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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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静かな森の終焉と、好敵手へのレクイエム 2 〜誇り高き老狼と、たった一つの未練〜

2.


翌朝。

一人と一匹は、依頼通りに薬草を採取するため、手始めに『静かな森』の中でも比較的浅い場所へと足を踏み入れていた。


頭上を覆う広葉樹の隙間から、幾筋もの光の帯が真っ直ぐに差し込んでいる。

森の中はひんやりと涼しく、腐葉土の柔らかな感触と青々とした植物の匂いが鼻腔をくすぐった。

外から見た時の不気味な静けさとは裏腹に、豊かな生命力に満ちた穏やかな空間が広がっている。


「うん、やっぱり殆ど手付かずの群生地だね。これならすぐに依頼の規定量に届きそうじゃないかな」


コロは鼻歌交じりに、手慣れたナイフ捌きで根元から薬草を刈り取っていく。

一方、その傍らでは、すっかり暇を持て余したウルがドサリと地面に伏せ、牙を剥き出しにして特大の欠伸をしていた。


『ふぁぁ……退屈だ。いくら老齢とはいえ、アッシュウルフが縄張りにしていると、こうも平和なものか……』

「いいじゃない、たまにはのんびりするのも。ウルはここでゴロゴロしてていいよ」

『言われるまでもない。ここなら誰も不愉快な勘違いをせんからな』


ウルはつまらなそうに尻尾をパタンと地面に打ち付け、目を閉じた。

と、その時。

近くのシダの茂みが、ガサガサと小さく揺れた。


『ん……?』


ウルの耳がピクリと動くが、立ち上がろうとはしない。

向かってくる気配があまりにも弱く、警戒する価値すらなかったからだ。


茂みを掻き分けてひょっこりと顔を出したのは、二匹の『葉隠れ狸(リーファルーン)』の番だった。

丸々とした愛嬌のあるフォルムに、頭に枯れ葉を乗せたような特有のヘンテコな模様を持つ、森の下層に生きる比較的温厚な魔物だ。


『お久しぶ――あれ!?あ、違った!』

『あら本当!久しぶりに散歩をしているのかと思いきや!』

『そりゃそうだよなぁ。最近、こんな人類のねぐらの近くまで足を運ばないもんなぁ』

『そりゃそうね。そうかそうか、別の上位種様ね』


葉隠れ狸の番は、地面に伏せっているウルを見るなりそんなことを言い合った。

どうやら彼らもまた、ウルをこの森の主である『白髭』と見間違えたらしい。

パチクリと丸い目を瞬かせた後、『ごめんなさいね』と口々に言い合い、そそくさと茂みの奥へ帰っていく。


『チッ!人類も魔物も、みんな揃いも揃って勘違いしやがる……!』


ついにウルの堪忍袋の緒が切れ、忌々しそうに低く唸りながら立ち上がった。

いくら森の覇者とはいえ、見ず知らずの老齢と思しきアッシュウルフと何度も何度も間違われるのは、誇り高きウルにとって屈辱以外の何物でもないのだ。


「あははははっ!」


不機嫌の極みに達したウルのぼやきを聞いて、コロはたまらず声を上げて吹き出した。


『笑い事ではない!この一帯はどいつもこいつも不愉快だ!』

「そう言われてもね。ふふふ、薬草は愉快なくらいあちこちに生えてるからね」

『クソッ、ここなら静かに過ごせると思ったが……!』


ウルはそう言うと、不機嫌な様子でドスンとその場に再び伏せてしまった。


「それにしても……様子を見に来ないんだね」


再び薬草採取に勤しみつつ、コロがそう呟くと、丸くなって目を閉じていたウルの目がパチっと開いた。


『……だな。同族が、それも俺とコロが縄張りの近くでゴソゴソしていたら、普通なら様子の一つくらい見に来るものだが……』

「おおらかなのか、はたまた、もう満足に動けないのか」

『フン。いずれにせよ、こちらから居場所を突き止めてまで挨拶する必要はなかろう』

「だね。もっと奥に行ってバッタリ出逢ったら断りの一つも入れるし、出逢わなかったらそのまま、かな」


肩を竦めるコロ。

ウルも同意したのか、フンと鼻を鳴らして再び目を閉じた。




それから数日が経過した。


森の浅瀬での採取を終え、一度町へ戻る道すがら。

ウルは歩きながら、しきりに周囲の空気を嗅ぎ、訝しげに鼻を鳴らしていた。


『それにしても、妙だ』

「ん、なにが?」

『この森を縄張りにしているはずの主の匂いが、殆どしない。古いマーキングの残滓は微かに残っているが、新しく更新された形跡が全くない』

「へぇ。他の強い魔物に縄張りを奪われちゃったのかな」

『いや、それなら新しい主の匂いがするはずだが、それもない。まるで、主そのものが存在ごと薄れつつあるような……』


ウルが首を傾げるが、コロにとっては「安全に採取ができるならそれでいい」程度の認識でしかなかった。


「いい歳どころか、もうマトモに歩けないくらいヨボヨボなのかもね。ほら、町についたよ」


そう言いつつ、コロは懐から通行許可証を取り出してみせた。

一人と一匹の姿を確認した町の衛兵たちが槍を片手に手を挙げる。


「よう!無事に帰ってきて良かったぜ」

「泊まり込みでしっかり稼いできたのかい?」


コロが淡々と「うん。予定よりいっぱい採れたよ」と返すと、衛兵たちは「そいつは重畳だ」と笑って気さくに道を開けてくれた。


町の大通りを歩けば、すれ違う町民たちの反応も初日とは打って変わっていた。

最初はウルを見るなり後ずさり、親が子供を隠すほどに怯えきっていたというのに、今では「ああ、例の旅人の従魔か」とチラリと見るだけで、すぐに日常の作業へと戻っていく。

中には軽く手を上げて挨拶をしてくる者すらいる始末だ。


『……この順応の速さ、あきれるな』

「そう?」

『ああ。初日はあれほど腰を抜かして怯えていたというのに……』


周囲の反応の変化に、ウルは半ば呆れたように鼻を鳴らした。

そんなウルのぼやきに、コロはクスクスと笑いながら返す。


「そこは人類の逞しさかもね」

『逞しさ、だと?』

「うん。魔物と違って、人類って『個』としてはひどく弱い生き物でしょ?それでもこうして大陸中のアチコチでしぶとく暮らしているのも、偏にこの尋常じゃない順応力の賜物だよ。自分にとって直接的な脅威じゃないと理解した途端、あっという間に日常に組み込んじゃうんだからね」


捕食者側のドライな視点で人類の生態を分析するコロの言葉に、ウルは『フン。図太いだけだろう』と忌々しそうに返しつつも、どこか納得した様子で首を揺らした。




一人と一匹はその足で、採取した薬草を納品するため、いつもの薬草店へと足を運んだ。


「おじさん、今日の分。指定の量、ちゃんと採ってきたよ」

「おお、悪いな嬢ちゃん!そこに置いといてくれ!」


店に入ると、中年の店主はカウンターの奥で顔を真っ赤にしながら、猛烈な勢いで乳鉢に薬草をすり潰していた。

いつもなら買い取った薬草の品定めをのんびりとするのだが、今日は額に汗を浮かべ、ひどく切羽詰まった様子だ。


「なんだか、すごく忙しそうだね」

「ああ、ちょっと急ぎの製薬があってな……!」

「忙しいんだったら、薬草はここに置いておくから、査定は別に次の機会にまとめてでも良いよ」

「助かるっ!くそっ、間に合ってくれよ……?」


店主はブツブツと呟きながら、ふと、コロの足元で退屈そうに欠伸をしているウルに目をやった。


「あー……そうかそうか」

「ん、なにが『そうか』なの?」

「あ、いや。嬢ちゃんたちが安全に泊まり込みできたってことはよ?森の『白髭』の気配が薄いって話は本当だったかってな。あいつも、もう歳かね……」


そこまで言うと、一瞬だけ遠い目をして手を止めた店主。

しかし現実逃避はすぐに終わり、また慌ただしく薬草をすり潰し始める。


「いやな?ルシーラ様も歳。白髭も歳。人類も魔物も、結局は歳には勝てんってことか……」


店主はどこか悲しげに、諦めのようなため息をつきながら笑っている。


「嬢ちゃん、次はまた泊まり込みで採取って言ってたか?」

「だね。浅いところはあらかた採り尽くしたから、明日はもう少し森の奥に入ってみるつもり」

「そうか。白髭が大人しいとはいえ、奥には何がいるか分からん。気をつけるんだぞ?まぁ、若くて逞しいアッシュウルフが居るんだから平気だよな」


コロは一通り薬草をカウンターに並べきると、「ルシーラ様」という聞き慣れない単語について深く詮索することなく、あっさりと店を後にした。


人類の事情など、コロにとっては報酬以上の価値を持たないようだ。




翌日。

泊まり込みの準備を整えた一人と一匹は、店主への宣言通り、これまでよりもさらに『静かな森』の奥深くへと足を踏み入れていた。


いつもよりも奥深い森の様相は、昨日まで滞在していた手前とは明らかに異なっていた。


頭上を覆い尽くす巨大な広葉樹の天蓋が陽の光を完全に遮り、昼間だというのにひどく薄暗い。

足元には湿った腐葉土が分厚く堆積し、一歩踏み出すたびにむせ返るような濃密な命の匂いと、微かな腐敗臭が鼻腔を突く。


葉隠れ狸(リーファルーン)のような下層の魔物の気配はすっかり消え失せ、代わりに、ヒリヒリとした重い緊張感が空気に張り詰めている。


「……うん、この辺りなら、まだ手付かずの薬草がたくさんありそうだね」


コロは周囲の気配を探りながら、そっとナイフを抜いて巨大なシダの葉を掻き分けた。

その背後では、ウルが低く喉を鳴らしながら、油断なく周囲に鋭い視線を巡らせている。


『チッ……静かすぎて逆に気が滅入るな』

「煩くても気が滅入るし、静か過ぎても気が滅入るし、ウルは大変だね」

『事実だ。仕方ない』


ウルはフンと鼻を鳴らし、どっかりとその場に座り込んだ。

コロはそんなウルを横目に、鼻歌交じりにナイフを動かし続ける。




そうして手近な群生地を採り尽くし、少し移動してはまた採取を繰り返すこと数度。


やがて一人と一匹は、鬱蒼とした森の中でもひときわ異彩を放つ、天を突くような巨大な古木がそびえ立つ開けた場所へと辿り着いた。


太くうねるような木の根の間に、途方もなく巨大な『影』が横たわっている。

その影を見たウルは、警戒して毛を逆立てるでもなく、ただ静かに立ち上がって唸り声をあげた。


『ふむ。ここに居たか』

「だね。こんにちは。ここ最近、あちこちウロウロしちゃってごめんね」


コロもまた、ナイフを鞘に収めると、まるで近所の老人に声を掛けるような気軽さで挨拶をした。


『……一向に構わん。若い同族の猛々しい匂いを感じて、昔を思い出していたところだ』


巨大な影が、ゆっくりと、ひどく億劫そうに身を起こす。


森の薄暗がりの中から姿を現したのは、ウルよりもさらに一回り以上も巨大な、一頭のアッシュウルフだった。

全身には幾千もの戦いをくぐり抜けてきたことを物語る無数の傷跡が刻まれ、その奥からは、周囲の空気が重くのしかかってくるほどの圧倒的な魔力と、絶対的な強者の風格が漂っている。


間違いなく、この『静かな森』の頂点に君臨する覇者。

町の人々が『白髭』と呼んで恐れていた存在だ。


しかし。


彼から漂うその途方もないオーラとは裏腹に、絶対者の歩みは痛々しいほどに覚束なかった。

本来ならば艶やかな灰褐色であるはずの体毛は枯れ草のようにパサつき、町で聞いた噂の通り、口元から首筋にかけての毛が真っ白に変色している。

巨大な四肢は小刻みに震え、一歩前に進むごとに、ヒュー、ヒューと苦しげな呼気が漏れ出ていた。


誰の目にも明らかだった。

この覇者は、寿命による『老衰』によって、すでに余命わずかなのだと。


『……若き同族の雄と、我と同じ魂の匂いを持つ、小さき人類か。珍しい存在だ。フン、長生きするものだな……』


老狼の黄金の瞳が一人と一匹を捉え、低く、掠れた声が響き渡る。


「ねえ、お爺ちゃん、大丈夫?もう立ってるのも限界みたいだけど」

『フン……同情など無用。この命が燃え尽きようとしていることなど、とうの昔から理解している……』


老狼は力なくゆっくりと腰を下ろすと、深い、深いため息をついた。


「そっか。私たちと同じアッシュウルフで、そこまで長生きな個体を見たのは初めてだよ」

『だな。俺も、そのような高みまで登り詰めることが出来るのか……』

『フン……人類のような世辞はいらんぞ』

『気の利いた嘘が付けるほど人類に染まってない。全盛期の力を見てみたかったものだ』

「本当だね。凄いね……」


アッシュウルフ同士の挨拶として、素直に頭を下げるウル。

コロも同じように頭を下げると、老齢なアッシュウルフもゆっくり、ゆっくりと頭を下げてみせた。


「ねえ、何か私たちにお願い事はないかな?」

『そうだ。俺たちは、人類の器(からだ)を持ったコロがいるお陰で、人類の縄張りでしか手に入らん品物も容易に手に入れられるぞ』

「家畜肉でも、果物でも、蜂蜜でも。遠慮はしないでね。何かないかな」


コロとウルからの、らしくもない前のめりな提案。


普段は徹底して合理的でドライな彼らだが、相手が『同族の長老』となれば話は別なようだ。

この不器用なほどに純粋な親切心は、コロの魂が人類などではなく、紛れもなくアッシュウルフであることを雄弁に物語っている。


そんな二人の真っ直ぐな眼差しを受け、老狼は黄金の瞳を細めると、喉の奥でカラカラと乾いた音を立てて笑った。


『カカッ……クックック。若いな。ありがたい申し出だ。……とはいえ、今の我には、脂の乗った家畜肉を食らい、消化するほどの元気は持ち合わせておらんよ……』

「そっか。……まぁ、そうだよね」

『ああ。……だが、良いものだな。死の淵にあって、こうして未来ある力強い同族に会えた。それだけで、我はもう十分に満足だ』


老狼は目を細め、どこか穏やかな、だが確かな誇りを感じさせる表情で息を吐き出した。


『有り余る力を全力で振るっていた、昔のことが思い出せた……』


もう、この世に未練などない。

そう語るかのような悟りきった顔。

しかし、老狼はゆっくりと目を開けると、木々の隙間から僅かに見える町の方角へと視線を向けた。


『……ただ一つ』

『ん、何かあるか?』

『うむ。心残りがあるとすれば……』

「心残り?」

『ああ。最近……長年、我の邪魔ばかりしてきた厄介者の人類の姿を、しばらく見ていないのだ……』

「厄介者?」

『……いつもなら、我が少しでも人里に近づこうものなら、鬱陶しい羽音を立ててすっ飛んでくるはずなのだがな。もう暫く、全く気配がしない』


老狼は大きな頭をゆっくりと持ち上げ、コロとウルの顔を交互に見つめた。


『同族の若者たちよ。突然で悪いがな、やはり……一つだけ頼まれてはくれまいか』

「うん。なんでも言ってよ」

『その若い雄が傍らにいれば、俺が同行していても、文句を言える人類など、あの厄介者以外にはいないだろう?だから……俺を一度、人類の町に連れて行ってくれないか……?』

『なっ……!?』


ウルが驚愕で吠えてしまう。


死期が迫った森の覇者が、死の直前に自ら人里へ向かおうなど、正気の沙汰ではないからと思ったからだろう。


しかし、コロは全く表情を変えずに、コクリと力強く頷いた。


「いいよ。連れて行ってあげる」

『おい、コロ!正気か!?こいつを町に連れて行けば大騒ぎになるぞ!』

「大丈夫だよ。同族のお爺ちゃんがね、最後に願ったお願い事なんだから。絶対に叶えてあげる」


人類の事情や町の混乱など知ったことではない。

コロの魂は、最期を迎えようとする同族の願いを叶えることだけを最優先に据えていた。


その迷いのない決断に、老狼は少しだけ目を瞬かせ、やがて苦笑するように優しく目を細めた。


『……ふっ、感謝する。こんなところでな、朽ち果てて、動物共の餌になるくらいなら……あの厄介者の手で、打ち倒されたいと思ってしまうのだ……』

『……そうか。そういうものか』

『ああ、そういうものだ。我は戦って、戦って、戦いながら死にたい。そして、とどめを刺す相手は、あの厄介者しか居ないと考えてしまうのだ……』

「そっか。……うん。絶対に連れて行く」

『感謝する。さあ……我の身体が動くうちに、どうか案内してくれ』


挿絵(By みてみん)

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