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元・魔物の少女と魔狼の異世界観測記 〜狼の鼻と、神の余暇〜  作者: 三沢 七生


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最強の門番と、計算された絶望 3 〜九十九連勝の英雄と、舞台裏の職人たち〜

3.


街の外へ出て、翌日の昼下がり。


コロとウルは、荒野に自生する薬草の採取をあらかた終え、街へと続く乾いた街道を歩いていた。

容赦なく照りつける太陽が赤茶けた大地を焼き、視界の先には常に蜃気楼がゆらゆらと揺れている。


日差しを遮るものはほとんどないが、街道沿いに一本だけ、落雷か何かで枯れ果てた巨大な枯れ木が立っており、その根本にある大きな岩の周辺にだけ、わずかな日陰が落ちていた。


「ふぅ。一旦、ここで休憩しようか」

『ああ。毛皮に熱がこもってかなわん。この辺りの気候は俺には合わんな』


コロは岩に腰を下ろし、水筒のぬるい水を一口飲む。

ウルも日陰の砂地に伏せ、ハァハァと舌を出して体温を逃がしていた。


しばらくそうして静寂の中で休んでいると、遠くの街道から、ガラガラと重苦しい車輪の軋む音と、ジャラジャラとした金属音が近づいてきた。

近づいてきたのは、四頭立ての屈強な馬に引かれた、巨大な檻付きの馬車だった。

分厚い鉄格子で覆われたその荷台の中には、ボロボロの衣服を纏った数十人の人間族をはじめとした様々な種族が、足枷をつけられた状態で隙間なく押し込められている。


『……チッ』


すれ違いざま、ウルが鼻先にシワを寄せて不快そうに顔を背けた。


「ウル?どうしたの?」

『臭い。汗と泥の匂いに混じって、酷く濃い『絶望』の匂いがする。……辛気臭くてかなわんな』


ウルの言葉通り、通り過ぎていく馬車の鉄格子の中から覗く顔は、どれも生気を失っていた。

満足な食事も与えられていないのか、鉄格子を掴む手は枯れ枝のように細く、皮膚の下の骨が浮き出ている。

馬車が轍(わだち)に揺れて跳ねるたび、彼らの手首に食い込んだ足枷がガシャン、ガシャンと無慈悲な音を立て、彼らが「人類」ではなく「商品」として扱われているという現実を浮き彫りにしていた。


ある者は虚空を見つめ、ある者は声を殺して泣き、またある者は獣のように周囲を威嚇している。

彼らは皆、周辺の国々から集められた罪人や奴隷たち――これからあの『心臓部』へと送られ、砂舞台の上で消費される新たな燃料のようだった。


「まぁ、仕方ないよ。あの人たちはこれから、遅かれ早かれ全員死ぬってわけだからね」


コロは手の中の水筒を揺らしながら、檻の馬車が巻き上げる砂埃を氷藍色の瞳で淡々と見送った。


「あの檻の中の何人かは、闘技場で勝ち上がって『自由』を手に入れるんだって、まだ本気で夢見てるんだろうけど。……あの調合室のやり取りを見れば、そんなのただの綺麗事だって分かるよね」

『フン。九十九勝まで生き残っても、最後はあのカビ臭い部屋で調整された毒と職人の手によって、確実に殺されるようシステムが組まれているからな。人類というのは、どこまでも底意地が悪い』


ガラガラと遠ざかっていく馬車の音を聞きながら、ウルは目を閉じたまま、忌々しそうに喉の奥で唸った。


『ほんの僅かの救いもないな。自分たちが同族どもの娯楽のために完璧に計算された死地に送られているとも知らず、希望という名の幻に縋って殺し合うとは。……人類の馬鹿さ加減には反吐が出る』

「そうだね。でも、あれはあれで、彼らにとっては幸せなことなのかもしれないよ?」

『何?』


ウルが訝しげに片目を開けると、コロは岩から立ち上がり、お尻の砂をパンパンと払った。


「自分が蟻地獄みたいな巨大な箱庭の中に閉じ込められてるなんて気づかないまま、『俺は強い』『あと少しで自由になれる』って信じ込んだまま死ねるんだから。……最初から絶対に勝てないって絶望しながら殺されるよりは、よっぽどマシな幕引きだよ」


一切の同情も、倫理的な葛藤も介在しない。

ただシステムの外側から、生き物の生態を観察するような冷徹なコロの言葉。


『……お前が言うと、真理のように聞こえるからタチが悪い』

「ふふ、お褒めにあずかり光栄だね」

『しかし、明らかに戦士ではない者も混じっていたぞ。あの馬車を襲撃して解放すれば、チャーリーの『三人の約束』を、俺もお前も一気にこなせそうだな』

「それは救いにならないでしょ。急にこんなところで解放されたって、彼らの生き場なんてどこにもないよ。私たちだって、いくらなんでも全員分の安定した暮らしの提供までは出来ない」

『フン。冗談だ、冗談』


真面目に返答したコロに対し、ウルはフンと鼻を鳴らし、徐に立ち上がった。


「さ、私たちも街に戻ろう。あの人たちが『希望』を信じて流す血のおかげで、私たちの路銀が稼げるんだからね。しっかりお仕事しないと」

『ああ、だな』


一人と一匹は、遠ざかる檻の馬車と同じ方角――欲望と熱狂が渦巻く城塞都市へと向かって、再び歩き始めた。





街は昨日よりも一層の狂騒に包まれていた。

酒場からは昼間だというのに「ガロズ!ガロズ!」と地鳴りのようなコールが響き渡り、すれ違う市民たちの顔は、血の匂いを嗅ぎつけた魔物のように赤く火照り、興奮で歪んでいる。

誰かの命が潰えるかもしれない瞬間に立ち会うことへの、下劣なまでの期待感。


コロはそんな街の空気を、ただ少しだけ鬱陶しそうに手で払い退けた。


街に戻った一人と一匹は、まっさきに薬師ギルドへと立ち寄り、カウンターに余剰分の薬草をドンと置いた。


「こんにちは。約束通り、こっちに卸す分の薬草も採ってきたよ」

「おお、早いな!助かるよ。さっそく査定させてもらおう」


受付の職員はホクホク顔で薬草を受け取り、手際よく品質を確認して銀貨を数え始めた。

チャリン、チャリンと硬貨が弾ける小気味良い音が響く中、職員はふとコロの背中の鞄を見やり、誰に聞かせるでもなく小さな声でボヤいた。


「……それにしても、罪な商売だよな」

「ん、なにが?」

「嬢ちゃんが闘技場の老師に納品するその特級の薬草が、これから『鉄腕のガロズ』の夢をぶち壊す猛毒に化けるわけだろ?あのガロズが今日勝てばついに夢の百連勝……街中が奴の勝利を信じて熱狂してるってのにな」


職員の顔には、闘技場の裏側を知る者特有の、諦めと僅かな同情が混じっていた。

しかし、コロはチャリンと最後の銀貨を自分の財布に滑り込ませると、一切の感情を交えずに肩を竦めた。


「でも、あと少しのところで負けてくれた方が、みんな溜飲が下がるんだろうし、興行としてはそんなもんじゃないかな」

「え?ああ、そりゃあ……」

「客は英雄を見たいんじゃなくて、必死にもがく人が最後に転落する無惨な姿を見て、自分のちっぽけな人生を慰めたいだけでしょ」

「お、おう……随分と冷めた見方をするんだな」

「それにね」


コロは氷藍色の瞳で、受付の男を真っ直ぐに見つめ返した。


「もし仮に、そのガロズとかいう人が百連勝して、晴れて市民権と莫大な賞金を得たとする。そうしたらどうなると思う?大金を持っているって街中に知れ渡って、見たこともない親戚や友人が急に増えるだろうね」

「あ……」

「今度は砂舞台での一対一の直接対決じゃなくて、暗闇から毒を盛られたり、暗殺者みたいなのに寝首を掻かれたりする羽目になるかもね。無事に街から脱出出来るか、道中に盗賊に襲われないか。新天地で素性を知られないまま平穏に暮らせるか」

「ま、まぁ、あそこの大闘技場の奴隷戦士の証である入れ墨は消えないからな」

「ね?……そんな泥沼の人生よりは、闘技場で綺麗な夢を見たまま死なせてあげる方が、よっぽど慈悲深いと思うけどね」


その、あまりにもえげつない、けれど反論の余地がないほど的を射た論理に、受付の男は絶句して額に冷や汗を浮かべた。


『……クックッ。相変わらず、お前の計算式は身も蓋もないな』


足元のウルが、余りにも正論すぎるコロの言葉に、愉快そうに喉を鳴らす。


コロは「じゃあね」と短く告げ、呆然とする職員を残してギルドを後にした。




コロとウルは薬師ギルドを出てその足で、再び大闘技場の地下深く、冷え切った『専属調合室』へと足を運んでいた。


「こんにちは、おじいさん。頼まれていた素材を全部持ってきたよ」

「おお、来たか!よしよし、そこに置いておけ」


コロが鞄から薬草の束を丁寧に作業台へ並べると、老師は鋭い目でそれらを検品し、満足げに頷いた。


「うむ、今回も素晴らしい品質だ!年甲斐もなく興奮するぞ……!最近はこれくらいの上物を持ってこれるヤツが居なくてな……!」

『筋金入りの変態だな』


老師が聞き取れないのを良いことに、ウルが呆れたようにそう言い、尻尾でボフンと床を叩いた。


「これなら文句のつけようがない!……だが、支配人への報酬の申請書にサインするのは、これを使って調合した薬の『実戦での効き目』を確かめてからにさせてもらうぞ」

「あ、そうなんだ。でも、いいよ。不良品を掴ませたなんて後から言われるのも面倒だしね」

「それに、お前たちも本当に優れた採取家(ギャザラー)なら、自分の持ち込んだ素材がどう機能するか、最後まで見届けたいだろう?」

「うん。どうせ今日はこの後ヒマだし、おじいさんの調合の腕前にも興味があるからね」


コロが快諾すると、老師はニヤリと人の悪い笑みを浮かべ、さっそく納品されたばかりの薬草を手にとって作業に取り掛かった。


報酬が確定するまでの待ち時間。

調合室の隅にある木箱に腰掛けたコロと、その足元に伏せたウルは、無言で老師の仕事風景を眺めることになった。


「……」

『……』


静まり返った石造りの部屋に、乳鉢で薬草を擂る微かな音と、アルコールランプの火が揺れる音だけが響く。

コロは氷藍色の瞳を静かに見開き、老師の手元を食い入るように観察していた。


「……すごいね。根の繊維を完全に潰さない絶妙な力加減。抽出液の温度管理も、指先の感覚だけで誤差もなくやってる。それに、あの数種類の毒を混ぜ合わせる時の迷いのなさ」


一切の無駄な動作がない、洗練され尽くした手捌き。

長年、闘技場の裏側で無数の命を「処理」するための薬を作り続けてきた、狂気的なまでの熟練の技だった。


知識としての薬草学には自信があるコロだが、この純粋な『調合技術』に関しては、目の前の老人の方が遥かに数段上の領域にいることを素直に認めざるを得なかった。


「……見事だね。指先が完全に薬を作るためだけの魔道具みたいになってる」


コロが感嘆の吐息を漏らすと、足元で退屈そうに欠伸を噛み殺していたウルが、フンと鼻を鳴らした。


『そうだな。あのジジイ、命を弄ぶ悪趣味な興行の片棒を嬉々として担いでいる時点で、倫理観は完全にイカれきっていると思っていたが……』

「うん」

『……なるほど。あれだけ製薬の腕に全ての能力が偏っているなら、そりゃあ他の大事な部分がスッポリと欠落して、頭がおかしくもなるというものだな。納得した』


ウルの身も蓋もない、しかし妙に説得力のある皮肉に、コロは思わずクスリと笑った。


「あはは。たしかにね。人類って、ひとつのことに異常な執着を見せると、どうしても他のことが見えなくなって歪んじゃう生き物だからね。……でも、薬師としての腕は一流だよ。いや、超一流だね」

『ああ。仕事の邪魔になるような、余計な「良心」や「同情」が欠落している分な』

「おじいさんにこないだ使った分のポーションを作ってもらいたいな……」

『辞めとけ。興味の沸かない薬は作らないタチだと思うぞ』

「……だね」


ランプの明かりに照らされた老師の顔には、一切の感情がなかった。

ただの純粋な「最適解」を求めるだけの、冷え切った探求者の目。

フラスコの中で沸騰する液体の色が変わる瞬間、彼の薄い唇が微かに弧を描き、部屋の温度がさらに何度か下がったように感じられた。


二人の囁き声など全く耳に入っていない様子で、老師は憑かれたようにフラスコを振り、不気味な紫色の液体を完成させていく。

熱狂する闘技場の裏側で、確実に奴隷の命を刈り取るための極上の毒が、今まさに生み出されようとしていた。


挿絵(By みてみん)

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