殻を破る音色と、恋に落ちた作曲家 2 〜運命のミューズと、非常識なセッション〜
2.
ウルと騎士の手合わせからしばらく後。
奇妙な一行は、さらに森の奥深くへと進んだ開けた場所へとたどり着いた。
そこでコロは、再び良質な薬草の群生地を見つけ、しゃがみ込んで採取作業を始めていた。
「うん、ここも良いね。この辺の土は魔力が濃いし、人の手も殆ど入っていないから葉の厚みが全然違う」
プチ、プチ、と手際よく草を摘み取っていくコロ。
その背後で、先ほどまでブツブツと何事かを呟いていたエドワードが、突如としてビクッと肩を震わせた。
「――っ!お、降りてきた……ッ!!」
「わっ、びっくりした。どうしたの、先生」
唐突な悲鳴に近いエドワードの叫び声に、思わずビクッと肩を窄めてしまったコロ。
ウルと騎士もガバっとエドワードを見つめ、そして周囲を警戒し始める。
「ん……何か降りてきたか……?」
『……?今のところ、何も来ていないがな……』
「旋律が、だ!今まで私を縛り付けていた退屈な五線譜を打ち破る、圧倒的な『暴力』と『美しさ』の旋律が降りてきた……っ!」
エドワードは狂気じみた笑みを浮かべると、懐からくしゃくしゃになった五線譜と羽ペンを取り出し、何かに取り憑かれたような恐ろしいスピードで音符を書き殴り始めた。
そして、インクが乾くのも待たずにペンを放り捨てると、愛用のアコーディオンを勢いよく構え、一心不乱に鍵盤と蛇腹を操り始めた。
――プァァーーン、パララララッ!!
鬱蒼と静まり返っていた『魔の森』の奥深くに、到底この場には似つかわしくない、奇妙で情熱的なアコーディオンの音色がけたたましく響き渡る。
「…………」
そのあまりの場違いさに、背後に控えていた騎士は無言のまま、ヤレヤレと言わんばかりに静かに首を横に振った。
この雇い主の突然の奇行には、すっかり慣れっこなのだろう。
しかし、森の生態系の頂点に近い存在であるウルは、忌々しそうに耳を伏せて鼻を鳴らした。
『……おい。この阿呆は、極上の餌がここにいると、森中に大声で宣伝しているつもりか?』
「あはは……まぁ、芸術家だからね」
『俺はこんな阿呆、庇いたくないぞ』
「美味しい家畜肉が買える訳だし、ね」
『金貨10枚など端金だろうが。馬鹿馬鹿し過ぎて嫌になってきた』
「困ったね……」
コロは苦笑いしながら立ち上がり、パンパンと膝の土を払ってエドワードの方へと歩み寄った。
「あのね、先生。ウルが居れば大抵の魔物は恐がって近寄ってこないけれど、それでも魔物同士の力の差とか、そういうのが全く分からない頭の悪い魔物だっているからね。あんまり大きな音を出すと――」
「おお……そうだ、ここだ!この変拍子から一気にクレッシェンドへ……!」
「あの……先生?」
「素晴らしい……!ああ、なんという旋律だッッッ!」
エドワードの耳には、もはやコロの忠告など一切届いていなかった。
目を閉じ、陶酔しきった表情で身体を揺らしながら、狂おしいほど夢中でアコーディオンを弾き続けている。
その姿はまさに、音楽の神に魅入られた哀れな芸術家そのものだった。
「あー……ハスウェル先生?流石に時と場合を考えては頂けませんかね?――って、聞こえてない、か……」
騎士はどうにかエドワードを窘めようと試みたが、こうなってしまうと他人の言葉など耳に入って来ないのか、騎士は早々に説得を諦めてしまった。
『……チッ。いっそ一度、鈍感な魔物に頭から丸齧りにされればいい。そんなに刺激的な出来事など、他にはないぞ』
「ダメだよウル、せっかく手付金もらったんだから」
完全に自分の世界に入り込んでしまった男を前に、コロも呆れ果てて肩をすくめてしまった。
騎士が鞘から剣を抜きつつ、森に視線を向ける。
「こういう森深い場所において、魔狼殿が居るにも拘らず、近寄ってくる類の魔物には、どんな手合いがいる?」
「騎士さんも分かると思うけど、テイミングによる意思疎通が出来ない魔物は、私もウルも意思疎通が出来ないよ。あとは――」
コロは淡々としたまま、氷藍色の瞳を空に向けた。
ウルと騎士もつられて空を見上げる。
「……ああいった手合い、かな」
「――人類のオスを誑かす類ってわけか……」
騎士の言葉通り。
視線の先に映っていたのは、美しい乙女の姿をした一体のハルピュイアが、大きく、そして、光を受けて鈍色に輝く翼をバサバサと羽ばたかせながら、ゆっくりとこちらに降りてくる光景だった。
――バサッ、バサッ……
木々の枝をすり抜け、空き地にフワリと舞い降りたのは、人面鳥身の魔物であるハルピュイアだった。
腰から下は鋭い鉤爪を持つ猛禽類のそれだが、上半身は豊かな胸と透き通るような白い肌を持つ、驚くほど美しい人類の女性の姿をしていた。
「こんな森の奥で、こんなに大きな音を出しているから何事かと思ったわ」
ハルピュイアは首を傾げ、コロとウル、そして剣を構えた騎士を順番に見つめ、最後に狂ったようにアコーディオンを弾き続けているエドワードへと視線を止めた。
「人類の言葉は扱えるんだね」
「お仕事柄、かしら。それにしても、随分と変わったことをする人類のオスね。……そこまで美味しそうな匂いはしないけれど」
ハルピュイアの言葉に、騎士は油断なく、剣を構えたままジリジリと前進していく。
しかしそれをウルが割り込むかたちで制止した。
『落ち着け。こいつは大丈夫そうな個体だ』
「……魔狼殿がそう言うなら……」
騎士の身体から余計な力がフッと抜け、そのまま剣を鞘に納めた。
「それで……その賑やかなオスは何者なのかしら?」
『生憎、コイツらは献上するために連れてきた餌ではないからな。そちらが何もしないなら、俺も何もしない』
「ふふ、安心して。あなたみたいな上位種の狼と戦おうと思うほど、若くはないわ」
軽めの警告を発したウルに向け、ハルピュイアはクスッと笑ってそう告げると、パチっと妖艶にウインクしてみせた。
そんな様子を見守っていたコロが肩をすくめると、徐に説明を始めた。
「この人はね、人類の社会ですごく有名な作曲家なんだって」
「作曲家?」
「うん。ゼロから音楽を作る人だね」
「へえ、真似するんじゃなくて、作るのね」
「そうだね。でもね、何だか自分の作る音楽に納得がいかないらしくて、今みたいに刺激的な体験をして、自分の殻を破りたいらしいよ」
コロが淡々と適当な紹介をすると、ハルピュイアは「ふぅん」と面白そうに目を細めた。
歌と言葉で人間の雄を誑かし、魅了するハルピュイアにとって、この「変わった音を奏でるオス」は、非常に興味をそそられるオモチャに見えたのだろう。
彼女は音もなくエドワードの背後に回り込むと、アコーディオンの激しい旋律にピタリと合わせるように、小さくハミングを口ずさみ始めた。
――ンン、ララァ、アアァ……
それは、この世のものとは思えないほど美しく、そして哀愁を帯びた魔性の歌声だった。
「っ……!?」
耳元で響いたその声に、己の世界に陶酔していたエドワードがカッ!と目を見開いた。
自分の奏でるアコーディオンの変拍子に、ハルピュイアの魔性のハミングが完璧に同調し、絡み付き、そしてこれまで聞いたこともないような「常識外れの和音」を生み出しているのだ。
「き、君は……いやっ、ま、魔物……!?」
『おい、嘘だろう……?今さら気がついたのか……?』
今さら、この場に魔物であるハルピュイアが居ることに気がついたエドワードが、露骨に驚いてしまう。
それでも彼の奏でる音楽には寸分の狂いはない。
「ハスウェル先生、そのハルピュイアのお嬢さんが、どうやら先生の音楽に引き寄せられたようですよ?」
騎士が呆れた様子を隠すことなく、頬をポリポリと掻きながらそう告げると、コロも「だね」と短く答え、小さく頷いた。
「そうかそうか……!それなら、平気なの……か?」
エドワードは恐る恐る、ハルピュイアを見つめ返しながら、さらに激しく蛇腹を弾き鳴らし始める。
それに呼応するように、ハルピュイアも妖艶な笑みを浮かべ、彼を囲むように優雅に宙を舞いながら、さらに一段階高く、美しい歌声を響かせた。
エドワードの顔からは、恐怖の色はすっかり抜け落ち、代わりに充実感に満ちあふれたような顔をしていた。
決して交わることのない、人類と魔物、二つの音楽が、鬱蒼とした森の奥深くに、狂おしいほど美しいセッションとして鳴り響いていた。
「……おいおい、嘘だろ。鍛えてもいないお貴族様の先生が、あの魔性の歌声を真横で聞いておいて、全く魅了されていないどころか、逆に魔物を自分の音楽に引き込んでやがる……」
剣を鞘に納めたままの騎士が、信じられないものを見るような目で呟く。
エドワードの瞳に映っているのは、魔物に対する恐怖でも、魅了の魔法による虚ろさでもなかった。
己の音楽を共に完成させてくれる『運命の女神』でも見つけたかのような、一人の男の熱烈な光だった。
「ああいう人を『変人』っていうんだろうね」
『……何も言葉が出ない』
ウルはフンと鼻を鳴らすと、その場でどっかりと伏せってしまった。
やがて、熱狂的なセッションが終わりを告げ、アコーディオンの最後の和音が森の木々に吸い込まれていく。
ハルピュイアは満足げに息をつき、ふわりと地面に降り立った。
「……違う!」
静寂が戻った森の中で、荒い息を吐きながらエドワードが叫んだ。
その顔は歓喜に満ちていながらも、どこかひどく悔しそうだった。
「あら、魔物の歌声は、お気に召さなかったかしら?」
「そうではない!現に君の歌声は、素晴らしい歌声だった!非の打ち所がない!完璧だ!……しかし、今奏でた曲たちは、私のあり合わせの退屈な曲だ!こんな予定調和の旋律では、君の美しい声に全く釣り合っていない!私の曲が君の足を引っ張っているッッッ!!」
「あら、そうかしら?」
ハルピュイアはチラッとコロや騎士のほうに視線を送るが、コロも騎士も肩をすくめて『分かんない』と言わんばかりに首を横に振る。
「明日だ!明日、必ず君の素晴らしい歌声の足を引っ張らない、私の殻を完全に打ち破る最高の曲を作ってくる!だから、明日もここで私と会ってくれないか!」
エドワードが血走った目で懇願すると、ハルピュイアは目を丸くした後、コロとウルの方をチラリと見て、妖艶にクスリと笑った。
「ふふっ……いいわよ」
「そうか……!ははっ、よし、約束だ!」
「それに、私、あなたの奏でる音、嫌いじゃないもの」
ハルピュイアは妖艶にクスリと笑うと、ふわりとエドワードの目の前まで舞い降りた。
そして、呆然とする彼に顔を近づけ、その汚れた頬にチュッと、甘い音を立てて唇を落とした。
「なっ……!?」
「私の名前は、『セリア』よ」
「セリア……。エ、エドワード……!私はエドワードだッッッ!!」
「エドワードね、覚えておくわ。楽しみに待っているわね、作曲家さん」
まるで甘い毒薬のようなその一言を残し、ハルピュイア――セリアはバサッと大きな翼を広げ、木々の隙間を抜けて空の彼方へと飛び去っていった。
頬を押さえ、へなへなとその場にへたり込むエドワード。
その光景を見ていたウルが、忌々しそうに鼻を鳴らした。
『さすがハルピュイアだ。人類のメスのような名前を名乗ったな』
「人類のオスを誑かすための『魔法の言葉』だもんね。それにしても先生、すっかりハルピュイアの魔法にかかっちゃったみたいだよ」
コロが小さくため息を吐きつつ、チラリと視線をエドワードへと向ける。
エドワードは相変わらず、ぼうっと惚けたような表情をしている。
「いや……お嬢ちゃん、あれは魔法じゃない。あれはただ、惚れた男の顔だ。……やれやれ、とんでもないことになった……」
剣の柄に手を乗せた騎士が、深く息を吐き出しながら言った。
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