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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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殻を破る音色と、恋に落ちた作曲家 5 〜種族の壁を越えた凱旋と、歴史が変わる前日譚〜

5.


セリアは泣き笑いのような表情でエドワードの首に抱きついた後、ふわりと宙に浮き上がり……その鋭い鉤爪を持つ猛禽の足で、エドワードの肩口と腰のベルトをガシッと力強く掴み上げた。


「え?ちょ、セリア?」

「行くわよ、私の専属作曲家さん!」


バサァッ!と巨大な翼が羽ばたき、周囲の枯れ葉や土ぼこりを巻き上げるほどの突風が吹き荒れる。


「うわああぁぁぁっ!?」


情けない悲鳴を上げるエドワードをぶら下げたまま、セリアは茜色に染まる夕焼けの空へと一気に舞い上がった。


木々の梢を抜け、雲を割り、眼下に広がる果てしない森と平原。

初めて見る『鳥籠の外の景色』と、全身を叩きつける荒々しい風。

恐怖よりも、圧倒的な感動がエドワードの全身を貫いていた。


「ははははっ!見ろ、セリア!私は、私は空を飛んでいるぞ!!」

「ふふっ!ジタバタしちゃダメよ!」


夕暮れの空の彼方、二人だけの空中散歩。

しばらく自由に空を舞った後、セリアはコロたちのいた場所へ、ふわりと滑り込むように着地した。


足の拘束を解かれ、地面に転がったエドワード。

彼は服の汚れも気にせずガバッと跳ね起きると、興奮で顔を紅潮させ、セリアの両翼を強く握りしめた。


「素晴らしい……!なんという景色だ!あの風の音、高度による空気の冷たさ。そして心を通わせた愛しい君という存在……!ああ、ダメだ、インスピレーションが、新しい旋律が次から次へと湧き出て止まらないッ!」

「ふふ、また私を置いて、自分の世界に入っちゃうの?」

「まさか!この溢れ出る音楽は、君と共に奏でるためのものだ!」


エドワードはセリアを強く引き寄せると、その透き通るような肌に、今度は彼の方から熱烈な口づけを落とした。

セリアもまた、大きな翼で彼を包み込むようにしてそれに応える。


「ああっ!!世界とは、こんなにも色鮮やかに輝いていたのか!!」

「私も初めて知ったわ!!こんなにも綺麗な世界だったのね!!」

「私がずっと掴み取ろうとしていた『向こう側』が、今、この瞬間なんだ!!しかし『向こう側』の先には、こんなにも音楽が溢れていたなんて!!」

「ふふ!これから忙しくなるわね!」

「ああ!でも、今までとは違う『幸せ』な忙しさだ!!」


種族を超え、完全に想いを確かめ合った二人。


エドワードは息を切らしながらも、瞳をギラギラと輝かせて矢継ぎ早に口を開いた。


「よし、まずは急いで宿に帰ろう、セリア!すぐに荷物をまとめて、明日の朝一番には王都に向けて出発する!」

「王都に?でも、私みたいな魔物が……」

「大丈夫だ、私に任せておけ! ……いや、いきなり王都は流石に風当たりが強いか。ならば、まずはハスウェル領に立ち寄るべきだな。父上に直談判し、伯爵家の保護下で君の籍を……」


音楽家としての狂気と、貴族としての冷徹な政治的算段をフル回転させ始めるエドワード。




「……先生、マジでハルピュイアを実家に連れて帰る気だ」

「そうだね。腹を括った顔をしてる」


そんな二人の様子をジッと見守っていたコロたちが、呆れ顔でその光景を眺めていた。


『フン。己の血筋と権力を利用してまで魔物を囲おうとするとはな。狂人ここに極まれり、だ』

「まぁ、ハルピュイアが『ハーピー』なんて呼ばれて、普通に人類として暮らしている土地は現に実在する訳だしね。そんな土地に住む彼らの中に狂人は少ないよ」

『まあ人類を食わずとも、飢え死にする訳ではないからな』

「だね。特にハルピュイアとかサキュバスは人類のメスに近い形をとるから、受け入れる側さえ理解してくれれば、すんなりと人類の生活に馴染んでいけるんだと思う」


そんな一人と一匹の会話に、騎士が口を挟む。


「まあ、現にハルピュイア程の魔物が味方につくのであれば、かなりの戦力が期待できるしな」

「そうだね。特にセリアは強い部類のハルピュイアだよ。群れないハルピュイアは、群れる必要がないくらい腕が立つって証拠だから」


そう言って、コロは肩をすくめた。




その日の夕暮れ。


エドワードとセリアを伴って村の入り口へと差し掛かった一行を待っていたのは、当然の如く、村人たちによる大パニックと強固な警戒網だった。


「ま、魔物だぁーーッ!!」

「あの先生がハルピュイアに捕まってるぞ!皆、武器を持て!武器がなけりゃ鍬とピッチフォークを持てぇッッッ!!」


大騒ぎしながら集まってくる村人たち。

セリアは小さく息を吐き、無意識のうちにエドワードを庇うように翼を広げようとした。

しかし、エドワードは彼女の前にスッと立ち塞がり、毅然とした態度で村人たちを見据える。


「待ってくれ!彼女は私に危害を加えるような魔物ではない!」

「先生!アンタ何言ってんだ!そのハルピュイアに誑かされてるぞ!」


エドワードの必死の弁明も、恐怖に駆られた村人たちの耳には届かない。

一触即発の空気が漂う中――ふと、コロが前に進み出た。


「ねえ、皆」


怒号と喧騒の中にあって、コロの平熱な声は不思議とよく響いた。

村人たちだけでなく、エドワードやセリアもコロの背中をジッと見つめていた。


「人類だけで暮らしているのが大半のこの大陸で、戦争は起きていないの?」


唐突な問いかけに、村人たちがピタリと動きを止める。

コロは氷藍色の瞳で、鍬を構える村人たちを淡々と見回した。


「な、なんの話をしてるんだ……?」


村人たちを庇うようにして槍を構えていた衛兵がそう漏らす。


「ついこの前もね、開戦前夜の国に立ち寄ったけれど、その国は老人に爆弾を抱えて敵陣に突っ込んで自殺してこいって命令していたよ。命令する側も人類だったし、命令される側も人類だった」

「なっ……」

「また別の機会に、仲睦まじく愛し合っていた男女のもとにね、大金が転がり込んだが故に、女の人が男の人を殺したって事件があったんだ。その女の人だって結局、別の人に騙されて殺されていた。その時だって、当事者の中に魔物は一匹もいなかった」


コロの放つ生々しくも残酷な『人類の現実』に、村人たちは息を呑み、押し黙るしかない。

人類だから安全で、魔物だから悪。

そんな単純な二元論など、過酷な旅を続けてきたコロの前では何の説得力も持たないのだ。


「海の向こうにあるラーバニア大陸の南グルズガン地方ではね、ハルピュイアは『ハーピー』って呼ばれる人類として扱われているんだ。他の種族よりも抜きん出て歌が上手な種族として。人類もハーピーも、誰一人として、ハーピーは魔物だなんて夢にも思っていない」


コロはそこで言葉を切り、少しだけ肩をすくめてみせた。

そして、エドワードとセリアの方へと視線を向ける。


「何の話をしたかったかと言うとね、人類同士で居るから安心安全なんて発想は、危ういってこと。人類同士だって残酷な出来事は多い。大事なのは『人類』か『魔物』かなんて物差しじゃない。何より、先生とセリアの曲をこの場で聞いてみて、二人の様子を見て、それから自分で判断してみるといいと思うよ」


コロの言葉を合図に、覚悟を決めた表情を浮かべたエドワードがゆっくりとアコーディオンを構え、セリアが静かに息を吸い込んだ。


「さあ、聴いてくれ!私は『自らの殻を破るような刺激的な体験』を求めていた!彼女がそんな殻をぶち破ってくれた!そして次は君たちのその退屈な常識という殻を、音楽で打ち壊してみせよう!」


夕闇が迫る村の入り口に、彼の最高傑作である情熱的な旋律が響き渡る。

それに呼応するように、傍らに立つセリアも美しいハミングを重ねた。


人類と魔物が紡ぐ、圧倒的で、暴力的で、ひどく美しい音楽。

それは、今まで農作業と井戸端会議しか知らなかった村人たちの魂を根底から揺さぶる、未知の「刺激」だった。


見ている聴衆の胸が締め付けられるような、切ない表情を浮かべながら見つめ合う二人。

しかし、曲調とともに情熱的な笑みを浮かべながら視線を絡め合う。


「おお……おおおお……っ」

「なんて、美しいんだ……」


構えていた農具が次々と地面に落ちる。

村人たちは魔法にでもかけられたかのようにその場にへたり込み、ある者は涙を流し、ある者は恍惚とした表情で、異種族の二人が奏でる奇跡のセッションに聞き入っていた。




コロの『論理』で村人たちの偏見を黙らせ、エドワードとセリアの『感情』で彼らの魂を奪う。

完璧な役割分担による、見事な凱旋だった。


『フン。音楽という名の洗脳魔法か』

「人聞きが悪いなぁ」

『しかしアレだな。一滴の血も流さずに群れを支配するとは、やはり人類の狂人は恐ろしいな』


呆れたように鼻を鳴らすウル。

その傍らで、騎士は「やれやれ」と首を振りながらも、どこか満足げな顔で剣から手を離した。


「さ、私たちの仕事も終わったし、明日の朝は残りの報酬でお肉屋さんにでも行こうか」

『うむ。今回の報酬で得た家畜肉は一段と美味く感じられそうだ』


入り口から聞こえる万雷の拍手と歓声を背中で聞き流しながら。

飄々とした一人と一匹は、今日の夕飯の算段を立てながらも、エドワードとセリアによる音楽を楽しんでいるようだった。




エドワードとセリアの圧倒的なセッションは、恐怖と偏見に凝り固まっていた村人たちの心を完全に融解させた。

魔物への警戒はどこへやら、広場はまるで王都の劇場のパレードのようなお祭り騒ぎとなり、二人は大歓声の中で村へと迎え入れられたのだった。


すっかり夜も更けた頃。


昼間の喧騒が嘘のように静まり返った宿屋の一室で、コロは机の上に並べられた金貨を静かに見つめていた。


チリン、と小気味良い金属音を立てて、最後の金貨が机に置かれる。


「……よし、これで約束通り、残りの金貨八枚だ。確かに受け取ってくれ」


エドワードはそう言って、まだまだ中身が詰まってそうな革袋を机に置いた。

目の下の隈は相変わらずだが、その表情は王都の薬草店で出会った時とは見違えるほど生き生きとしており、その傍らではセリアが愛おしげに彼の肩に寄り添っている。


「本当に、君たちには感謝してもしきれない。命を救われただけでなく、私は人生の最高傑作と、何よりも大切な最愛の伴侶を得ることができた。そうだ、君たちが居てくれたお陰で、普通の人類なら到底行けないような森の奥まで足を運べたのだからな。……正直に言って、こんな金貨八枚程度では、私の感謝の意を示しきれていない。ハスウェル領に戻れば、もっと相応の追加報酬を――」

「ううん、いらないよ、先生」


エドワードが熱っぽく差し出そうとした手を、コロはきっぱりとした口調で遮った。

机の上の金貨八枚を器用に指先でまとめ、自分の革袋へと仕舞い込む。


「私たちはね、約束通りの手付金と残りの報酬を貰えればそれで十分。それにね、先生を森に連れて行ったついでに、奥地で極上の薬草をたくさん採取したから、この村の薬草店でがっぽり儲けているよ」

「ははは、そうか!金貨八枚など端金だったか!」

「だね。だから、追加報酬なんてこれっぽっちもいらない」


コロが淡々と、しかしどこか悪戯っぽく微笑みながら言うと、エドワードは「そうか……君は本当に欲のない、不思議なお嬢ちゃんだな」と感心したように息を吐いた。


そのままエドワードが明日の出発に備えて部屋の奥で荷物の整理を始めると、それまで静かに様子を見ていたセリアが、音もなくコロの目の前へと歩み寄ってきた。

セリアは屈み込み、コロと目線を合わせると、美しい声でそっと囁いた。


「コロ……さっきは、村の入り口でありがとう」

「ん?ううん、気にしないで」

「コロがああ言ってくれなければ、私は今頃、あのお馬鹿な作曲家を連れてまた暗い森の奥へ逃げ帰るところだったわ」

「いいんだよ、別に。私は本当のことを言っただけだから」

「それでもよ。……ねえ、気になっていたの。人類が怯える私のような魔物のために、どうしてそこまでしてくれたの?あなたなら、ハルピュイアがどんな魔物か、よく知っていたのでしょう?」


じっとコロの氷藍色の瞳を覗き込んでくるセリア。

その瞳には、魔物特有の鋭い観察眼と、純粋な疑問が浮かんでいた。

普通の人間なら気圧されてしまうようなその視線を、コロは平然と受け止める。


そして、コロは小さく口角を上げると、セリアの耳元へとそっと顔を近づけ、周囲には聞こえないほどの小さな声で囁いた。


「――同じ魔物のよしみだよ」

「……ふふ、ウルと同じ匂いがしているものね」

「わけあって人類の器(からだ)で生きているけどね。だから、言葉が通じる理性的な魔物(なかま)には優しいんだ」


コロはそれ以上何も言わず、すでに定位置で丸くなって眠りについているウルの大きな身体へと歩み寄り、そのふかふかの毛並みに頭を預けた。


「この大陸の歴史がどんな風に変わっていくか、楽しみにしているよ」

「責任重大ね」

「これから産まれてくる子供たちにも、人類に怖がられないように『お肉は火を通してから食べるのよ』って念押しするんだよ」

「ふふ、胸に刻みつけてくわ」


ランタンの灯りが消され、部屋に静かな闇が落ちる。

背後から聞こえるエドワードののん気な鼻歌と、セリアが小さく羽を震わせる音を聞きながら、コロは満足そうに瞳を閉じるのだった。




翌朝。

すっかり日の昇った街道を、一人と一匹がのんびりと歩いていた。


背後の村からは、今朝もエドワードが楽しげに弾くアコーディオンの音色と、セリアの美しいハミングが微かに聞こえてくる。

この調子だと、ハスウェル領へ帰るまでに、二人の新たな名曲がいくつも生まれそうだ。


「さて。これで私たちの役目は本当におしまい。あとは先生とセリアさんが頑張る番だね」

『フン。強固な人類至上主義の大陸で、魔物との共存を認めさせるなど、並大抵の苦労ではないだろうがな』

「まあね」

『貴族の地位があろうとも、あの阿呆どもはこれから大いに茨の道を歩むことになるぞ』

「そうだね。でも、無名の旅人があちこちで説いて回るより、名のある名門貴族様で、天才音楽家の先生が、本物のハルピュイアと一緒に文化を変えていく方が、圧倒的に効率がいいと思うんだ」


コロはケロッとした顔でそう言ってのける。

ウルは呆れたように鼻を鳴らしたが、やがてポツリと、独り言のように呟いた。


『……まぁ、俺もアイツが最後に作った曲は、悪くないと思った』


コロはクスッと笑いながら、隣を歩くウルの首元にポンと手を置いた。

人類の生み出す音楽など、ただの耳障りな騒音くらいにしか考えていなかったウルの口から、賛辞めいた言葉が飛び出したという事実を楽しんでいるようだ。


「ね?ウルがそう言うくらいだもん。二人の音楽なら、きっと人類の常識だってひっくり返せるんじゃないかな」

『調子に乗るな。悪くないと言っただけだ』

「ふふっ、素直じゃないなぁ」


コロは嬉しそうにウルの首元の毛並みを撫でる。

そして、青く澄み渡った秋の空を見上げながら、思い出したように口角を上げた。


「それにさ。次に伯爵が百年後のこの大陸を見た時にさ、『あれ?この大陸はハルピュイアが人類と仲良く暮らせる大陸だったか?』って驚くでしょ?その時に『実はね、その文化を広めるのを一番最初にお手伝いして、後押ししたのは私なんだよ』って……凄くいい話のネタができたと思わない?」

『……』


種族の壁を越えた、命懸けの壮大な愛の物語。

大陸の歴史を変えるかもしれない二人の革命を、いつぞやのサンオセール伯爵への、単なる『ちょっとした土産話のネタ』程度に収めてしまうコロ。


『鼻を明かすのに良さそうだ。……本当、お前というやつは、本当に底知れんな』

「そう?ただのしがない旅人だよ」


コロはえへへと笑いながら、リュックサックを背負い直す。


『で、次はどこへ行く?』

「んー……しばらく山や森が続いたから、とりあえず美味しいお魚が食べられる港町とか、どうかな?」

『……一食や二食なら悪くない。だが、もう阿呆や狂人の相手は御免だからな』

「あはは、善処するよ」


どこまでも続く一本道を、飄々とした一人と一匹は、今日もマイペースに歩き続ける。

彼らの残した足跡の先で、この大陸の歴史が少しだけ変わるのは、もう少しだけ未来のお話である。

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