最強の絆と、一振りの毒牙 1 〜無敵のつがいと、変異種の足音〜
1.
茜色に染まる夕暮れの街道。
普段は行商人の馬車が行き交う長閑な石畳の道の中央に、黒々とした巨大な肉塊が横たわっていた。
分厚い赤銅色の鱗、大木ほどもある太い尾、そして馬車を丸呑みにできそうな巨大な顎。
並の軍隊であれば一個大隊を率いても甚大な被害を免れないであろう、上位の魔物――レッサードラゴンだったものである。
しかし、その強大な魔物は今や完全に息絶え、切断された太い首の断面からは、どす黒い血が石畳の隙間を伝って川のように流れ出している。
撒き散らされた血が石畳の熱で僅かに泡立ち、むせ返るような鉄錆と硫黄の匂いが夕闇の風に混じって鼻を突いた。
レッサードラゴンだったものの黄金色の瞳は既に何も、そしてどこも見ていない。
そんな圧倒的な死の象徴の傍らで、勝利の黄色い狼煙を上げている二人の人影があった。
「やった……やったぞ、マリア!俺たち二人で、こいつを倒したんだ!」
「ええ、ジャン!貴方が正面から引き付けてくれたお陰よ!」
返り血と泥にまみれた革鎧を纏う、一組の人間族の男女の傭兵。
男の鎧は無残に引き裂かれ、女の握る剣は刃こぼれでノコギリのようになっている。二人の肩は激しく上下し、限界を超えた肺が悲鳴を上げているのが遠目にも分かった。
それでも彼らは血生臭い風の中で、互いの無事と勝利を噛み締めるように、きつく、きつく抱き合っていた。
その顔には死闘を乗り越えた極度の疲労が滲んでいたが、それを遥かに上回る、互いへの絶対的な信頼と歓喜の笑顔が夕日に照らされて黄金色に輝いている。
彼らが『たった二人だけ』でこの化け物を仕留めたという事実に、偶然通りかかったコロとウルは思わず足を止めていた。
『……馬鹿げた力だな』
「だね。いやはやレッサードラゴンを、ね……」
『あれほどの個体を、人間族がたった二人だけで屠るとはな』
ウルが呆れたように鼻を鳴らし、レッサードラゴンの死骸を一瞥する。
周囲の木々や石畳には、ドラゴンの無秩序な破壊の痕跡が残っているが、それらを掻い潜り、阿吽の呼吸で致命傷を与えた二人の連携は見事としか言いようがなかった。
ドラゴンの分厚い赤銅色の鱗には、二振りの剣が全く同じ深さ、同じタイミングで交差したであろう十字の裂傷が幾つも刻み込まれている。
「人類にしては素直に強いね。二人とも、少しの迷いもない動きだったよ」
コロは、抱き合う二人の傭兵を静かに見つめた。
『チャーリーのような特別な力ではない、純粋なものだったな』
珍しく素直に褒めるウルの首元にポンと手を置くコロ。
やがて、黄色い狼煙を見て駆けつけたであろう街の自警団や住人たちが、わらわらと街道に集まってくる。
恐る恐る近づいてきた松明やカンテラの灯りが、夕闇に沈みかけていた街道をパッと明るく照らし出した。
「おおっ!凄え!あの『双剣のつがい』が、本当に二人だけでやりやがった!」
「やっぱり愛の力だねぇ!あの二人はお互いを信じ合ってるから、無敵なんだよ!」
口々に称賛と熱狂の声を上げる群衆。
死の匂いが立ち込めていた戦場が、一瞬にして華やかな舞台へと変わる。
囃し立てられた男女は少し照れくさそうに笑い合い、男が女の肩を抱き寄せると、群衆からさらに大きな歓声が上がった。
勝利、名誉、そして揺るぎない愛。
人間の持つ最も美しく、最も力強い感情が、茜色の空の下で爆発しているようだった。
「……ま、薬草採取も終わったし行こうか、ウル」
『フン。暑苦しくなってきた。俺の鼻が曲がる前にな』
熱狂の渦に包まれる人間たちを背に、一人と一匹は再び静かに歩き出す。
翌朝、最寄りの町の薬草店。
カランカラン、と古びた真鍮のベルを鳴らして店に入ると、鼻の奥をツンと突くような乾燥ハーブと乳鉢で擦られた薬草の匂いが満ちていた。
天井からは無数の薬草の束が逆さに吊るされ、小さな窓から差し込む朝陽が、空気中に舞う細かい粉塵をキラキラと照らし出している。
「おはよう、売りに来たよ」
「おっ!いつも助かるよ。コロの持ってくる薬草は、どれもこれも傷一つない極上品ばかりだからねぇ」
「はい、希望通りの数ね」
「ふむふむ。詳しく見るまでもなく、文句なしだな!ほれ、代金だよ」
恰幅の良い初老の店主が、コロの持ち込んだ薬草の束を丁寧に木箱へ仕舞いながら、銀貨の入った小袋をカウンターの上に滑らせた。
コロは小袋の重さを軽く手のひらで確かめると、チャリンと音を立てて斜めがけのバッグに放り込む。
「ありがとう。それにしても、朝から町の中がお祭り騒ぎみたいだね」
コロが外の通りに視線を向けると、まだ朝だというのに、あちこちの酒場から上機嫌な男たちの歌声や、乾杯の音が漏れ聞こえてきている。
開け放たれた木扉の向こうでは、荷馬車を引く商人たちの威勢の良い声や、朝からエールを煽ってジョッキを打ち鳴らす傭兵たちの馬鹿笑いが絶え間なく響いていた。
「ああ、例の『双剣のつがい』さ。ジャンとマリアの二人組のおかげで、この町はちょっとした特需に沸いてるんだよ」
「特需?」
「あの大物、レッサードラゴンさ」
「ああ、それなら昨日見かけたよ。あの人たちね」
「おお、見たか!あんな上位の魔物を討伐したとなれば、領主からの莫大な報奨金はもちろん、赤銅色の鱗や牙、それに魔石だけでも家が建つほどの金になるかもしれんなぁ」
店主は脂ぎった両手を揉み手のように擦り合わせ、興奮で赤くなったホクホク顔をカウンター越しに身を乗り出してきた。
その足元では、ウルが退屈そうに床板に顎を乗せ、大きな欠伸を噛み殺している。
「解体業者から武具屋、あいつらに酒を出す宿屋まで、これからこの町に金がぐるぐると回るぞー?まあ、あの二人も、莫大な富を手にするのは確実だからな。んー、流れ者だし、装備を整えて、この町を出て次の大きな都市へ向かうんだろうなぁ」
「へえ、そうなんだ」
「二人なら一生遊んで暮らせる金だろうに、やっぱり一流の傭兵ってのは立ち止まらないもんだねぇ。……本当に、お似合いの無敵のカップルだよ」
店主は心の底から羨ましそうに、そして彼らの輝かしい未来を少しも疑わずにそう締めくくった。
「そっか。……じゃあ、私たちはまた森へ行ってくるよ。次はもう少し奥の方で、珍しいキノコでも探してみるから」
「ああ、気をつけてな。いくらドラゴンが死んだとはいえ、森の奥にはまだ厄介な魔物がいるからね」
『フン。その厄介な魔物とやらより、酒臭い人類の相手をする方がよっぽど骨が折れるがな』
ウルが鼻を鳴らして立ち上がり、一人と一匹は薬草店を後にする。
眩しい朝陽が降り注ぐ外の通りは、無敵の傭兵カップルがもたらした勝利の余韻と、黄金色の未来を祝福するような活気に満ち溢れていた。
薬草店を出て、活気に満ちた大通りを歩いていると、広場に面した露天のカフェに、昨日夕暮れの街道で歓声を浴びていたあの二人の姿があった。
昨日のボロボロになった革鎧はそのままだったが、二人の表情は朝陽のように明るい。
テーブルの上には一杯の薄い果実水と、一枚の羊皮紙が広げられており、二人は頭を寄せ合いながら真剣な顔で何かを書き込んでいた。
「ギルドの概算見積もりだと、報奨金と素材を合わせて最低でも白金貨十枚ってところか。……マリア、お前の剣はもう限界だから、一番にドワーフ製の良い双剣を新調しよう」
「駄目よ、ジャン。貴方の革鎧の方がボロボロじゃない。貴方が前衛で引き付けてくれなきゃ、私の剣なんて当たらないわ。鎧の買い替えが先よ」
二人は羊皮紙に羽ペンを走らせながら、互いの身を案じるように笑い合っている。
「じゃあ、装備の更新は二人同時にだ。あとは上級ポーションの予備を少し多めに買って、これくらいは蓄財するとして……残りの白金貨三枚は、いつか安全な街で小さな家を買うための貯金に回そうか」
「ええ、それがいいわ。これからは無茶をしないで、少しずつ堅実に依頼をこなしていきましょう」
マリアが愛おしそうにジャンの腕に身を寄せると、ジャンも優しく彼女の肩を抱き寄せた。
分を弁え、身の丈に合った富を堅実に分配し、互いの未来のために手を取り合う。
その絆は、誰の目から見ても揺るぎない、純度百パーセントの『愛』と『信頼』そのものだった。
「仲良しだね。身の丈に合った堅実な使い方をしてるし、凄くしっかりした二人だよ」
コロは通りを歩きながら、氷藍色の瞳はジッと二人の背中を見つめた。
その横を歩くウルは、冷たい金色の瞳で二人を一瞥し、鼻で笑った。
『フン。身の丈に合った額だから、どうにか理性が保てているだけだろう』
「はは、辛辣だね」
『辛辣ではない。器に収まりきらんほどの莫大な金が転がり込んだ時、果たしてその綺麗事と薄っぺらい情がいつまで保つか見物だ』
「まぁ、人類っていうのは往々にしてそんなもんだろうとは思うけどね。とは言え、今のところあの二人は、そういうトラブルがなかったからこそ、特別な力がなくてもレッサードラゴンを二人だけで討伐できたんでしょ」
コロが軽く窘めるが、ウルは退屈そうに欠伸を噛み殺しただけだった。
長い時を歩む一人と一匹は、そんな微笑ましい人類の営みを通り過ぎ、目的の薬草を求めて町外れの深い森へと向かう。
一人と一匹は、より希少な薬草を求めて町から遠く離れた深い森の奥へと足を踏み入れていた。
高くそびえる古樹の枝葉が太陽の光を遮り、森の中は昼間でも薄暗く、ひんやりとした湿気を帯びている。
僅かな木漏れ日を頼りに僅かな獣道を進んでいると、不意に前方の茂みがガサリと揺れた。
『おお……やはり、同族の上位の御方でしたか』
『この辺りでは嗅いだことのない、強い匂いと気配がしたものですから』
『これは何とも不思議な……上位種の番かと思ったら……』
低い唸り声と共に現れたのは、淡く緑がかった美しい毛並みを持った二匹の狼――フォレストウルフの番だった。
彼らはウルの放つ圧倒的な存在感に本能的な敬意を払いながらも、敵意がないことを示すように尻尾を下げ、頭を下げながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「お邪魔しちゃってごめんね。人類の器を借りているけれど、元はこの子と同じ、君たちの同族だよ」
『そうですか。不思議なこともあるものですね』
『ちなみに俺たちは薬草を探しに来ただけだ。お前たちの狩場を荒らすつもりはない』
『それは安堵いたしました。いやはや、ここ最近はずっと、あのデカいトカゲのせいで森の厄介事が絶えなくて困っていたんですよ。昨日、人類に討伐されているのを遠巻きに見て、ホッとしていたところです』
雄のフォレストウルフが安堵の息を吐くと、雌の方も深く同意するように頷いた。
『ええ、本当に。アイツが寝た場所は一帯の植物が枯れてしまってねぇ』
『枯れるだけならまだしも、そこからスライムがぐじゃぐじゃ湧き出すから厄介だったんです。我々では手に負えなくて』
その愚痴めいた言葉に、ウルは怪訝そうに耳をピクリと動かし、コロも小首を傾げた。
「……ん?スライムが湧き出す?」
『はい。トカゲの体液か何かでしょうか……。酷い有様ですよ』
「おかしいな。レッサードラゴンにそんな生態や特徴はないはずなんだけどね。周囲を枯らすほどの毒や呪いを持っているわけでもないし」
コロが顎に手を当てて考え込むと、ウルも同意するように鼻を鳴らした。
『あいつらはただのデカいだけの頭が悪いトカゲだ。環境を変異させるような特殊な魔力は持っていないはずだぞ。……おい、その寝床とやらはどこにある』
『この先の、谷間のくぼ地です。案内いたしましょうか』
「気になるね。ちょっと見に行こうか」
『だな』
番に先導され、一人と一匹はさらに森の深奥へと進む。
やがて、風向きが変わった瞬間に、鼻を突くようなツンとした腐臭が漂ってきた。
「……これは」
谷間のくぼ地に辿り着いたコロは、目の前の光景に小さく息を呑んだ。
本来であれば青々とした下草やシダ植物が群生しているはずのその場所は、すり鉢状に数十メートルにわたって完全に生命活動を停止していた。
周囲の木々は生気を吸い取られたように白く立ち枯れ、足元は腐葉土ではなく、毒々しい紫色のヘドロのようにドロドロにぬかるんでいる。
そして何より異様なのは、その白骨化したような木々の根元や、ぬかるみの中から、半透明の粘液の塊――無数のスライムが、ぶくぶくと気泡を立てながらぐじゃぐじゃと這い出してきていることだった。
「ほら、見てウル。この粘液の跡……見事なまでにドラゴンの巨体の形に残っている」
『フン。どうやらただのレッサードラゴンではなかったようだな』
ウルが忌々しそうに足元のヘドロを睨みつける。
生態系を歪め、命を吸い尽くし、質の悪い魔物を発生させるほどの異常な魔力溜まり。
「なるほどね。……あのトカゲ、『変異種』かもしれないね」
コロは、白く枯れ果てた木肌をそっと撫でながら結論を出した。
「心臓にある魔石が、通常の個体とは比べ物にならないくらい強力で、特殊なものに変異していたんだ。だから、無自覚に魔力が漏れ出して周囲の環境をこんな風に汚染していた」
『ふむ。だとしたら、あのトカゲから採れた魔石は……』
「だね。街のギルドが査定すれば、家を建てるどころじゃない。下手したら底辺の貴族家くらい丸ごと乗っ取れるくらいのとんでもない値が付くかもしれないね」
コロの言葉に、ふと、数日前の広場で堅実に『未来の貯金』を計算していたジャンとマリアの顔がよぎる。
『……器に収まりきらん莫大な金が転がり込んだ時、果たしてどうなるか、だな』
「見ものだね。ちょっと興味が湧いてきたかな」
『お前も趣味が悪いな』
「人類の観察は嫌いじゃないよ。見るだけなら」
ウルの金色の瞳が、森の暗がりの中で冷たく光った。
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