白雪の国境関所と、悪党たち 3 〜ハゲタカたちと、慈悲深き悪魔〜
3.
雪山での「お宝採取」をあっという間に終えたコロとウル。
ウルの弾丸のような疾走と跳躍によって、カシムたちの待つ麓の関所近くへと一瞬で戻ってきていた。
関所の砦の手前、街道を見下ろす少し開けた高台に、カシムの犬ゾリ隊は陣取っていた。
そこから眼下を見下ろしたコロは、思わず「うわぁ……」と小さく声を漏らした。
険しい山間に築かれた石造りの砦の門前は、地獄と虚栄が奇妙に混ざり合った、この世の縮図のような光景が広がっていた。
大雪に閉ざされた砦の門前に、数百台はあろうかという装飾の凝った豪華な馬車が、雪に埋もれかけながら不格好にひしめき合っている。
周囲には絹のドレスや高価なマントを羽織ったまま、寒さでガタガタと震え、馬車の中から使用人や騎士たちをヒステリックに怒鳴り散らしている貴族たちの姿があった。
彼らはプライドが邪魔をするのか、平民の難民たちが身を寄せ合って焚いている火の粉の舞うテント群に混ざることもできず、自分たちの凍てついた馬車の中で、静かに、優雅に凍え死にしかけている。
「ひどいありさまだね。みんな、どうしてあんなに頑なに馬車から出ないんだろう」
『簡単な話だ』
「ん、ウルは分かるの?」
『フン、馬鹿だからだ』
「馬鹿なのは大前提だよ。だって、凍え死にそうなんだよ?普通は耐えきれなくてさ、矢も盾もたまらずに焚き火の方へ行くでしょ」
コロは、チェルシーに全てを納品してすっかり軽くなったリュックサックを下ろしながら呟くと、傍らで犬ゾリに防寒シートを被せていたカシムが、ニヤリと下卑た笑みを浮かべて算盤を弾いた。
「ハッ!見栄だよ、見栄!お嬢ちゃん。あいつらはな、平民の薄汚えテントに混ざって暖を取るくらいなら、豪華な馬車の中で高貴に凍え死ぬ方を選ぶ馬鹿どもなんだよ。……まぁ、おかげで俺みたいなハゲタカが、こうして死肉を漁りに先回りできるわけだがな!」
カシムは正々堂々とした「金のハゲタカ」として胸を張り、凍える馬車群を愛おしそうに指し示した。
「見てみなよ。あのやたらと金箔が剥がれかけてる豪華な馬車」
そこには、一昔前はさぞや立派な馬車だったのであろうと思える、くたびれた馬車が見える。
「あるね。折角立派なのに、見窄らしく見えるね」
「ありゃあ王都の宮廷に寄生してた『領地を持たない中央貴族』どもだ。守るべき領地も軍隊もねえからな、内乱が起きて一番最初に首を刎ねられるのを恐れて、屋敷の金目の物だけ馬車に詰め込んで逃げ出してきやがった。サバイバル能力なんて虫ケラ以下よ。火の起こし方も知らねえ」
『フン。群れを治める能力もないのに、特権だけを貪っていた無能どもか』
言葉の通じないカシムは、ウルの冷ややかな鼻息を「その通り!」と受け取ったように力強く頷いた。
「そんで、あのやたらと護衛の数が多い馬車群は、地方領主たちが死に物狂いで隣国に疎開させようとしてる『奥様や予備の跡取りども』さ」
「ああ、なるほどね。下手したらお家断絶かもしれないもんね」
「学院の事件で本物の跡取りを殺されたからな、残った幼い子供や女だけでも逃がそうとしてる。あの母親どもは、亡命先で『惨めな難民』だと見下されねえために、今も馬車の中で必死に貴族の格式を保とうとしてるんだ。……あとは、今回の内乱で隣の領主に攻め落とされて、一族の財宝とケツを拭く紙にもなりゃしねえ領地の権利書を持って逃げてきた『負け組領主』。そして、俺の同業者である、逃げ遅れた王都の『大豪商』どもだ」
カシムは、寒さに震えながらも、豪華な毛皮に身を包んだまま冷酷な視線を平民へと向けている貴族たちの「弱み」を、恐ろしいほどの解像度で分析し尽くしていた。
「どいつもこいつも、懐には山ほどの宝石や金貨を抱え込んでいる。だが、この極寒の雪山じゃあ、金や宝石は腹の足しにもなりゃしねえし、身体を温めてもくれない。価値が完全に逆転してんだよ。……どうだ?これ以上ない、最高の特売会場だろ?」
「うん。カシムさんの目の付け所には、本当に感心するよ」
『金を司る神がいるとすれば、コイツはその神から溺愛されているだろうな』
「溺愛なんてレベルじゃないよ」
『フン、だな』
ウルの皮肉に、コロが楽しそうに微笑んだ、その時だった。
「カシムの旦那ぁ!追加分の姐さんのポーション、上がりましたよ!」
幌馬車の中から、すっかり煙草の灰と酒の臭いを纏った下っ端のマイクが、顔を赤くして声を張り上げた。
チェルシーの入念な魔力精製と、マイクの遮光瓶詰めの作業が、いよいよ一区切りついたらしい。
「よし!上がったか!野郎ども、稼ぎ時だ!」
カシムは算盤を懐にねじ込むと、ソリの上のポーションが詰まった木箱を確認し、それからコロとウルを振り返って、もみ手をしながら言った。
「そこでお嬢ちゃんと犬っころ!お願いがあるんだがよ」
「なに?」
「商売してる間によ、俺のそばに用心棒として突っ立っててくれねえか?ほら、追い詰められたお貴族様のお付きの騎士どもが、寒さのあまり俺のポーションを力ずくで奪おうとしてくるかもしれねえだろ?」
「ありそうだね」
「犬っころの圧倒的な風格と、あの恐ろしい黒いカミナリが後ろに控えてるってだけで、泥棒猫どもは手も足も出せなくなる。……もちろん、売り上げの一部から、特上の肉の山を約束するぜ?」
ウルはカシムの提案を聞き、喉の奥を鳴らしてコロを見た。
『フン。ハゲタカの護衛か。まぁ、特上の肉の山が確実に手に入るのなら、その辺の有象無象を睨みつけるくらいは造作もないことだがな』
「うん、ウルもやる気満々みたい。いいよ、カシムさん。私たちも、カシムさんのあくどい商売を一番近くで見てみたいしね」
「へへっ、話が早くて助かるぜ!よし、チェルシー先生、マイク!出発だ!」
犬橇の輓犬たちが一斉に遠吠えを上げ、カシムのキャラバンが、お貴族様たちの凍える「特売会場」へと静かに進軍を開始した。
カシムは算盤を片手に、獲物を物色するように雪に埋もれかけた馬車群へと視線を巡らせていた。
そして、ひと際飾り立てられた、しかし金箔がひどく剥がれかけている一台の馬車を指差す。
「よし、じゃあ、あそこから再開だな!あの家紋は……男爵家か。中央貴族。なるほどな」
「へえ、格によって対応を変えてるんだ」
「どこまで踏んだくれるか見極めが肝心だからな!よし、お嬢ちゃん、犬っころ、ついてきな!」
「ん。行くよ、ウル」
『フン……人間の強欲に付き合わされるのも楽ではないな』
カシムを先頭に、雪を踏みしめて馬車へと近づいていく。
灰色の鉛雲から舞い落ちる雪は、地表に近づくにつれて氷の刃のような吹雪へと変わり、石造りの関所の砦を容赦なく白く染め上げていた。
吹き荒れる北風が渓谷の岩肌にぶつかり、まるで巨人のヒステリックな悲鳴のような風切り音を張り上げている。
そんな荒狂う大自然の只中。
雪に埋もれかけた豪華な馬車群は、どれも異様で不気味な「虚栄の箱」のように見えた。
極彩色の漆や贅を尽くした金糸の彫刻は、無慈悲な風雪に削られたかのように雪に覆われて、扉の蝶番には太い氷柱がぶら下がっている。
本来なら王都の石畳を優雅に駆けるはずだった細工の美しい車輪は、泥と氷に深く囚われ、もはや一歩も動く気配はない。
窓の分厚いビロードのカーテンの隙間からは、絶望と寒さに凍りついた貴族たちの白い吐息が、まるで死者の溜息のように絶え間なく漏れ出していた。
周囲のテントから、すえた匂いが鼻を突いた。
平民の難民たちや、雇い主の貴族に見捨てられかけているのか、護衛の傭兵たちが、凍えそうな手をかざして小さな焚き火を囲んでいる。
そんな彼らは、ふくよかな防寒着を纏うカシムのキャラバン隊と、その背後に従うアッシュウルフの姿に、畏怖と強烈な羨望の混じった眼差しを向けていた。
ウルの鼻腔がピクリと動く。
空気中に漂うのは、薪の煙の匂いだけではない。
高慢な貴族たちが身に纏う高級な薔薇や香水が、凍てつく寒さで冷え固まり、そこへ恐怖と焦燥による脂汗の臭いが濃密に混ざり合っている。
野生の肉食獣から見れば、それは「弱りきった獲物」が放つ、抗えない死の気配そのものだ。
道すがら、カシムはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら舌なめずりをして、お目当ての馬車の扉の前で立ち止まると、いけしゃあしゃあと人懐っこい営業用の笑顔を貼り付け、コンコンと扉を叩いた。
「毎度あり!困っている人々の味方、ダンビル商会でございます!暖かな毛皮や、即効性の身体あったかポーションはいかがですかー?」
『ん、ダンビル?誰だ』
「偽名じゃないかな」
ヒソヒソと囁き合うコロとウル。
ギィ……と凍りついた扉が少しだけ開き、隙間から薄い毛布にくるまってガタガタと震える小太りの男爵が現れた。
男爵は薄汚れた行商人の姿を見るなり、傲慢にふんぞり返り、ヒステリックな金切り声を上げた。
「お、おい!平民!その暖かそうな熊の毛皮とあったかポーションとやらをとっととよこせ!この王国の財政官であるこの私がなんだって金など払う必要がある!?おい、その荷車から全て奪い取れ!」
「おっと、旦那様。暴力はいけませんねぇ」
男爵の命令を受け、お付きの騎士たちが剣の柄に手をかけた、その瞬間だった。
カシムの後ろに控えていたウルが、無言で一歩だけ前に出る。
ウルが喉の奥で『グルル……』と低く、地響きのような唸り声を上げ、その立派な二本の角にバチバチと微かな黒いカミナリを纏わせた。
ただそれだけの圧倒的な威圧で、熟練の騎士たちは一瞬にして顔面を蒼白にさせ、「ひぃっ……!? こ、こいつはただの魔獣じゃない……!男爵様、絶対に手を出してはなりません、殺されます!」と完全に戦意を喪失して剣を落とした。
武力での略奪が不可能だと悟った男爵は、凍え死ぬ恐怖とパニックから、今度はなりふり構わず懐からずっしりと重い金貨の袋を掴み出した。
「ひぃっ!か、買い取ろう!買うからその毛皮とポーションを売ってくれ!き、金貨十枚……いや、二十枚出そう!!」
相手が極限まで切羽詰まり、最高の値を提示した――まさにその時。
カシムは、まるで心清き聖職者のような、穏やかで慈愛に満ちた笑みを浮かべ、ゆっくりと首を横に振った。
「旦那様……どうか、そのような大金を提示なさらないでください。いくらなんでも、この毛皮に金貨十枚もの価値などありませんよ」
「え……?」
ぽかんとする男爵。
このカシムの言葉に、コロとウルも呆気にとられてしまったようだ。
カシムは慈悲深そうな表情を顔に貼り付けたまま言葉を継いだ。
「ですが……今はこの大雪と内乱による深刻な物資不足の只中。私どもも命がけで、どうにか手に入れてきた貴重な品々でございます。……ですので、そうですね。毛皮は6リーガ、金貨六枚ということでいかがでしょうか?」
「ろ、6リーガでいいのか!?なんと……!」
「ええ。ポーションに関しても一本あたり70マリグでお譲りしましょう!」
「おお、お前のように正直で、慈悲深い商人がこんな辺境にいたとは……!ありがとう、ありがとう!」
男爵は恩着せがましいカシムの言葉に感涙し、嬉々として金貨六枚を差し出しながら、くたびれた毛皮を愛おしそうに抱きしめた。
更にポーションを何本か買うようで、追加の金貨や銀貨がジャラジャラとカシムへと引き渡される。
その「感動的な商談」の様子をすぐ後ろで見物していたコロは、隣に伏せるウルの耳元に顔を寄せ、こっそりと耳打ちした。
「……あそこの荷台に積んであった熊の毛皮って、どこの国でも金貨一枚の価値すらない、ただの臭い安物だよ」
『フン……十枚などという法外な値をつっぱね、六枚で売ってやることで、相手に「得をした」と錯覚させて恩を売るわけか』
「うん。ぼったくってたのに、すっごく感謝されてるね。薄めた耐寒ポーションだって銀貨70枚は十倍を超えてるよ」
『……悪魔や魔物が裸足で逃げ出すほどの狡猾さだな。人類を騙すのは、人類が一番上手いらしい』
「天賦の才だよ。ほら、後ろ暗いことをしている人類の匂いじゃないもん」
『だな。まるで詐欺の職人の鑑のようなヤツだ』
お貴族様の尊厳と命を守りつつ、その懐からはたんまりと骨の髄まで吸い尽くす。
カシムのあまりにも鮮やかで悪辣な商技に、一人と一匹はただただ感心するばかりだった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




