毒の華と、群れの鎖 1 〜虚飾の花と、裏口の共犯者〜
1.
とある王国。
王都の喧騒から少し離れた、近郊の深い森。
夜の冷気がまだ色濃く残る早朝の空気は、肺の奥まで澄み渡るように冷たく、そして静謐だった。
頭上を覆う分厚い木々の隙間から、細い糸のような木漏れ日が幾筋も差し込んでいる。
その淡い光が、地表に降りた幾千もの朝露を弾き、薄暗い森の底に砕けた硝子のような輝きを散りばめていた。
「よし、このくらいかな」
『納得のいく品質だったか?』
「……うん、花弁も傷ついていないし、色も鮮やかだね」
『それで終わりか?』
ひんやりとした土と腐葉土の匂いが漂う中、コロは足元に群生する花々を、まるで貴重な宝石でも扱うかのようにそっと指先で摘み取っていた。
淡い紫や透き通るような青。
見た目こそ毒々しいほどに華やかで美しいが、薬草としての実用的な効能はひどく薄い、ただの『見栄え』のための嗜好品に近い野草たちだ。
コロはそれらを丁寧に切り揃え、持参した革鞄の中へと、花弁が潰れないようふんわりと収めていく。
「だね。どうせまた夜中になったら来るし、今日のところはこれくらいでいいや」
『……お前もご苦労なことだな』
コロのすぐ傍らで、湿った苔の上に伏せていたウルが、退屈そうに大きなあくびをして鼻を鳴らした。
『お前のいうところの『嗜好品』ばかりを集めて何になる。見栄えだけを意識した嗜好品など、薬を作るうえでは効果には影響のないゴミだろう。本当に人類の虚栄心というのは理解しがたい』
「まぁね。こんなもの、薬の材料としては大した薬効なんてないんだけどね」
ウルの呆れ果てたようなボヤきに、コロは特に否定もせず、革鞄の留め具をカチンと鳴らして立ち上がった。
「でも、人類って生き物は、中身の効能よりも『見た目の美しさ』とか『美味しさ』に価値を見出す生き物だから。こういう無駄に綺麗で扱いの面倒な花を、実用的な薬草よりもずっと高い値段で買い取ってくれるんだよ」
『苦いのが嫌なら飲むなと言いたいところだがな』
「採取家としては、じゃんじゃん無駄に拘った薬を使ってもらったほうが嬉しいよ」
コロは革鞄をポンと叩き、氷藍色の瞳を細めてニッコリと笑った。
「私たちにとってはどうでもいい雑草でも、それがキラキラ光る銀貨に変わるんなら、人類の非合理性バンザイってところかな。さ、ウル、納品に行こうか。今日のお肉代が待ってるよ」
『フン。現金なやつめ』
「引っかかる物言いだなぁ。あ、ひょっとしてお肉はいらない?」
『分かっているくせにいちいち聞くな。いる』
ウルは面倒くさそうに身を起こすと、ブルブルと身体を震わせて毛並みについた朝露を払い落とした。
森の静寂の中、生命の合理性からはかけ離れた『見栄えだけ』の花束を抱え、一人と一匹は足取りも軽く王都の貴族学院へと向かうのだった。
王都の特区に広大な敷地を有する、豪奢な装飾が施された貴族学院。
その煌びやかな白亜の表舞台とは無縁の、裏口から入っていった先にある特別棟のさらに奥。
薬草学の講師準備室は、カビ臭い埃と乾燥した薬草、そしてツンと鼻を突く薬品の匂いが幾重にも染み付いた、薄暗く雑然とした空間だった。
「ほらよ、今回の代金だ。いつも通り、傷一つねえ完璧な仕事だな」
チャリン、と重みのある銀貨の袋が、乱雑に書類が積まれた卓上へと放り投げられた。
白衣を羽織り、エルフ特有の長い耳を鬱陶しそうに掻いているのは、この準備室の主である薬草学の講師。
本来なら美しい容姿を持つはずのエルフだが、彼の顎には無精髭が伸び放題になり、目元には慢性的な睡眠不足とストレスを物語る濃い隈が張り付いている。
卓越した薬師としての腕を見込まれて平民から引き抜かれた彼にとって、この学院はただの金払いの良い吹き溜まりに等しかった。
「ありがとう。うん、報酬もピッタリだね」
「そりゃあどうも。……にしても、こんな上等なモンばかりきっちり揃えて貰って、手取り足取り教えて貰って、教本通りに薬を作って薬師様ってか。笑っちまうよな、お貴族様の手習いの道楽みたいなもんだ」
コロは受け取った銀貨を効率よく数えながら財布に収め、エルフの講師はコロが持ち込んだ色鮮やかな花々を、まるでゴミでも扱うかのように鼻で笑いながら仕分けしていく。
「まったく、馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえよ」
「だね。薬ってよりは健康志向のジュースだよ」
「はは、だな。薬ってのは、そいつの生活圏から歩いていける範囲で揃えられる薬草から、クソ苦えモン作ってナンボの代物だろうが」
そんな悪態をつきつつ、エルフ講師は机の引き出しから干し肉を取り出すと、身を乗り出してウルの口元へ差し出した。
「ほれ食えよ」
『阿呆、俺はペットではないぞ』
「こんなとこで講師をやってるとな、無駄に高級な土産を貰えんだよ。食っとけ食っとけ。ウル、お前、数切れで金貨が必要になる干し肉なんて食ったことあっか?」
『フン、まあ……食う』
終始マズルにシワが寄っていたウルだったが、エルフの講師から金額を聞いた途端、マズルのシワはどこかへと消え去ってしまった。
「ほれ、コロも食えよ」
「ありがとう。干し肉が金貨ね……」
ついでにコロも高級干し肉を受け取り、財布を机に置いたまま齧り付いた。
エルフの講師は椅子にどっかり腰を下ろし、机の上に両足を乗せた。
「で、アレだよ。……なんだったっけ?」
「うん、これはたしかに美味しい。で、薬は生活圏内で揃う薬草で作るべきって、当たり前のことを言っていたよ」
「お!そうだよ、そう!あいつらときたら、『色が濁っているから下品だ』とか『泥の匂いがするから飲めない』だのと寝言を抜かしやがる。俺から言わせりゃ、遠出してまで手に入れた、こーんな見栄えだけの草花を煮詰めた液体なんざ、ただの香水か色水だっつの」
心底うんざりした様子で、エルフの講師は毒づいた。
平民である彼が、プライドだけは一人前の貴族の子息たちにどれだけ見下され、理不尽な要求を押し付けられているかが窺える愚痴だった。
「まぁ、貴族の子息息女だしね。初めから泥にまみれるような実践的なものなんて、望んでいないんじゃないかな」
「違いねえな。あいつらにとっての魔法や薬学なんてのは、夜会で自慢するための飾りのようなアクセサリーに過ぎねえんだ。実践なんて、金で雇った平民共にやらせりゃいいって本気で思ってやがる」
やれやれと肩をすくめ、エルフの講師は疲れたようにため息を吐き出した。
コロはそんな彼の愚痴を、モシャモシャと干し肉を齧りながら、淡々と聞き流してクスッと笑う。
「でも、その中身のないアクセサリー作りのために、こうして相場よりずっと高いお金を払ってくれるんだから、良いお客さんじゃない?」
「はっ、違いねえ。あいつらはただの金づるだ。平民の俺が、貴族のガキどもの機嫌を取りながらこの馬鹿げた学院で教師なんてやってられるのも、あいつらが落とす無駄金のおかげだからな」
「こんなウルみたいに口が悪いのに、生徒の前では麗しいエルフ先生なんだから、面白いよね」
『だな。最初に見た時、人格が分裂する病にでもかかっているのかと疑ったぞ』
干し肉を咀嚼しながらそう言ったウルの言葉に、コロもクスッと笑いながら「だね」と同意する。
エルフの講師はニヤリと口角を上げると、唐突に表情を優雅なものへと変えてみせた。
「賢く、そして楽して生きるためのコツ、というヤツですよ」
『フン。ずっとそう喋ってろ』
「ハン、疲れるっつんだよ、バーカ」
すぐに元の飄々とした表情に戻ったエルフの講師は、自身も高級な干し肉にかじりついた。
『しかしコロも言っていたが、学院の連中は相場もロクに見ていないのか?高すぎるようだが』
足元で退屈そうに伏せていたウルが、微かに喉を鳴らした。
エルフの講師は頭の後ろで両手を組んだまま、カラカラと笑った。
「ったりめぇだろ?お貴族様連中は生の相場なんざ知らねえし、そもそも細けえ端数みてえな金は興味ねえよ」
「私の取り分でも天雫草が一株、銀貨三十枚だもんね。何十年前の相場だろうね」
『じゃあ依頼主であるお前はもっと掠め取っているんだろう。この学院は馬鹿なのか?』
ウルがため息交じりにそう尋ねると、エルフの講師は肩をすくめた。
「馬鹿の集まりだよ。だがな、この学院は商会みたいな営利団体じゃねえんだ。国からの莫大な助成金と、お貴族様方からのアホみたいな寄付金で腐るほど潤ってんだよ。いちいち薬草の一株、二株の相場なんて、誰も細かくチェックしちゃいねえのさ」
「前回も前々回もそうだったじゃない、ウル。大きな器として予算は見ても、その器の中の一粒一粒なんて見ないよ。そこにリソースを割くくらいなら、大きな器だけ見て進めた方が効率がいいの」
「そういうこった。どうせ使い切れねえほど予算をがっぽり取ってんだから、細かいことは気にせず、俺もお前もガンガン貰っとけってことだよ。お前らだって、たまにフラッと来てここで荒稼ぎするのが楽しみなんだろ?」
生徒たちを「金づる」としか見ていない擦れっ枯らしの大人と、人間の非合理性を「利益」として冷徹に肯定する魔物。
そこには、互いの利害だけが完全に一致した、奇妙な共犯関係が成立していた。
『まあ……鄙びた田舎の掲示板のお使いよりはマシだな』
「だね。それじゃ、また次の採取に行ってくるから、リストをちょうだい」
コロの言葉に、エルフの講師は机から一枚の羊皮紙を取り出した。
「ああ、頼むぜ。腕の立つ採取家をまともに雇おうとしたら、この程度の金じゃ済まねえからな。お前らみたいな腕の良い変わり者がいて助かってるよ」
ひらひらと手を振るエルフの講師に見送られ、一人と一匹は薬品の匂いが充満する準備室を後にした。
特別棟の裏口から抜け出し、一人と一匹は学院の敷地内を歩く。
白亜の校舎と、幾何学的な模様に美しく刈り込まれた庭園。
どこを見渡しても絵画のように完璧な景観が広がっているが、少し裏手に回れば、どの世界にも共通する『澱み』が存在しているもの。
渡り廊下の影となる、豪奢な薔薇のアーチの裏側。
そこには、三人の身なりの良い貴族の少年たちが、一人の小柄な少年を壁際に追い詰めている姿があった。
「あーあ、手が滑っちゃったよ。これはすまないことをした」
「貧乏男爵家の分際で、そんな上等な仕立ての制服を着るからいけないんだぜ?」
「どうせ貧しい領民から搾り取った小銭で買ったんだろう?少し汚れているくらいが、お前らの家格にはお似合いだ。そうは思わんか?」
「ああ、同意だ」
下品な笑い声と共に、小柄な少年の頭上から泥水が容赦なく浴びせかけられる。
丁寧に仕立てられた制服が、無惨にも黒い染みを作っていく。
被害者の少年は歯を食いしばり、ただ俯いて震えているだけだった。
『……腐った泥よりも酷い悪臭だな』
少し離れた回廊の柱の陰を歩きながら、ウルが忌々しそうに鼻先を前脚で擦った。
『下劣な優越感と、惨めな恐怖の入り混じった匂いが鼻をつく。嗅覚が腐りそうだ』
「鼻が良いのも考えものだね。……にしても、どこにでもいるね、ああいうの」
コロはチラリと視線を向けただけで、すぐに興味を失ったように前を向いた。
「自分一人じゃ何もできないくせに、群れになった途端に気が大きくなる。群れでしか自分の強さを誇示できないなんて、本当にバカバカしい生き物だよ」
『まったくだ。単独で狩りもできんような弱い生き物は、せめて群れの中で身を寄せ合って大人しく生きればいいものを。わざわざ群れの中でさらに弱者をいびり出すとは、生物として欠陥を抱えているとしか思えん』
「まぁ、あの貧乏貴族の子も、反撃して相手の喉笛を噛み切る度胸がないなら、群れの底辺でじっと耐えるしかないよ」
一人と一匹が冷徹な生物学的評価を下しながら通り過ぎようとした、その時。
泥水を被った少年がふと顔を上げ、回廊を歩くコロたちとバッチリ目が合った。
少年の瞳に、ほんの僅かな『助けを求める光』が宿る。
しかし、コロはその視線を真っ向から受け止めながら、表情一つ変えることなく――ぷいっ、とそっぽを向いた。
「さ、ウル。こんなところで油を売ってないで、市場でお肉を買って一眠りしよう」
『フン。金貨の干し肉のせいで、並の肉では満足できん身体になってしまったかもしれんぞ』
「あはは、高くつく相棒だねぇ。先生には困っちゃうなぁ」
助けなど、来るはずもない。
コロとウルにとって、人類の社会で起きる縄張り争いや序列付けなど、道端の石ころ以下の価値しかないようだ。
絶望に染まる少年の視線を背中に浴びながら、一人と一匹はただの『風景』として、その場を通り過ぎていった。
森での無意味な採取、準備室での癒着と納品、そして人類の醜悪な生態の傍観。
コロとウルにとって、この澱んだ学院のサイクルは、ただ銀貨を稼ぐための『変わらない日常』に過ぎないのだった。
面白かったという方はブックマークや☆を頂けますと幸いです。




