賢王の遺産と、愚者たちの天秤 3 〜星刻の霊薬と、醜悪なる王位継承〜
3.
すっかり日の落ちた王都の中心。
天を突くようにそびえ立つ王宮の正門前には、等間隔に焚かれた篝火が周囲を赤々と照らし出し、銀の甲冑に身を包んだ屈強な近衛兵たちが鋭い眼光で睨みを効かせている。
そんな近衛兵の数は、守っているものの重要性が伺えるほどに、あちこちに散見される。
「止まれ!何者だ!」
門に近づく一人と一匹、そして二人のエルフの姿を認めるなり、近衛兵たちがチャキッと槍を交差させて立ち塞がった。
特に、闇夜に溶け込むような灰褐色の毛並みを持つウルの巨体に対し、彼らは明らかな警戒心を露わにして柄を握る手に力を込めた。
「ひゃっ……!」
殺気立った近衛兵たちの剣幕に、一番後ろを歩いていたラミディナーヤがビクッと肩を跳ねさせて立ち止まる。
しかし、先頭を歩くサフィーヤは全く動じることなく、カツ、カツと杖を鳴らして交差された槍の目の前まで歩み出た。
「おやおや、物騒だねぇ。この王都の薬師ギルド長からの『紹介状』を持ってきた使者だよ。……それとも、アタシの顔を忘れちまったのかい?」
サフィーヤがスッと顔を上げ、篝火の光がその額にある『三つ目の眼』を照らし出した瞬間、槍を構えていた近衛兵たちの顔色が一変した。
「サ、サフィーヤ殿……!?い、いえ!滅相もございません!!」
近衛兵隊長とおぼしき男が慌てて槍を収め、直立不動の姿勢でバシッと美しい敬礼を見せる。
「し、しかし、そちらの巨大なアッシュウルフは……」
「おや、アッシュウルフを知っていたかい。ま、このお二方は、アタシが直々に保証する大切な客人さ。このデカブツが粗相をしないことは、アタシの『眼』にかけて誓おうじゃないか」
『フン。何もしなかったら、俺だって何もせん』
そう吐き捨てて、フンと鼻を鳴らしたウル。
そんな仕草に、近衛兵たちは一瞬、ビクッと反応してしまう。
「そ、そちらの……子供とアッシュウルフが……?」
「ん、そうさ?」
「はっ!サ、サフィーヤ殿がそう仰られるのであれば……!どうぞ、お通りください!」
隊長が手で合図を送ると、重厚な鉄格子の門がギギギと重々しい音を立てて開き、王宮への道がすんなりと開かれた。
リンデマンから預かった紹介状すら、懐から出す必要がなかった。
そのあまりにもスムーズなやり取りを後ろで見ていたラミディナーヤは、ほうっと感嘆の吐息を漏らした。
「さすがおばあちゃんだね……王宮の近衛兵が相手でも、完全に顔パスだなんて」
王宮内部に足を踏み入れるや否や、中で詰めていた近衛兵のうちの一人が先導し、歩みを進める一行。
そんな中、ラミディナーヤが小声でそう感嘆の声を漏らした。
「へっへ、王宮のお抱えのヘッポコ鑑定士どもより、アタシの『眼』の方がよっぽど確かだからね。それに、昔から王族の連中のワガママに付き合ってやってる恩もあるのさ」
サフィーヤは振り返ると、まだ緊張の抜けないひ孫に向かって、パチンと茶目っ気たっぷりにウインクをして見せた。
「アンタだって、そのうちこうなるんだよ?」
「そ、そうだね……。うーん……」
「……さあ、胸を張って歩きな!ここから先は、アタシたち一族の『仕事場』さね」
「う、うん……っ!」
ラミディナーヤは両頬をパンッと叩いて気合を入れ直すと、曽祖母の小さな背中を追って足を踏み出す。
『フン。威勢がいいのは結構だが、俺の尻尾を踏むなよ、小娘』
「わ、分かってるよ!踏んだら……ごめん」
『新鮮な家畜肉で手を打ってやる』
「買える範囲で……」
ウルとラミディナーヤの緊張感のないやりとりを見て、コロはクスリと笑みをこぼした。
豪奢な大理石の回廊を抜け、分厚い真紅の絨毯が敷かれた王宮の最奥へと歩みを進める一行。
目指すのは、限られた王族のみが立ち入りを許される密室――『白百合の間』。
そこで繰り広げられるであろう、人類の果てしない『欲の皮』の見本市へと、役者たちは静かに歩を進めていくのだった。
先導していた近衛兵が恭しく一礼し、重厚なオーク材の扉を開け放つ。
コロたちが足を踏み入れた『白百合の間』は、壁一面に金糸のタペストリーが飾られ、天井の魔石シャンデリアが部屋全体を眩いばかりに照らし出していた。
分厚い真紅の絨毯がウルの爪音を吸い込む静寂の中、長机の向こう側に座る七人の男女が、入室してきた一行を静かに見据えている。
当代の国王と王妃。すでに退位した前女王とその王配。
そして、現国王の子供たちである第一王子、第二王子、第一王女の三人だ。
「話は既に聞いている。よくぞ参った、薬師ギルドからの使者よ。そしてサフィーヤ」
口を開いたのは、白髭を蓄えた当代の国王だった。
その声は、初対面の平民に向けるような、重々しく威厳に満ちたものだった。
サフィーヤが恭しく頭を下げる横で、コロが懐からリンデマンの紹介状を取り出すと、壁際に控えていた老齢な侍従が恭しくそれを受け取り、国王の手元へと運んだ。
国王はペーパーナイフで封を切り、羊皮紙へ素早く目を通す。
第一王子たちは、玉座の間に立ち入った無作法な子供と獣を不快そうに見下ろしている。
そんな子供たちの視線を余所に、国王は悠然と頷いてみせた。
「……うむ。ギルド長からの書状、確かに確認した。途方もない至宝を持ち込んだそうだな。……早速だが、出してもらえるか」
国王の促しに従って、コクンと小さく頷いたコロはテーブルの中央に木箱を置いた。
侍従が賺さず蓋を静かに開けると、星の瞬きを液状化したかのような『星刻の霊薬』の青白く冷涼な光が、白百合の間に満ちた。
「父上、これは……?」
「これが、伝説の『星刻の霊薬』だ」
しばらく言葉を失っていた王子たちや王女の中でも、第一王子が口を開くと、国王は低く、威厳に満ちた声でそう答えた。
「おお……」
「これが、伝説の……」
初めて実物を見た王子と王女たちが、魅入られたように息を呑む。
そんな子供たちの様子を冷ややかに一瞥し、国王は威厳に満ちた声を維持したまま、言葉を継いだ。
「さて、我が愛しき子らよ。お前たちに問おう」
国王は腕を組み、三人の子供たちを順番に見据えた。
「この小瓶一つしかない神話級の至宝。欠損すら蘇らせるというこの奇跡を、我が王家がどのように使うべきか……それぞれの考えを聞かせよ」
「はい、父上!」
真っ先に身を乗り出したのは、第一王子だった。
「これは我が国の軍事力を盤石にするために使うべきです!先の討伐戦で右腕を失った我が国最強のアーレンス将軍に与えれば、近隣諸国への絶大な牽制となりましょう!」
「兄上、それはあまりに浅はかですわ!」
第一王女が優雅に扇で口元を隠し、冷笑する。
「武力など一過性のもの。ここは隣国の若き皇帝の持病を治すために用いるべきです。そうすれば、絶対的な同盟という名の『鎖』を隣国に繋ぐことができますわ」
「ふん、『同盟』だと?己がその隣国へ嫁ぎ、向こうの権力を我が物にしたいという『私欲』の間違いではないのか!」
第一王子が顔を真っ赤にしてテーブルをドンッと叩く。
「だいたい、あの老獪な隣国が恩一つで素直に従うものか!第一、お前の考えは――」
「まあ、心外ですわ!それならば兄上こそ、ご自身の派閥であるアーレンス将軍を復帰させ、いずれはこの国の実権を武力で掌握しようという『野心』の表れではないのかしら?」
「なんだと!?き、貴様、父上の御前で不敬極まりないぞ!将軍はこの国の盾だ!」
「ええ、そうでしょうね!兄上『だけ』を守る、都合の良い盾ではなくて?」
「貴様は帝国で実権を握りたいだけだろうが!なぜ希少な霊薬を、我らが栄えあるドゥルス王国が、野蛮なビルマン帝国ごときに献上するような真似をせねばならん!」
「アーレンス将軍の方がよほど野蛮だと思いましてよ?兄上は将軍のあだ名をご存知でして?『切り裂きランベルト』などと呼ばれているそうではありませんこと!?」
「ええい、黙れ!それほど勇猛果敢ということだ!」
「無抵抗な敗残兵を嬉々として切り裂く狂人が勇猛果敢!ふふっ!兄上は冗談がお上手ですわね!女神からの天罰で右腕を失ったのではと専らの噂と耳に挟みますわ!」
「フン!ローザリンデが媚びへつらっている隣国の皇帝など、小児性愛者ではないかと、我らがドゥルス王国まで噂話が流れてきているではないか!治したい病気とは、果たしてどの病気のことやら!」
始めのうちは国を思うもっともらしい言葉で着飾ってはいたが、要するに第一王子は『自身の派閥である将軍の復帰』を、第一王女は『隣国への影響力という自身の政治的カード』を欲しているだけなのは、誰の目から見ても一目瞭然だった。
醜い罵り合いがさらに熱を帯びようとした、その時。
終始黙っていた第二王子が、弾かれたように立ち上がり、兄と姉を鋭く睨みつけた。
「兄上も姉上も、いい加減にしてください」
「「なっ……!?」」
「お二人とも、あまりに短絡的で愚かです。これが『一つしかない奇跡』だということをお忘れですか?」
突然の第二王子の冷静な言葉に、第一王子と第一王女が口を噤む。
「そんな神の奇跡を再現できるような代物は、個人の功績や一時の外交のために使ってよいわけがないではないですか」
「フン!猫を被るなよ、ゲオルグ!では、お前は一体何に使おうというのだ!?」
「そうよ!ここぞとばかりに良い子ぶって、浅ましい!」
「その霊薬は、王家の最奥の金庫に厳重に封印し……国家の存亡、あるいは玉座を揺るがすような真の未曾有の事態が起きた『来るべき日』のために、絶対に温存すべきです。当たり前ではないですか……」
第二王子の言葉に、第一王子と第一王女が再び顔を真っ赤にして反論しようと口を開きかけた、その時だった。
「――はっはっはっ!見たかい、お前たち!」
突如、前女王が腹を抱えて豪快に笑い出した。
張り詰めていた『白百合の間』の空気を打ち破るような高笑いに合わせるように、前王配と国王、そして皇后までもが、堪えきれないといった様子でクスクスと肩を揺らし始める。
「な、祖母様……?父上……?」
「突然、何を……?」
困惑し、ポカンと口を開ける第一王子とローザリンデ。
国王は目尻に浮かんだ涙を指先で拭うと、きょとんとしている子供たちに向かって、残酷な『真実』を突きつけた。
「いや、すまない。あまりにも四十年前の私たち兄妹と、全く同じやり取りをするものだから、ついな」
「よ、四十年前……?」
「そうだ。……第一に、この霊薬は『一回につき一滴』しか使わん。これ一瓶で、我が王族が数世代にわたって恩恵を受けられるほどに余裕があるのだ」
「…………えっ?」
「えっ、一滴……?」
第一王子とローザリンデの顔から、スッと血の気が引いた。
あれほど互いを罵り合い、醜い独占欲を丸出しにしていた理由が、根本から崩れ去ったのだから。
「そして第二に。……お前たち、なぜ『第三王子』であった私が、上の兄たちや姉たちを差し置いてこの玉座に座っていると思う?」
「そ、それは……」
「そしてなぜ、男でもなく、ましてや長女ではなかった私の母上が、王位を継承できたと思う?」
国王の静かな問いかけに、白百合の間の空気が一気に氷点下まで凍りついた。
困惑する子供たちを他所に、国王はゆっくりと立ち上がり、コロとウルに向かって先ほどまでの威圧的な態度をスッと崩した。
まるで、旧知の友人に語りかけるような、穏やかな相好を崩して。
「……実に四十年ぶりだな。コロ、そしてウルよ。息災であったか」
「うん。王様たちも元気そうで何よりだよ」
『フン、すっかり老け込んだな』
「ウルは相変わらず失礼な事を言ってる」
「ははは!口の悪さも相変わらずか!」
「ごめんね。とにかく、ウルも『元気そうでなにより』って言いたいんだと思う」
『おい、誤訳だぞ』
その場にそぐわないコロの軽い返答に、第一王子たちがギョッと目を見開く。
「な……父上、四十年ぶりとは……?この子供は、一体……」
「ほほほ。お久しゅうございますな、陛下。大奥様も」
「ふふふ。サフィーヤも元気そうで何よりだよ。……それにしても、コロもウルも本当に、全く同じ姿をしているのだねぇ。父上と母上も『変わらない』と言っていたものねぇ」
前女王が懐かしむように目を細める。
四十年前。
そしてさらにその昔。
目の前の全く姿の変わらない不老の少女と魔狼がこの霊薬を持ち込んだ時にも、全く同じテストが当時の王の子供たちに投げかけられたのだ。
その事実が、ゆっくりと、だが確実に王子たちの脳髄を浸食していく。
「絶対的な力を前にして、私利私欲に目が眩む者に国は任せられん。ヴェルナー、ローザリンデ……お前たちは、見事に『不合格』だ」
玉座という名の残酷な選別の儀式。
己の醜い欲望を見透かされ、王の座から完全に転げ落ちたことを悟った第一王子のヴェルナーと第一王女のローザリンデは、声も出せずにその場にガクリと崩れ落ちた。
唯一、国を案じて温存を主張した第二王子のゲオルグだけが、呆然と立ち尽くしている。
凄惨な王位継承のドラマが繰り広げられる中。
コロは王宮の侍女が淹れてくれた最高級の紅茶をすすり、焼き菓子をヒョイと摘んでモシャモシャと頬張り始めた。
「ん、このお菓子、サクサクしてて凄く美味しい。ウルも食べる?」
『いらん。……それにしても、どいつもこいつも、血を分けた家族でよくやるものだ』
大理石の床に伏せたウルは、呆れ果てて大きな欠伸をする。
恐怖と極度の緊張でブルブルと震え上がっているラミディナーヤは、キョロキョロとサフィーヤやコロの様子を伺っている。
コロは、絶望に打ちひしがれる第一王子と第一王女の姿を、ただの舞台劇でも見るような無関心な瞳で眺めながら、もう一つ焼き菓子を口に放り込むのだった。
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