大図書館の怪異と、無報酬の復讐 1 〜破格の好待遇と、呪われた依頼〜
1.
ガタゴトと、車輪が乾いた土煙を巻き上げる単調な音が響く。
ヘンリエッタと別れた村から数十日。
一人と一匹を乗せた乗合馬車は、よく整備された広い街道をなめらかなペースで進んでいた。
荷台を吹き抜ける風はカラリと乾燥しており、これまで彼らが歩んできた鬱蒼とした森の湿気とはまるで違い、視界の先には見渡す限りの広大な荒野が広がっている。
ぽつりぽつりと小さな林や岩肌が見える程度で、豊かな森と呼べるような場所はどこにもない。
森どころか、ひび割れた赤茶けた大地がどこまでも続き、遠くの地平線は強い日差しに焼かれてゆらゆらと陽炎を立ち昇らせている。
馬車を通り抜ける風が運んでくるのは、植物の青々とした息吹ではなく、乾いた土と砂埃のざらついた匂いだけだった。
そして、その荒野の地平線を遮るようにそびえ立っているのが、目指す巨大な城塞都市だった。
高く分厚い石造りの防壁が都市全体をぐるりと囲み、遠目からでもその街が抱える途方もない富と人口の密集具合が窺い知れる。
分厚い城壁の向こうには、天を突くような幾つもの尖塔や、ひしめき合うように建てられた石造りの建築群が林立している。
壁の頂には無数のバリスタが等間隔で並び、この都市が外敵を全く寄せ付けない強固な軍事拠点でもあることを無言で誇示していた。
空には無数の鳥が舞い、街道を行き交う荷馬車の数も、これまでの街とは比較にならないほど多かった。
向かいの席では長旅に疲れた人間族の行商人が大きなイビキをかき、幌の隙間からはジリジリと肌を焼くような細い日差しが差し込んでいる。
「……この辺りは、これまでみたいな深い森がないね」
馬車の硬い木の座席で揺られながら、コロは頬杖をついてポツリとこぼした。
「薬草の採取も期待できそうにないし、当分は、あの街の掲示板にある依頼を中心に進めようかな」
『フン、おつかいか。面倒なことだ』
コロの足元で、周囲の乗客に警戒されないように大人しい『従魔』のフリをして丸まっていたウルが、退屈そうに鼻を鳴らした。
黄金の瞳だけをギョロリと動かし、呆れ気味に小さな唸り声を飛ばしてくる。
『そんなに細々と小銭を稼がんでも、やたらと持っている魔結晶を一つ換金すればいいだろう。しばらく遊んで暮らせるだけの金になるはずだがな』
「ダメだよ。あれは、いざという時のための保険だからね」
ウルの極めて合理的な提案を、コロは間髪入れずに却下した。
氷藍色の瞳が、窓の外の巨大な城壁を静かに見つめている。
「あれは、私のこの『器』が動かせないような、何か不測の事態があった時のためのものだよ。この器が動くうちは、換金するつもりはないよ」
『……相変わらず、変なところに執着する奴だ。お前のことだ、さっさと金に換えて美味い肉でも食おうと言い出すとは思わなかったがな』
「無駄遣いはしない主義なんだよ」
『それをケチとも言うな』
「言わないよ」
コロはちょんとウルのマズルを指で突いてから小さく肩をすくめ、再び窓の外へと視線を戻した。
生への執着が希薄なくせに、生きるための手段には異常なほどの保険をかける。
コロの口から出た『器』という冷ややかな表現には、自分自身の肉体すらも客観的な「乗り物」か「道具」のように見なしている、彼女特有の歪な死生観が滲み出ているように聞こえる。
やがて乗合馬車は速度を落とし、城塞都市の巨大な正門へと列を作って並び始めた。
門の周辺は、様々な種族の旅人や商人、傭兵たちの熱気と喧騒に包まれている。
順番を争って怒号を飛ばす商人たち、巨大な荷を背負って無言で歩くドワーフ、見たこともないような大型の荷引き獣の鳴き声。
行き交う人々の汗の臭いに、香辛料や鉄の匂いが入り混じり、むせ返るような活気となって溢れ出している。
新しい街の、新しい匂い。
「さ、着いたよウル。まずは掲示板のチェックだね」
『掲示板を見てから宿を決めるのか』
「だね。何泊するか見定める必要があるから」
一人と一匹を乗せた馬車が、ゆっくり、ゆっくりと列を進む。
城塞都市の内部は、外から見た威圧感そのままに、人と物と金が激しく交差する欲望のるつぼだった。
石畳の大通りには馬車が絶え間なく行き交い、両脇には立派な石造りの商店やギルドの支部が隙間なく建ち並んでいる。
馬車を降りたコロとウルは、人波を縫うようにして、都市の中央広場にある巨大な依頼掲示板へとやってきた。
「さて、何か割のいい仕事はあるかな……」
『依頼が多そうだな』
「それだけ人類がひしめき合っているんだね」
数多の依頼書がひしめく中、コロの氷藍色の瞳が、一枚の真新しい羊皮紙にピタリと止まった。
「見つけた」
『ん、どんなものだ?』
それは、他の危険な討伐依頼や手間の掛かる採取依頼に比べて、あまりにも異彩を放っていた。
「えーとね、急募、大図書館の夜間見回り業務。深夜に館内を一度巡回するのみ。報酬については、銀貨二枚だってさ」
『む?それだけで銀貨二枚?人類はそういうのを『怪しい』と呼ぶのではないか?』
「特記事項がある。……広くて快適な控室での睡眠、および豪華な夜食付き。だって。……これ、すごく美味しいね。ただ見回るだけで銀貨二枚に、豪華な夜食付きだよ」
『美味すぎる。どう考えても裏があるに決まっているだろう。罠か、またいつぞやのように生贄の類ではないのか?』
ウルの極めて真っ当な疑念に、コロが「そうだね」と頷きかけたその時だった。
「おい、やめとけ、嬢ちゃん!その依頼だけは絶対に受けちゃダメだぜ!」
突如、横から切羽詰まったような声が掛けられた一人と一匹。
見れば、見事な茶色の体毛に覆われた、猿の獣人の男だった。
彼はコロが見ていた依頼書を指差しながら、血相を変えて首を横に振っている。
「なんで?」
「なんだ、新顔か?その依頼はな、この街じゃ有名すぎる『呪い』の依頼なんだよ!」
「……呪い?」
「あぁ!夜の大図書館にはな、司祭様の浄化の祈りすら全く効かない、アンデッドでもない得体の知れない『何か』が出るんだよ!これまで何も知らずに依頼を受けた旅人や傭兵が、何人も見回りの途中で発狂して逃げ出してんだよ!」
獣人の男は、思い出しただけでも恐ろしいというように、身震いしながらまくし立てた。
どうやら、ただの親切心から見ず知らずの同じ獣人族の子供を心配して声を掛けてくれたらしい。
「へぇ、司祭の浄化も効かない幽霊が出るんだね。ふうん」
「ふうんって……嬢ちゃん、聞いてたか!?命が惜しかったら――」
「でも、アンデッドでもない得体の知れない何か、なんでしょ?じゃあ別に害はないと思うけどね」
「は?」
獣人の男が、間の抜けた声を漏らす。
コロは足元のウルを見下ろし、極めて平坦な声で尋ねた。
「本当に呪いなら、ひょっとすると精霊系の存在が悪い方向に変異したのかもしれないけど、それならこの子が蹴散らせるかな」
『フン。大騒ぎになっていない辺り、大したものではないだろう』
「だね。死者が出た感じでもなさそうだし。じゃあ、決まりだ」
コロは掲示板からその依頼書をベリッと剥がし取った。
「教えてくれてありがとう。でも、夜食付きで、寝泊まりできて、銀貨二枚なら、何が出ようと割に合うかな」
「なっ……!お、お前ら、正気か……!?」
ドン引きして顔を引きつらせる親切な獣人を置き去りにして一人と一匹は、今夜の宿を確保すべく、依頼主である大図書館へと迷うことなく歩き出したのだった。
城塞都市の知の象徴とも言える大図書館は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
高い天井まで届く巨大な書架がズラリと並び、色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、空気中を舞う細かな埃を照らし出している。
古紙とインク、そして微かなカビの匂いが漂う、重厚で知的な空間だ。
『カビ臭いな』
「人類はこの匂いを嗅ぐと『知的な何か』を感じるみたいだけどね」
『フン。カビ臭い以上の価値など見いだせん。頭の中がカビているから、そんな寝言が口から出るのだろう』
「ははは、だね。私もただただカビ臭い。ほら、あそこで申し出よう」
コロとウルが受付のカウンターに赴き、先ほど剥がしてきた依頼書を提示すると、丸眼鏡をかけた生真面目そうな受付の女性が、弾かれたように顔を上げた。
「こ、この依頼を受けるおつもりですか!?」
「うん。是非受けたいと思ってね」
「いえ、お止めなさい!いくらその従魔が強そうであっても、あ、あなたのような小さな子供が受けられるようなものでは……!」
女性はコロの姿を見るなり、ひどく狼狽して身を乗り出してきた。
先ほどの獣人と同じだ。
誰も彼もが親切心から警告してくるが、コロにとっては手続きが進まないだけの鬱陶しい時間でしかない。
「夜の図書館には『出る』のです!恐ろしい怨念を持った幽霊が!」
「……ああ、それならさっき来る途中で親切な獣人さんから聞きました」
「それなら話が早い……!」
「でも、受けます」
「なぜですか!?お金に困っているなら、もっと安全な――」
一向に引く気配のない受付の女性に、コロは面倒くさそうに小さくため息をついた。
そして、いかにももっともらしい『理由』をでっち上げて口にする。
「……私は大陸南部のアルブラン地方出身だからかな。アンデッドじゃない状態の『幽霊』とやらがいるっていう文化がないんだ。だから、その『幽霊』が出ると言われてもピンとこないっていうか」
「えっ……文、化……?」
「死者はね、土に還るか、女神様のもとへ行くか、魔力に汚染されて物理的なアンデッドになるか。それだけだよ。だから、実体のない呪いだの怨念だのって言われても、どうでもいいんだけどね」
この世界において、確かに『幽霊』という概念が存在しない地方がある。
この大図書館の夜の見回りという仕事も、大多数は『その手』の旅人や傭兵が、宿代を浮かせるために引き受けてくれているという図式で成り立っていた。
ぽかんと口を開ける女性に構わず、コロは足元のウルを指差して続ける。
「それにこの子は滅法強いからね。その幽霊とやらがドラゴンや上位のデーモン並みに強いんだったら辞退するけれど、ここが平穏な図書館って感じから察するに、具体的な人的被害はあんまりないんじゃない?」
「それは……ええ。驚いて逃げ出した際に転んで怪我をした方はいますが、幽霊そのものに直接殺されたり、呪い殺されたりといった被害は、今のところ聞いたことが……」
「なら平気。ほら、手続きしてほしいな。夜食の希望もついでに聞いてくれると嬉しいんだけど」
完全にペースを握られ、コロの極めて現実的な正論とハッタリに押し切られた受付の女性は、半ば呆然としたまま依頼の受理印を書類に押すしかなかった。
無事に「豪華な夜食付き」の優良物件を受注したその日の昼下がり。
夜の見回り業務まで時間を持て余した一人と一匹は、時間を潰すために城塞都市の大通りを散策していた。
巨大な都市には無数の人がひしめき合い、それに比例するように「噂話」という名の無責任な娯楽がどこにでも転がっていた。
偶然立ち寄った薄暗い雑貨屋で、店主が常連客に囁く声。
「……また大図書館の依頼を受けた旅人がいたらしい。あの学者の幽霊が出ると知っててな」
「実際に見たってヤツも結構いるんだろう?よく平然とあんなところで寝泊まりできるよな」
「だから旅人なんだろうよ。俺達とは違って精神のつくりが頑丈なんだろうさ」
昼食をとるために適当に入った大衆食堂で、隣のテーブルから聞こえてきた世間話。
「……可哀想になぁ。うちの爺さんから聞いた話だとさ、どうも同僚の罠にはめられて?なんだったか、貴重な魔導書かなんかを盗んだ無実の罪を着せられて殺されたんだろ?そりゃあ未練も残るってもんだよな」
「どうせ才能を妬まれでもしたんだろうさ。真面目で良い青年だったらしいからねぇ」
コロは別に聞き込みをして回ったわけではない。
ただ歩いているだけで、人々が好んで消費する『悲劇の噂話』が耳に入ってくるのだ。
「なるほどね。無実の罪を着せられて、裏切りで殺された青年の幽霊、って感じかな」
『フン。人類というやつは、死者の無念すら酒の肴にするのだな。反吐が出るな』
「まぁ、人類にとって他人の不幸は最高の娯楽だからね。どこでもそんなものじゃないかな」
コロは棚に雑然と置かれた火口にもなる麻の縄を選びながら、感情の読めない氷藍色の瞳で賑わう店内を見回した。
悲劇の主人公として祭り上げられている学者の幽霊。
だが、コロにとってそれは、今夜の『豪華な夜食付きで銀貨二枚の美味しい仕事』の、どうでもいいオマケ程度の情報でしかなかった。
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