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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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規律の檻と、異理の職人たち 1 〜ケット・シーの誘いと、冷徹な事務管理官〜

1.


軍事帝国ガルデニアの帝都ヴェルンハルト。


その中央商業区に構える巨大な『薬師ギルド』の受付は、今日も各地から持ち込まれる薬草の査定と、薬師たちの怒声のような注文で騒然としていた。


雪山であるガンビラス峠を越え、カシムたちキャラバン隊と別れた一人と一匹は、新天地へとやってきていた。

そして、旅の当座の資金を稼ぐため、道中の森で適当に摘んできた希少な薬草類をギルドの窓口へと売却していたところだ。


「はい、査定完了です。4リーガと28バクスですね」

「うん、ありがとう」


コロが受付の事務員から金貨と銀貨が載せられたトレイから報酬を受け取り、足元で待機していたウルの隣へと振り返ろうとした、まさにその時だった。


「――にゃにゃ?その綺麗な銀髪と耳に、そっけにゃい冷たい匂い。それに、その後ろのいかついアッシュウルフ……もしかして、コロとウルにゃ?」


背後から、ひどく間延びした、けれどどこか耳の奥に引っかかる独特な声が投げかけられた。

コロとウルが振り返ると、そこには、人間の腰ほどまでの背丈をした、奇妙な『亜人』が立っていた。


全身を覆うのは、艶やかな赤茶色のトラ模様の毛皮。

顔つきだけを見れば完全に愛らしい「猫」そのものだが、二足歩行で歩きながら、二股に分かれている長い尾をゆらゆらと揺らしている。

そして、その骨格は明らかに普通の獣とも、人間とも異なっていた。

鎖骨から肩口にかけてのラインは不気味なほどに滑らかで、上着の袖口から覗く手は、肉球がありながらも指が人間のように長く、関節の作りが精霊のようにしなやかで異質だった。


それは、長命種である精霊系の亜人――ケット・シー族だった。


「あれ、ルッカ?」

『ふむ、ルッカか』

「やっぱりにゃ!久しぶりにゃね!」

「随分と久しぶりだね。こんな人間族だらけの帝都で何してるの?」

『……フン。いつ見ても不思議な骨格をした猫だな。少し見ない間に、また尻尾の艶が良くなったか?』

「うみゃ!ウルも相変わらず毛並みが最高にゃね!久しぶりに会えて嬉しいにゃあ」


愛くるしい猫の笑顔を浮かべながら、ルッカは人間並みに器用な長い指先で、自身の口元を覆った。


かつて別の土地で何度か仕事をしたことのある昔馴染みの登場に、コロは珍しく少しだけ声のトーンを上げて微笑んだ。


「で、今はこんな帝国なんかで薬師をやってるの?」

「そうだにゃ。ちょうど今、ここの帝都で滅茶苦茶に『割の良い仕事』をしてるところにゃんだにゃ」

「へえ、割の良い仕事?」

「にゃ。そこで相談にゃんだけど、暫く僕の専属の採取家(ギャザラー)として働かにゃいかにゃ?」


ルッカは周囲のギルドの喧騒を気に留めるようにチラリと一瞥すると、ピンと立った耳を少しだけ後ろに倒し、声を潜めて商談の顔つきになった。


「いいね、話を聞こうか」

「そうこにゃくちゃ!僕が今、関わってるクライアントの注文が滅茶苦茶に多くて、僕一人じゃ手が回らにゃいんだにゃ!だけど……集める薬草の種類がちょっと『特殊』すぎてにゃあ」

「特殊な種類?」

「にゃ。全部が全部、ここの薬師ギルドや、普通の採取家(ギャザラー)に堂々と依頼するわけにはいかないんだにゃ」

「あ、『そういう意味』での特殊ね」

「にゃ、『そういう意味』にゃ。で、『口が堅くて余計にゃことを探らにゃい』、『腕が立って確実に最高品質を集められる』、そしてにゃより『この帝国の自国民ではにゃい余所者』……その条件を全部満たす採取家(ギャザラー)を、ずっと探してたんだにゃ。コロとウルにゃら、これ以上にゃい完璧な適任にゃ!」


ルッカの提示した「口の堅い余所者限定」という条件に、コロとウルは顔を見合わせ、すぐになんとなくその仕事の『裏の性質』を察知してしまった。


「なるほどね。ケット・シーのルッカが言うなら間違いなさそうな仕事だね。で、報酬はいいの?」

「普通の採取家(ギャザラー)にゃらキツいだろうけど、コロとウルにゃら楽勝にゃ!親方は帝国だから報酬も相場より弾むにゃ!もうかれこれ五年続けているにゃけど、僕の専属ってことににゃれば、美味い賄い飯と宿舎もつけられるにゃ!」

『フン。寝床と飯が毎日保証されるなら、手伝いくらいはしてやってもいいがな』

「だね。その話に乗ろうかな」

「その辺はバッチリにゃ!商談成立にゃね!じゃあ早速紹介しに行くにゃ!」


トントン拍子で舞い込んだ『美味しそうな仕事』に、一人と一匹の尻尾はユラユラと優雅に揺れていた。




帝都ヴェルンハルトの郊外。


灰色の高い石壁に囲まれた巨大な白亜の建築群――帝国が誇る『特別憲兵養成所』。


その重厚な鉄格子の門をくぐり、ルッカに案内されて敷地内へと足を踏み入れた一人と一匹は、即座にこの場所が放つ異様な空気を感じ取っていた。

広大な敷地内には、塵一つ落ちていない完璧に掃き清められた石畳の通路が幾何学的に張り巡らされている。

行き交う教官や憲兵たちの歩幅や視線すら規則正しく統一されており、そこには人類の社会に当たり前にあるはずの雑音や、若者らしい雑談の笑い声などが一切存在しない。

中央の訓練広場では、真っ白な制服を纏った数百人の見習い兵たちが、まるで精密な自動人形のように一糸乱れぬ直立不動の姿勢を保っていた。


「秩序に身を献げよ!個の迷いは悪徳であり、我らの規律こそが絶対の正義である!」

「「「正義のために、迷いなき剣を!!」」」


指導官の声に応じ、数百人の若者が寸分狂わぬタイミングで特殊な敬礼を捧げ、機械的な合唱を冷たい石造りの校舎へと反響させる。


「うわぁ……すごい極端な規律だね。みんな同じ型で打ち出された人形みたい」

「ここにいるのは、未来の帝国の治安を守るエリート候補生たちだからにゃあ」

「エリート、ね……」

「にゃ。徹底的に『正義と規律』を叩き込んで、帝国にとって完璧にゃ歯車を作ってるんだにゃ」

『……チッ。気色の悪い箱庭だな、ここは』


二本の尻尾を揺らして気楽に解説するルッカの横で、ウルが不愉快そうに鼻孔を広げ、広場から少し離れた校舎の裏手――頑強な鉄格子が嵌められた地下窓の並ぶ棟へと冷徹な眼光を向けた。




そんな「気色の悪いの箱庭」を通り抜け、一行は本棟の最奥に位置する管理事務室へと辿り着いた。

その管理事務室は、建物全体の空気と同じく、一切の無駄と私情を排した異様なほどに冷たい規律で満たされていた。

分厚いマホガニーの執務机の上には、書類の束とインク瓶が寸分狂わぬ角度で整列し、壁には帝国の紋章旗と、一点の曇りもなく磨き上げられた儀礼剣が飾られている。


その机の向こうで厳格な顔つきを崩さずに座っていたのは、養成所の物資と規律を統括する帝国軍の事務管理官だった。

彼は単眼鏡の奥の冷徹な目を細め、ルッカに連れられて部屋へと入ってきた「新人応募者」たちを、まるで不審な汚物でも見るかのように値踏みした。


「――ルッカ」

「にゃ!」

「お前がここ最近、特殊素材の調達が追いつかず、口の堅い専属採取家をつけたいと申し出ていた件は記憶している。だが……」


管理官の低い声が、冷たい石造りの部屋に響く。

その視線の先にいたのは、まだあどけなさを残す銀髪の獣人族の子供と、その足元で退屈そうに大気を飲み込んでいるアッシュウルフだった。

憲兵の本拠地のような場所で、生まれてこの方、笑ったことなど一度もないと言わんばかりの神経質そうな事務管理官を前に、普通の者であれば思わず緊張してしまうような場面だ。

だが、一人と一匹は全く緊張感もなく、退屈そうにしている。


「どこをどう見れば、この狼の獣人の子供と魔狼が『腕利きの採取家』に見えるのだ?今、我々が求めているのは、帝国の治安と『特別な訓練』に関わる極秘の希少素材だぞ。身元も知れぬ素人の子供になど、任せられる仕事ではない」

「うみゃみゃ、管理官!見た目だけで判断しちゃダメにゃ!」


頭ごなしに否定する軍人に対し、ルッカは二本の猫の尻尾をピンと立て、得意げに胸を張って前に出た。


「都合よく会えにゃいと思ってたにゃけど、運良く帝都のギルドで再会できたんだにゃ!このコロはにゃ、僕が今まで出会った数多の採取家(ギャザラー)の中で、ダントツに腕が立つ『プロ中のプロ』にゃんだにゃ!」

「プロ中のプロと……ふむ、随分な自信だな」

「にゃ!どんにゃ危険な秘境の薬草も、繊細な薬用苔も、細胞一つ傷つけずに完璧な状態で摘んでくる天才にゃよ!」

「……天才だと?」

「にゃ!それに、そもそも『帝国の自国民じゃダメだ、余計にゃ詮索をするからにゃ』って言ったのは管理官の方にゃろ?このコロとウルはにゃ、相応の報酬と極上のご飯さえあれば、雇い主が裏でにゃにをしてようがいっさい疑問を抱かにゃい、最高のビジネスパートナーにゃんだにゃ!」

「依頼主に関心を持てと依頼されれば、話は別だけどね」

『出てきた肉の質が悪かったら疑問は抱くぞ』


ルッカの熱弁の横で、ウルが喉の奥をグルル……と鳴らし、大きなあくびをしてみせた。


その、帝国憲兵の本拠地を侮辱するかのようなあまりにも緊張感の欠片もない態度に、単眼鏡の奥の管理官の眉間が、ピクリと不快そうに動いた。

その瞬間だった。


――ヒリッ。


冷たい石造りの事務室内の空気が、まるで一瞬にして氷点下まで凍りついたかのような、強烈な重圧に包まれた。


執務机の向こうに座る管理官から放たれたのは、事務屋のそれではない。

かつて帝国の最前線で数多の死線をくぐり抜け、何人もの人間を切り捨ててきた軍人だけが纏う、濃密で実戦的な「殺気」だった。


ただ睨みつけるだけで、か弱い者であれば呼吸を忘れ、恐怖で膝を屈してしまうほどの圧倒的な威圧感。

見えない冷たい刃を喉元へと突きつけられたかのような緊迫感が、マホガニーの机を越えて、一人と一匹へと容赦なく叩きつけられる。


だが――。


そんな本物の軍人の殺気を全身に浴びておきながら、大きなあくびを終えたウルは、退屈そうにパチリと顎を鳴らしただけだった。

警戒を現す毛を逆立てる様子もなく、前足にどっかりと重い顎を乗せ、管理官の殺気などまるで「部屋を吹き抜けた隙間風」程度にしか感じていないかのように、ふいと興味なさげに視線すら外してしまう。


隣に立つコロもまた、氷藍色の瞳を微塵も揺らすことはなかった。

肌を刺すような威圧の真っただ中で、ただパチリ、と一度だけ瞬きを繰り返す。

そして、少しだけ小首を傾げると、まるで世間話でもするような淡々としたトーンでぽつりと呟いた。


「……なにか、子供らしく怯えたりとか、可愛い反応でもした方が良かったかな」


そのあまりにも自然で、一切の虚勢すら混じっていない平静な一言に、管理官の息がピタリと止まった。


鈍感だから殺気に気づいていないのではない。

目の前の一人と一匹にとっては、ただの人間族の威圧など、最初から「意に介するレベルの脅威にすら入っていない」のだ。


その底知れない異常性と、決して底を見せない平然とした佇まいに、管理官は背筋に微かな冷汗が伝うのを覚えた。

目の前の二人が、修羅場と死線を平然と歩んできた規格外の存在であることを、軍人の本能が理解したようだ。


「にゃはは!だから言ったにゃろ!コロとウルはちょっとやそっとの脅しやハッタリにゃんか、これっぽっちも通じないプロにゃんだって!」


二本の尻尾を自慢げに揺らすルッカの声で、ようやく事務室の凍りついた時間が動き出す。

管理官は放っていた殺気を静かに収めると、ふう、と深く息を吐き出して単眼鏡の位置を直した。


「……なるほど。確かに、そこらのあどけない子供や、ただの野犬ではないようだな」

「当たり前にゃ!僕の尻尾を賭けてもいいにゃ!」

「ふむ、よかろう」


管理官は単眼鏡の位置を直し、コホンと一つ咳払いをすると、改めてコロの落ち着き払った氷藍色の瞳を見つめた。


「ルッカがここの専属薬師として従事して、早五年。この猫の薬師としての腕と、素材の目利きに嘘がないことは、私もよく知っている。……そのルッカが、ここまで手放しで太鼓判を押すのだ」


管理官は執務机の上の契約書を引き寄せ、インクの染みた羽ペンを走らせた。


「手持ちのサンプルはないようだが、このルッカの五年の信用に免じて、暫定契約を結ぼう」

「サンプルはさっき薬師ギルドで売っちゃったからね。良いよ、契約を結ぼうか」

「君たちが集める素材の種類や、ここで目にした一切の事柄を外で漏らせば、帝国憲兵隊が地の果てまで追いかけることになる。分かっているな?」


脅し文句を並べる軍人に対し、コロは怯むどころか、むしろ商談成立を喜ぶようにクスリと微笑んだ。


「大丈夫だよ、管理官さん。私たち採取家(ギャザラー)は契約通りに、注文された薬草を完璧な状態で納品するだけ。この施設の中で何が行われていようと、私たちの知ったことじゃないからね」

『フン。人類の群れがどうお互いを縛り付けようと、俺たちの知ったことではないからな』

「結構だ。ではルッカ、宿舎の手配と、最初の『特別注文リスト』の伝達を頼む」

「了解にゃ!よーし、これで僕も徹夜作業から解放されるにゃー!」


厳格で冷たい帝国のエリート養成所と、口の堅い異種族の職人たち。

互いの利益だけを目的とした、奇妙で快適な長期契約が、今ここで正式に結ばれたのだった。


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