特需の街と、徴兵のバグ 2 〜森の賢者たちと、薬草店の裏事情〜
2.
翌日の早朝。
一人と一匹は、一般の採取家が決して足を踏み入れない、森の最奥部へとやってきていた。
そこは陽の光もまばらな鬱蒼とした原生林。
しかし、ウルの放つ圧倒的な強者の気配のおかげか、好戦的な魔物たちはとうに逃げ散っている。
コロは邪魔立てされることもなく、足元に群生する極上の『芥菜珠草』や、特大サイズの『鍵蔦草』など、より高値がつく薬草を、鼻歌交じりで次々とカバンへと放り込んでいた。
「うんうん、やっぱり奥地は手付かずだね。どれもこれも、市場に出せば大金に化ける極上品ばっかりだよ」
『あちこちから金が生えているといった具合か』
「美味しい家畜肉が生えているとも言えるね」
『フン。期待せずに待っておくとするか』
「ははは、まあ開戦前夜だしね」
そんなコロの言葉を受け、ウルが大きなあくびをしたその時。
頭上の巨大な樹木の枝がガサリと揺れ、一匹の魔物が音もなく細い枝の上に降り立った。
四本の腕と、鋼のように硬い体毛を持つ猿の魔物――『樹海猿』だ。
本来なら人類を見つければ即座に群れで巧みに連携しながら襲いかかってくる凶暴な魔物だが、眼下に控えるアッシュウルフの存在を前に、敵意を見せるような愚かな真似はしないようだ。
『……狼の上位種と、『こちら側』の匂いがする連れよ』
樹海猿は枝の上にしゃがみ込んだまま、警戒と疑問の入り混じった低い鳴き声を上げた。
その声を待っていたかの如く、次から次へと樹海猿たちがやってきては、周囲の枝の上にしゃがみ込んだ。
「ちょっとお邪魔しているよ」
『草むしりをしていてな。安心しろ、食い物は採ってない。何もしないのであれば、こちらも何もせん』
退屈そうにコロの隣で臥せったままそう告げたウル。
樹海猿たちはその言葉を素直に受け止めたのか、最初に声を上げたボスが言葉を継いだ。
『ふむ。人類の姿を持つお前にひとつ、聞きたいことがある』
「いいよ、何について?」
『最近、森の浅いところで人類をやけに見かけるようになった。それも異常な数だ。あれは一体、何事だ?』
「ああ、あれね」
コロは土のついた薬草の根を払いながら、立ち上がって枝の上の猿を見上げた。
「人類たちがこれからね、大規模な『縄張り争い』をするんだよ」
『縄張り争い?』
「うん。だから、みんな血を流した時に塗る薬の草を摘むのに必死なんだ」
『……この豊富な餌の時期に、同族同士で殺し合うのか?』
「そうだね。人類ってそういう変な生き物だからね」
コロが肩をすくめてみせると、樹海猿たちはそれぞれ、まるでひどい悪臭でも嗅いだかのように、顔全体に深いシワを寄せた。
『馬鹿げている』
『だな。人類は馬鹿げた事が大好きだからな』
そう言って大きなあくびをしたウル。
『そんな見境のない無駄な争い、巻き込まれたら堪らんな』
「人類の縄張り争いは、周りの森も動物も魔物も、全部巻き込んで、メチャクチャに壊しちゃうこともあるからね」
コロが同意すると、樹海猿たちは口々にキュイッと短く鋭い鳴き声を上げ始めた。
そして、周囲の樹木からガサガサと無数の音が鳴り響き、何十匹もの樹海猿の群れが一斉に枝の上で立ち上がった。
どうやら、彼らは一瞬にしてこの森を捨てる判断を下したようだ。
『我々はしばらくの間、山を越えて縄張りを移動することにする。無駄な血を流すのは、愚か者のすることだ』
「そうした方がいいと思う」
『情報、感謝する』
ボスである樹海猿がそう言い残すと、群れは一斉に木々を飛び移り始めた。
彼らは森の奥にそびえ立つ険しい断崖絶壁を、まるで平地を走るかのような身軽さでひょいひょいと登っていく。
そして、あっという間に崖の向こう側へと姿を消してしまった。
『あの猿共の言う通りだ。見境なく群れを消耗させる人類どもより、よほど賢い生き方だな』
ウルは猿たちが消えた絶壁を見上げながら、忌々しそうに鼻を鳴らした。
「全くだね。あの子たちは『命』っていう一番大切なものの重さを、ちゃんと分かってる」
『大体の生き物は分かっている』
「ははは、まあそうだね。勿論人類だって、本当は分かってはいると思うんだけどね。一人や二人じゃ生きていけない、弱い生き物だから」
コロはポンと背負い籠を地面に置き、遠く、街があるであろう方角へと静かに視線を向けた。
「弱いから、国っていう大きすぎる『群れ』を作った。でも、何万人もの大きな群れをまとめるには、『誇り』とか『愛国心』みたいな、目に見えない鎖で縛り付ける必要があるんだよ」
『フン。馬鹿げた鎖だ。嫌なら森の猿のように、さっさと別の土地へ逃げればいいものを』
「それが出来ないのが、人類の不器用なところなんだよ。……自分たちを守るために作ったはずの群れなのに、いつの間にか『群れのメンツ』を守るために、一番大切な自分の命を差し出さなきゃいけなくなる。群れの外じゃ生きていけないから、逃げることも許されない」
『本末転倒だな』
「だね。賢いふりをして、一番肝心なところで致命的な矛盾を起こしてる。……悲しいくらいに不器用な生き物だよ」
コロはふう、と小さく息を吐き出し、再び極上の薬草が詰まった背負い籠を背負い直した。
「さてと。私たちの籠もいっぱいになったし、そろそろ街に戻ろうか」
『そうだな。今戻れば夕方くらい、か』
「うん。悲しいくらい不器用な縄張り争いの準備に、ひと稼ぎさせてもらわなくちゃね」
どこまでも合理的な自然界の判断を見送った一人と一匹は、ずっしりと重くなった籠を背負い、人間の欲望と矛盾が渦巻く狂乱の街へと再び足取りを向けるのだった。
夕暮れ時。
極上の薬草でずっしりと重くなったカバンを揺らしながら、一人と一匹は街へと続く一本道を歩いていた。
西の空は毒々しいほどの茜色に染まり、辺りは茜色一色に支配されていた。
長く伸びた二つの影が乾いた土の上に並んでいる。
行き交う採取家たちの足取りは皆一様に急ぎ足で、誰もがこの特需の恩恵に預かろうと必死だ。
「――おっ?お嬢ちゃんも随分と良い稼ぎになったみたいだな」
背後から、軽快な足音と共に声をかけられた。
振り返ると、大きな背負い籠を背負った狼の獣人の青年が、人懐っこい笑みを浮かべて小走りで近づいてくるところだった。
彼の籠からも、強い薬草の匂いが漂っており、同業の採取家であるのが伺える。
狼の獣人である青年は、コロの隣を悠然と歩く巨大なアッシュウルフを一瞥し、本能的な畏怖からか一瞬だけ耳をペタンと伏せた。
しかし、ウルの首に巻かれた赤いバンダナを見て安心したのか、すぐに感心したような息を吐いた。
「こんにちは。お陰様で、がっぽり儲けられそうだよ」
「いやはや、すげえな……。アッシュウルフを見るのなんて初めてだ」
「まだ若いのに、一発でアッシュウルフと分かるなんて、お兄さんは詳しいね」
「はは、採取家だからな。魔物に疎いのは致命的ってな」
幼女にしか見えないコロに『まだ若いのに』と言われたのが面白かったのか、青年はクスッと笑ってから肩を竦めつつも言葉を継いだ。
「ところで、この特需、まだまだあと数日は買い取り価格が上がり続けるらしいぜ?笑いが止まらねえよな」
「そうだね。私たちも今日はいっぱい採れたよ」
コロが愛想よく頷くと、青年はコロのカバンの隙間から覗く葉っぱを見て、目を丸くした。
「おいおい、嘘だろ。それ、『芥菜珠草』か?」
「詳しいね。うん、あとはこれも」
そう言って、カバンを開けて中身を覗かせると、青年は更に目を丸くした。
「『鍵蔦草』じゃないか!?どっちも群れで動くヤバい魔物のテリトリーにしか生えてないはずだぞ……」
「うん、森のずっと奥まで行ってきたからね」
「ははぁん、なるほどなぁ……」
青年は心底羨ましそうな眼差しで、コロとウルを交互に見た。
「アッシュウルフを連れていれば、余程のヤバい場所でもない限り、森の中なんてどこでも行き放題、摘み放題ってわけか。そりゃあ並の魔物や動物なら、恐れをなして寄ってこないもんな」
『フン。分かっているようだな』
ウルの傲慢な鼻鳴らしに、青年は言葉こそ分からないものの、圧倒的な強者の余裕を感じ取って苦笑した。
「羨ましい限りだぜ。流石にテイミングまでする気はないけど、せめて魔物と簡単な会話くらいできるように、テイマーの勉強でもしてみようかな。そうすりゃ、危ない森でも交渉して通してもらえるかもしれないしな」
冗談めかして笑う青年。
コロはそんな青年に、氷藍色の瞳を向けた。
「相手に利があればね、テイミングなんて必要ないよ」
「え?」
「魔物だって、無駄なケガはしたくないし、お腹が空いていなければわざわざ襲う理由もない。相手に『私を襲うよりも、見逃した方が利益になる』って分からせることができれば、テイミングで従えなくても交渉は成立するんだよ」
「襲うより、見逃す方が利益になる……?」
「うん。だから、テイマーの勉強をするより、相手の生態や『何を嫌がるか』『何を欲しがるか』を観察する方が、ずっと生き残る確率が上がるよ。魔物は人類みたいに嘘をつかないから、とても合理的だしね」
それは、普段はあまり他人に干渉しないコロにしては珍しい、実体験に基づく効果的で的確な助言だった。
青年は目を瞬かせ、やがて深く納得したように頷いた。
「……なるほどな。力で縛り付けるテイムじゃなくて、利害で釣り合う交渉か……」
『まあ、交渉の前に食いちぎられなければの話だがな』
ウルの物騒な合いの手――青年にはただの低い唸り声にしか聞こえないが――に、コロは苦笑しながらウルの頭を撫でた。
「お嬢ちゃんを駆け出しの採取家かと思って話しかけたら、実はすげえ熟練の採取家だったな!」
「ははは、どうだろうね」
「よし、俺はもうちょっと採取してから街に帰るよ」
「それじゃ、私たちはこれで」
「ああ!お嬢ちゃんの助言、頭の片隅に入れとくよ!ありがとな!」
青年はブンブンと手を振り、足早に街の方へと駆けていった。
『珍しいな。お前が人類に、あのような助言をしてやるとは』
「そう?まぁ、同じ獣人同士のよしみってやつかもね」
『フン。人類の真似事か』
「真似事かもね。まぁ、あのお兄さんはさ、自分の身の丈を分かってる、賢い匂いがしたからね」
今の青年からは、酒場の老人たちのような「腐った自尊心」の匂いはしなかった。
茜色の空の下、狂乱の街へと続く道を歩きながら、一人と一匹は再び静かな歩みを進めていった。
街に戻った一人と一匹は熱病じみた喧騒が渦巻く大通りから一歩、影の濃い路地裏へと折れる。
足を踏み入れたのは、煤けた木製の看板がひっそりと揺れる、古びれた佇まいの薬草店だった。
扉を開けると、チリンと低く乾いた鈴の音が響く。
薄暗い店内には、天井から何十種類もの乾燥薬草が逆さに吊るされ、すり鉢で挽かれた生薬の濃厚で苦い匂いが壁の隅々にまで染み付いていた。
カウンターの奥では、干しぶどうのように深く皺の寄った老婆が、眼鏡の奥の細い目をさらに細めて来客を睨みつけていた。
「おや……見ない顔だね」
「うん。昨日来たばかりなんだ」
「お嬢ちゃんに、その……ずいぶんと立派なアッシュウルフかい。へえ……」
老婆はウルの姿に一瞬だけ息を呑んだが、すぐに老獪な笑みを口元に浮かべた。
長年この国境の街で薬草を扱ってきただけあるのか、並の人類なら目を丸くしてしまうような魔狼を前にしても、その肝は据わっているらしい。
「これを買い取って欲しいんだけど」
コロがカバンの中から瑞々しい『芥菜珠草』と、独特のねじれた茎を持つ『鍵蔦草』を引っ張り出す。
それらが机に並べられた瞬間、老婆の細い目が驚愕で見開かれた。
「……こいつは驚いたね。どっちも、奥地の危険な魔物の縄張りにしか生えない極上品じゃないかい。まさか、その狼に採らせたのかい?」
「ははは、この子は用心棒だよ」
『フン。俺がこんな草むしりをするわけなかろう』
ウルが退屈そうに床にドカリと寝そべる中、老婆は震える手で薬草の葉をめくり、傷一つない保存状態を確かめていく。
「見事なもんだ。今や市場じゃ、街道沿いのありふれた薬草ばかりでね。こんな上物は、いくら金を積んでも手に入らないよ。……よし、これなら文句なしに最高値で買い取らせてもらうよ」
老婆はカウンターの引き出しから、ずっしりと重い革袋を取り出した。
木製の天秤がギィと軋む音を立て、量られた薬草の対価として、机の上に次々と金貨と大銀貨が並べられていく。
チャリン、チャリンと、鈍く重い金属音が薄暗い店内に心地よく響いた。
コロが受け取った報酬は、その辺の小銭稼ぎとは文字通り「桁が違う」重みだった。
「ありがとね、おばあさん。狙い通りの高価買取で嬉しいよ」
「礼を言うのはこっちさね。……ねえ、お嬢ちゃん」
「何か要望がある?」
「ああ。明日も、これと同じくらいの量をここに持ってきてくれるかい?もし持ってきてくれるなら、今日の買取額にさらに『色』を付けて買い取ってあげるよ」
老婆はカウンターに身を乗り出し、声を潜めてそう言った。
「色を?どうしてそこまで?」
「へへ、ちょっとした裏情報さ。実はね、王国の方が、今日あんたが持ってきてくれたような特級の薬草を使う『高度な治癒薬』の買い取りに、異常なほど力を入れ始めていてね。薬師ギルドを通さない裏のルートまで使ってまでさ、必死にかき集めているらしいんだ」
コロは手にした革袋をそっと握り直し、氷藍色の瞳を老婆に向けた。
「……王国の買い取り強化、ね。何が起きているんだろうね」
「さあねえ。私ら平民には、上の連中の詳しい考えてることなんて分かりゃしないさ」
老婆はクスクスと、ひび割れた声で意地の悪い笑い声を漏らした。
その瞳には、この王国が迎えるであろう破滅的な未来を、どこか他人事のように楽しむような冷徹さが宿っている。
「だけどねぇ……少なくとも、これから始まる戦況が、憲兵共の言う通りに『楽観的』なものであるなら、そんな手間の掛かる高度な傷薬なんて、大量に必要ないはずさね」
「……そうだね」
戦う前から、すでに勝てないかもしれないという不具合を、国の中枢は察知している。
だからこそ、兵士たちの命を繋ぎ止めるためのリソースを、なりふり構わずかき集めているのかもしれない。
「分かったよ。明日もまた、良いものを届けるね」
「期待して待ってるさね、お嬢ちゃん」
再びチリンと鈴の音を鳴らし、一人と一匹は店を後にした。
ずっしりと重い金貨の袋を抱えながら、コロは夕闇に包まれつつある街の通りを見つめていた。
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