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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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三十秒の静寂と、嘘のない熱 5 〜夢の終わりと、旅のつづき〜

5.


フェルムの北門。

そこは、この街で造られた鉄製品が世界中へと運び出され、同時に役目を終えた者たちが去っていく場所だ。


昼下がりの気だるい雰囲気の中、コロとウルは、膨れた腹に気を使うように、特に宛という宛もなく、積み込みを待つ馬車の列を横目に歩いていた。


「想像以上に稼いだうえに、昼ご飯代が丸ごと浮いた」

『どうする?こんな時間から見つかる仕事なんて、大したものはないだろう?』


ウルの言うことは尤もだった。

所謂「美味しい仕事」というものは、朝のうちに全て売り切れてしまい、後に残るのは、労働と対価が似合わない仕事や、露店の肉串が数本買える程度の報酬しか出ないような、ちょっとしたお使い程度だ。


「そこまであくせく稼ぐ必要はないかな。たまには日向ぼっこでもしようか」

『だな』


ガタン、ガタン、と。

背後から、ひときわ立派な、けれどこの街の煤に少しだけ汚れた馬車が近づいてくる。

車輪が石畳を叩く重い音。


「あ、ウル。ほら」


コロが足を止めると、馬車の速度が落ち、窓がガラリと開いた。


「……あ。やっぱり、あなたたちね」


窓から顔を出したのは、先日のような場違いなドレス姿ではなく、仕立ての良い、けれど地味な旅装に身を包んだマリーだった。


『例の臭いお嬢さんか……』

「お嬢さん!それに、大きなワンちゃんも! ……最後にまた会えて良かった!」


マリーの顔は、先日までのような「お守り」に縋る脆さは消え、どこか吹っ切れたような、この街の空気に馴染む硬さを宿している。

コロは一瞬、ウルと視線を交え、小さく肩を竦めてみせた。

馬車の窓から身を乗り出し、マリーは言葉を続けた。


「色々と……本当に、ありがとう!あなたのおかげで、私はちゃんと『自分』に戻れそうよ」


コロは歩みを止めず、ゆっくりと並走する馬車の窓をじっと見つめた。

彼女の脳裏には、昨日、裏通りの汚水の中で羊の少女が必死に振り回していた、あの無惨な桃色の布地が浮かんでいた。


「……お礼なんていいよ。私は、私の思ったことを口にしただけ。それでさ――」


コロは少しだけ歩調を早め、マリーの瞳を覗き込むように皮肉を投げかけた。


「お姫様の夢は、どこかに置いてきた? ……夢から醒めて、目醒めの方はどうだった?」


マリーは一瞬、きょとんとした顔をした。

自分が捨てたドレスが、今まさにドブ川で蹂躙され、別の誰かの「空腹」を満たすための素材に成り下がっていることなど、彼女は露ほども知らないだろう。


ただ、コロの言葉を「虚飾を捨てたことへの問いかけ」と受け取ったのか、彼女はフッと、これまでで一番自然な、けれど強い笑みを浮かべた。


「……ええ。案外、いい目醒めだったわ!身体が軽くて、少しだけ寒いけれど……元の日常に帰る事に、不思議とワクワクしているの!」


マリーは、嘗てドレスの裾を握りしめていた自分の掌を見つめ、それから強く拳を握った。


「さようなら、旅の占い師さんと、勇敢な相棒さん!あなたたちの旅が良いものであることを祈ってるわ!」

「……さよなら。目が醒めたなら、もう足元を間違えることもないね。お姉さんの未来に幸あれ」


御者が鞭を鳴らし、馬車が加速する。

轍の音を残して、マリーを乗せた箱はフェルムの北門の向こうへと消えていった。


『……ふん。頭の中が『花園』になっていたが、最後にようやく「個体」として少しはマトモな顔になったんじゃないか?まるで、生まれ変わったようだ』

「……そうだね。夢を見るコストを払えなくなった後の彼女の方が、私は好きだよ」


二人は馬車の去った門を背に、再び街の深部へと足を進めた。




馬車が上げた砂埃が落ち着くのを待って、二人は再び歩き出した。

賑やかな大通りを避け、入り組んだ裏路地へと足を踏み入れる。


「……あ。見て、ウル」


コロが足を止めたのは、昨日、あのマリーのドレスが蹂躙されていた水路の近くだった。 古着屋の裏手、煤けた風に吹かれるようにして、鮮やかな桃色の布地が風に泳いでいる。


『ほう、あっちも『生まれ変わった』というわけか』


驚いたことに、泥に(まみ)れていたはずのそれは、職人の街らしい強力な洗浄剤の力か、それとも羊の少女の執念か、思いのほか綺麗に洗い上げられている。


「……ん?これに、興味があるのか?」


不意に、煤けた壁の陰から声がした。

見れば、今朝、あの少女を罵倒していた猫の獣人の主人が、積み上げられた木箱に腰を下ろし、休憩がてらキセルをふかしていた。

紫煙の向こう側、眼光の鋭い瞳がコロを射抜く。

コロはそんな視線に一切動じる様子もなく、淡々とした表情のまま口を開いた。


「……別に。ただ、あんなに汚れていたのに、よくここまで綺麗にしたなと思って」


コロは率直な感想を口にした。主人はキセルを一度、灰皿代わりにしていた石の角で叩き、小さく鼻を鳴らした。

彼女は、風に揺られてダンスを踊っているドレスから、視線をゆっくりと足元に落とした。


「これを洗っていたあの女の子、幼いのに腕がいいね。ここを流れる水で、素材を殺さずに煤だけを抜くのは、並大抵の技術じゃないよ」


コロが淡々と告げると、主人は意外な反応を見せた。

今朝までの冷酷な怒声とは違う、どこか苦々しくも、微かに「親心」が混じったような苦笑いを浮かべたのだ。


「ほう、見てたのか」

「うん、おじさんが怒っている場面をちょうどね」

「ははは……そりゃマズいところを見られたな。いや、全くだ。まだガキンチョのくせに、腕だけは一級品さ。だがね、嬢ちゃん。あいつは如何せんサボり癖がある上に、一度褒めるとすぐにつけあがって怠けちまう。……あれくらい厳しく言わなきゃ、この街じゃ食いっぱぐれるのがオチなんだよ。孤児には厳しい、世知辛い世の中だからな……」


主人は再びキセルを咥え、新しく火をつけた。


「……腕が良けりゃ、孤児上がりだって、いつかは自分の店を持てる。それまでは、泥水を啜ってでも『嘘のない仕事』を叩き込んでやらなきゃならねえ」


コロはその言葉に、静かに耳を傾けていた。

厳しさの裏にある、職人の街特有の「教育」。

虐げられていると思っていた少女は、この不器用な主人のもとで、いつか自分の腕ひとつで生きていくための「武器」を磨いている最中だったのだ。

コロの隣に腰を下ろしていたウルは、尻尾をバフンと地面に叩きつけ、大きな欠伸をした。


「……そう。とても効率的な教育だね。……おじさん、邪魔したね」

「おうよ、気にするな」


コロが歩き出すと、背後から主人の「おい!まだ仕事は終わってねえぞ!」という、今朝と同じ怒鳴り声が聞こえてきた。

けれど、その声には今朝とは全く違う響きが籠もっていた。




街の喧騒を離れ、二人は外壁のすぐ外に広がる痩せた畑の畔までやってきた。

大きな老木の木陰を見つけると、ウルがどさりと横たわり、コロはそのふかふかとした銀色の脇腹に背中を預けた。


「この町の職人は、どんな職人でも『職人の秩序』を持っているんだね」

『あの古着屋の猫も、お前さんの言う「職人の矜持」とやらを持っていたな』

「……そうだね。一見すると残酷に見えるけど、あれがこの街の『循環』であり、優しさなんだね」

『まあ、怠け癖は良くないからな』


ウルが小さく喉を鳴らす。

葉擦れの音と、遠くから響くフェルムの鎚の音。

ウルの大きな欠伸につられたのか、コロも大きな欠伸をし、午後の柔らかな日差しに溶けていく。

二人はどちらからともなく瞼を閉じ、次の旅路に向けた束の間の、けれど嘘のない微睡みに身を浸した。




夕方、薬草屋で「特級ポーション」を、革職人の店で「馴染んだ手袋」を無事に回収した二人は、宿の硬いベッドの上にいた。


「……ねえ、ウル。明日、金具を受け取ったら、この街を出よう。この『鈍色の煙突亭』に厄介になり続けるのも、さすがに気が引けてきたしね」

『まあ……俺のハーネスを受け取ったら、もう用事もないしな……』

「そうだね。次は南に行こうかな。これからどんどん寒くなるし」


コロはゆっくりと、ベッドで先に伏せていたウルの隣に横になる。


『南か。……俺は構わんが、お前さんはこの街が、そんなに気に入らんか?俺の感覚では、この街はそこまで悪くない。飯は嘘がないし、職人も頑固で偏屈だが筋が通っている。……今まで回ったどの場所よりも、割とマシな方だと思うが』


ウルの言葉に、コロは右手をそっと彼の身体に乗せた。


「うん……そうだね。たしかにその通りだよ。ここ最近で一番、マシな街だよ」


コロはウルの身体の向こうに見える窓の外、冷たさを増した夜風に揺れる街の灯火を見つめていた。


「……でもね、どこかしっくりこないんだ」

『そうか、しっくりこないなら、ここに決めてしまうのは早計だな』


ウルの言葉に、コロは寝そべったままの姿勢でコクっと頷いた。




※ ※ ※





そこはいつもの「白い場所」だった。

全てを知っている女神が、穏やかな微笑みを湛えてそこに立っている。


「……フェルムの町。ウルの言う通りよ、コロ。あそこはそこまで悪い街ではないように見えるけれど?」


女神の問いかけに、コロは真っ白な空間に座り込み、ポツリと本音を漏らした。


「……魔物だった頃の自分を、そのまま受け入れてくれたあの集落とね、どうしても比較しちゃうんだ」


そう言いつつ、座り込んだ姿勢のまま、コロはゆっくりと女神の方へとにじり寄った。

女神は母親のような穏やかな微笑みを浮かべたまま、コロを両手で受け止め、自身の側へと引き寄せる。


「……あれはもう、数百年も前の話。今の時代に、あんなに呑気で、優しい集落が残っているなんて、私自身もあんまり信じていない。……でもね、ひょっとしたらどこかにあるんじゃないかって、そんな気持ちが半分」

「もう半分は?」


女神が尋ねる。

コロは少し照れくさそうに、けれど迷いのない瞳で彼女を見上げた。


「もう半分?……もう半分はね。こうして夢の中で、女神様にその日一日あった事を報告する楽しみが、なくなっちゃうんじゃないかって気がしているんだ」


女神は驚いたように目を見開き、やがて噴き出すように笑った。


「……ふふ。効率重視のあなたが、そんな非効率な理由で旅を続けているなんてね」


そのまま、ギュッとコロを抱きしめる女神。

コロはさせるがまま、女神の腕の中でそっと目を閉じた。


「私は真面目に答えているよ」

「ふふふ……可愛い子。いいわ。それなら明日も、明後日も。あなたが『ここだ』と思える場所を見つけるまで、私はここで、あなたの報告を待っているわ」

「うん。私も、女神様に会う時間を楽しみにしてる」


段々と、コロの身体から力が抜けていく様子が窺える。

やがて女神はコロの脳天のあたりに唇を落とした。


「おやすみなさい、私の愛おしいコロ。明日の朝、あなたがまた『嘘のない一日』を始められますように」

「……うん。……また明日ね、女神様」


女神の抱擁の中、幸福に満たされたように穏やかな顔をしたコロの意識が溶けていく。




※ ※ ※




女神様の温かな抱擁の余韻が、朝の冷たい空気に溶けていく。

コロが目を開けると、そこには『鈍色の煙突亭』の、煤けた天井が広がっていた。

窓の外からは、夜明けと共に一斉に火を入れられた大工房の煙突が吐き出す、低く重い地響きが伝わってくる。


「……おはよう、ウル」

『お前さん、随分とよく眠っていたな。夢の中での「報告」は、無事に終わったのか?』

「うん。……完璧な進捗報告だったよ」


コロはベッドから起き上がると、枕元に置かれた革手袋を手に取った。

朝日を浴びたその手袋は、脂の一滴まで抜かれ、しなやかで力強い輝きを取り戻している。


コロは改めて、ゆっくりと右手を革の手袋へ滑り込ませた。


「……馴染み方は想定以上だね。関節も前よりしなやかになっているよ。これならまだまだ使えそう」


グッ、と拳を握る。

革が吸い付くように動きに追従する。

昨日の投資は、単なるメンテナンスではなく、彼女という(からだ)の性能を、確実に一段上のフェーズへ引き上げているようだ。




一階の食堂へ降りると、そこには機嫌が良さそうな顔で、けれど手際よく厨房を片付ける宿の主人の姿があった。


「ん?おう、起きたか!」

「おはよう。早速だけど、今日ね、この町を出ようと思うんだ」


コロの言葉に、主人はどこか寂しそうな顔をしつつも、口を開いた。


「そうかそうか。まぁ、旅人だもんな。旅人はかくあるべし、だな。よし、最後の朝食を食っていけよ」

「うん、そうさせて貰うよ」


コロとウルはいつも通り、食堂の中で空いているテーブルに向けて歩みを進める。




朝食を済ませ、立ち上がろうとしていたところ、主人が厨房の奥から何かを持ったままコロとウルの元へやってきた。

主人がテーブルに叩きつけたのは、丁寧な耐水紙で包まれた小さな包みだ。


「……これは?」

「この間ちび助が持ってきた『跳ね鎌』の肉だ。あいつの脚の付け根にある、一番硬くて旨い部位を秘伝の塩漬けにして、一晩燻しておいた。チビ助のお陰でがっぽり稼がせて貰ったかなら、本物の『素材』をくれた奴に、宿泊料をちょろっと安くするだけで済ませるようなせこい真似はしたくねえよ」


照れくさそうに笑う主人。

コロが包みを開けると、スパイスと燻製の強烈な、けれど生命力に満ちた香りが広がった。


「……保存食だね。旅のお供として最高だよ。ありがとう、おじさん」

「いいってことよ!またこの町に来ることがあったら、ここに泊まってくれよ?」

「うん。そうさせて貰うよ」


この街の人類は、どこまでもぶっきらぼうで、どこまでも「借り」を嫌う。

その実直さが、今のコロには心地いいようだ。

その証拠に、彼女の尻尾は優雅にゆさゆさと揺れていた。




ハーネスを託した工房は、三日間絶やされなかったであろう炉の熱気が、壁のレンガを歪ませるほどの重圧となって立ち込めていた。

作業台の上で、窓から差し込む朝陽さえも深淵へと引きずり込むような、異様な黒を纏ったハーネスの金具が鎮座している。


「……できたぞ。跳ね鎌の鱗を、俺が知る限りの最高硬度の鉄に練り込んだ。……鉄であって鉄じゃねえ、魔物の骨に近い代物だ」


三日三晩、一睡もせずに槌を振るい続けたのか、鍛冶屋の男の目は血走っている。

しかし、その口角は職人の勝利を確信して吊り上がっていた。


コロの手によって、その漆黒の金具がウルの銀色の毛並みに装着される。

カチリ、と硬質な音が響いた瞬間。

ウルは全身をブルっと勢いよく震わせ、それにつられて周囲の空気が振動した。


『……素晴らしいな。これならちょっとやそっとでは壊れなさそうだ』

「……良かった。ウルも凄く良いって言ってる」


そう言いながらウルを撫でるコロの表情は、どこか嬉しそうに口角が僅かに上がっている。


「けっ……年甲斐もなくはしゃぎ過ぎて、つい寝ねえままぶっ通しでやっちまった。死ぬかと思ったぜ」

「おじさん、本当にありがとう。いい職人に任せられてよかったよ」


コロの隣に腰を降ろしたウルは、機嫌良さそうに尻尾をゆらゆらと揺らしている。

男は「フン」と鼻で笑い、踵を返して工房の方へと足を向けた。


「二度とあんな素材を持ち込むんじゃねえぞ。下手すりゃ窶れて死んじまう」


バルガスのぶっきらぼうな餞別を背に受け、二人はフェルムの街を後にした。

目指すは、まだ見ぬ温かな南の地。


挿絵(By みてみん)

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