白雪の国境関所と、悪党たち 2 〜訳あり妖精薬師と、虚栄の餌〜
2.
「おい、マイク!突っ立ってないで、アタシがポーションを詰めるための遮光瓶を並べな!」
「へいへい、ただいま!」
チェルシーは満足げに葉巻の煙を吐き出し、クスクスと鈴を転がすように笑う。
その様子をニヤニヤと見守っていたカシムは、おもむろに算盤の枠をパチンと叩いた。
「へへへ、そこでお嬢ちゃんの出番ってわけよ」
「質の良い薬草があれば、更に効率よく薄めて売りさばけるってわけだ」
「だな!よお、チェルシー先生!紹介するぜ、こっちのコロってお嬢ちゃんはな、その辺の凡百な採取家どもが裸足で逃げ出す、極上の目利きと腕を持ったプロ中のプロだ。犬っころのウルの鼻も合わさりゃ、どんな無茶な素材でも完璧な状態で持ってきやがるのさ」
『俺達の名前を知ってたのか』
「ほら、私たちは『お金になる』存在だからね」
『なるほどな……』
コソコソとやりとりをする一人と一匹。
「へぇ……?」
チェルシーは咥えた新手の葉巻を口の端に寄せ、右半分の魔術的な入れ墨を歪めるようにして、じろりとコロを値踏みした。
紫煙の向こう側から向けられる細い双眸には、いまだ半分以上の猜疑心が混じっている。
「手際を褒める口ぶりは悪くないと思ったがね。アタシは目が肥えてるんだ、カシム。そこらの平民のガキンチョがちょっとハサミの使い方が上手いくらいで、このアタシを満足させられると思ったら大間違いさね」
チェルシーは魔導具のバーナーの火力を手元で微調整しながら、フンと鼻を鳴らした。
「口先だけで腕がいいって張る奴ぁ、前の組織にも腐るほどいたからね。……まぁいいさ。そっちのお嬢ちゃん、本当に腕があるってんなら、アタシにそれを証明してみなよ」
試すようなチェルシーの視線を受け、コロは怯むどころか、むしろ楽しそうにクスリと微笑んだ。
「証明、ねぇ。……うん、いいよ。ここに来るまでの道中、ちょっと時間が余ってたから、ちょうど良さそうなのを少しだけ摘んでおいたんだ」
コロは肩から下げた使い込まれた革鞄のフラップを開け、中から丁寧に布で包まれた小さな塊を取り出した。
包みを開くと、中から現れたのは、凍てつく雪山でしか育たないはずの、瑞々しく青白い輝きを放つ『深山氷苔』の束だった。
チェルシーがさっきからむしり取ってはホイホイと銅鍋に放り込んでいた氷苔よりも、更に高い薬効を引き出せる逸品だ。
「ほら、どうぞ」
「……どれさね」
チェルシーは、めんどくさそうに片手で受け取ろうとした。
だが――指先がその苔の繊維に触れた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
顔の右半分に刻まれた青黒い入れ墨が、まるで極上の薬効に反応したかのようにピクリと蠢く。
チェルシーは一瞬、カッと大きく目を見開いた。
すぐに咥えていた太い葉巻を無造作に灰皿へ突っ込むと、両手でひったくるようにして苔の束を顔の前に掲げた。
「な……ッ!?」
「ね、姐さん?どうしたんですか、急に……」
マイクの戸惑う声も耳に入らないのか、先ほどまでの気怠げな態度が嘘のように消え去り、チェルシーの瞳が飢えた獣のようにギラギラと輝き始める。
彼女は苔を魔導灯の光に透かし、細かな胞子の一つ一つを凝視し、さらにはその中に顔を埋めるようにして深く、深く匂いを吸い込んだ。
「嘘だろう……?平地のただの氷苔より繊細な深山氷苔の、この中心の繊維が一本も潰れてない……!?それどころか、根元の水分が凍結して細胞が壊死した痕跡すら微塵もないじゃないさね!」
「それで食べているからね。腕には自信があるんだ」
「この凍え死にそうな大雪の中から、どうやってこの温度と鮮度を保ったまま、傷一つつけずに剥ぎ取ってきたんだい!?」
テンションをダダ上がりにさせたチェルシーは、興奮のあまり作業台をバンッと叩き、コロの顔を凝視した。
「これだよ、アタシがずっと欲しかったのはこういうブツさ!!そこらの馬鹿どもが持ってくる氷苔なんて、繊維はブチブチ、寒さで凍って薬効は半分死んでるゴミばっかりなんだ!だけどこれなら……これなら薄める前の特級品どころか、アタシの全盛期でもお目にかかれなかったような、とんでもない品質の『特効耐寒ポーション』が作れるよ!!」
『フン。だから言ったろう。コロの採取技術をその辺の有象無象と同列に扱うなと』
ウルの誇らしげな低い唸り声はカシムには「ガハハ!」という大笑いに聞こえたらしく、カシムはここぞとばかりに算盤を激しく振り鳴らした。
「だろぉ!?チェルシー先生!このカシム様の目に狂いはねえんだよ!お嬢ちゃんの神懸かり的な採取に、先生の超一流の精製、そして俺のボッタクリの商売が合わさりゃ、あそこの関所は俺たちのための『金山』に化けるぜ!」
『おい、自分で「ボッタクリ」と言ったぞ』
「うん、自覚はあったとは思うよ」
そんな一人と一匹など耳に入っていないかのように、カシムもチェルシーも興奮している。
「いいね、最高さね!おい、マイク!さっさと一番高い最高級の蒸留器を引っ張り出しな!あと新しい酒だ!お嬢ちゃん、あんたの名前はコロだったね。気に入ったよ!今すぐその神様みたいな手元で、あの雪山から氷苔をありったけ毟り取ってきなさいな!」
チェルシーは顔の入れ墨を歓喜に歪めながら、嬉々として新しいフラスコを火にかけ始めた。
「気に入ってもらえて何よりだよ。よし、ウル。お肉のためにひと稼ぎしようか」
『フン。手のかかる人類どもだが……まあ、極上の肉の山のためだ。少しは走ってやるとしよう』
「効率よく稼ぎたいから、背中を借りようかな」
『構わん。モタモタ歩いてばかりで、身体がウズウズしていたところだ』
機嫌良さそうに唸り声を上げ、口角を上げたウル。
王国の崩壊を背に、死肉を漁る悪徳商人と、最強の傍観者たち。
奇妙で完璧な職人たちの共犯関係が、雪に閉ざされた峠の関所を舞台に、かつてない『荒稼ぎの数日間』の幕を開けようとしていた。
「じゃあカシムさん、チェルシーさん、後で関所の近くで合流ね」
「おうよ!期待してるぜお嬢ちゃん!」
大型犬ゾリの荷台から飛び降りたコロは、すぐ傍らに佇むウルの背へと身軽に飛び乗った。
ウルのモフモフとした銀灰色の毛皮に深く指を沈め、その逞しい首筋にしっかりと身を寄せる。
「準備はいい、ウル?」
『フン。振り落とされるなよ、コロ』
ウルの喉の奥から、地鳴りのような低い咆哮が漏れた。
次の瞬間、ウルの四肢が爆発的な筋力で凍った大地を蹴り上げる。
ドォンッ!と雪煙が派手に巻き起こり、一人と一匹の身体は重力を置き去りにして前方へとカッ飛んだ。
これまで十数日間、雪に足を取られながらトボトボと歩いていたのが嘘のような圧倒的な速度。
視界が猛烈な勢いで後ろへと流れ去り、吹き付ける極寒の風がコロの外套を激しくはためかせる。
『ハッ、やはり全力で四肢を動かすのは気分が良いな!』
ウルは歓喜の声を上げながら、行く手を阻む巨大な倒木や岩肌を、まるで障害物など存在しないかのように軽々と跳び越えていく。
峡谷の斜面を垂直に近い角度で駆け上がり、突き出た崖の先端から、さらに標高の高い雪山へ向けて大きく跳躍した。
タァンッ!と空間を割るような音を立て、一人と一匹は文字通り白い空を舞う。
はるか眼下には、カシムの犬ゾリ隊が豆粒のように小さく見え、そのさらに先には、無数の馬車がアリの行列のように詰まっている『関所の砦』の全貌が見て取れた。
何度かの鮮烈な大跳躍を経て、ウルは強風が吹き荒れる険しい雪山の高高度へと音もなく着地した。
周囲は木々すらまばらな、凍てつく岩場と万年雪の世界だ。
「ぷはっ……凄いね、ウル。徒歩だと数日はかかりそうな崖を、一瞬で登りきっちゃった」
『これしき、俺にとっては散歩のようなものだ』
「私一人だったら、そもそも途中の崖に差し掛かったら諦めているよ」
『さて、コロ。肉の山のためのブツはどこだ?』
ウルからひらりと飛び降りたコロは、くしゃくしゃになった髪を直しながら、氷藍色の瞳を鋭く輝かせた。
「うん、まずはさっきチェルシーさんに見せた『深山氷苔』だね。風の当たる岩肌の裏側に、きっと良いのが群生してるはず」
『今の穏やかな天候なら、鼻で追えそうだ』
「……あ、でも待って」
『む、なんだ?』
「せっかく標高の高いところまで来たんだから、ただの苔だけじゃもったいないよね」
『他に何を探すのだ。他の素材など要求されていたか?』
コロは革鞄から採取用のハサミを取り出しながら、ニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「今回の商売相手はね、内乱から逃げ出してきたお貴族様や豪商たちだよ?彼らはね、命が助かるのは当然として、その先の『見栄やプライド』を何よりも気にする生き物なんだ」
『……フン。実にくだらん人類の習性だな』
「くだらないけど、だからこそお金になるんだよ。極寒の関所で何日も足止めを食らって、惨めな難民生活を送っているお貴族様たちだよ?そんな彼らの前にさ、無駄に見栄えが良くて、心を慰めるような『高級な薬』という名の贅沢品を差し出したらどうなると思う?」
『判断力の鈍った個体どもが、我先にと群がるわけか』
「そう。だから、ただ暖かくなるだけの平凡なポーションじゃなくて、お貴族様たちが飛びつきそうな贅沢品も一緒に採取していこうかなって」
『ずる賢いな』
「ずるは余計だよ」
コロは雪に半分埋もれた岩場を注意深く検分し始めた。
「例えば……あった」
『どれだ?あの、見ているだけで寒々しくなる花か?』
「多分それ。あっちの氷の隙間に咲いてる『氷晶華』。これ、火にかけるとすっごく綺麗な青い炎を上げて、部屋中に上品な香りを漂わせるんだよ。凍える馬車の中でこれを使えば、一瞬で『優雅な貴族のサロン』の気分に浸れるってわけ。あとは……」
コロはあれやこれやと雪山のお宝を探し求め、楽しそうに瞳を輝かせる。
ただ生きるための必需品だけでなく、人類の「虚栄心」の足元を見るための罠を嬉々として揃えていく相棒の姿に、ウルは呆れ半分、感心半分といった様子で大きな尾を揺らした。
『やはり人類の非合理性に寄生させれば、お前の右に出る採取家はいないな』
「それなりに実績のある採取家なんて同じようなもんだよ。多分」
『……よし、美味い肉のために、その「見栄の餌」とやらをごっそり毟り取るとしよう』
「私がなにか見つけたら教えるから、臭いを覚えていってね」
吹き荒れる吹雪の中、一人と一匹は極寒の雪山を我が物顔で駆け回り、お貴族様たちの身ぐるみを剥ぐための「美しき素材」を次々と収穫していくのだった。
そう言ってコロが氷晶華の根元にハサミを入れようとした、その時だった。
頭上の岩場から、ファサッ、と小さな雪塊が落ちてきた。
何事かと一人と一匹が見上げると、そこには雪のように真っ白な羽毛に覆われた、丸々と太った鳥型の魔物がちょこんと留まっていた。
極寒の高山に棲息する、固有種の魔物――『雪嶺雀』だ。
好奇心に満ちた丸い瞳を細め、コロの姿をまじまじと見下ろしている。
『へえ、こんな過酷な場所に人類がやってくるなんて珍しいと思ったら……アンタ、人類じゃないね?いや、見た目は完全に人類だけど、においや気配がどうも人類じゃないや』
雪嶺雀が不思議そうに首を傾げる。
その率直で鋭い疑問に、コロは採取の手を少し止め、魔物相手のいつもの穏やかな挨拶を向けた。
「こんにちは。お邪魔しているよ」
『あ、こっちの言葉もわかるの?』
「うん、わかるよ」
『へえ、どういうこと?姿は人類なのに、中身は私たちと同じ魔物ってこと?』
「そう。わけあって人類の器で生きているんだ。本来は、そこにいるこの子と同じ種族なんだよ」
『……へえ、言われてみれば、そのでっかい狼さんと同じ臭いがするもんね。ふーん、そんな不思議なこともあるんだなぁ』
雪嶺雀は恐れる様子もなく、すんなりとその事実を納得すると、ピョンと岩場を跳ねて距離を詰めてきた。
ウルはマズルを少し鳴らし、満足そうに目を細める。
『ほう。鳥の割には鼻が優れているのだな』
『えへへ、それほどでもないよ!で、アンタたち、こんな人類が来ないような場所で、そんな冷たくて不味そうな草や花を集めてどうするつもりなんだい?』
「ああ、これ?地上で立ち往生している人類たちに持っていくと、これが大量の肉に化けるんだよ」
『あー、あの崖の下でぎゅうぎゅう詰めになって、ブルブル震えてる連中のことか!あいつら、寒さに強くないと思うんだけど、なんであんなところでずっと固まっているの?』
現地に棲む魔物から見て、人類の行動はひどく不可解に見えたらしい。
「どこか遠くに行きたいみたいなんだけど、雪のせいで足止めを食らっているんだよ」
『馬鹿じゃん!暖かくなってから行けばいいのに!』
「人類には人類で色々あるみたいだよ」
雪嶺雀はくつくつと笑う。
『あいつらがそういう青いピカピカした花が好きならさ、あっちの風向きの裏側にある崖を下りてみたら?あそこに、その青い花がとびきり大きく、ぎっしり群生している秘密の場所があるんだよ』
「あ、本当?それはすごくいい情報を聞いたよ。ありがとう、これお礼ね」
コロは革鞄から取り出した携帯食料の乾燥果実を小さくちぎり、岩の上の小鳥へと差し出した。
『わぁい!』と嬉しそうに啄む雪嶺雀の丸く肥えた姿を、ウルが冷徹な眼光でじっと見つめ、ペロッと舌を舐めずりずった。
そのままパクリと嘴で咥え、ゴクリと飲み込むと、翼をバサバサとはためかせた。
『なにこれ!シワシワに乾燥してるのに、普通のやつより甘い!』
「気に入ってもらえてよかったよ。人類がね、実がなる時期以外にも食べられるように、工夫に工夫を重ねた代物なんだよ」
『へえ、人類って馬鹿じゃないのもいるんだ』
『よりけりとしか言えんな』
ウルはそう吐き捨てると、フンと鼻を鳴らした。
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