毒の華と、群れの鎖 2 〜甘い焼き菓子と、見えない鎖〜
2.
翌朝。
王都近郊の深い森。
ひんやりとした秋の冷気が漂う中、一人と一匹は巨大な大樹の下にいた。
「ウル、その上の枝!」
『これか?』
「そう!それ!少し赤みがかっていてさ、傷のないまん丸のやつだけね!」
『フン、注文が多いな』
タァンッ、と軽い音を立てて大樹の太い枝へと身軽に飛び移ったウルは、びっしりと実った硬い木の実を鋭い視線で見定める。
そして、コロが指定した色と形の木の実だけを的確に狙い、器用に前脚でピンッと弾き落としていく。
ポロポロとピンポイントで落下してくる木の実を、下で待ち構えていたコロが広げた麻袋へと一粒残らずキャッチしていく。
『……これから冬が来るというのに、たわわに実ったまま放置されているとはな』
上の枝から見下ろすようにして、ウルが呆れたように鼻を鳴らした。
『こんな苦くて動物も食わんような実、欲しがるのは人類だけだな。臭いだけで口の中が気持ち悪くなりそうだ』
「あはは、そうだね。人類の食への探究心は目を見張るものがあるよ」
ポロポロと落ちてくる実を的確に回収しながら、コロは楽しそうに笑う。
「私たちからすれば、こんな苦くて食べられたもんじゃない紫胆果が、極上のデザートになったり、果実酒になったり、薬のエグみを中和する素材になったりするんだからね」
『素直に美味い肉でも焼いて食えばいいものを』
「人類は色々食べないといけないからね。それに数がやたらと多いし」
『それでも、わざわざ毒にも等しい苦味を中和してまで食おうとする執念は、もはや病気だな』
「ま、その病気のおかげで私たちの懐が温まるんだから、感謝しないとね。はい、ウル、もう十分だよ。降りておいで」
コロの合図で、ウルはふわりと音もなく枯れ葉の上に舞い降りた。
ズッシリと重くなった麻袋を抱え、一人と一匹は満足げに森を後にするのだった。
王都の特区、貴族学院。
白亜の美しい校舎から隔離されるように建つ特別棟の奥。
カビと乾燥した薬草、そしてツンと鼻を突く薬品の匂いが染み付いた薬草学の講師準備室では、相変わらず気だるそうなエルフの講師が、乱雑に書類の積まれた机に足を乗せてくつろいでいた。
高い位置にある小窓から差し込む冬枯れの陽光が、室内に舞う細かな埃を白く照らし出している。
「ほお、こりゃまた見事な紫胆果だ」
『よりどりみどり、選び放題だったぞ』
「お前らは普通じゃ行けねえような奥地にピクニック感覚で行けるからな。並の採取家だったら、浅い場所でクソみてえな品質のヤツしか採取してこられねえよ」
そう言いながら、エルフの講師は右手に持っていた紫胆果をヒョイと放り投げてはキャッチしている。
美しいエルフの容姿を持っているはずなのに、無精髭と目の下の濃い隈、そして信じられないほど態度の悪い座り方が、彼から一切の神秘性を奪い去っていた。
「粒も揃ってやがるし、傷一つねえ。相変わらず完璧な仕事だな」
「それは腕に関係なく、良い頃合いの実を持ってくるだけだから、すごく楽だよ」
「その『良い頃合いの実』がなかなか見つからねえから、世の採取家は苦労してんだよ」
「だね。さて、いつも通り、銀貨に換えてもらえるかな」
「おうよ」
チャリン、と重い音を立てて、エルフの講師が気前よく銀貨の袋を卓上に放り投げる。
それと同時に、引き出しから可愛らしい赤いリボンが巻かれた小箱を取り出し、コロの方へと滑らせた。
「ほれ、これも持ってけよ」
「わ、綺麗な箱だね。何これ?」
『お前と対極にあるような代物だな』
コロが小箱を受け取り、ウルが大きな鼻を近づけてスンスンと小箱の匂いを嗅いでいると、エルフの講師は小指で鼻をほじりながら「ケッ!」と鼻で笑った。
「お貴族様御用達の高級焼き菓子だそうだ。授業の後に、女生徒の一人が頬を染めながら差し出してきやがった」
エルフの講師は気だるそうに無精髭の生えた顎をボリボリと掻きながら、ニヤリと底意地の悪い口角を吊り上げた。
「教壇に立って『麗しきエルフの先生』のガワを被って優しく微笑んでやりゃ、こうやって美味い貢物がホイホイ集まってくんのさ。チョロいもんだぜ」
「あはは、先生も中々の悪党だねぇ」
『とんだ詐欺師だな。憲兵に捕まるのも時間の問題だ』
「馬鹿言え。人間族のションベン臭えクソガキなんかに手を出すかよ」
顔をしかめて心底嫌そうに反論したエルフの講師の反応にクスッと笑いつつ、コロは小箱をそっと開けた。
途端に、甘いバターと蜂蜜の香りが埃っぽい準備室に広がる。
箱の中には、手間暇かけて作ったと思しき、まるで工芸品のように繊細な焼き菓子が上品に並んでいた。
「ほら、麗しのヴィンセント先生への、心が籠もったプレゼントでしょ。あとで感想を言うためにも、チラッとくらい見ておいたほうがいいよ」
「どうせ使用人にでも適当に取り寄せさせたもんだろうが」
エルフの講師――ヴィンセントはそう悪態をつくと、箱の中身へチラッと視線を送り、焼き菓子の隅を無造作に千切って口に放り込んだ。
「美味えけどな。美味えけど、これを貰って、俺が食って、人間族のクソガキに靡くとでも思われてんのかね。その辺の犬や猫の餌付けじゃねえんだぞ」
『チッ。俺はこんな粉っぽい甘い物より、昨日の干し肉の方が良い』
「いいじゃない、ウル。これは後で私が美味しく頂くよ」
鼻先を背けてそっぽを向いたウルの頭を撫でながら、コロは焼き菓子の箱を大事そうに革鞄にしまう。
そして、受け取った銀貨の袋を開け、慣れた手つきで効率よく枚数を数え始めた。
ふと、手を止めて顔を上げる。
「ねえ、先生」
「ん?干し肉はもうねえぞ」
『……ないのか』
「干し肉じゃないよ。リストだよ、リスト」
「ああ、次のリストか?」
「それもだけどさ。そろそろ本格的な冬が来るけど、冬が明けるまで定常的な仕事はあるかな?」
コロの問いかけに、ヴィンセントは机から足を下ろし、怪訝そうに眉を寄せた。
「あん?そりゃあ仕事なら、お貴族様の坊っちゃん嬢ちゃん共相手の授業は絶えねえからな。腐るほどあるぜ?……なんだ、お前ら、冬の間はこの王都に留まるつもりか?」
「うん。雪の中を旅するのはウルのお肉を確保するのも大変だし、ここなら割のいい仕事が安定してあるからね。この町で冬を越そうかと思って」
『金貨の干し肉の安定供給は悪くない』
ウルがボソリと呟くと、エルフの講師は目を丸くし、それから歓喜の笑みを浮かべてバンッと机を叩いた。
「マジか!そりゃ願ったり叶ったりだぜ!お前らみてえに安価で、しかもどんな無茶な要望にも完璧に応えてくれる採取家が専属になってくれるなら、俺としては万々歳だ!」
勢いよく立ち上がったヴィンセントは、興奮気味に身を乗り出し、引き出しを漁ってドサリと分厚い羊皮紙の束を取り出した。
「冬の間しか採れねえ厄介な素材のリストだ!俺が適当にふっかけて予算を引き出しといてやるから、お前らもガンガン稼いでくれや!」
「あはは、任せてよ。しっかり稼がせてもらうからね」
暖かな春が来るまでの間、王都を拠点に据えることを決めた一人と一匹だった。
ヴィンセントの準備室を後にし、冬枯れの並木道を歩いていた時のこと。
寒風が吹き抜ける中央庭園の池の畔に、華やかな冬物のマントや毛皮を羽織った貴族のご令嬢たちが数人、足を止めて遠巻きに何かを見下ろしていた。
彼女たちの視線の先――うっすらと薄氷が張り、寒々とした濁った色を湛える池の中に、あの小柄な男爵家の少年がいた。
少年は靴も靴下も脱ぎ捨て、凍てつくような氷水に膝まで浸かっている。
真っ赤に腫れ上がった両手を泥だらけの水底に突っ込み、感覚の無くなっていそうな指先で、必死に何かを捜し求めていた。
池の周囲には、引きちぎられたペンダントの紐や、泥にまみれた家族の写真らしきものが散乱している。
「あら、あんなところで何をしているのかしら。見苦しいわね」
「さあ?侯爵家のディルク様たちにお小遣いを池に投げ込まれたそうですわよ」
「貧乏な男爵家からの仕送りですもの。薄汚れていた金貨を洗って差し上げたのではなくて?」
「ふふ!金貨ではなく、銀貨の間違いではなくて?」
「まあ、そうでしたわね!」
「必死になって泥を漁る姿、まるで飢えた野良犬のようですわ」
「ふふ、お可哀想に。でも、泥を啜って生きるのがあの家格にはお似合いなのかもしれませんわね。おーい、頑張って見つけなさいな?」
扇で口元を隠しながら、鈴が鳴るような声でくすくすと笑い合うご令嬢たち。
その瞳には、一抹の同情すらなく、ただ奇妙な見世物を見るような冷徹な好奇心だけが浮かんでいた。
少年は彼女たちの皮肉な声を浴びながらも、言い返す気力すら無いのか、ただ焦点の合わない目で黙々と凍る水底をまさぐり続けている。
『……チッ。以前よりもさらに酷い悪臭だな』
回廊の影からその様子を冷ややかに眺めていたウルが、不快そうに鼻を鳴らした。
『恐怖や惨めさの匂いがしない。ただ、底の知れぬ泥水のようにどす黒く澱んだ、何か別の不吉な匂いが混じり始めているぞ。こっちまで気が滅入ってくる』
「そっか。まぁ、あそこまでプライドをズタズタにされて、周りからも人類扱いされないんじゃね……」
『あのクソガキ共の言うとおり、あれでは飢えた野良犬と呼ばれても仕方ない』
「飢えた野良犬はあんな冷たい池に入らないよ。あの冷たさは堪えそうだなぁ。見ているだけでしもやけになりそう」
コロは首をすくめると、抱えていた革鞄をそっと抱き直した。
鞄の中には、ヴィンセントから貰ったばかりの、甘い香りがする焼き菓子の小箱が入っている。
少年の凍える絶望。
ご令嬢たちの冷ややかな嘲笑。
そして冬の痛いほどの寒気。
それら全てが渦巻く中庭を、コロとウルは何一つ干渉することなく、静かに通り過ぎていく。
ふと、池の中の少年が顔を上げた。
濁った水面越しに、回廊を歩く一人と一匹の姿が少年の瞳に映る。
だが、そこにはもう、かつてのような『助けを求める光』は一切なかった。
ただ凍りついた冬の池と同じ、底の知れない真っ暗な虚無だけが広がっている。
回廊を抜け、雪がチラつき始めた学院の正門へと続く並木道を歩きながら、ウルが忌々しそうに低く唸った。
『理解できんな。あそこまでされて、なぜあんな場所に留まっている?嫌ならさっさと去ればいいだろう。逃げる脚はあるのに……馬鹿なのか?』
「馬鹿じゃないよ。むしろ、馬鹿じゃないから逃げないんだ」
『む、とんちのつもりか?』
「別にとんちじゃないよ。逃げられない理由をちゃんと理解しているからこそ、あんな冷たい池の中で耐えているんだと思う」
『逃げられない理由だと?益々わからん。物理的な鎖で繋がれているわけでもなかろうに』
「目に見えない鎖でガチガチに縛られているんだよ」
コロは吐く息を白く染めながら、氷藍色の瞳で豪奢な学院の校舎を振り返った。
「この学院はね、ただの学び舎じゃないの。国中の貴族の子息息女を中央に集めておくための機関でもあるんだよ。建前は立派な教育だけど、本音は『地方貴族の反乱を防ぐための人質』なんだ」
『……なるほど。そういうことか』
「それに、貴族同士の派閥や繋がりもあるからね。あの子が『いじめられたから辞めます』なんて言って領地に逃げ帰れば、男爵家そのものが貴族社会から爪弾きにされて、最悪の場合は理由をつけて家を取り潰されちゃうんだよ」
ウルの疑問に、コロは淡々と人間社会の構造を説いていく。
野生の世界であれば、力の弱い個体は群れを離れて別の生き方を探すか、死に物狂いで牙を剥くかしかない。
だが、人類の――こと貴族社会においては、その『逃げる』という選択肢すら家柄という鎖によって奪われているのだ。
『フン。総合的な馬鹿だ。群れの掟や見栄に縛られすぎて、個としての生存本能すら押し殺さねばならんとはな。ひどく不自由で、ひどく歪んだ生き物だ、人類というのは』
「だね。自分の命より、見えない家柄だの体裁だのを優先しなきゃいけないんだから。……さ、帰ろうか、ウル」
雪は徐々に勢いを増し、コロとウルの足跡を白く塗りつぶしていく。
「今日のご飯は温かい煮込み料理がいいな。身体を温めないとね」
『フン。あの悪趣味な色水作りの無駄金が、美味い肉に化けるのなら悪くはない』
群れの底辺で凍える個体にも、それを嘲笑う歪んだ個体にも、一人と一匹は目もくれない。
ただ、財布の中でチリンと鳴る銀貨の音と、今夜の温かい食事のことだけを考えながら、澱んだ学院を後にして雪の降る街へと足を向けるのだった。
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