最強の門番と、計算された絶望 2 〜幻の市民権と、命を計算する心臓部〜
2.
掲示板から依頼書のチケットを引き剥がしたコロ。
一人と一匹は大闘技場へ直接向かう前に、まずこの街の薬師ギルドへと足を運ぶことに。
お抱え薬師の直接依頼とはいえ、薬師ギルドのような機関を通した方がスムーズに事が運ぶうえ、『ついでのおつかい』も貰える可能性があるという、コロの堅実な計算からだった。
ギルドの建物内は、ハーブやアルコールのツンとした匂いが漂い、白衣を着た薬師たちが慌ただしく行き交っている。
「紹介状を書いてほしいんだけれど」
コロが受付に先ほどの依頼書のチケットを提出すると、受付の男はコロの年齢と、足元にいる巨大な銀狼を交互に見て、露骨に不審そうな顔をした。
「ああ、闘技場の老師からの依頼だね……」
「うん。すごく魅力的な依頼だなって思って」
「……受けるのは構わないが、あそこは偏屈で有名な老師が仕切っている。生半可な薬草を持ち込めば、紹介したこちらの面目まで潰れかねないんだが?」
「心配ないよ。道中で採ってきたこれを見てから考えて欲しいな」
コロは鞄から、道中の岩場で採取しておいた高品質な『黒根草』の束を取り出し、カウンターに置いた。
受付の男が、そして近くで作業をしていた生え抜きの薬師が、思わずといった様子でその薬草に顔を近づける。
「……なんだこれは。葉の瑞々しさが完全に保たれたまま、均一に乾燥されている……」
「根っこの一番太い部分を潰してから、いい頃合いになるまで陰干ししたんだよ。成分が中に閉じ込められてるから、効き目は普通のやつの倍はあるよ」
コロが淡々と解説すると、薬師たちは驚愕の表情を浮かべた。
目の前にいる少女が、ただの素人ではないことを瞬時に理解したのだ。
「間違いない、これは特級品だ……」
「知識だけでは黒根草の群生地で、一本一本、タイミングを見極めながら大量に陰干しなど出来るはずもない。そこでその魔狼というわけか……」
「よし、これなら文句は言われまい。ギルドのお墨付きとして、老師への『紹介状』を発行しよう」
受付の男の言葉に、コロは貼り付けたような笑みを浮かべてみせた。
「助かるよ。もしその老師とかいう人から依頼を受けたとして、ついでに、ここに卸す分くらいは採取してこられるからね」
「ああ!是非頼む!街の外へ出る前に立ち寄ってくれ」
「いいよ。覚えておく」
手際よく用意された紹介状を手に、コロとウルは満足げにギルドを後にした。
暫くして、ウルがフンと鼻を鳴らす。
『人類というのは、肩書きや紙切れがなければ他人の価値も測れんらしいな』
「まぁね。でも、これで大手を振って心臓部に入れるんだから、効率的だよ」
そう言って、ウルに向けてウインクを送ったコロ。
紹介状を手にした一人と一匹は、大闘技場の裏手にひっそりと設けられた関係者用の搬入口へと足を運んだ。
警備の重装備の兵士に依頼書のチケットと紹介状を提示し、重厚な鉄格子をくぐって、地下へと続く薄暗い螺旋階段を降りていく。
一段降りるごとに、肌を焼くような直射日光は冷たい石の感触へと変わり、むせ返るような群衆の熱気はスッと引いていく。
頭上からは、何千人もの観客の絶叫と、地響きのような歓声が絶え間なく降り注いできているというのに、地下深くへと進むにつれて、その狂騒はまるで遠い別世界の出来事のように遠ざかっていった。
やがて分厚い石造りの通路に出る頃には、空気はひんやりと冷え切り、先ほどまで鼻を突いていた血と汗の匂いは、薬品の匂いへと完全にすり替わっていた。
「……ここだね」
『カビ臭いな……毒薬でも作っているのか?』
「かもね」
『専属調合室』と書かれた古びた木の扉をノックし、コロが静かに押し開ける。
そこは、感情の欠片もない冷え切った石造りの部屋だった。
壁一面の棚には無数の薬品瓶や標本が整然と並び、部屋の中央にある大きな作業台では、神経質そうな痩せこけた老人が一人、ランプの明かりの下で乳鉢を動かしていた。
「掲示板で依頼書を見たよ。この街の薬師ギルドの紹介状もある」
「ん……ギルドの紹介状だと?」
老人はコロが差し出した紙切れを一瞥し、ふん、と鼻で笑った。
「薬師ギルドも焼きが回ったな。こんな、まともに薬草の区別もつかなそうなガキを寄越すとは。闘技場はな、命のやり取りをする場所だ。おままごとの相手をしている暇などない」
老薬師の目は、完全にコロを侮っている。
ウルが不快そうに低く唸り声を上げたが、コロは表情一つ変えず、ただ静かに老師を見つめ返した。
「だったら、試してみればいいじゃない。おじいさん」
コロの物怖じしない態度に、老師は細い目をさらに細め、作業台の引き出しから、一本の乾燥した枯れ草のような薬草を取り出して、コロの前に放り投げた。
「ならば言ってみろ。これの総評をな。実力を見せてみろ」
試すような、底意地の悪い視線。
コロは机の上の薬草を手に取ると、指先で軽く揉み、鼻先へ近づけて匂いを嗅いだ。
そして、一秒の躊躇もなく、けちょんけちょんに文句を付け始めた。
「……お話にならないね」
「ん?」
「これ、一見すると綺麗に乾燥しているように見えるけど、火を入れて無理やり乾かしたでしょ?茎の芯に余計な水分が残ってて、カビ始めてるよ」
「な、何……?」
「それに、これは夜露を吸う前の夕方に刈り取らなきゃ成分が揮発しちゃう種だよ。なのに完全に――朝摘みかな?とにかく、時間帯を間違えて採取してる。極めつけは保管場所だね。地下だからって湿度を甘く見すぎかな。他の薬品の臭いが移って台無しだよ。ゴミ同然だから、おじいさんはこんな杜撰な保管をしてたんだよね?——総評。素人が採取した物だね。家畜の寝床に敷くくらいしか使い道がないんじゃないかな」
一切の容赦もない、完璧なロジックによる酷評。
吐き捨てられた言葉の数々に、老師はぐうの音も出ず、目を見開いて硬直した。
火を入れ、朝摘みし、棚の奥に放置していた、そして素人がついでに採取してきたもの——そのすべてを、少女は見事に言い当てたのだ。
沈黙の後、老師の引きつった顔が、歪な笑みへと変わった。
「……ハハッ、ハハハハ!こりゃあ驚いたなぁっ!とんでもない本物が紛れ込んできたわけだ!」
老師の目から、先ほどまでの侮蔑が綺麗に消え去り、確かな『信頼』が宿る。
「認めよう!お前は優秀な採取家であり、薬師だ!」
「薬師の方はたしなみ程度だよ。で、合格でいいかな?」
「ああ!合格も合格!ここ十年で、これだけの腕の採取家はお目にかかってないぞ!」
「合格?良かった。じゃあ、さっそく本題に――」
「だが、待て」
老師はコロの言葉を遮ると、冷たい石壁の一部、鉄格子が嵌められた小窓の方へと歩み寄った。
「引き受ける前に、予め、お前たちに見ておいてほしいものがある」
「なに?まだ薬草の総評?」
「……これを見てから、引き受けるかどうかを考えろ」
促されるままに、コロとウルは鉄格子の小窓から下を覗き込んだ。
そこから見えたのは、華やかな大観衆に囲まれたメインステージではなく、地下に設けられた狭く薄暗い処理場のような場所だった。
「……へえ」
『ふむ』
そこにいたのは、剣の持ち方すら知らないような痩せこけた男と、怯えきった中年女だった。
戦士でもなんでもない、ただの素人同士だ。
彼らは生き残るために、涙と鼻水を流しながら、錆びた短い刃をデタラメに振り回し、互いの肉を泥臭く切り刻み合っていた。
技術も誇りもない、ただ惨めな生存競争。
だが、周囲の鉄格子の外からは、そんな滑稽な殺し合いを酒の肴にして、下劣な野次と笑い声を浴びせる闘技場の職員や下級兵士たちの姿があった。
「闘技場に送られてくるのはな、なにも屈強な戦士ばかりではない。ああして、戦う術すら持たない素人たちも、娯楽の消費財としてすり潰されていく」
老師は小窓から目を逸らさず、静かに、だが重い声でコロに問いかけた。
「この仕事を受けるということは、お前もこの下劣な殺し合いの片棒を担ぐということだ。……どうだ?それでもお前は、この仕事を受けたいと思うか?」
良心と覚悟を問う、老師なりの最後の試験。
しかし、コロは下の泥臭い殺し合いを一瞥しただけで、すぐに退屈そうに視線を切り上げた。
そして、ケロッとした顔で老師を見上げて、不思議そうに首を傾げる。
「……採取家の仕事は、注文通りの薬草を採取してくること。薬師の仕事は、要求された薬を作ることだよね」
「何?」
「おじいさん。私たちが卸した後の『用途』にまで責任を持つ必要があるって言うなら、パン屋さんは人殺しにパンを売っちゃいけないことになるけど」
一切の倫理的葛藤を見せない、極限までドライな実務家としての線引き。
その言葉に、老師は一瞬ぽかんと口を開け――やがて、肩を震わせて堪えきれないように吹き出した。
「もっと可愛らしい反応をした方が良かったかな」
「――クックック……!アハハハハハッ!!いや、良い!違いねぇ、その通りだ!客の道徳観にまで責任を負わされてちゃ、商売なんて成り立たねぇや!最高だなぁ、お前!」
完全にツボに入ったのか、老師は腹を抱えて笑い、コロへの評価を『優秀な子供』から『対等な仕事相手』へと完全に引き上げた。
「気に入ったぞ、嬢ちゃん!イカしてるぞ!」
「私はコロ。この子は相棒のウル」
「そうかそうか!コロと、そっちのアッシュウルフはウルだな?よーし、お前となら、最高の仕事ができそうだ!」
「でしょ。で、さっそく本題なんだけど、おじいさんが求めている薬草の用途について、詳しく聞かせてほしいな」
コロが淡々と促すと、老師は満足げに頷き、調合室の奥から別の薬瓶を取り出してきた。
「お前ほど腹が据わった同業者なら話は早い。私が求めているのは、最高品質の『黒根草』と『星見の苔』だ。……今、見たような、使い捨ての奴隷たちに配るためではない」
「ふうん。てっきり勝ち数と引き換えに、奴隷戦士たちに身体強化の薬とかを売りつけるのかと思った」
「コロ、お前さん、かなりブッ飛んでるなぁ!残念ながら不正解だ!」
「じゃあ、何に使うの?」
「『最後』を飾るためだ。九十九勝まで生き残って、市民権という『希望』に手が届きかけている連中を……確実かつ、美しく、絶望的に仕留めるためのな」
老師の言葉に、コロは氷藍色の瞳をわずかに細めた。
「闘技場の運営側にはな、最後に立ちはだかる絶対の門番……お抱えの『職人』たちがいる。そいつらが、万全のコンディションで業務を執行するために、その薬が必要なんだよ。筋弛緩剤は、職人の剣に塗るためのものだ」
「……なるほどね。百連勝なんてさせたら莫大な賞金を払わなきゃいけないし、そもそも本当に市民権なんか与えたら、興行として面白くない。最初から『上がり』なんて用意されてないってわけだ」
「御名答。闘技場は娯楽施設であって、慈善事業じゃない。夢を見せるのはタダだが、叶えさせてやる義理はないからな。運営も観客も、他人の不幸に目がないクズしかいないからな。希望が潰えた瞬間、これが最高に盛り上がるんだ。盛り上がれば盛り上がるほど、俺たちに払われる報酬もガッポガッポって寸法よ!」
その淡々とした、まるで帳簿の数字を合わせるかのような命のやり取りを聞いていたウルが。
ふと、部屋の隅にある血のついたままの防具や、整然と並べられた仕込み毒の薬瓶を見渡し、低く喉を鳴らした。
『……ハッ。どうりで上とは空気が違うわけだ』
「ん、ウル?どうしたの?」
『この部屋、死体の匂いより『計算の匂い』が鼻につきやがる。……あの舞台で流れてる奴隷どもの血は、全部この机の上で、金貨の重さとして計算済みというわけだ。本当に人類らしくて虫酸が走るな』
ウルの嗅覚が捉えた闘技場の「真実」に、コロは小さく肩を竦めた。
「人類って、そういうものだからね。……まぁ、私たちには関係ないけどさ。おじいさん、さっそく納品仕事に入るよ。追加で欲しいものはある?」
「そうだな、ついでに麻痺毒の素材も頼む」
「分かった。この辺に自生しているもの中心に選んでくればいいよね」
「ああ、お行儀良い素材なんざいらねえからな」
「いつまで、とかある?」
「ん、明後日には欲しい」
「うん、分かった」
熱狂する地上の悲喜交々すらも、すべてはここで完璧に管理された興行の一部。
その歪な世界の構造を前にしても、一人と一匹はただ淡々と、自分たちの『仕事』だけをこなしていくのだった。
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