最強の絆と、一振りの毒牙 2 〜莫大な富と、狂い始める未来予想図〜
2.
夕刻。
森から戻った一人と一匹は、再び最寄りの町の薬草店に顔を出していた。
「おや、今日も大漁だねぇ。しかもこれまた、見事な品質ばかりじゃないか」
店主はカウンターに広げられた薬草をルーペで覗き込みながら、感嘆の息を漏らす。
コロは斜めがけバッグを置き、ウルの首元を撫でながら微笑んだ。
「今日は少し森の奥まで足を伸ばしたからね。……そういえば、例の二人組はどうしているか分かる?まだ町にいるのかな」
「ん?ああ、あの『双剣のつがい』かい?」
「そう、その二人組」
「今日もさ、仲睦まじく町中をプラプラーっとしてさ、武具屋や道具屋なんかを見て回ってたよ。なんでも、明日の昼にはギルドの本査定が終わって、報奨金が支払われるらしくてね。もう完全に浮かれ気分さ」
「へえ、明日の昼にね」
コロの氷藍色の瞳の奥で、微かな光が揺れた。
あの『変異種』の魔石の真の価値がギルドから提示された時、果たして彼らがどんな顔をするのか。
「しかし何でだい?興味があるのかい」
「……おじさん。あの二人が大金を手にして本気で装備を整え始めるなら、この店で上級ポーションを買い求めるかもしれないね」
「おっ?あー……確かに!一流の傭兵なら金に糸目をつけずに命を買うだろうからねぇ」
「だから今日の夜にでも『月光草』や『白亜のキノコ』あたりを重点的に採ってこようと思うんだ。上級ポーションの調合に必須だから、少し高値で買い取ってくれる?」
「はははっ!コロは本当にちゃっかりしてるねぇ。いいとも、売り時ってやつだからなぁ!極上品なら色を付けて買ってやるよ!」
店主の豪快な笑い声を背に、一人と一匹は薬草店を後にする。
『フン。人の欲につけ込んで小銭を稼ぐとは、お前もたいがい悪食だな』
「人聞きの悪いことを言わないでよ。需要と供給を見極めるのは、長生きするコツの一つなんだから」
夕闇が迫る通りを歩きながら、コロはふふっと笑う。
風に乗って、あちこちの煙突から夕食を煮炊きする香ばしい匂いが漂い始めていた。
すっかり日の落ちた頃。
一人と一匹は宿場に併設された酒場の隅の席に陣取っていた。
これから採取へ向かうにあたっての腹ごしらえのようだ。
店内は、仕事を終えた商人や傭兵たちの熱気と、肉を焼く煙でむせ返るような活気に満ちている。
コロの前のテーブルでは、こんがりと焼き上げられた鶏肉の香草焼きと、チーズがたっぷり乗った温かいスープが湯気を立てていた。
コロに控えるようにして床に座るウルには、木桶いっぱいに盛られた骨付きの生肉が振る舞われている。
「……?」
コロがスープを口に運ぼうとしたその時、酒場の中央にある一番大きなテーブルから、一際大きな笑い声が弾けた。
「だから言っただろう、マリア!俺たちの腕なら、王都の騎士団にだって引けを取らないって!」
「もう、ジャンったらお酒が回りすぎよ。でも……ふふ、そうね。明日の報奨金が入ったら、本当に王都に家を買うことだって夢じゃないわ」
そこには、カウンターに並んで腰を掛け、エールが入った巨大な木製ジョッキを傾けながら、上気した顔で未来を語り合うジャンとマリアの姿があった。
二人の周囲には、彼らの武勇伝を聞きたがる若い冒険者や野次馬たちが群がり、ちょっとした宴のようになっている。
「家は小さくても良い。でも、庭は立派なものを造りたいな」
「そうね、憧れちゃう!」
「ああ!お前の好きな花をたくさん植えよう。危ない魔物退治はもう引退して、たまに商隊の護衛なんかをして、のんびり暮らすんだ」
「素敵ね、ジャン。……私、貴方と一緒なら、どんなところでも幸せよ」
マリアは頬を赤らめ、ジャンの厚い胸板にそっと頭を預けた。
周囲からは「ヒューヒュー!」「当てられっぱなしだぜ!」という冷やかしと、祝福の口笛が吹き鳴らされる。
未来への希望に満ちた、純粋で眩しい笑顔。
彼らは疑いすらしていない。
明日の昼あたり、自分たちの器を粉々に打ち砕くほどの『暴力的なまでの富』が空から降ってくることなど。
『……くだらんな。酒が不味くなる』
ウルは忌々しそうに鼻を鳴らすと、木桶の骨付き肉をバリボリと噛み砕いた。
「まあまあ。彼らにとっては、今夜が一番平穏で幸せな夜なんだから。静かに見守ってあげようよ」
『そんなに値が吊り上がるのか?』
「鑑定する人類に見る目があれば、ね」
コロは氷藍色の瞳を細め、ナイフで鶏肉を切り分けながら、その美しくも危うい『最後の晩餐』をただ静かに眺め続けていた。
翌朝。
太陽が東の稜線からのっそりと顔を出し、町を包んでいた朝靄が晴れはじめる頃。
町の目抜き通りは、昨日までの『祝祭の陽気』とは全く違う、どこか浮き足立ったような、異様な熱気とざわめきに包まれていた。
「おはよう、おじさん。月光草と白亜のキノコ、採ってきたよ」
「おお、コロ!待ってたよ!……いや、薬草もそうなんだが、それよりもすげえ話を聞いさあ!」
カラン、と真鍮のベルを鳴らして薬草店に入ると、店主は挨拶もそこそこに、カウンターから身を乗り出してきた。
手元の天秤や薬研には目もくれず、その顔は他人の特大のゴシップを仕入れた興奮で赤く火照っている。
「すげえ話?」
「ああ!今朝早く、粉挽きのおやじがギルドの役人のカミさんから立ち聞きした話らしいんだがね?……あの例のレッサードラゴン、ただのレッサードラゴンじゃなかったみたいだよ!」
店主は声を潜めながらも、隠しきれない興奮で唾を飛ばした。
コロは斜めがけバッグから丁寧に薬草の束を取り出しながら、わざとらしく小首を傾げてみせる。
「ただのレッサードラゴンじゃないって、どういうこと?」
「話によれば『新種』……いや、とんでもない『変異種』らしくてさ!解体した職人が腰を抜かしたらしいんだよ!」
「へえ、そうなんだ」
『「へえ」ってお前、現に変異種だっただろうが……』
ウルがコロの白々しさに、そう漏らして鼻をフンと鳴らすが、その言葉は店主には通じない。
店主は言葉を継いだ。
「で、中から出てきた魔石が、白金貨数枚じゃさ、ちょーっと払いきれないくらいの、国宝級の代物に化けちまったって話だ!」
バンッ、と店主が興奮のあまりカウンターを叩く。
その足元で、ウルは『知っていた』とばかりに退屈そうに目を細め、鼻からフンと短い息を吐いた。
「白金貨じゃ払いきれないって……それじゃあ、あの二人の報奨金はどうなんだろうね。それ以上の価値を持つコインはないと思うけど」
「そこなんだよ!ギルドの金庫を空にしてもさ、領主の金庫を空にしてもさ、全然足りないもんだから、領主様から直々に『爵位』を賜るんじゃねえかとか、一生かけて『分割払い』で報酬を受け取れるんじゃないかとか……もう、朝から町中その噂で持ちきりだよ!」
店主の目は血走り、まるで自分がその大金を手にしたかのように荒い息を吐いている。
「いやぁ、昨日まで一生遊んで暮らせるって言ってたのに、今度は貴族様かい!いやはや、人生何が起こるか分からんもんだねぇ。あの二人、今頃宿屋で泡を吹いてひっくり返ってるんじゃないか?」
「……そうだね。きっと、想像もつかないくらい驚いてるだろうね」
コロは氷藍色の瞳を静かに伏せ、綺麗に揃えられた月光草の束を指先でそっと撫でた。
莫大な金は、時として猛毒になる。
昨日まで自分たちの手の届く範囲の『小さな家』を夢見ていた二人の前に、突然『国』や『爵位』という途方もない欲望の塊が投げ落とされようとしている。
果たしてあの二人は、手を取り合ってその重さに耐えられるのか。それとも――
『……器の底が抜ける音が、ここまで聞こえてきそうだな』
ウルが誰にも聞こえない低い声で、ポツリと呟いた。
外の通りからは、噂の真偽を確かめようとギルドへ向かって走る人々の足音と、熱病に浮かされたような喧騒が、ひっきりなしに響き続けていた。
薬草店を出た一人と一匹。
熱病のような喧騒を残す町を後にし、再び深い森へと足を向けていた。
朝の光が古い巨樹たちの隙間から幾筋もの白い帯となって差し込み、湿った苔やシダの葉を瑞々しく照らし出している。
町の騒がしさが嘘のように、ここにあるのは風に揺れる葉の擦れ合う音と、遠くでさえずる小鳥の声だけだった。
コロは小さな屈んで、木根の陰にひっそりと生えていた薬草を指先で優しく摘み取り、斜めがけのバッグへと仕舞い込んでいく。
その様子を、すぐ傍らで退屈そうに見守っていたウルが、ふと金色の瞳を向けて声をかけた。
『おい、コロ』
「ん、なに?」
『なにってお前……今日は宿に戻って、まともに寝なくていいのか?さっき町へ帰ったばかりで、またすぐに森へ行くことはないだろう』
ウルの言葉に、コロは手を止め、不思議そうに振り返る。
「何を言っているの。昨日の晩に森の中で一眠りしたじゃない」
『フン。あんな硬い地面の上でのうたた寝が、睡眠の内に入るか。人類の器は脆いのだから、少しは労わったらどうだ』
呆れたように鼻を鳴らすウルに対し、コロはふふ、と悪戯っぽく、しかし心からの信頼を込めて微笑んだ。
「ふふ、大丈夫だよ。宿だろうが森だろうがね、ウルのそばならどこだってよく眠れるからね」
『…………』
直球すぎる言葉に、ウルは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
気まずそうに鼻をフンと鳴らし、そして照れくささを誤魔化すように不自然に顔を背けると、足元に転がっていた拳大の石ころを、前足の爪先でポイッと力任せに蹴っ飛ばした。
スコーン、と乾いた音を立てて飛んだ石は、遠くの幹に当たって茂みの奥へと転がっていく。
「あはは、照れて」
『うるさい。少し足が滑っただけだ。……それより、さっさと採取を終わ――』
ウルが足早に歩き出そうとした、その時だった。
冷涼な森の空気を震わせるように、どこか遠くの茂みの奥から、ピリピリとした不穏な声が風に乗って流れてきた。
「――だから、私はそんな話をしてるんじゃないわ!」
「落ち着けよマリア!」
それは間違いなく、町中の人間が羨み、昨夜の酒場であれほど幸せそうに寄り添い合っていた、あのジャンとマリアの声だ。
『早速か』
「……だね」
一人と一匹は動きを止め、ジッと耳をそばだてる。
「ギルドの連中が勝手に言ってるだけだろ!?俺たち平民に爵位なんて馬鹿げた話、あるわけがないだろう!!」
「報酬が釣り上がりすぎた場合は、そういう形になるのが通例だって言っているの!!アールマン辺境伯家には余っている爵位がいっぱいあるのよ!?手っ取り早くそう済ませる可能性が高いって!!」
「だったら分割払いを提案すれば良いだろう!!なぜわざわざ男爵位を貰う必要があるんだ!?自ら貴族社会に飛び込んでどうする!?」
「爵位を貰ったほうがいいに決まっているじゃないの!!少し冷静に考えれば分かる話よ!!」
その声に昨日までの甘やかな響きは一切なく、互いを激しくなじるような、刺々しい憎悪と焦燥が混じり合っている。
コロの氷藍色の瞳が、声のする暗い森の奥へと向けられた。
ウルの耳も警戒を孕んでピクリと立ち上がり、金色の瞳が冷ややかに細められる。
「揉めているね」
『地位か、金……か』
「あれがただのレッサードラゴンなら、こうはなっていなかったんだろうね」
『フン。遅かれ早かれだろう。お前だってそう思っているくせに』
「まぁね」
呆れてマズルをしかめるウルに、クスッと笑って答えるコロ。
「――だから分割でお金を貰ったって、もう二度と爵位は手にはいらないのかもしれないのよ!?お金なら、爵位を貰えばもっと手に入るって言ってるじゃないの!!」
「俺たちのような平民丸出しの自由民が貴族になったって、領地経営で苦労するだけだ!!お前こそ冷静に考えろって!!」
昨晩までのロマンスはどこへやら。
人里離れた森深い中、ジャンとマリアの言い争いは平行線のまま続く。
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