がいいねぇ!」
そう言いながら、再び手を動かしつつ、店主は言葉を続ける。
「あの森に住んでる妖精たちはね、優しくて愛くるしい、素敵な隣人だと言われているんだ」
「へえ、そういう感じで受け入れられているんだね」
「ああ、そうさ?時折そうやって、森で出会った人や冒険者のところへフラッとやってきては、肩に乗ったりして、あれやこれやと可愛い声で話しかけてくるってな」
「へえ、肩に乗ってくるんだね。まあ、今日だって森林の牙猪の頭に乗ってたくらいだしね」
「みんな、妖精は好きだからなぁ。魔物だって似たような感覚かもしれないね。たまに姿を見せてくれるとさ、良いことがあるって昔から言われているんだよ」
どこまでも平穏で、微塵の疑いもない『素敵な隣人』としての語り口。
魔物だけでなく、人類の社会にまで、妖精たちは良好な評判を根付かせているようだ。
だが、その話を聞いたコロとウルは顔を見合わせるだけで、特別な感銘を受けることもなければ、警戒を強めることもなかった。
「ふーん……そうなんだ。まあ、基本的には無害だって言われているしね」
『フン。虫が人間の肩に止まるのと同じようなものだろう。くだらん』
「だね。ま、私たちの草むしりの邪魔にならないなら、どうでもいいかな」
店主の語る妖精の話を「ふーん」のひと言であっさりと流し、コロは差し出された重い銀貨の袋を本日もホクホク顔で受け取るのだった。
大森林での荒稼ぎ生活も軌道に乗り、宿屋と薬草店を往復する心地よいルーティンが続いていたある日のこと。
この日、一人と一匹はこれまでの「浅瀬」や「中層」を完全に卒業し、いよいよ神隠しの噂の核心とされる、森のさらに奥地の、未踏の最深部へと足を踏み入れていた。
頭上を覆う樹冠は光を完全に遮り、昼間だというのに周囲は薄暗い。
だが、人類の痕跡が一切届かないその場所には、薬草店でも最上級の価値を誇る、最高峰のポーションの原料となる素材の数々が、まるでただの雑草のように足元にゴロゴロと群生していた。
「やっぱりこの森は効率が良いね。今、パッと目につく範囲だけでも、金貨数枚はくだらないよ」
『フン、草が金貨に見えるようになってきたか。だが、確かに魔力の濃さがこれまでの場所とは比べ物にならん感覚だ』
「これはなかなかの穴場を見つけたよ。数年ごとに来るようにしようかな」
『……どうだろうな』
ウルの反応が、コロの想定していたものと違ったからか、コロはハサミの刃をシャキシャキと動かしていた手を止め、ウルに視線を送る。
ウルはマズルにシワを寄せたまま言葉を継いだ。
『人類の痕跡がないのは分かる。ここは魔力の濃度が濃い』
「だね。こういうところまで足を伸ばせる人類は少ないよ」
『それはそうだが、魔物の痕跡までないというのは、どうも引っかかる』
「あー……まあ、言われてみれば?」
『ここは人類も魔物もいない無人島ではないのだぞ。これだけの環境が整っていながら、何かしらの縄張りである痕跡が皆無なのは……どうも引っかかる』
「……とりあえず、採取を始めようかな」
『……話を聞いていたか?はぁ……』
コロが目を輝かせてハサミを動かし始めた、その時だった。
周囲の薄闇の中から、チリン、チリン……と、まるで小さな鈴を鳴らすような愛らしい羽音が重なり合い、漂ってきたのだ。
『こんなところまで来るなんてすごいね!』
『ねえねえ、強いオオカミさんと銀髪の子!こっちにすっごく綺麗な宝物があるんだよ!』
『私たちじゃね、重たくて手が出せないの!ねえ、あなた達で確認してくれない?』
『一緒に遊ぼうよ!僕たちの楽しい里へご案内するよ!』
現れたのは、数日前に猪の頭の上で見かけたのと同じ、成人男性の手のひらサイズの妖精たちだった。
しかも今度は一匹ではない。十数匹の妖精たちが、光の粒のような美しく甘い香りの『鱗粉』をキラキラと振り撒きながら、コロの周囲をクルクルと飛び回る。
その甘美な吸い込み、うっとりとするような声を聞いているうちに、コロの手元のハサミの動きが、ふっと鈍くなった。
「宝物……里へご案内……?うーん……それも、悪くないかもね」
『――おい、コロ。呆けるな』
ドンッ!!無防備に立ち上がり、ふらふらと奥へ歩き出そうとしたコロの身体を、ウルが体当たりで力強く突き飛ばした。
「うわっ!?っと。……あれ?私、今何しようとしてたっけ?」
『ちっこい羽虫どもの粉を吸って、頭の中が薬草畑になりかけていたぞ。しっかりしろ』
「いつの間にか誘導されてたんだね。危ない危ない。でも粉?妖精の鱗粉は金貨が二桁を余裕で超える代物だよ」
コロは頭を振って正気に戻るが、妖精たちは諦めることなく、執拗に周囲を飛び回り、より濃密な鱗粉と幻術の歌声を浴びせ回ってくる。
『ねえねえ、こっちだよ!すっごく珍しい薬草もあるの!』
『強そうな狼さんも一緒にいこうよ!ねっ、ねっ!』
『私たちの鱗粉くらい、別にいくらでもあげるよ?あ、そうそう!今ね、里でちょうど沢山の鱗粉が集まったところだよ?』
『鱗粉も珍しい薬草も、私たちは使い道のないものだから全部あげるよ?』
ウルは鼻孔を顰め、チロチロと視界を飛び回る妖精たちへと冷徹な警告を発した。
『シッシッ、無駄だからどこかへ散れ。俺にその安っぽい手品は効かん』
「珍しい薬草ね……。鱗粉も……貰えるなら……うん、行ってみようかな……」
『はぁ、お前もいちいち騙されるな』
深い溜息をつきつつ、フラフラと立ち上がったコロの背中に軽く頭突きを食らわせるウル。
コロはそのままつんのめってしまい、咄嗟に右足を踏み出して踏みとどまった。
「わっとっと!……あ、また?」
『うむ。しっかりしろ』
「困ったね。今回は、幻術に耐性を得るポーションは持ってきていないんだよね。鱗粉をササッと集めて、パッと帰ろうかな」
小さく肩を竦めたコロが、ポリポリと頬をかく。
『なーんだ!幻術によく効く薬なら、僕たちの里にあるよ?』
『薬をあげるから、ついておいで!私たちの里で見かける薬草はねー、人類の里ではすごく珍しいって、前に聞いたことがあるの!』
「へぇ……親切にありがとう。ねえ、ウル……お邪魔させてもらおうか……」
またフラフラと妖精たちに向けて歩みを進めそうになるコロの足を目掛けて、ウルは前足でボンと叩いてみせた。
コロはその拍子に足がもつれてしまい、思い切りずっこけて、そばに生えていた木に両手をついた。
『そんな怪しい里など、邪魔はせんぞ。ほれ、シャキッとしろ』
「参ったね、またか。うーん、これじゃあ人類も魔物も近寄らないわけだ」
漸く、この森の奥地に、魔物の気配すらない事情を何となく察したコロ。
しかし、そんなコロのすぐそばに、数匹の妖精がヒラヒラと近寄ってくる。
『ここは危ないから、私たちの里へおいでよ!』
『そうだよそうだよ。みんな危ないからって近寄らないからね。そうしなよ!歓迎するよ!』
『おい、しつこいぞ。失せろ、小虫ども』
長年、魔物や人類を思い通りに操ってきたのか、妖精たちは、ウルの低い警告に臆する様子はない。
寧ろ、ただの「照れ隠しの威嚇」だとでも勘違いしたのか、さらに粘り強く絡みつき、あろうことかウルの鼻先や角のあたりにまで粉を振り撒き始めた。
『ほらほら、狼さんも』
『……クドい。そのフケを撒き散らすのを直ちに辞めろ』
『僕たちの里にはね、家畜がいっぱいいるんだよ!』
『黙れ。クドい』
『ちょうど今日、解体するって言ってなかったけ?血抜き前の新鮮なお肉、食べたいでしょ?』
『いらん。クドい』
『おいでよ!ねえ、おいでおいで!歓迎するよ』
『…………』
――その瞬間。
魔物の世界において上位に君臨するアッシュウルフであるウルの堪忍袋の緒が、完全に、そして理不尽なまでの不快感と共にブチ切れた。
『――……クドいと言っている!!つまらん小細工を直ちに辞めろッッッ!!』
――ズドォォォッッ!!!
ウルの腹の底から放たれた威圧の咆哮が、大森林の最深部を揺るがす物理的な衝撃波となって炸裂した。
空間にビリビリと焦げ臭い微かな黒雷の殺気が走り、周囲の巨木の葉が一斉に舞い散る。
「おっとっと!正気に戻った」
『貴様らのそのフケのような鱗粉が素材になると言うから生かしておいてやっているが、これ以上俺の前でチョロチョロと鬱陶しく飛び回るなら――いい加減、全員ここで消し炭にするぞ!!』
身体中あちこちからバチバチと黒雷を纏っているウルの機嫌は、未だ嘗てないほどに悪くなっているようだ。
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