特需の街と、徴兵のバグ 3 〜男の誉と、道連れの狂気〜
3.
翌日の夕方。
約束通り、昨日と同量の極上薬草を老婆の店に持ち込んだ一人と一匹は、さらに色を付けられたずっしりと重い金貨の袋を抱え、ホクホク顔で路地裏を歩いていた。
『……おい、コロ』
「ん、なに?」
『今日もたっぷり稼いだな』
「そうだね。本当に色を付けてくれた」
『ならばアレだ』
「アレ?」
『とぼけるな。また昨日と同じ、あの美味い家畜の肉が食いたい』
上機嫌な足取りで歩くウルの要求に、コロは革袋の紐をキュッと縛りながら首を傾げた。
「うーん……でもさ、開戦前夜の特需で、薬草だけじゃなくて家畜の肉もすごく値上がりしてるんだよね」
『む、なんだと?俺だって森の中で魔物を遠ざけるという、立派に役目を果たしているだろうが』
「ふふ、まだ『買わない』とは言ってないよ。ちゃんとウルの分は特大サイズを頼んであげるから、機嫌直して」
『フン。ならいい』
他愛もない、いつもの日常。
迫りくる戦争の足音などどこ吹く風といった様子で、一人と一匹は軽口を叩き合いながら、部屋を取っている宿へと戻ってきた。
宿の一階部分に併設された酒場は、今日も今日とてむせ返るような熱気と脂の匂いで充満している。
そして、その熱気の大半を生み出しているのは、昨日と全く同じ顔ぶれ――兵役から外れた安全圏にいるであろう老人たちだ。
「俺が若い頃はなぁ!剣一本で山賊の群れに突っ込んでいったもんよ!」
「そうだそうだ!今の若いモンはなぁ、覇気ってもんが足りねえ!」
「だな!足りねえ、足りねえ!」
「おうよ!隣国の連中なんざ、気合いでズガァァァンと蹴散らしてこいってんだ!」
「うははは!そうだそうだ!」
ジョッキを片手に、若者たちに向けて若かりし頃の武勇伝や勇ましい言葉を唾と共に飛ばし続ける老人たち。
自分は絶対に血を流さないという前提に立ち、他人の命をチップにして愛国心を語るその姿は、昨日にも増して滑稽で、そして醜悪だ。
コロはウルの分の血抜き前の特大の骨付き肉と、自分の分の豆のスープを受け取ると、喧騒から少し離れた隅のテーブルへと腰を下ろした。
ウルが早速、行儀悪く骨付き肉に齧り付こうとした、その時。
ふと、コロの氷藍色の瞳が、別のテーブルの光景を捉えていた。
『ん、なんだ?』
「ほら、あそこ」
『……ふむ』
そこには、テーブルに突っ伏してガタガタと激しく震える若い男と、そんな彼の背中を泣きそうな顔で心配そうに撫でる若い女の姿があった。
「どうしよう……マリア、俺……」
「大丈夫よ、きっと大丈夫……」
「大丈夫なもんか……!俺は、街の外に出たことだってないんだぞ……」
男の手には、最近配られたばかりのシワだらけの徴兵票が握られている。
彼の震える声は、周囲の老人たちの威勢のいい怒号にかき消されそうなくらい、小さく、そしてひどく怯えていた。
「剣なんか握ったこともない……。動物はおろか、魔物すら……戦ったことがないのに……っ」
「…………」
「戦争になんか、行きたくない……!死にたくない……っ!」
恋人らしき女の腕の中で、ついに若者はボロボロと涙をこぼし、子供のように泣きじゃくり始めた。
自らの命というリソースを、国という巨大な群れに強制的に徴収される名もなき若者の、それが嘘偽りない『現場のリアル』だった。
向こうのテーブルでは、老人たちが「国のために死ぬのは誉れだ!」と高らかに笑っている。
一方、こちらのテーブルでは、若い男が「死にたくない」と泣き崩れている。
『……なんとも胸糞の悪い群れだ。せっかくの肉が不味くなる』
ウルが低く唸り、肉から顔を上げて忌々しそうに鼻を鳴らす。
コロは無言のまま、スプーンを持つ手を止め、ガタガタと震える若い男の背中をただジッと、静かに見つめていた。
翌朝。
宿の一階で、ウル用に追加した大量の血抜き前の家畜肉と、温かい黒パンとスープという朝食をとっていると、周囲のテーブルからそわそわとした不穏な空気が漂ってきた。
薬草の採取に向かうはずの労働者や商人たちが、声を潜めてヒソヒソと話し合っている。
「おい、これから広場で町代官や憲兵から何やら大事な話があるらしいぞ」
「え?なんだって?ついに開戦か?」
「いやぁ、後の『大事な話』ったら、それくらいしかねえだろ?」
「まぁな……いやいや、いくらなんでも展開が早すぎねえか?」
「ここも潮時かねぇ」
「だなぁ……。巻き込まれる前にトンズラかね」
その噂話を耳にしたコロは、木のスプーンを置き、残っていた黒パンをパクリと口に放り込んだ。
「……そっか。ついに開戦が前倒しになったのかな。それなら、もうこの街の『美味しい時期』も終わりだね」
『どうする。さっさとこの人類の腐った群れから離れるか』
「んー、そうだね。でも、次に移動する前に情報だけは拾っておこうかな。どんな話が出るかによって、進む方角も変えなきゃいけないし」
コロが立ち上がると、ウルも名残惜しそうに最後の一切れを丸呑みにして、相棒の後を追った。
一人と一匹が街の中央広場に差し掛かった頃には、すでに身動きが取れないほどの人集りができていた。
皆が不安と緊張の入り混じった顔で、広場の中央に設けられた高い演壇を見上げている。
そこには、ふんぞり返った町代官と、冷徹な顔つきで整列した完全武装の憲兵たちの姿があった。
やがて、拡声魔法の乗った憲兵の声が広場に響き渡る。
『――静まれ!!これより、領主様からの新たな徴兵布告を伝達する!!』
ピタリと静まり返る広場。
昨日、酒場で散々若者を叱咤していた老人たちも、物見遊山といった様子で腕を組んでその言葉を聞いていた。
どうせ自分たちには関係のない、若者への出陣命令だと思っているようだ。
『――敵国の脅威はすでに眼前に迫っている!戦況の逼迫に鑑み、本日を以て――』
集まっている住人たちがゴクリと唾を飲み込む音すら聞こえてきそうな静寂。
そして、憲兵がスゥと息を吸い込む音が響く。
『――兵役における年齢制限を無期限で撤廃する!!』
その瞬間、ざわっと広場がどよめいた。
腕を組んでいた老人たちの顔から、サァッと血の気が引いていく。
しかし憲兵の言葉は止まらない。
『さらに!五十歳以上の者はすべて、『魔突隊』への所属とする!対象者は三日後!これより指定する場所へと集合し、ラグマンス砦へと向かう!!』
その布告を聞いた瞬間、群衆の中から悲鳴にも似た怒号が上がった。
「ま、魔導突撃隊だと!?ふざけるな!!あ、あれは敵陣のど真ん中に突っ込んで魔導具を起爆させるだけでっ……か、片道切符で自殺して来いって部隊じゃないか!!」
血相を変えて叫んだ老人の言葉に、広場は恐怖のどん底に突き落とされた。
「魔突は奴隷がやるヤツじゃねえのかよ!!」
「俺たちに自殺して来いって言ってんのか!?」
しかし、演壇に立つ憲兵は一切悪びれる様子もなく、冷たい声で言い放った。
『――その通りだ』
ピシッ、と。
広場の空気が、文字通り凍りついた。
『過去の戦争では、若く未来ある者から先に次々と命を落とし、戦後、激減した人口が元の水準に戻るまでに多大な苦労があった。これは、国を立て直す労働力と、次代を産むための機能が失われたからである』
憲兵は、まるで家畜の数を数えるような無機質な声で淡々と説明を続ける。
『故に、今回は合理的な手段を取る。戦後の生産力を持たない年長者から先に、国のためにその尊い命を捧げてもらう!……案ずるな。これまで通り、奴隷もともに『魔突隊』として戦地へ赴く。更に今回、王国が開発した新型の自爆用魔導兵器がある。余程のヘタを打たない限りは、しっかりとお国のためになる威力を誇っている。これぞまさに、男の誉れであろうぞ!』
狂っている。
しかし、国家という巨大な群れを維持するための算段としては、ひどく合理的で、恐ろしいほどの整合性が取れていた。
「ふ、ふざけるなァッ!!」
広場のあちこちで、老人たちがパニックに陥り、絶叫を上げ始めた。
「お、俺たちは長年この国を支えてきたんだぞ!?な、なぜこんな仕打ちを……!!」
「腰も痛い、剣も握れん老人に自殺しろと言うのか!人道に反する! 戦争などやめちまえ!!」
昨日の夜まで「戦争だ」「隣国を叩き潰せ」「血を流すのは男の誉れだ」と高らかに叫んでいた者たちが、自らの命という支払いを求められた瞬間、顔を真っ青にして反戦を叫び、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。
そのあまりにも滑稽で醜悪な手のひら返しを、冷めた目で見つめていた若者たちの瞳に、ぬらりとしたドス黒い光が灯った。
「――なんだよ、じいさん達。急に腰が痛くなったのか?」
「ひっ……!」
つい先程まで、恐怖に震えていたような若い男が、逃げようとする老人の腕をガシッと力強く掴んだ。
「あんたらの世代が言ったんだろ?俺たちの頃はもっと勇敢だったって」
「や、やめろ……放せ……っ!」
「いいや、離さないぜ。国のために血を流すのは誉れなんだろ?いっしょに地獄に行こうぜ、じいさん。あんたらの勇敢な戦い方を、一番前の特等席で教えてくれよ!!」
「いやだっ!助けてくれェッ!!」
昨日まで絶望の淵にいた若者たちが、一転してギラギラとした狂気の笑みを浮かべ、老人たちを次々と取り囲み、捕獲していく。
自分たちを安全圏から地獄へ突き落とそうとした大人たちへの、容赦のない復讐。
逃がすまいと腕を掴む若者たちと、涙と鼻水を撒き散らして地面を這いずる老人たちの阿鼻叫喚が、広場を地獄絵図へと変えていた。
『……フン。どちらも「冷や汗の臭い」になったな』
ウルが退屈そうに顎を上げ、暴れる老人たちを一瞥して鼻を鳴らす。
「なるほどね。とても合理的で、効率的な判断だと思う」
『人類はそういう賢い判断をする生き物だと思わんかったな』
「むしろ、それくらいしないと勝てそうもない戦争なのかもしれない。この国はダメそうだね」
コロは群衆から一歩引き、狂騒の中心を見つめながら淡々と呟いた。
「お年寄りの人たちはさ、自分たちで『戦争がいい』って推しちゃったんだもんね。若者の恐怖を燃料にして焚きつけた火に、今度は自分がくべられる番になっただけ。……自業自得だね」
「――離せ!離してくれェッ!!」
「行くんだよ、ジジイども!最前線だぞ、嬉しいだろォ!!」
「オメェらが事あるごとに『戦争だ』『戦争だ』って散々煽ってくれたからこうなってんだぞ!!おい、誉なんだろ!?」
阿鼻叫喚の地獄と化した広場を背に、一人と一匹は未練なく踵を返した。
「行こう、ウル。もうこの街で私たちがやるべき仕事は終わりだね」
『稼ぐだけ稼いで、あとは野となれ山となれ、か』
「だって、あの様子じゃ明日からお店もまともに開かないだろうしね。ここから先はただの『巨大な廃棄処分場』だよ。壊される前のものを売るのが私の仕事であって、それが無残に壊されていくところを見届けるのは、私の仕事ではないかな」
コロは懐の革袋――数日間の特需でパンパンに膨れ上がった金貨の重み――をポンと叩き、いつもの平熱の足取りで街の城門へと向かう。
『次はどこへ行く?戦争が始まるなら、北の国境もきな臭いんだろう?』
「んー、そうだね。とりあえず、暫くは平和で退屈な場所がいいかな。そこで、またありふれた安価な薬草をのんびり摘んで、温かいスープを飲むんだ」
『フン、また安っぽい草むしりか。退屈なことだ』
口ではそう言いながらも、ウルの太い尻尾はどこか満足げに揺れていた。
腐った群れの自滅から距離を置き、どこまでも続く青空の下、一人と一匹は特需と狂気に沸く街をあっさりと背にして、静かなる逃避行へと足を踏み出した。
※ ※ ※
その日の夜。
深い、深い眠りの底。
甘く清らかな香りに満ちた、真っ白な聖域。
コロは女神の柔らかい膝枕に身を預け、今日の出来事を報告していた。
「女神様。今日、とっても『効率的な判断』を見たよ」
「効率的な判断?」
女神はコロの銀髪を優しく撫でながら、小首を傾げる。
その瞳は、すべてを見通すような深い慈愛に満ちている。
「うん。誰かの命を使って、自分のプライドや愛国心を買おうとしていた人たちがね、最後には『自分の命』でその支払いをさせられることになった」
「……まあ」
「年老いた彼らはね、自分は自分の命で支払いをしなくていいって盲信してた。でもね、国っていうもっと大きなシステムに、あっさりとその盲信を書き換えられちゃった。愛国心だとかプライドは、やっぱり他人の命で買えるものではないんだなと思ったよ。昨日の夜までは勇ましく『覇気ってもんが足りねぇ』なんて機嫌良さそうに声高に叫んでいたおじいさんがね、いざ自分が国から『自殺して来い』って言われて、涙目でガタガタ震えてたんだけど、覇気が足りないのは若者だけじゃなかった。町の中だけで暮らしている人たちに『覇気』なんてモノは、そもそもないんだなと思った」
「ふふ……」
神としての絶対的な視点を持つ女神。
コロのあまりにも現実的で愛らしい、しかし真理を突いた結論に、くすくすと笑い声をこぼす。
「そうね、コロ。その通りよ。……でもね、人類はたまに、自分の持っている「命」というものがどれだけ高価なものか、失うその瞬間まで計算できないの。一人では生きられないから群れを作り、群れを維持するために、一番大切なものを差し出してしまう。愚かで、不器用な生き物よ」
「うん、そうだね。悲しいくらいに不器用だ」
「ええ。……さあ、戦火と狂気が届く前に、あなたは真っ直ぐ、遠くへ行きなさい。私の可愛いコロ」
女神の温かく柔らかな唇が、コロの額にそっと落とされる。
その絶対的な安心感と微睡みの中で、コロは再び平和な土地での静かな日常を夢見ながら、深く、深い眠りへと沈んでいくのだった。
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