愚かなる復讐劇と、海の支配者 2 〜毒草の特需と、血塗られた計画〜
2.
岩肌の岸壁から夜道を歩くこと数時間。
すっかり日が落ちた頃、一人と一匹は島で一番大きな港町へと到着した。
海風を凌ぐために石造りの建物がひしめき合うように建ち並ぶ、活気ある港町。
しかし、行き交う人々の顔はどこか強張っており、町のあちこちからピリピリとした重苦しい空気が漂っていた。
「なんか、随分と物々しい雰囲気だね」
『あのマーメイドたちの狩り場になっているのであれば、人類どもが怯えるのも無理はないだろう』
「まあ、それもそうか。とりあえず、今日はゆっくり休める宿を探そう」
町に漂う物々しさに興味をなくした一人と一匹は、目抜き通りの雑踏へと消えてゆく。
コロとウルは町の喧騒を抜け、手頃な宿を見つけると、そのまま一階に併設された食堂へと足を運んだ。
席に案内され、運ばれてきた本日の夕食は、こんがりと焼き色のついた肉厚な白身魚の定食だった。
ジュウジュウと音を立てる魚から、食欲をそそる脂の香りが立ち上る。
「わぁ……これは美味しそう」
コロは目を輝かせてナイフとフォークを手に取ったが、ハッと思い出したように手を止め、足元で伏せているウルへと視線を向けた。
「……ウル、どうかな」
『フン。少し待て』
ウルはのそりと首を持ち上げると、テーブルの上の焼き魚に鼻先を近づけ、スンスンと匂いを嗅いだ。
そして、マズルを少しだけヒクつかせた後、短く鼻を鳴らす。
『……よし。今度こそ問題ない。いかにも人類が手を加えた、何の細工もないただの焼き魚だ』
「よかった。お昼からずっと、美味しいお魚を食べたい気分だったんだよね」
ウルの『お墨付き』をもらい、コロは満面の笑みで焼き魚にかぶりついた。
パリッとした皮の食感と、ふっくらとした身から溢れ出す濃厚な旨味。
昼間に甲板で嗅がされたあの暴力的な匂いの正解を、ようやく胃袋に収めることができたのだ。
「あー……うん、やっぱり美味しいね。港町の魚は新鮮だから最高だよ」
『アレほど嫌気のさしていた魚も『悪くないな』と思えてしまうから不思議だ』
「たまに食べるから美味しいんだろうね」
コロはウルは満足そうに魚を平らげていくのだった。
その夜。
割り当てられた客室のベッドでゴロゴロとくつろぎながら、コロは明日の予定を口にした。
「とりあえず、明日の朝一番に町の掲示板を見てみようか」
『薬草店ではなく、掲示板か』
「うん。これだけ町中がピリピリしてるってことは、何かしらマーメイド対策で動いているかもしれないからね。情報収集の基本だよ」
『フン。どうせ人類の考える浅知恵など、たかが知れているだろうがな』
「その浅知恵を確認しに行くんだよ。そのあとは、この町の薬草店に行って、もっと詳しい話を聞き出そう」
『お前も悪趣味だな。阿呆どもの足掻きを見物しようというのか』
「違うよ。足掻きに便乗して、少しでも高く薬草を買い取ってもらえないか交渉するんだよ。せっかく島まで来たんだから、しっかり稼がないと」
『……たくましいことだ』
コロのブレない旅の目的に、ウルは再び深い溜息を吐き出し、ベッドの横で丸く丸まった。
一人と一匹は、明日から始まるであろう港町の騒動を前に、波の音を子守唄にして静かな眠りにつくのだった。
一人と一匹が島に上陸した翌日の早朝。
島の最も大きな港町は、朝から重苦しい空気に包まれていた。
見張りの水夫が望遠鏡で沖合を確認し、ギリッと奥歯を噛み鳴らしている。
そこには、潮の流れに乗って島へとどんぶらこと近づいてくる、一隻の無人の定期船の姿があったからだ。
「……くそっ。また定期船がやられたぞ!マーメイドのクソアマどもめ……!」
「これで今月三隻目だぞ。このままじゃ島の物流が干上がっちまう!」
怒号と悲鳴が飛び交う港町。
そんな殺気立った町の掲示板には、血文字のような赤いインクで『毒草・毒薬、特別価格にて高価買取!』という張り紙がデカデカと貼られていた。
そのインクの色だけでなく、筆跡からも怨念じみた何かを感じずにはいられない。
ひょっとすると、マーメイドたちへの報復と駆除のため、人類側は海に致死性の毒を撒くという強硬手段に出るのかもしれない。
目的までは明記されていないものの、行き交う人々の口から『マーメイドども』と飛び出すあたり、何に対して憎悪を抱いているのかは火を見るよりも明らかだ。
『何が書いてあるかは知らんが、人類どもがカンカンになっているのだけはよく伝わってくるな』
「怨念がこもっていそうだね。毒草と毒薬を、特別価格にて高価買取!だってさ」
ピリピリとした港町の喧騒などどこ吹く風。
若干呆れ気味なトーンでそう説明したコロ。
『ほほう……?人類というのは、本当に救いようのない阿呆だな』
コロの隣で大人しく座っていたウルが、鼻で笑うように呟いた。
『広大な海に、ちまちまと小瓶で調合した毒薬を撒いたところで、何の意味がある。海水で薄まって終わりだろうに』
「だね。マーメイドたちはおろか、その辺の小魚一匹殺せるかどうかも怪しいと思う。気休めにもならないし、ただのお金の無駄遣いだと思うかな」
『分かっているなら、なぜ毒をかき集める』
「さあね。少なくとも私は需要があるからかき集める。人類が勝手に無駄遣いして落ちたお金を私が拾っても、別に海が一層汚れるわけじゃないしね。特需が終わるまではしっかり稼がせてもらうおうかな」
コロはケロッとした顔で言ってのける。
人類の愚かな計画を止める義理もなければ、マーメイドの肩を持つ理由もない。
「そうと決まれば、まずは薬草店で情報収集だね」
『その後は当面、山籠りだな』
「港で釣りをするよりは良いでしょ」
『山籠りだなと言っただけだ。別に文句は言っていない』
ただ目の前の利益を淡々と回収する、それが旅人としてのコロの確固たるスタンスだった。
掲示板のある広場を抜け、一人と一匹は目当ての薬草店へと足を踏み入れた。
カラン、と乾いたベルの音が鳴る。
店内は普段の薬草店に漂うような穏やかなハーブの香りではなく、鼻の奥をツンと突くような、複数の毒草を煮詰めた刺激臭が充満していた。
「いらっしゃい……ああ、悪いねお嬢ちゃん。今ちょっと傷薬の在庫を切らしてるんだ。どうしてもって言うなら、明日また来てくれ」
カウンターの奥から顔を出した人間族の初老の店主は、目の下に濃い隈を作り、ひどく疲労困憊した様子だった。
すり鉢で何かをすり潰す手は止まっておらず、店内には他にも数人の店員が血走った目で毒薬の調合に追われている。
「ううん、買いに来たわけじゃないよ。その辺で採ってきた質のいい薬草があるんだけど、買い取ってくれないかなと思って」
「……ああ、買い取りか。どれどれ」
店主はため息をつきながら、コロが差し出した麻袋の中身を確認する。
その間、ウルが小さな唸り声をあげた。
『おい、採取したのは、その辺ではなかっただろう』
「……後で説明するよ」
『ふむ……』
コロの言葉に口を閉ざすウル。
そして、店主による確認が終わったようで、顔を上げてコロの氷藍色の瞳を見つめた。
「ふむ、傷は少ないし、鮮度も悪くないな」
「でもちょっとバタついちゃって、処理が遅れててね」
「謙遜するなよ。その辺の採取家なんか目じゃないくらい丁寧だ。……よし、6700マリーガで引き取ろう」
「ありがとう、それでお願い」
「だがね、お嬢ちゃん。もし腕の立つ採取者なら、今はこんな普通の薬草よりも、『毒草』を持ってきてくれた方がよっぽどありがたいんだがね」
背後で亡霊のように淡々と毒草の処理をしている従業員たちに視線を送りつつ、そう告げた店主。
その言葉に、コロは「やっぱり」という顔で小さく頷いた。
「今朝やっと掲示板を見たんだ。毒薬を高価買取って。……でも、どうして急にそんな大量の毒が必要になったの?戦争が始まりそうな感じじゃないと思うけど……」
コロがあえて純真な子供のような顔で尋ねると、店主はギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「そりゃあ、アレさ……」
「アレ?」
「マーメイドのクソアマどもを、一匹残らず海に沈めるためさ」
店主は恨み言を吐き捨てるように、重い口を開いた。
「ここ最近、沖に出た漁船や定期船が次々と奴らに襲われているんだ」
「へえ、そうなんだ」
コロの白々しい発言に、ウルは小さくため息をつく。
「それだけじゃない。夜な夜な海岸に近づいては、若い男たちを誑かして海に引きずり込みやがる。昔から、島のあちこちの若い衆が海に消えちまったなんて話は珍しくと何ともねえ」
「へえ……それは大変だね」
「ああ。だからここの町長が他の町や村の音頭を取って、七日後の『新月の夜』に決行することになったんだ。潮の流れが島から沖へと向かう時間帯を狙って、奴隷や罪人を乗せた船を囮にして、港の裏手からありったけの猛毒を海に流し込む。そうすれば、あの忌々しい魔物どもも一網打尽にできるはずだ」
悲壮感と復讐心に燃える店主の言葉。
しかし、その『完璧な計画』を聞いた足元のウルは、『……馬鹿が。新月の夜の引き潮程度で、あの広い海を毒で満たせるわけがなかろうに』と呆れ果てたように息を吐いていた。
「なるほどね。……それじゃあ、前日の夜までは買い取ってもらえるかな」
「ああ!相場の三倍で買い取らせてもらうよ!頼んだぜ、お嬢ちゃん!」
「任せて。それで、具体的に採ってきて欲しい物を確認したいんだけど――」
身を乗り出し、店主と本格的に確認し始めるコロ。
幼い獣人の子にしか見えないコロの口から出てくる、熟練の採取家としか思えない専門的な言葉や知識の数々を受け、店主の方もすっかり説明に熱が入ってゆく。
そして、そんな二人から熱が奪われていくかの如く、ウルは大あくびをしてから床に伏せた。
店を出て、潮風の吹き抜ける表通りへと戻った一人と一匹。
コロはすぐさま、島の背後にそびえ立つ小高い山へと視線を向けた。
「七日後の夜が決行日。たっぷりと稼げそうだね」
『この島から毒草がなくなりそうだな』
「どうだろうね。急いで山に行って、お金のなる毒草をむしり取ってこよう」
『フン。せいぜい群れの小魚が数匹浮く程度の、壮大でちっぽけな計画のために、ご苦労なことだ。まぁ、お前の懐が潤うのなら付き合ってやるが』
「ウルのお肉代にもなるんだから、張り切って護衛してね」
『張り切り甲斐がある相手など生息していないだろう』
人類の悲痛な復讐劇も、魔物の脅威も、彼らにとってはただの「特需イベント」に過ぎない。
一人と一匹は足取りも軽く、毒草が群生しているであろう島の山奥へと向かって歩き出した。
『おい、ところで』
「ん?」
『さっきはなぜ『その辺で採取した』などと、つまらん嘘をついた?』
「ああ、それね」
町の外へ向けて歩みを進めつつ、コロは隣を歩くウルに視線を向けた。
「昨日の朝、大陸で摘んだ薬草を、今朝、この島で売る手段なんて存在していないからだよ。その筋の職人相手に、採取した日は誤魔化せないからね」
『ん?……ああ、そうか』
「ね?私たちが乗っていた定期船が無事にこの島に着いていたとしても、この島に着くのはもうちょっとしたら。まさか『乗っていた定期船がマーメイドに襲われたけれど、マーメイドが魔物のよしみでここまで運んでくれました』なんていえるわけないし」
『抜け目がないな。俺はそこまで気が回らんかったな』
ウルが感心するように視線をコロに向ける。
コロはクスッと微笑んでから、パチッとウインクを送った。
「伊達に長年旅をしていないからね。そういう小さな矛盾が、やがて大きな疑惑に繋がる可能性がある。この辺が世界な人類はアッシュウルフなんて知らないだろうけどさ、テイミングできっこない魔物を連れて歩いている変な子供が、変な嘘をついているなんて、厄介なことに発展しかねないよ」
『バレたら囮にされるかもしれんな』
「あんな纏めて活きが良い人類を大量に欲しがったってことは、多分だけど、マーメイドの群れの中で赤ん坊が複数生まれたんだと思う」
そう言いつつ、左手で何かを指折り数えているコロ。
ウルは『ふむ』と呟いて視線を戻した。
『どうせ「人類だって網で魚をごっそり捕るでしょ」……だろ?』
「ははは、だね。マーメイドにエサ扱いされるのが嫌なら、もっと戦略的……いや、人類の群れじゃマーメイドに太刀打ちなんて出来ない、か」
『海の中では呼吸だけではない。身体が重くなるうえ、まともに使える魔法も少ない。空を舞うハルピュイアのように自由自在に海の中を動ける強者の群れ相手にどうにかなる訳がない』
「だね。エサ扱いされるのが嫌なら、海沿いに住まなければいいだけの話だよ」
『あとは誑かされんよう、見境なく発情する馬鹿どもに首輪でもして繋いでおいたほうが良いな』
「そうだね。普通にしていたら絶世の美人だもん。大抵言葉は通じるし、上半身裸だし。そりゃ、人類のオスなら誑かされてもやむ無しじゃない?」
そう言って肩をすくめるコロと、ため息をつくウル。
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