白雪の国境関所と、悪党たち 4 〜冷たい鉄の棺桶と、白い濁流〜
4.
カシムによる「ボッタクリ大特売セール」が始まってから、すでに数日の時が流れていた。
寒さと恐怖でプライドを極限まで削られた貴族たちは、次から次へとカシムのキャラバンへと群がり、まるで魔法にかけられたかのように自身の財宝を吐き出し続けた。
初めのうちは足止めを食らっていた豪商たちも食材や毛皮を売りつけていたが、チェルシーという天才的な悪徳薬師と、コロとウルという規格外の採取家を抱えているカシムほどポーション類を集めることは出来ず、結果としてカシムの優勢が揺らぐことはなかった。
結果として、犬ゾリの荷台は、かつて王都のサロンを彩っていたであろう最高級の宝石、金貨の袋、美術品、そして何の価値もなくなった領地の権利書の山で、今や底が抜けんばかりの重さになっていた。
そんな狂乱の数日間においても、コロとウルの日課は変わらない。
今もまさに、人類が到底足を踏み入れることの出来ない雪山での採取を終えたコロが、幌馬車の荷台で葉巻を燻らせているチェルシーの元へと、大量の『深山氷苔』を納品し終えたところだった。
「はい、チェルシーさん。今日もいい状態のが採れたよ」
「相変わらず極上の手際さね。よしマイク、すぐ蒸留器を回しな!お貴族様たちの金庫を空っぽにするまで、一本でも多く仕立てるよ!」
「へいへい、ただいま!」
「たしか上級と特級も作れって言ってたかね?マイク、あたしの羽の鱗粉も使うから、ブラシ持ってきな!」
「へいへい!」
「またアンタのくっさいブラシなんか寄越すんじゃないよ!」
「へいへい!わかってますよ!」
チェルシーの気合の入った指示を聞き流しつつ、コロは幌馬車を降りた。
『自分の羽の鱗粉……まるでフケやシラミを入れているようだな』
「言い方。まぁ、それでとんでもない品質のものを精製するんだから、素直に凄いよ」
『まあな……』
すぐそばのキャンプ用テーブルでは、分厚い熊の毛皮に身を包んだカシムが、鼻息を荒くして算盤をパチパチと弾き、銀貨と金貨の山をニヤニヤと数え上げている。
「カシムさん、ずいぶん儲かったみたいだね」
「おうよ!儲かったなんてもんじゃねえぞ、お嬢ちゃん!俺の商売人生でも五本指に入る『大特売』だ!この調子でもう一週間もここであいつらを絞り上げりゃ、俺は天下の大豪商だな!」
銭勘定に夢中で涎を垂らさんばかりのカシムを見て、コロは少しだけ困ったように首を傾げ、さらりと告げた。
「あー、でもカシムさん。そういえばさっき雪山上空の様子を見てきたんだけどね、あの検問所の向こうの峠道に塞がってた大雪崩、そろそろ隣国側の作業員たちの処理が終わりそうだったよ」
『峠が開かれる代わりに、天下の大豪商への道が閉ざされたようだな』
「まあ、ね。いつまでも通行止めってわけにはいかないもんね」
「……あ?なんだって?」
ピタリ、とカシムの算盤を弾く指が止まる。
カシムは目を見開き、信じられないことでも聞いたかのように素とんきょうな声を上げた。
「しょ、処理が終わりそうって……おい!よォ!あの検問所の峠が開いっちまったら、お貴族様たちの足止めが終わっちまうじゃねえか!!」
「そうだね。峠が開通したら、動ける馬車は隣国へさっさと逃げ出していくだろうね」
「馬鹿な!!まだあの奥の馬車群には、手つかずの貴族が腐るほど残ってんだぞ!?ポーションだって絶え間なく売れてるしよォ!ここで商売あがったりなんて許されねえ、俺の金たちが……!!」
頭を抱え、絶望の悲鳴を上げる悪徳商人。
『まだお前の金ではないな』
「そう言わないの」
フンと鼻を鳴らしたウルを、おざなりに諌めるコロ。
だが、カシムは次の瞬間には、そのギラギラとした眼光を覆すように、何かをとんでもなく閃いた顔でコロとウルへとすがりついてきた。
「お、おい、お嬢ちゃん!!犬っころォ!!お願いだ!!」
「ん、なに?」
「どうにかして、あの検問所の先でまた『雪崩』でも『山崩れ』でもいいから、もう一発でっかいのを起こせねえか!?そうだ、犬っころのあの恐ろしい黒いカミナリを山肌にブチ当てて、ドカンともう一週間、道を塞ぐように崖を崩してくれよ!!」
自身の商売を長引かせるためだけに、地形そのものを人工的に変えようとする――あまりにも身勝手で強欲すぎるカシムのお願いに、ウルは呆れ果てて深く、重い吐息を漏らした。
『……欲のために地形や自然の摂理まで変えようとするとはな。悪魔ですら、底なしの強欲さにはたじろいで逃げ出すぞ』
「ウルの黒雷で山を崩すのは目立ちすぎるし、隣国の兵士たちに見つかったら厄介だよ」
『当たり前だ。俺はそんな面倒な労働をする気はないぞ』
冷たくあしらう相棒をよそに、コロは顎に指を当てて少しだけ考え込む。
「人助けだと思って頼む!なっ!?」
『人助けとな……』
やがて、コロは小さくニヤリと口角を上げた。
「……まぁ、私たちへの今後の『追加報酬』と……そうだね。カシムさんのソリに積んである『乾燥した果実』をとびきり多めに貰えれば、なんとかなりそうかもしれないよ?」
その条件を聞いた瞬間、ウルの耳がピクリと動き、すぐに合点がいったように鼻を鳴らした。
コロの企みなど知る由もないカシムだが、「なんとかなりそう」という言葉を聞いた瞬間、二つ返事で歓喜の声を張り上げた。
「できるのか!?よし、乗った!それくらい安いもんだ、成功報酬として大弾みしてやる!!よし、乾燥した果実だな、待ってろよ!!」
カシムは猛ダッシュで自らの食料庫ソリへと駆け出すと、すぐさま人間族の貴族たちが食べるような、とびきり上等で甘い乾燥果実がギッシリ詰まった大袋を両手で抱えて戻ってきた。
「ほらよ!うちのキャラバンの特上品だ!これを全部やるから、頼むからもう一発、でっかい山崩れを頼んだぜお嬢ちゃん!!」
「うん、交渉成立だね。受け取ったよ」
コロはズッシリと重い乾燥果実の大袋をリュックサックにしっかりと縛り付けると、傍らで待ち構えていたウルの背へと軽やかに飛び乗った。
追加報酬、そして乾燥果実を携え、最強の傍観者と悪党たちの商売を延長させるための、次なる作戦が今、始まろうとしていた。
カシムのキャラバン隊が陣取る騒々しい関所の高台を後にし、ウルは再び冷徹な北風が支配する雪山の高高度へと跳躍した。
タァンッ!と、凍てついた大気を蹴り破る力強い跳躍音が、峡谷の谷間に幾度もこだまする。
眼下に広がっていた黒々とした馬車の群れや、人間の放つ脂汗と焦燥の臭いはあっという間に遠ざかり、視界は再び、一切の不純物を許さない純白と氷青の世界へと塗り替えられていった。
木々すら凍りつく標高の高い岩場へ着地すると、吹き荒ぶ風は幾分か穏やかになり、万年雪の降り積もった峰峰が、灰色の雲の隙間から差し込むかすかな陽光を受けて冷ややかに輝いていた。
「やっぱり、下の人類のキャンプと違って、こっちは空気が澄んでて気持ちいいね」
『フン。あいつらの発する欲望と恐怖の悪臭には、鼻が麻痺しそうだったからな。……さて、コロ。「共犯者」どもはどこだ?』
「ん、すぐ呼ぶよ」
コロはウルの背から飛び降りると、カシムからせしめた大きな麻袋の結び目を解いた。
途端に、王都の貴族たちが愛好するような、極上の甘い蜜に漬け込まれた高級乾燥果実の濃密な香りが、氷点下の清冽な空気にふわりのと広がっていく。
それを待ち構えていたかのように――頭上の雪庇や、氷柱の垂れる岩の陰から、ファサッ、ファサッ、と無数の小さな白い雪塊が飛び出してきた。
『いい匂い!』
『この甘くて濃いにおい、こないだの変わった人類とでっかい狼さん!』
丸々と太ったモフモフの羽毛を揺らしながら、岩場に次々と降り立ったのは、高山固有の鳥型魔物――『雪嶺雀』たちの群れだった。
いつぞや、コロから乾燥果実を貰った個体が、どうやら仲間たちに「人類の器を持った変なヤツが甘い餌を持っている」と触れ回っていたらしい。
十数羽の雪嶺雀たちが、つぶらな黒い瞳を輝かせて大袋を包囲した。
「こんにちは、みんな。今日はちょっとした『お仕事』の依頼で来たんだよ。報酬はこれだよ」
『お仕事?なになに?その袋の中身、ぜんぶあのおいしい実!?』
「そうだよ。人類が作った中でも特上品。これをみんなに全部あげる代わりにね――あっちの、人類の建物の先にある峠道が見える?」
コロは峡谷の遥か下方、隣国の兵士たちが苦労して除雪作業を進めている峠道の方角を指差した。
『ずっと雪をほじくり返してるね!』
『人類がいっぱい居るから、食べたくでも食べられないんだ』
「あそこの崖の上に、今にも崩れそうな大きな雪の塊があるでしょ。みんなで飛んでいって、あの雪山めがけて滅茶苦茶に攻撃して、いい感じに峠道へ落っことしてきてほしいんだよね。もちろん、下の人類たちが押し潰されないように、少しだけ脅かすような位置にね」
『なんで押しつぶしたらダメなの?』
「それをやっちゃうと、君たちが『討伐対象』になるかもしれないからだよ」
『ふーん、なるほどね!』
『崖の上の雪を突っついて落とすなんて、いつも遊びでやってることじゃん!』
『たったそれだけでこの甘い実が全部もらえるの!?やるやるー!!絶対やる!!』
雪山の地形と雪の重みを誰よりも熟知している魔物たちにとって、絶妙な位置に雪崩を発生させることなど、まさに造作もない『遊び』に過ぎなかった。
雪嶺雀たちは歓喜の声を上げて乾燥果実を数粒啄むと、『すぐ終わらせてくるよ!』と、嵐のような羽音を立てて峡谷の下方へと一斉に飛び去っていった。
その丸く肥えた鳥たちの頼もしい後ろ姿を見送りながら、ウルは喉の奥でくつくつと低い笑い声を漏らす。
『……フン。鳥どもを使って自然現象に見せかけた雪崩を起こすとはな。お前も大概、あくどい思考が板についてきたようだな、コロ』
「追加の雪崩が起きようと起きまいと、大した用意もなく、真冬のガンビラス峠を馬車で超えようとするのは無理だよ。問題は雪崩だけじゃない」
『まあ、そうだな』
「そもそも、あんな雪の降る極寒の地で、何日間も足止めを食らってたらさ、人類以上に、馬車を牽くための馬たちが耐えられないよ」
『む、言われてみれば……。カシムが馬の死骸を買い取っていたな』
「でしょ?今、あの麓で動ける馬が残っているのはね、カシムさんから『あったかポーション』を惜しみなく買って、人類だけじゃなく、馬の飲み水にまでポーションをジャブジャブ混ぜて飲ませてあげたお金持ちの馬車だけだよ」
『なるほどな。だからチェルシーがどれだけ作っても、ポーション類が飛ぶように売れ続けているわけか。大きな輓獣の体温を維持するには、人類の何倍もの量が必要になる』
「そういうこと。自分の見栄やポーション代をケチって、馬へのケアをしなかったお貴族様の馬車は……もう牽引する輓獣そのものが凍え死んじゃって詰んでる」
『動力そのものを失ったというわけか。それではいくら道が開こうと、あの重い馬車はただの「冷たい鉄と木屑の棺桶」だな』
「うん。だから、私たちが雪崩を起こして商売を長引かせてあげても、開通したとしても、彼らの結末は何も変わらないよ。邪魔な箱が紛れ込んでいるんだから。むしろカシムさんに身ぐるみを剥がされつつ、ここでポーションを吸って生き延びてる方が、真冬の峠に放り出されるより何倍もマシじゃないかな。内戦だし、国境の向こうから敵は来ないよ。知らないけど」
『フン、悪党ならではの理屈だが……妙に説得力があるな』
それから数分後。
遥か眼下の渓谷で、ズン……と大気を揺らす重い地響きが鳴り響いた。
雪嶺雀たちの絶妙なアプローチによって、峠の真上にせり出していた巨大な雪庇と風化岩が崩落し、白い濁流となって除雪の進んでいた峠道を再び完全に飲み込んだ。
隣国の作業員たちが慌てて逃げ惑い、関所の向こう側が再び『完全な通行止め』となったのを高台から確認し、一人と一匹は満足げに顔を見合わせた。
「うん、完璧な二次雪崩だね。これであと一週間以上は、絶対に道は開かないよ」
『よし。では、ハゲタカの元へと戻るとするか』
人間たちの愚かな戦火と虚栄、そして強欲な悪徳商人の商魂を背に、最強の傍観者たちは、いつものように平然とした足取りで、肉と銀貨の待つ麓の「特売会場」へと駆け下りていくのだった。
※ ※ ※
カシムから特上の肉と大袋の乾燥果実、そして山のような銀貨を受け取った日の夜。
キャラバンのソリの荷台で、ウルが満足げに腹を膨らませて静かに寝息を立て始めるのと同時に、コロの意識はゆっくりと、泥のような深い眠りへと沈んでいった。
その瞬間。
現実世界を支配していた、凍える風の冷たさも、薪の爆ぜる音も、お貴族様たちの脂汗や凍死していく輓獣たちの生臭い匂いも――すべてが嘘のように、一瞬にして掻き消えた。
代わりにコロの鼻腔をくすぐったのは、世界を優しく満たす、甘く清らかな花の蜜のような香り。
重力も時間も存在しない、ただ柔らかな光の粒子が静かに渦巻く、どこまでも無機質で「真っ白な空間」。
そこに、空気に溶けるような白いドレスを纏い、すべてを吸い込むような漆黒の長い髪をなびかせた、神々しいほどに美しい「彼女」が静かに佇んでいた。
「私の愛おしいコロ」
鈴の音よりも美しく、けれど酷く冷ややかな声が空間に響く。
現実世界では徹底してドライで合理的な「生存のプロ」であるコロは、その声を聞いた瞬間、張り詰めていた心の糸をすべてほどき、無防備な子供のような顔で、彼女の柔らかな胸の中へと迷わず飛び込む。
「おかえりなさい、可愛いコロ」
「ただいま、女神様」
「今日もたくさん動き回って、たくさん疲れたでしょう」
女神は、腕の中に収まったコロの小さな頭を愛おしそうに引き寄せ、その艶やかな銀髪に指を滑らせる。
コロは、女神の膝の上にぽん、と頭を預け、猫のようにその温もりに頬擦りをした。
額に落とされる、熱を帯びた慈愛のキスを、心地よさそうに目を細めて受け入れる。
「ねえ、女神様。聞いて」
「ええ、何でもお話しして。あなたの言葉は、この退屈な世界で唯一、私の耳を愉しませてくれる調べなのだから」
コロは、女神の白い指に自分の手を重ねながら、ここ数日の出来事を淡々と、けれどどこか嬉しそうに語り始めた。
「カシムさんだけどね」
「ふふ、例の面白い子ね」
「うん。雪崩の片付けが終わりそうだって知ったらね、商売を長引かせるために、ウルの黒雷で山を崩して、もう一回峠を塞いでくれなんて頼んできてさ」
「まあ!ふふふっ!貪欲ね!」
「でしょ、とんでもない金の亡者。でもね……そんなおねだりにウルは呆れ返っていたけれど、やっぱりカシムさんのこと、根っからの『職人』として、どこか感心しているみたいなんだ。カシムさんにはウルの言葉は通じないのに、何だかんだと息を合わせて、最近のウル、すごく楽しそうなんだよ」
コロの言葉に、女神は少しだけ面白そうに目を細め、コロの耳元で小さく囁いた。
「その商人は、金という名の泥に魂を売り払いながらも、その欲求に対して一切の嘘偽りがない」
「本当に脱帽しちゃうよ。だって、詐欺同然に高値で売りつけているのに、カシムさんからは一切の嘘の臭いがしないんだから」
「ふふ、己に実直であるという一点においてのみ、その商人は獣に近いのね。だからこそ、あの誇り高いウルも、その真っ直ぐな歪みに、奇妙な美しさを感じているのでしょうね」
「そういうものかなぁ。とにかく、雪山を縄張りにしてた雪嶺雀たちに乾燥果実をあげてさ、それで代わりに雪崩を起こしてもらったよ。人類の作る食べ物、美味しい美味しいって大喜びだったよ」
コロがクスッと笑いながら報告すると、女神は溢れんばかりの全肯定の笑みを浮かべ、コロの華奢な肩を優しく、包み込むように抱きしめた。
「人類の欲と小さな鳥たちを使って、己の糧と快適な旅路を仕立て上げる……なんて賢くて、透き通るように美しい生き方かしら」
「言い過ぎだよ。ウルが雪崩を起こしたら、私たちは犯罪者だからだよ」
「ふふ、そうかもしれないわね。でも、どんな道徳にも、誰のルールにも縛られる必要はないのよ。ただあなたが心地よいと思うままに、世界を歩み続けなさい」
女神の底知れない、狂気とも呼べる絶対的な溺愛に包まれて、コロの精神は完全に癒やされ、とろけるような深い安心感へと満たされていく。
もう、現実世界の血の匂いも、寒さも、人間の醜い悲鳴も、何一つとしてコロの心を脅かすことはできない。
「さあ、夜が明けるわ。愛おしい、私の可愛いコロ」
女神の漆黒の髪が視界を覆い、真っ白な空間が、温かな光とともにゆっくりと溶け崩れていく。
「おやすみなさい、女神様」
「明日も、あなたが誰にも縛られない、嘘のない一日を始められますように」
心地よい祝福の声を残響に、コロの意識はゆっくりと、現実の暖かな朝の光の中へと引き上げられていくのだった。
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