一人と一匹と、寄り道 〜善行のジレンマと、都合の良い害虫〜
1.
大闘技場のある城塞都市を後にし、次の目的地へと続く街道を歩く一人と一匹。
赤茶けた荒野の景色は次第に緑を取り戻し、街道の両脇には鬱蒼とした背の高い木々が連なる森の領域へと差し掛かっていた。
肌をジリジリと焼いていた苛烈な熱気は、ひんやりとした木陰の冷気へと変わり、鼻を突く血と砂埃の臭いも、湿った土と青葉の豊かな匂いへと上書きされていく。
木漏れ日が落ちる土の道を歩きながら、コロとウルはひたすらに不毛な議論を交わしていた。
「……そもそもさ、『人助け』の定義って難しくない?」
『ん、何を今更。チャーリーの奴に押し付けられた『三つの約束』のノルマの話か?』
「そう。適当な誰かを助けて、その誰かに『三つの約束』を押し付けるってやつ」
『ふむ。そんなもの――うむ……』
そこまで言うも、その先が詰まってしまうウル。
腕を組んだまま歩いていたコロが、何かひらめいたのか、手のひらをポンの叩いた。
「一番手っ取り早くて簡単そうなのは、魔物に襲われている人類を助けることかな。なんせ命を救ったんだからね、簡単に恩が売れそう」
『ふむ、そうだな。冒険者や旅人が死にかけているところを救ってやれば、恩としては十分だろう』
ウルが同意するように喉を鳴らすが、コロは納得いかない様子で首を横に振った。
「あ……。でもさ、それって本当に『善行』なの?」
『ん?どういうことだ?善行以外の何だというのだ』
「いやさ、もしその人類が、魔物の縄張りに勝手にズカズカ踏み込んだ結果だとしたら?」
『……むぅ』
「魔物からしてみれば、自分の家を守ろうとしただけなのに、急に通りすがりの私たちに殺されるわけだよ?」
『まぁ……そうなるな』
「それって魔物の方が助けられるどころか、理不尽に不幸になってるよね」
つい歩みをとめてしまうウル。
コロも立ち止まり、振り返ってウルを顔をジッと見つめる。
『……一理あるな。魔物の視点から見れば、俺達はただの理不尽な侵略者の一味だ』
深い森の静寂の中、二人の理屈っぽい議論だけが響く。
「じゃあ逆はどう?人類たちに狩られそうになってる魔物を助けるとか?」
『馬鹿言え、却下だ』
「やっぱダメかな」
『当たり前だ。そんな真似をすれば、今度は人類どもが不幸になるだろうが。何より、後から「魔物溢れだ!」だの「上位種だ!」だのなんだと、ワラワラと人類どもが押し寄せてくる可能性が高い。その助けた魔物にとんでもない迷惑をかける』
「だよね。……あちらを立てればこちらが立たず、だよ」
コロは溜息をつき、道端に落ちていた小石を軽く蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた小石が、苔むした木の根に当たってコロンと軽い音を立てる。
頭上では名も知らぬ小鳥がのどかにさえずっており、深刻な顔で『誰の権利も侵害しない完璧な人助け』について悩み込む一人と一匹の姿は、この平和な森の中でひどく浮いていた。
『じゃあ、何をすればいい。老いぼれの荷物でも持ってやるか?それとも、腹を空かせた餓鬼にパンでも恵んでやるか?』
「えー?そんな些細なことでいいの?あのチャーリーの『三つの約束』っていう重たい誓いを押し付けるほどの善行とは思えないけど。なんか見返りが重たくて嫌がられそう」
『チッ……面倒な制約だ。なら、お前、他に何かいい案はあるのか?』
「うーん……」
『……』
極限まで論理的で、純粋な損得勘定でしか動けない一人と一匹。
そんな彼らにとって、複雑な思惑が絡み合う世界で「誰も不幸にしない完璧な人助け」を見つけることは、至難の業だった。
2.
ああでもない、こうでもないと堂々巡りの議論を繰り返しながら森の奥へと進んでいく一人と一匹。
前方から、木々を薙ぎ倒すような激しい物音と、馬のいななき、そして人々の悲鳴が聞こえてきた。
「ん、何かやってるね」
『血の匂いと……鉄の匂いがするな。行ってみるか』
コロとウルが音のする方へ駆け抜けると、開けた街道の真ん中で、横転しかけた立派な装飾の馬車と、それを守るように剣を構える数人の護衛騎士たちの姿があった。
彼らを取り囲んでいたのは――森の木々をも容易く噛み砕く、巨大な顎を持った『軍隊大顎蟻』の群れだった。
体長2メートルを超える赤黒い甲殻を持った巨大な蟻が、カチカチと不気味な音を立てながら、すでに十匹以上も群がっている。
赤黒く鈍い光を放つその装甲は、騎士たちの剣撃を容易く弾き返し、大鋏のような凶悪な顎がカチカチと鳴るたびに、立派な馬車の木枠がビスケットのように無残に噛み砕かれていく。
彼らに高度な知性はない。
ただ本能のままに目の前の獲物を喰い尽くすだけの、意思疎通が不可能な純粋な「捕食蟲」だった。
『……おいコロ。アレは』
「害虫だね。……アレなら」
護衛の騎士たちが疲労で膝をつき、巨大な蟻の顎が馬車の扉を引き剥がそうとした、絶体絶命のその瞬間。
「『これだっ!!!』」
コロとウルの瞳が、歓喜にカッと見開かれた。
交渉の余地ゼロ。
知性ゼロ。
人類の生態系においても、魔物の生態系においても、ただの害虫でしかない。
つまり、彼らをどれだけ惨殺しようが「縄張りを守ろうとした魔物の権利」という厄介なジレンマは一切発生しない。
何の罪悪感も倫理的葛藤も抱くことなく、100%の純度で『人類を助けた』という事実だけを抽出できる、最高に都合の良いシチュエーションだった。
『これで一つはこなせるぞッッッ!!』
意気揚々と飛び出したウルが、歓喜の咆哮と共に軍隊大顎蟻の群れへと突っ込む。
一切の手加減なし。
前足の一振りで分厚い甲殻が紙くずのように砕け散り、二本の角から放たれた黒雷が、巨大な蟻たちをまとめて灰燼に帰していく。
「これは理想的なシチュエーションだよ。うん、いいね」
『クハハハハァッ!!だなッ!こういうのを待っていた!』
コロの言葉にウルも満面の笑みでフンと鼻を鳴らしながら、取りこぼした蟻の眉間に的確に黒雷を撃ち込んでいく。
「人助け」というノルマ消化のために、ただひたすらに嬉々として害虫駆除を行う一人と一匹。
ほんの数分の後。
軍隊大顎蟻だったはずのものは全て黒雷によって灰となり、サラサラと風に乗って森の中へと消えていった。
極太の雷光が森の空気を一瞬で焼き焦がしたせいか、辺りには空気が焼き切れたような、ツンとした独特の臭いが漂っている。
先ほどまでの絶望的な喧騒が嘘のように、街道には再び深い静寂が降り下りていた。
後には、突然の出来事にポカンと口を開けて呆然とする騎士たちの姿だけが残された。
『我ながら清々しいほどの、まじりっ気のない善行だったな』
「だね。思わぬ形で一つ目のノルマをクリアしたね」
『うむ』
先程まで軍隊大顎蟻だった灰を、満足そうに眺める一人と一匹。
「あ、あの……!」
あちこちが軍隊大顎蟻により食い千切られた馬車の中から、青ざめた顔をした豪奢な身なりの若い女が這い出してきた。
仕立ての良いドレスとは裏腹に、足はガクガクと震えているが、その立ち振る舞いからは明らかな品の良さが窺える。
「た、助けていただき、本当にありがとうございます……!私はこの先にある領地を統治している、アダムズ伯爵家の長女のヘンリエッタです。まさかこのような場所で魔物の大群に襲われるとは……」
伯爵の長女は、ウルという規格外の魔狼の姿に怯えつつも、深々と頭を下げた。
「貴方方のような素晴らしい実力者にお会いできたのは奇跡です!どうか、我が屋敷までお越しいただけませんか?父に申し伝え、必ずや十分な恩賞を……」
「あ、そういうのは良いです」
「えっ?」
食い気味に誘いを断るコロに、長女は目を丸くした。
「そういうのじゃなくて、褒美の代わりにね、あることをしてほしいんです」
「は、はぁ……?一体何を……」
食い気味に恩賞を断られた長女は、目を丸くして聞き返した。
コロは一切の感慨も感情も込めず、まるでギルドの依頼内容を確認するような平坦な声で告げた。
「これから先、困っている人がいたらね、種族を問わず『三人まで』は無償で助けてやってほしいんです」
「……はい?」
「で、その助けた相手にも、同じように誰かを三人助けろって頼んでほしいの。……私たちからの要求は、その約束だけです」
コロは、かつてチャーリーが熱く語った『三つの約束』を、あくまで自分たちが押し付けられた事務的なノルマとして、淡々と口頭で伝達した。
「そ、それだけで……よろしいのですか? 我々アダムズ伯爵家に対する、命の恩人からの要求が、それだけで……?」
「うん。それだけでいいです」
コロが事も無げに言うと、足元のウルが呆れたように鼻を鳴らした。
『チッ……あと二回もこの茶番を口頭で説明しなきゃならんのか。先が思いやられるな』
「まぁまぁ。とりあえず、これで一回目は完了ってことで」
長女や護衛の騎士たちが「一体どういうことだ……?」と完全に困惑して固まっている間に、コロは「よし」と満足げに頷いた。
「じゃあね。約束、ちゃんと覚えておいてくださいね。これからの旅路も気をつけて」
言うが早いか、コロはさっさと背を向け、ウルと共に歩き出してしまう。
恩賞にも権力にも一切興味を示さず、ただ謎の口約束だけを押し付けて去っていく理不尽な少女と魔狼。
「あ、お待ちを……!せめてお名前だけでも……!!」
背後から長女の叫ぶ声が聞こえたが、コロは振り返ることなく、ヒラヒラと適当に手を振るだけで、軽やかな足取りで街道を歩き去っていくのだった。
「良かったね。これでチャーリーからの依頼も3分の1が終わった」
『ああ。今回は運良く「交渉不要の害虫」が現れてくれたから良かったが、次はどうなることやら、だな』
「……私たちで『三つの約束』でいいんだよね?」
『ん?どういうことだ?』
「あれだよ。私の『三つの約束』と、ウルの『三つの約束』と、合わせて六つってことはないのかなって」
唐突なコロの言葉に、ウルが立ち止まってしまった。
『じゃあさっきのは俺の『三つの約束』のうちの一つだ』
「……私たちで『三つの約束』でいいかな」
『そうしろ』
木漏れ日の落ちる森の街道を歩きながら、一人と一匹は少しだけリラックスした空気を漂わせていた。
「この調子でさ、また都合よく意思疎通できない魔物とか、純粋な悪党の盗賊とかに襲われてる人がいればいいんだけどね」
『お前、それはもはや、他人の不幸を願っているのと同じだぞ』
「人助けのためには、大前提として誰かに不幸になってもらわなきゃいけないんだよ。……ほら、やっぱり『善行』って根本的に矛盾してるでしょ」
『……一理あるな』
そんな不毛で哲学的な会話を交わしていると。
森の木々が次第にまばらになり、その先にある小高い丘の上に、石造りの防壁に囲まれた中規模の街が見えてきた。
「あ、街だ。あそこを拠点にして数日滞在しようか」
『うむ。腹も減ったしな。美味い肉があるといいんだが』
二人は街道を外れ、街の城門へと向かう緩やかな坂道を登っていく。
「もしかしたら、街の中で『ちょうどいい困ってる人』が見つかるかもしれないしね」
『スリや詐欺師でもいれば、適当にとっ捕まえてノルマの足しにするか』
「だね。それにしても、さっきの人たち、もっと大怪我してくれていれば、薬をあげてさ、更に一つ達成出来たのにね」
『そんなもの、引っくるめて一つだろうが』
「それもそうか。ま、あれくらいの怪我なら、薬くらい持ち合わせはあるだろうからね」
『というか、その思考はさすがにどうかと思うぞ……』
「だって、なかなか善行って……あ!薬!」
『む?お、そうか!怪我をしている人類でも魔物でも、薬をタダでくれてやるというのは良いな!』
「だね!そうと決まれば、多めに確保しないとだ!」
『幸先が良さそうだ。きっとすぐ終わるぞ?』
どこまでも自分本位で、しかし極限まで合理的な思考回路を持つコロとウル。
彼らの『善行という名のノルマ消化の旅』は、まだまだ始まったばかりだった。
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