偽りの鎖と、魂の番 3 〜小悪党の夢物語と、黒雷の断罪〜
3.
いとも簡単に檻を黒雷で溶かしてしまったウルは、愚かな脱法テイマーたちを冷ややかな眼で見下ろしている。
「ひぃぃぃっ!や、やべえ!!」
「て、てめえら!武器を構えろ!!やられる前に殺――」
パニックに陥った取り巻きたちが、腰の剣や斧を引き抜こうとした、まさにその時だ。
「バッカ野郎!!や、やめろォ!!!」
ひっくり返ったような頭領の絶叫が、洞窟の中に響き渡った。
取り巻きたちは頭領のあまりの形相に、ピタリと動きを止めてしまう。
「ぶ、武器なんか抜くんじゃねえよ!!アッシュウルフだぞ!?そんなナマクラでどうにかなる相手じゃねえんだよ!!お前ら、本気で灰にされたいのか!?敵意を見せるな!!」
色街で金を使い果たして養成所を中退したとはいえ、一応は魔物の恐ろしさを知るテイマーの端くれ。
頭領は己と眼の前の魔狼との間にある、絶対的な『格の違い』を本能で悟り、ガクガクと膝を震わせながら仲間たちを必死で制止した。
チャキン、と情けない音を立てて、取り巻きたちの手から武器が滑り落ちる。
『フン。少しは身の程を弁えているようだな』
「思ったよりも賢かったね」
静まり返った洞窟の中に、のんびりとした少女の声が響いた。
男たちがビクッと肩を揺らして振り返ると、荷馬車の荷台で死んだように眠っていたはずのコロが、服についた土埃を払いながらムクリと起き上がっていた。
「なっ……!!お、お前……起きてたのか!?」
「睡眠魔法にかかったふりをしてただけだよ」
コロは荷台の縁に座り、足をブラブラとさせながら、腰を抜かしている頭領を見下ろした。
「何から知りたいかな。まずは、魔法陣の書き換えが失敗した理由、教えてあげようか」
「な、なんだと……?」
「簡単なことだよ。パスが見つからなかったのはね、最初から私とウルの間には『従魔契約』なんてものが存在しないからだよ」
コロの淡々とした宣告に、頭領は目をひん剥いた。
「なっ……!?そ、そんな馬鹿な!!じゃ、じゃあなんで、アッシュウルフ程の上位の魔物が、ただの獣人のガキンチョなんかに大人しく従ってるって言うんだよ!!」
「従っているわけじゃないよ。私たちはただ、一緒に生きているだけ」
「は……?」
人類が安心するために作り上げた「支配と被支配」の鎖。
しかし、永遠を歩む一人と一匹の間には、最初から縛る鎖など存在しなかったのだ。
男の常識が完全に崩壊し、口をパクパクと金魚のように開閉させた、その直後だった。
「――そこまでだ!!全員、武器を捨てて両手を頭の後ろへ組め!!」
洞窟の入り口から、地鳴りのような足音と共に、完全武装した騎士たちが雪崩れ込んできた。
松明の炎が乱反射する白銀の鎧。
その胸元には、この地を治める辺境伯家の紋章が刻み込まれている。
あっという間に洞窟内は制圧され、脱法テイマーたちは地面に這いつくばるようにして次々と拘束されていく。
「な、なんだ!?アールマンの私兵!?なんでこの場所が……!」
混乱の極みにある男たちの前。
整列した騎士たちが道を開け、一人の男が優雅な足取りで歩み出てきた。
仕立ての良い平民の服から、上質な貴族の外套へと着替えた、アールマン辺境伯その人である。
「いやはや、素晴らしい祝杯の席に水を差してしまって申し訳ないね。君たちのいうところの『極悪アールマン』だよ」
辺境伯は杖の先でコツンと岩肌を叩き、地面に押さえつけられている頭領を見下ろして、底知れぬ笑みを深めた。
「空からワイバーンで、ずっと監視させていたのだがね。後からこうしてやってきて潜んでいれば、なにやら、極悪アールマンの首を取り、王となって大陸の半分を掌握し、巨大なハーレムを築くという……なんとも壮大で輝かしい『新国家誕生の夢物語』が聞こえてきたものでね」
「あ……あっ……」
「次期国王陛下の御前に、不躾ながらこの辺境伯アールマン、直々に首を差し出しに参ったのだけどね」
辺境伯の冷徹な眼光が、恐怖で顔を引き攣らせる小悪党を射抜く。
「どうやら陛下は、私の首を取るための『剣』も『器』も、持ち合わせておられなかったようだ」
「ヒィッ……!」
「連れて行け。地下牢で、一生かけて夢の続きを見させてやろう」
辺境伯の無慈悲な命令により、小悪党たちは悲鳴を上げる暇すら与えられず、騎士たちに引きずられて洞窟の外へと連行されていった。
領都へと帰還する、辺境伯専用の豪奢な大型馬車の中。
ビロードの赤いクッションが敷き詰められたふかふかの座席に、コロとウル、そしてアールマン辺境伯が向かい合って腰を下ろしていた。
先ほどのカビ臭い洞窟とは打って変わり、車内には高価な香木が微かに焚かれ、車輪の振動すらほとんど感じさせない。
窓の外では、夜の闇に沈むアイゼン霊峰の黒いシルエットが、月光に照らされて冷たくそびえ立っていた。
『……胸糞の悪い匂いだ』
「そう言わないの」
『やはり我慢ならん。頭がおかしくなりそうだ』
ウルは狭い車内で窮屈そうに身を縮めながら、忌々しそうに辺境伯を睨みつけ、鼻にシワを寄せる。
「ふふ、極上の魔狼にそう言ってもらえるとは光栄だね」
辺境伯は悪びれる様子もなく、手元に用意されたクリスタルグラスのワインを優雅に揺らした。
そして、窓の外の月を見上げながら、深い陶酔の混じった溜め息を吐き出す。
「それにしても……ああ、なんという美しく完璧な幕引きだろうか。そうは思わないか?」
『フン。……悪趣味の極みだ』
「そう言うな。事前の打ち合わせ通り、私の盤上で、全ての駒が最もふさわしい動きをしてくれたのだ。身の程知らずの小賢しい悪党どもが、極上の餌に食いつき、自らの無力さに絶望して這いつくばる。あの滑稽な姿たるや……実に痛快で、私にふさわしい最高の芸術だったよ」
辺境伯はワインを一口含み、自らの思い描いた結末の余韻を噛み締めるように目を細めた。
「あんなゴミのような悪党でも、世間ではあまり知られていない妙な魔法を巧みに操る。アレからはタップリと面白いものが絞れそうだ」
他人の命や尊厳を天秤にかけ、ただ自身の美学を満たすためだけに消費し尽くす、純度の高い狂気。
『……完全にイカれているな』
「そう言わないの」
コロも口ではそう窘めつつも、一人と一匹は呆れ果てたように視線を交わし、小さくため息をついた。
「最高の褒め言葉だよ。さあ、約束の品だ」
やがて馬車が領都の関所に到着すると、辺境伯は懐から真新しい羊皮紙――アイゼン霊峰の『永久通行証』を取り出し、コロに向けて差し出した。
そして辺境伯が車内の紐をグイッと引っ張り、程なくして馬車が停まった。
「ありがとうございます。これで心置きなく旅が続けられます」
コロは通行証を受け取ると、馬車から降りようとして、ピタリと動きを止めた。
そして、首だけを振り返って辺境伯を真っ直ぐに見据える。
「……ちなみに、二度目はありませんからね」
その声は、窓の外で吹き荒れるアイゼンの寒風よりも冷たかった。
「私のウルを、あなたの盤上の駒として数えるのは、これ限りにしてくださいね」
「……おお、これは怖い」
コロの放つ底知れぬ凄みに、辺境伯は肩をすくめ、張り付いたような笑みを浮かべた。
そして、表情を崩さないまま、辺境伯は言葉を継いだ。
「君は実に面白い。その取ってつけたような言葉は、ほかの誰とも質が異なっている。それは畏怖から出てくるものではない。そう、ただただ『面倒臭い』という怠惰から出てくる言葉だ」
「……そうですね」
「それもそうだね。それだけ立派なアッシュウルフがついていれば、私のような貴族に対して畏怖など抱くはずもない」
辺境伯はそこまでいうと、手元でユラユラと揺らしていたクリスタルグラスを呷った。
『目撃者を全て消すことなど、造作もないからな』
「そう言わないの」
まるで心のこもっていない、ウルを窘める姿勢を見せるためだけの合言葉のような言葉。
そして統治者に向かって、コロは最後に、ふと思い出したように言葉を付け足した。
「……そういえば、別邸で『臨時収入』があったって仰っていましたね」
「ん?ああ、そうだね」
「あれ、あなた達がいつぞや、領内の森にポイッと捨てたもののことですよね。クラッシュジョーたちが大喜びでヨダレを撒き散らしながら食べて、とても感謝していましたよ。凄く新鮮で美味しいお肉だったって。」
「…………!」
その瞬間。
辺境伯の顔から、完璧な笑みがピシリと音を立てて剥がれ落ちた。
完全に秘密裏に処理したはずの『マリアの末路』を、この平民の少女はなぜ知っているのか。
「ほう、それは……それは」
「計画としては完璧だったかもしれませんが、あのゴミを処理したのは、美しさや完璧さとは対極にいるようなクラッシュジョー。辺境伯様の美しく完璧な盤上も、案外――いいや、必要なものは頂きましたので、この辺で」
「……森の獣の役に立てたのなら、何よりだよ」
辺境伯が辛うじて言葉を紡いだ時には、すでにコロとウルの姿は馬車の中にはなかった。
一枚の通行証という『免罪符』を手にした一人と一匹。
偽りの鎖を笑い飛ばし、決して切れることのない魂の絆で結ばれた一人と一匹は、再び宛のない旅路へと向けて、霊峰の冷たい風の中へと静かに歩み出していくのだった。
翌朝。
天空を切り裂くアイゼンの峰々は、朝の鋭い光を浴びて白銀に輝いている。
中腹を覆う雲海から吹き下ろす風は、肌を刺すというよりも、呼吸を止めるほどの痛烈な冷気を孕んでいた。
「通行許可証だよ」
重々しい鉄の門の前、昨日と同じ門番が、怪訝そうな顔でコロが差し出した羊皮紙をひったくるようにして受け取った。
「おいおい、昨日の今日でか?」
しかし、そこに記されていたのは、アールマン辺境伯の直筆サイン。
そして、魔力で刻印された領主の紋章。
その紋章が青白く発光した瞬間、門番の顔から血の気が一気に引いた。
「へ、辺境伯様の……永久通行証……!?自由民のガキンチョのお前が、なぜこんな……」
「昨日、辺境伯様のちょっとしたお手伝いをしたんだよ。……通ってもいいかな」
コロがいつもの平熱の笑顔で首を傾げると、門番はガチガチと歯を鳴らしながら、慌てて重い鉄門を開け放った。
「と、通れ!通ってください!」
見送りとも言えない哀れな平伏を背に、一人と一匹は世界の境界線である鉄の門をくぐり抜け、木々の一本も生えていない荒涼たる岩肌の登山道へと歩みを進めた。
数歩歩くごとに、足元の乾燥した片岩がカラカラと軽い音を立てて崖下へと転がっていく。
町の喧騒が完全に遮断され、ただ吹き荒れる寒風の音だけが響く中、ウルが歩調を緩めることなく低く鼻を鳴らした。
『フン。手際よく関所は超えられたが、やはりどうにも腑に落ちん』
「まぁね。いくら仕方ないとはいえ、ね」
『あの薄気味悪い男に、体よく事件解決の手伝いをさせられただけではないか』
「あはは、やっぱりそう思う?」
コロは首元まで外套の襟を引き上げ、白い息を吐き出しながら笑う。
「まぁ、あのイカれた辺境伯のことだからね。最初から私たちを囮にする前提で、あのタイミングで話しかけてきたんだと思う。ついでに領都の地下牢に送った小悪党から、面白い魔法の技術まで搾り取るつもりみたいだし。本当に、人類の悪知恵には恐れ入るよ」
『まったくだ。恐れ入りすぎて反吐が出る。あの男の盤上とやらを、一度文字通りに踏み潰してやればよかったのだ』
「そう言わないの。おかげでこの険しい山脈を海路で大回りするっていう、非効率の極みを選ばずに済んだんだから。旅のコストとしては百点満点だよ」
コロは懐に仕舞った永久通行証をぽん、と上から叩いた。
手痛い脅迫は受けたが、結果として得た『免罪符』の価値は本物だ。
利用されたのなら、それ以上にこちらが利用し返せばいいと言わんばかりに、コロはニヤリと口角をつり上げていた。
「それにさ、あの手の手合いは、二重、三重に、予防線を張っているものだよ。仮にウルが気に入らないからって、目撃者諸共、灰燼に帰したところで、私たちはお尋ね者になっていたんじゃないかな」
『フン。面倒臭いな……』
「まぁ、あの辺境伯、次に私たちがこの国を通る頃には、もう家督を次に譲って隠居でもしてるんじゃないかな」
『あの様子では、あと百年は他人の命を弄んで愉悦に浸っていそうな執念深さだったがな』
「所詮は人間族だからね。どれだけ執念深くても、老いだけは平等に訪れる。まぁ、今頃は美しい部屋でさ『美しくない、美しくない……!』って、悶々と頭を抱えているかもね」
『なるほど、クラッシュジョー共が、あの傲慢な男のプライドに、消えない汚泥を叩き落としてやったわけか』
ウルのマズルが、ようやく愉快そうに吊り上がった。
その太い尻尾が、満足げに左右に大きく揺れる。
「そうそう。完璧だったはずの犯罪が、私たちにバレたわけだしね。だから、私たちはこれでいいの。さあウル、ここからは本格的な雪山だよ。置いていかれないように、しっかりついてきてね」
『おい、誰に向かって言っている。人類の脆い器こそ、寒さで凍えて動けなくならぬよう、俺の影に隠れて歩くがいい』
一人と一匹は、吹き荒れる極寒の風を正面から受けながら、どこまでも続く黒と白の死の世界へと、一歩一歩、力強く足跡を刻み込んでいくのだった。
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