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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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殻を破る音色と、恋に落ちた作曲家 1 〜苦悩の天才と、刺激への誘い〜

1.


一人と一匹は、旅の末に、とある小国の長閑な片田舎の村へと足を踏み入れていた。


昼下がり。

空は高く、吹き抜ける風には乾いた土と牧草の匂いが混じっている。

目抜き通りと言っても、荷馬車の轍が深く刻まれただけの素朴な土の街道。

どこを切り取っても絵に描いたような平和な田舎の風景。

軒先には玉ねぎや獣の肉がのどかに吊るされ、どこからか放し飼いの鶏の鳴き声が聞こえてくる。

しかし、そこにいる人間たちの目だけが、欲と興奮で異様にギラギラと血走っていた。

太陽の暖かな光に照らされて舞う土ぼこりの中、彼らだけが熱病に浮かされたように早口で喋り続けている。

そんな、すれ違う住人たちの様子だけが、どうにもこののどかな空気と不釣り合いだった。


「おい、何か『刺激的なこと』ってねえか?」

「熊の巣穴にでも放り込んでやるか?そしたら俺こそが報酬をもらえるぞ!」

「いや、製材所で丸太を担がせる仕事をさせるなんてどうだ?王都のヤツには刺激的じゃねえか?」


鍬を担いだ農夫も、井戸端会議の女たちも、すれ違う誰も彼もが何かに取り憑かれたように浮き足立ち、一貫性のある奇妙な会話ばかりを交わしている。


「アタシが一晩、夜の相手をするってのはどうだい?」

「馬鹿言えよ。王都から来たヤツだってのを忘れたか?そういうのじゃ刺激がねえってんで、こんな辺鄙な村まで来たんだぞ」

「じゃあ都会で出来そうなことは全部没だな。『この村ならでは』か?」

「何にも思い浮かばねえよ!ぶっ倒れるまで野良仕事でもやらせりゃ良いだろ」

「血抜きとかさ、それこそ解体でもさせりゃ良いんじゃないかい?」

「んなもん、道中でやってんじゃない?」


あれやこれやと意見を出し合っては、すぐに否定され、代案を出しては否定され。

村人たちのやりとりは途切れる気配がない。


『……なんだこの群れは。集団で幻覚でも見ているのか?』

「さあ、何だろうね。『王都のヤツ』がどうとか言ってたけど」


周囲の異様な一体感にウルが呆れたように鼻を鳴らすが、コロは軽く首を傾げただけで、それ以上深く詮索することはなかった。


今は他人の熱狂よりも、手持ちの薬草を換金することの方がずっと重要。

一人と一匹は周囲の喧騒を受け流しつつ、本来の目的である薬草店を探してのんびりと歩き出した。




町の中央広場に差し掛かると、人だかりの中心にある大きな掲示板が見えてきた。

長年の雨風で黒ずみ、ひび割れた木製の掲示板。

そのど真ん中に、不釣り合いなほど上質な純白の羊皮紙が留められている。

風にパタパタと揺れるその紙からは、土と獣の匂いが染み付いたこの村には絶対に存在しない、甘く洗練された香水の匂いすら微かに漂っていた。


歩みを止め、違和感が漏れ出ている張り紙をジッと見つめるコロ。


「あー、あれかな?」

『ん、なんと書いている?』

「えーとね……『求む!自らの殻を破るような刺激的な体験。これぞという体験を提供してくれた者には、報酬として金貨十枚を支払う』だってさ」

『フン。他力本願なことだ』

「……なるほどね。みんなが目の色を変えてる理由はこれか。たしかに、この依頼なら、誰でも報酬が貰えそうな気がするわけだね。でも、刺激的な体験をして、一体何がしたいんだろう」

『そんなに刺激的な体験がしたいのなら、一度死の淵にでも立ってみればいい。嫌でも刺激的だろうが』

「全くだね。自分探しを他人任せにするなんて、馬鹿馬鹿しいにも程があるよ」

『人類の馬鹿もここまで極まるか。こんな阿呆でも生きられるとは、人類とは素晴らしいな。素晴らし過ぎて言葉も出ない』

「言葉も出ないって割には、憎まれ口はホイホイ出てきているようだけどね」

『フン。とにかく、これを書いたヤツは阿呆だというのはよく分かった』


金貨十枚という破格の報酬には一瞬だけ目を引かれたものの、一人と一匹は「面倒くさい」という共通認識で即座にその依頼を切り捨てた。




広場を抜け、少し路地に入ったところで、コロは目当ての薬草店を見つけた。

ギィと古びた蝶番を鳴らして扉を開けると、外の眩しい陽光が遮断され、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

天井の梁からは無数の束ねられた枯れ草が逆さに吊るされ、僅かに差し込む西日の中を細かい埃がゆっくりと舞っていた。

すり鉢で挽かれた苦い根の匂いと、甘ったるい花の香りが混ざり合い、鼻の奥をくすぐってくる。


カウンターに立つ店主に声をかけ、コロがカバンの中から道中で採取した極上の薬草を次々と机の上に並べると、店主の細い目が驚愕に見開かれた。


「お、お嬢ちゃん……こりゃあ、すげえ品質だ」

「これでごはんを食べてるからね。腕には自信があるんだ」

「いやぁ、凄いなぁ!ただでさえこんな上物は珍しいってのに、どれもこれも信じられないくらい瑞々しい。まるでたった今、森の奥深くで摘んできたばかりみたいだ……!」

「この子が居るからね。この村に来る前に森の奥で採ってきたばかりだよ」

「へえ!そうかそうか!いやはや、熟練の採取家(ギャザラー)の腕前だな。いやぁ……見事だ」


店主が興奮気味に声を上げた、まさにその時だった。


「……その話、詳しく聞かせてもらえないだろうかッ!」


バンッ!とカウンターが叩かれ、横からぬっと血走った目が突き出された。


そこにいたのは、仕立ての良い、しかし何日も着替えていないようにシワだらけの服を着た、ひどく憔悴した顔の男だった。

目の下には真っ黒な隈ができ、髪は鳥の巣のようにボサボサだ。


「ひぃっ!?せ、先生、急に大声を出さないでくだせえ!」

「『森の奥深く』と言ったね!?それは、命の危険があるような、常識が通じないような場所かい!?」


男は店主の悲鳴など意に介さず、ギラギラと飢えた獣のような目でコロに詰め寄った。

男の正体は、例の掲示板の依頼主であった。




頼んでもいない自己紹介によると、彼の名はエドワード・ハスウェルという、王都で名を馳せる人間族の作曲家であるらしい。

長年、既存の音楽理論という枠組みに囚われ、何を作っても予定調和の範囲に収まってしまう自身の作曲の才能に絶望しているとのこと。

予測可能な展開、お行儀良く計算された美しい旋律、そんな退屈な旋律を、分かっているのか分かっていないのか、手放しで褒め称える聴衆。


そんな自身の音楽に限界を感じ、己の殻を破るための「常識外れのインスピレーション」を求めてわざわざ護衛を引き連れてこんな片田舎までやってきたのだという。

しかし、村人たちが持ってくる「刺激」は、農作業や狩りの真似事といったありきたりなものばかりで、彼の求めるような、魂を揺さぶる未知の体験には到底及ばなかったようだ。


カウンターに身を乗り出して、震える両手で自身の髪を掻き毟りながら、息継ぎも忘れたかのように早口でまくしたてるエドワードの姿は、王都の特権階級特有の洗練された語彙とは裏腹に、その表情は飢えに苦しむ路地裏の野犬そのものだった。


「――このままでは、私は退屈な音楽を作り続ける魔導具になってしまう……!」

「そうなんだ。まぁ、音楽を作り続けるなんて、なかなか便利そうな魔導具だと思うけど……」

「そう言わないでお願いだ、君たち、普段そういう危険な場所に行っているなら、私を同行させてくれないか!是非とも!」

『……チッ。面倒な奴に絡まれたな……』


ウルはそう言ってマズルにしわを寄せ、深いため息をついた。

コロも内心ではウルと同じく、ため息をつきたいと言わんばかりの面倒くさそうな顔をしている。


「同行って言われてもね……」


目の前で目を輝かせている足手まといに対し、コロがため息をついていると、見かねた店主が助け舟を出した。


「お嬢ちゃん、その……もし腕に自信があるなら、先生を連れてってやってくれないか? 先生が満足すれば、あの金貨十枚はあんたのモノになるんだぜ?」


その言葉に、コロの氷藍色の瞳がピクリと動いた。


「まぁ……金貨十枚、ね」

「ああ!勿論、危険な場所に連れて行ってくれるなら、手付金として今ここで前払いとして金貨2枚払ってもいい!」

「……」


コロは、目の前で必死に頭を下げる男のボサボサの頭と、ウルの顔を交互に見比べた。

そして、男の背後に控えている騎士の男に視線を向ける。

その騎士の男も『付き合ってやってくれ』と言わんばかりに、眉を八の字にしてコロを見つめている。


小さく肩をすくめたコロを見ていたウルが、思わずといった様子で口を開く。


『おい、正気か?』

「……ウル。明日以降の草むしり、ちょっと賑やかなお散歩になりそうだけど、いい?」

『……まあ、お前が決めることだ。勝手にしろ』

「よし、決まりだね。手付金、期待してるよ、先生」


こうして、己の限界に苦悩する芸術家と、それに全く興味のない一人と一匹の、奇妙な薬草採取ツアーが幕を開けることになった。




翌朝。


村外れにある森の入り口には、いつもの姿のままのコロとウルの他に、立派な仕立ての旅装束を着たエドワードと、その背後に影のように付き従う護衛の騎士の姿があった。


「さあ、行こうか!私の凝り固まった音楽を打ち壊す、常識外れの危険と刺激の地へ!」


寝不足でさらに隈を濃くしたエドワードが、持参した愛用のアコーディオンを抱えながら血走った目で森を睨みつける。


「うん。でも、先生は絶対に私とウルの側から離れないでね。あと、騎士のお兄さんも」

「承知している。主人の護衛だけでなく、採取の邪魔にならないよう細心の注意を払おう。……私の名はやけに長い名でな、ただ『騎士』とでも呼んでくれればいい」


無精髭を生やし、どこかくたびれた雰囲気を漂わせている騎士の男。

しかし、その歩き方や剣の柄に添えられた手には一切の隙がなく、コロの目から見てもかなりの手練れであることが窺えた。


『フン。足手まといのお守りの足手まといまでついて来るという訳か』

「口は災いの元だよ」

『たかが知れている災いだろう』


そう言って鼻で笑うウルをジッと見つめる騎士。

そんな視線に気がついたウルが、ゆっくりと口を開いた。


『……魔物の言葉が理解できる類の人類か』

「気にするな。これまで丁寧な口調の魔物など見たことがないからな」


ニヤリと口角を上げた騎士に、コロはクスッと笑いながらウルの頭にポンと手を置いた。


「油断していたね」

『お前も意地の悪いやつだ。分かっていたなら教えておけ』

「ウルが喋る時にね、どんな仕草をしているかで何となく察する事が出来るだけだよ。ほら、音楽家の先生が勝手に行っちゃう」

『フン。行くか』


バツが悪そうにトボトボと、コロの直ぐ側を歩み始めるウル。




四人は、鬱蒼と生い茂る木々の薄暗がり――『魔の森』へと足を踏み入れた。


街道から外れた瞬間、空気が一変する。


肌にまとわりつくような濃密な魔素と、四方八方から向けられる凶悪な気配。

エドワードはゴクリと生唾を飲み込み、「さあ、来い……!」とアコーディオンを構えながら周囲をギョロギョロと見回した。


――しかし。


ガサッ、と茂みが揺れ、三本角の凶暴な魔猪(マッドボア)が飛び出してきたかと思えば、先頭を歩くウルとバチッと目が合った瞬間、ピギィッ!と、短い悲鳴を上げて直角にターンし、凄まじい速度で森の奥へと逃げ帰っていった。


さらに少し歩くと、今度は樹上の枝から人食い大蛇が鎌首をもたげた。

だが、ウルがチラリと流し目を向けただけで、大蛇はスルスルと木を降り、まるで「お散歩の邪魔をして申し訳ありませんでした」とでも言わんばかりに、ペコペコと頭を下げながら這い去っていく。


「…………えっ?」


エドワードはポカンと口を開け、アコーディオンを構えたまま固まった。


「あ、あの、君たち?」

「ん?なに、先生」

「……魔物は?命の危険は?私の魂を揺さぶるような、絶望的な死闘はどこにあるんだい!?」

『フン。いちいちうるさい男だ。その辺の雑魚どもが、俺の気配を感じて近づいてくるわけがなかろう』


ウルが面倒くさそうに大きなあくびをすると、エドワードは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


「あああ!こ、これではただのピクニックじゃないか!私が求めているのはこんな予定調和な散歩じゃない!もっとこう、血湧き肉躍るような、あるいは絶望の淵を覗き込むようなインスピレーションが……ッ!!」


しゃがみ込んでブツブツと恨み言を言い始めたエドワード。

傍らに佇んでいた騎士は、頭をポリポリとかきながらも口を開いた。


「魔物たちが怯えて逃げていくなんて、経験できるモンじゃないですがね……」


ブツブツと呟くエドワードの耳に、その言葉は入っていないようだ。




その傍らで、コロは「ここ、いっぱい生えてる」と、のんきに極上の薬草を摘み始めている。


進む気配のない一行。


やがて、暇を持て余したウルが、呆れ顔でエドワードを見下ろしている騎士へと視線を向けた。


『……おい、人類の騎士』

「ん?なんだ、誇り高き魔狼殿。主人が騒がしくてすまないな」

『そこそこ腕が立つようだな。この阿呆が落ち着くまで、少し俺の退屈しのぎに付き合わんか?』


ウルの言葉は通じなくとも、その好戦的な瞳と、軽く鳴らされた前足の爪の音で、騎士には意図が伝わったらしい。

騎士はふっと口角を上げ、腰の長剣を鞘に収めたまま、ゆっくりと構えをとった。


「なるほど、手合わせか。……いいだろう。私も少々、体が鈍っていたところだ。ただし、鞘付きで手加減させてもらうぞ?」

『フン。抜いたところで俺の毛並みに傷一つつけられんくせに、吠える男だ』


次の瞬間。

弾かれたようにウルの巨体がブレた。


「っ……!?」


ただのじゃれ合いにも関わらず、放たれたのは空気を裂くような重い前足の連撃。

騎士は目を見開きながらも、常人離れした反射神経で鞘を盾にし、ガギィィッ!とウルの爪を受け流す。


力で押し切られそうになるのを、足さばきと剣術の「柔」の動きでいなし、逆にウルの懐へと鞘の切先を滑り込ませた。


――パァンッ!!


弾き返された鞘と、ウルの強靭な尾が空中で激突し、鋭い衝撃音が森に響き渡る。


『ほう。人類の分際で、今の連撃を受け流すか』

「お陰様で、な。これで飯を食ってるからな」

『フン。少しはやるようだ』

「ははっ……冗談じゃない。実のところ、鞘越しでも腕が痺れきっている。魔狼殿、あんた、とんでもない化け物だな!」

『化け物、か。褒め言葉だ』


エドワードが「あああ、インスピレーションが……!」と頭を抱えて呻いている真横で。

銀色の魔狼と、くたびれた凄腕の騎士による、超高次元な「暇つぶしの手合わせ」が静かに、しかし激しく繰り広げられていた。


程なくして、エドワードはウルと騎士のやりとりに何かを感じたのか、ジッとその様子を眺めていた。


「先生、あんまりフラフラどこかに行かないでね。守れるものも守れなくなるから」


コロの平熱な声だけが、長閑なピクニックのように森の中に響いていた。


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