毒の華と、群れの鎖 4 〜井戸水の惨劇と、泥沼の崩壊〜
4.
ヴィンセントから預かったリストの素材を採取するため、王都から遠く離れた山奥へと足を伸ばしていた一人と一匹。
予定していた十日間を多少過ぎてしまったものの、目当ての『寒根木』の皮をはじめとした、日持ちする類の薬草をたっぷりと革鞄と麻袋に詰め込み、一人と一匹は王都への帰路についていた。
見渡す限りの銀世界の中、シャン、シャンと鈴の音を響かせて進む一台の大型ソリ。
コロとウルは、途中で出会った人間族の農夫が操る、そのソリの荷台に揺られていた。
荷台に積まれた干し草は冷え切っていたが、丸くなって伏せるウルの大きな身体が程よい湯たんぽ代わりになり、コロはそのモフモフとした毛皮に背中を預けて悠然と空を仰いでいる。
「そういや、お嬢ちゃんたちはよう」
「ん、なに?」
「イヴァノフスクに行くって言ってたけどよぉ」
分厚い毛皮の帽子を被り、輓馬の手綱を握ったままの人間族のおじさんの御者が、振り返りざまに声をかけてきた。
吐く息を白く煙らせながら、どこかおどけたような、それでいて不安を滲ませた口調だ。
「うん、そうだよ。王都に用事があってね」
「なんだか今、あそこはど偉ぇことになってるらしいどー?」
「ど偉ぇこと?」
山奥で数日間の野宿と採取を続けていたコロにとって、そんな噂話は初耳だった。
ウルも微かに耳をピクリと動かし、御者の背中に視線を向ける。
「ああ。ここ数日、街道ですれ違う商人連中がみんな顔を青くして話してんだわ。なんでも、王都のど真ん中にある一番デカい貴族様の学院でよ、大規模な毒殺事件があったとかでな」
『……ほう』
「へえ、初耳。凄い事件だね……」
「うんにゃ。ど偉ぇよなぁ。たくさんの生徒や先生様方が一気に倒れちまったらしくよぉ、死者もぎょうさん出たって話だど?」
「物騒だなぁ。なんだろうね、ひょっとすると革命とかかな」
「どうだでなぁ。今は王都イヴァノフスクの街全体が、犯人探しだのヘチマだので、かなり厳密警戒な状況になってるらしいからよ。入る時も出る時も、気をつけたほうがいいどー」
おじさんが語る長閑で訛りのある口調と、その深刻な内容はひどくちぐはぐだった。
ウルの喉の奥で、小さく唸るような音が鳴る。
あの雪の日、旧温室の奥で凍えながら毒を抽出していた少年の姿が、一人と一匹の脳裏に同時に蘇っていた。
「へえ、それは怖いねぇ。教えてくれてありがとう、おじさん」
「いいってことよ。……おっ、ほれ、噂の物騒な王都が見えてきたど」
ほどなくして、白く煙る雪原の向こうに、高く聳え立つ王都イヴァノフスクの頑強な城門が姿を現した。
城門の少し手前でソリを降ろしてもらい、御者のおじさんに銀貨を握らせて別れを告げる。
ズッシリと重い採取品の荷物を背負い直した一人と一匹は、厳戒態勢のピリピリとした空気が漂う正門へと足を踏み入れた。
いつもなら簡素な身分確認だけで通れるはずの門前には、普段の倍以上の衛兵たちが立ち並び、出入りする荷車や旅人の荷物を厳しく検閲している。
コロとウルが門の列に並ぼうとすると、武装した数名の衛兵がチラリとこちらに視線を向けた。
そして、すぐに武装を緩めて駆け寄ってくる。
「おーい!お嬢ちゃんたち」
「あ、こんにちは。寒い中お疲れ様」
声をかけてきたのは、以前から何度も顔を合わせている、すっかり顔馴染みとなった門番の衛兵たちだった。
彼らはウルの恐ろしさも、コロたちの身元も熟知しているため、警戒するような素振りは見せない。
だが、その顔色には強い疲労と緊張が色濃く張り付いている。
「お疲れさん。お前ら、しばらく見ないと思ったら、遠出の採取にでも行ってたのか?」
「うん。でも、なんか街の中がすごく物々しい雰囲気だね。ここまで来る途中のソリのおじさんからも聞いたけど、すごい事件があったらしいね?」
コロが尋ねると、衛兵たちは周りの目を気にするように少し声を潜めた。
「ああ……耳に入ってるかもしれないが、八日前、特区にある貴族の学院で、とんでもねえ毒殺事件が起きちまってな」
「あ、やっぱり噂は本当なんだね」
「本当も何も、王都中は今その話題で持ちきりさ。あそこに通ってる有力貴族の子息息女たち、講師、職員、関係者が一晩で何十人、何百人も毒にやられたからな。今は上からの命令で、出入りする連中の荷物や、怪しい薬草なんかを持ち込んでねえか血まなこでチェックさせられてるってわけさ」
「平民にとっては迷惑な話だね。あんなところで誰がどれだけ死のうと、何の関係もないのにね」
コロが肩をすくめながら鼻を鳴らすと、衛兵の一人は苦笑いを浮かべて肩をすくめた。
「そこはあれだ、まぁ、とんでもない大事件だからな」
「ひょっとして解毒薬に必要な薬草とかが要る感じかな?」
商機とばかりにコロが革鞄をポンと叩いてみせると、衛兵たちのうちの一人が、何とも言えない複雑な表情で首をゆっくりと横に振った。
「いや……もう、その必要は無いんだよな、これが」
「必要ない?あ、もう治せる人は治したの?」
「そうじゃねえよ。そもそも解毒も何も――」
衛兵がそこまで言いかけたところで、門の奥から他の兵士を呼ぶ厳しい怒声が響き渡った。
「おっと、呼ばれた。悪い、詳しい話は中で知り合いの薬師にでも聞いてくれ!じゃあな、風邪ひくんじゃねえぞ!」
衛兵たちはそれだけを告げると、慌ただしく検閲の任務へと戻っていった。
取り残された一人と一匹は、冷たい北風が吹き抜ける門の下で、顔を見合わせる。
「……必要ない、ねぇ」
『もう治すべき人類など、一匹もいないということか』
ウルの言葉の先を待つことなく、コロは「ま、行けば分かるかな」と足を踏み出した。
二人が向かう先は、この大事件が起きた八日前には不在にしていたであろう、あの不良エルフが待つ、薬草学の講師準備室だ。
正門をくぐり、一歩足を踏み入れた王都イヴァノフスクの街並みは、コロたちが知るかつての活気あふれる都とは完全に異質なものへと変貌していた。
いつもなら行き交う馬車や商人の掛け声で賑わう大通りは、不気味なほどに静まり返っている。
雪を払う住民たちの顔は一様に青白く強張り、すれ違う人々は互いを疑うように視線を泳がせては、そそくさと家路を急いでいた。
その静寂を切り裂くように、重々しい鉄格子の鎧を纏った憲兵たちの小隊が、雪をザクザクと踏み鳴らしながら幾度も通り過ぎていく。
都の至る所に漂うのは、張り詰めた緊張感と、目に見えない巨大な恐怖の気配だった。
「なんだか、お葬式のあとの街みたいだね」
『フン。群れ全体が怯えきっているな。どこを向いても、冷たい恐怖の悪臭ばかりが充満している』
ウルは不快そうに尾を揺らしながら、コロの半歩後ろを静かに従う。
やがて二人は、厳重な警備が敷かれた特区を抜け、あの白亜の貴族学院へとたどり着いた。
完璧に整えられていたはずの庭園には、憲兵や役人たちの無数の足跡が無惨に刻まれ、美しかった校舎の窓の多くは人の気配がなく、カーテンが固く閉ざされていた。
まるで、中で起きた凄惨な現実から目を背けるかのように。
華やかな本校舎を遠巻きに眺めながら、裏手にある特別棟へと向かう。
廊下には人っ子一人おらず、ただ窓の外から吹き付ける隙間風だけが、ヒュウヒュウと寂しげな音を立てて冷たい床を吹き抜けていた。
カビと乾燥した薬草、そして薬品の匂いが染み付いた、いつもの薬草学の講師準備室。
コロがその古びた木製のドアを軽くノックすると、中から「……誰だ」と、いつも以上に低く掠れた声が返ってきた。
「先生、私だよ。コロとウル。遠出から帰ってきたよ」
一拍の沈黙の後、ガチャリと内側から鍵が開けられる音がした。
部屋の中に足を踏み入れた途端、コロとウルは、室内に立ち込める異様な空気の重さに微かに眉をひそめた。
ストーブの火は小さく爆ぜているものの、部屋の中はどことなく薄暗い。
卓上には、いつもなら乱雑に積まれているだけの書類に混じり、何らかの調査書や、見たこともない重々しい封蝋の押された書簡が山積みになっていた。
「よぉ、帰ってきたか……。俺も一昨日の夜に帰ってきたばかりだ」
椅子にどっかりと腰を下ろしていたヴィンセントは、いつも通りの気怠げな口調を装ってはいたが、その顔は酷くやつれていた。
目の下の隈はさらに黒く沈み、右手に持ったパイプの煙の向こうで、そのエルフ特有の長い耳が、心なしか疲弊したように力なく垂れ下がっている。
「先生、なんだかすごく疲れた顔をしてるね」
「んなもん、聞かなくても分かんだろ。クソ疲れてる」
「門のところでも聞いたよ。学院で、大きな事件があったんだって?」
コロがリュックサックをそっと床に下ろし、氷藍色の瞳でじっと見つめると、ヴィンセントは深く、深くため息を吐き出しながら、頭の後ろで組んだ両手に体重を預けた。
「大きな事件、なんて生易しいモンじゃねえよ。……あいつがやりやがったんだ」
ヴィンセントは視線を卓上の書類へと落とし、自嘲気味に、くつくつと低く笑った。
その笑い声には、諦念と、ほんの僅かな狂気が混じり合っている。
『なんだ。犯人はもう分かっているのか』
「トビアスってガキだよ」
「ああ、虐められてた?」
「だな。俺が学会で王都を離れてから二日後の夜に事件が起きた」
「へえ、その日に夜会でもあったの?」
「いいや。あいつが毒を仕込んだのは、この学院の給食棟や寮で出す料理に使われている『井戸の水』そのものだったんだよ」
ヴィンセントはパイプを強く吸い込み、長く重い煙を天井へと吐き出した。
灰色の煙が、冷えた準備室の空気に滲んで消えていく。
「トビアスを虐めていた、あの主犯のディルクっつう侯爵家の坊っちゃんや取り巻き連中だけじゃねえ。あの夜、学院の食事を口にした生徒、講師、使用人に至るまで……何十、いや、何百というヤツらが一晩で血を吐いて息絶えた。まさに地獄絵図だな」
『……井戸水そのものに、だと?』
ウルが感心したように喉を鳴らし、コロも目を丸くした。
「そんな大容量の水に薄めたら、普通は致死量に達しないんじゃない?」
「並の毒ならな。だが、使われたのはあの旧温室に腐るほど自生していた『腐食羊歯』の根をベースに、恐ろしいほどの時間をかけて純度を極限まで高めた濃縮毒だ。それも確実に殺す為だろうが、異常な量だ。薬師の俺から見てもゾッとするぜ」
「遅効性だね」
「ああ。それも無色無味。一度体内に入ればな、数時間は潜伏して、夜中、誰しもが呑気に夢のなかにいる時、一斉に内臓を溶かし始める。……あのクソガキ、いつからあれほどの毒の知識と抽出技術を身につけてやがったのかね」
「毎日泥水を飲まされながら、一人でずっと熱心に勉強して抽出し続けていたんだろうね。ポーション瓶に換算すると何百本分かな。もはや執念だよ」
『単独で群れ全体を狩るための、究極の牙を仕上げたというわけか』
ウルは静かに目を閉じ、あの日、温室から漂っていた甘ったるくもどす黒い死の匂いを思い起こした。
「で、そのトビアスって子は今どうしてるの?捕まったの?もう死刑執行されたかな」
「……死んだよ」
『ん、即刻死刑か?ウジャウジャと小うるさい人類にしては随分と早計――』
「他の連中と同じようにな、自室のベッドに横たわったまま、冷たーくなってたそうだぜ」
ヴィンセントは灰皿でパイプをトントンと叩き、冷めた目付きで窓の外を見つめた。
「あ、なんだ。自分も飲んだんだ?」
「まぁな。とはいえ、毒を仕込んだ痕跡も、遺書も、何一つ残さずにな。だから公式には、犯人すらいまだに『完全な不明』さ。今頃、おざなりな捜査が続いているが、永遠に真相なんて出ねえよ。だが、俺には分かる。絶対にアイツだ」
「なんでそう言い切れるの?」
コロが首を小さく傾げてそう尋ねると、ヴィンセントは「ハン」と鼻で笑った。
「話によればな、トビアスの両親が首を括ったのが、十数日前らしいじゃねえか」
『孤立してるとか言ってたな』
「ああ、そのオードラン男爵家だ。そんでトビアスのヤツも腹を括ったんだろうよ」
「自分の命を復讐のために使い捨てたんだね」
『見事な死なば諸共だ。あの弱々しい個体が、最後の最後で群れの大半を道連れにしたか』
「子供も虐められてりゃ、両親も虐められてたってわけだな」
ヴィンセントは椅子の背もたれに深くもたれかかり、やれやれと首を振った。
「ま、おかげでこの王国も潮時かもな」
「そうなの?」
「当たり前だろ。前にも言ったはずだ、この学院は地方貴族の反乱を防ぐための人質機関だってな」
『フン、そのようだな』
「おう。で、全国の貴族共が大事な跡取りや子供を預けていたのによ、ソイツらがゴッソリ毒殺されたんだぞ?怒りや疑心暗鬼は計り知れねえ。もし仮に『確固たる証拠はないけど、犯人はオードラン男爵家の馬鹿な倅でした』なんて宣言したところで、王家の求心力なんて、もう地に落ちているだろ。近いうちに内乱でも起きるんじゃねえか?」
そんな国の存亡に関わる大問題すら、平民であり異種族であるエルフの教師にとっては、どこか遠い世界の世間話のように聞こえる。
「ふーん、それじゃ、この学院もどうなるか分からないね」
「ああ、当面の間は完全閉鎖だな。俺もここでの講師稼ぎはもうお終いだ。数年間は、知人の紹介で別の国の大都市にある薬学研究所へ客員研究員として飛ぶことになった」
ヴィンセントが机の上の荷物を顎で示すと、そこにはすでに幾つかの木箱や、旅立ちのための革鞄がまとめられていた。
「そういうわけだから、俺もお前らみたいにしばらく放浪の身だ。頼まれていたリストの買い取りは、もうここではできねえ」
「そっか。じゃあ、今回採ってきた薬草は全部、この町の普通の薬草店に売っちゃうね」
「ああ……せっかく遠くまで行かせたのに、わりいな。そうしてくれ」
ヴィンセントは頭を掻きながら、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。
コロは「気にしないでよ」と軽く手を振り、背負っていた重い麻袋と革鞄の留め具を確認する。
「採取家としての腕には自信があるからね。別にどこだってやっていけるよ。……じゃあね、先生。次の研究所でも、うまく『麗しきエルフ先生』のガワを被って、お美味しい貢物を稼ぎなよ」
「へっ、言われなくてもそうするさ。お前らも、くだらねえ人間族の戦乱なんかに巻き込まれて、犬死にするんじゃねえぞ」
『阿呆。アッシュウルフである俺が、人類ごときに狩られるわけがあるか』
「不毛だったな」
不敵に鼻を鳴らしたウルのマズルを、ヴィンセントは少しだけ面白そうに眺め、最後は静かに片手を上げて二人を見送った。
準備室の重い扉が閉まり、一人と一匹の足音が白亜の廊下に響いていく。
かつては華やかだった貴族学院は、今や完全な死の静寂に包まれていた。
だが、その凄惨な悲劇も、間もなく訪れるであろう王国の崩壊も、コロとウルにとってはただの『通過する風景』に過ぎない。
「さてと、ウル。まずは街の薬草店に行って、この荷物をお金に変えてこようか」
『フン。思わぬ遠回りになったが、干し肉代くらいにはなるのだろうな』
「もっと稼げるよ。今日は奮発して、一番高い極上のお肉でも買って、どこか静かな宿でぐっすり眠ろう。王都が戦火に包まれる前に、次の国へ行く準備もしないとね」
『悪くないな。しかしこれで宛が一つ減ったな』
「だね。先生がいる限り手堅く稼げると安心してたんだけどね」
雪が再び勢いを増し、白く煙る王都の並木道。
愚かな群れが自ら作り出した泥沼の地獄を背に、一人と一匹は、いつものように平然とした軽い足取りで、喧騒と崩壊の待つ街へと歩み去っていくのだった。
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