手数の理論と、百年後の恩返し 3 〜手数の理論と、百年後の未来へ撒く投資〜
3.
その後、ウルの受けたダメージの回復を待つため、彼らは岩場で少しの休憩を取ることになった。
コロは鞄から追加で傷薬を取り出し、岩壁に叩きつけられたウルの腹部に丁寧に擦り込んでいく。
その間、チャーリーは「よっこらしょ」と巨大な魔石を抱え上げ、自身の背負っていた大きな麻袋に無造作に放り込んだ。
デーモンを討伐したのは彼であり、コロたちに所有権を主張する気など毛頭ないし、チャーリーもまた、いちいち了承を得るような真似はしなかった。
「……ねえ」
ウルの手当てを終え、コロがふと口を開く。
「昨日のアースドラゴンの討伐報酬といい、そのデーモンの魔石といい。その気になれば、とてつもない額の富が懐に入ってくるはずだよね」
「ん?ああ、そうかもね」
チャーリーは水筒の水を飲みながら、事もなげに頷く。
「なのに……ちっとも、自分の装備や格好にお金をかけているように見えないじゃない」
コロの率直な指摘に、チャーリーは自身のボロい外套をバサリと翻して見せた。
「ああ、これ?別にいいんだよ、こんなんでさ」
『人類らしからぬ思考だな……』
ウルがジッとチャーリーの笑顔を、まるで見極めるようにして見つめている。
「ほら、『体に馴染む』っていう感覚は、どれだけ金貨を積んでも買えないからね」
「体に馴染む?まぁ、たしかにね」
「そうだろ?この剣だって、俺の手にぴったり吸い付くんだ。まだまだ現役で使えるし、今のところは、ミスリルの剣だの、伝説の魔剣だのなんだの、これ以上の物が欲しいとは思えないね。それに……」
チャーリーはニッと人懐っこい笑みを浮かべ、自身の胸を張った。
「この外套、そりゃボロいけどさ。このボロさが逆に『只者じゃないな』って凄みを出してて、格好いいだろ?」
「……はぁ。まあ、只者じゃないのは認めるけど……」
「な?もし別の新しい装備が欲しくなったり、本当にお金が入り用になったら、その時はその時でまた適当な魔物を狩って稼げばいいだけさ」
『嘘の匂いがしないな……。ちょっとしたお前みたいだぞ、コロ』
スンスンと鼻を利かせていたウルが、観念したかのようにボフンと尻尾で地面を軽く叩いた。
僅かに砂埃が舞う中、チャーリーは飄々と言葉を継いだ。
「気ままに世界を歩く旅人に、金貨何百枚なんて大金は持ち歩く必要もないし、邪魔なだけなんだよ」
「じゃあ、昨日のアースドラゴンの報奨金はどうしたの?」
「ああ、あれは次の町へ行くまでの路銀分だけ貰って、あとは全部、バズムの町の孤児院に寄付してきたよ。この魔石も、後で換金して適当なところに寄付するつもりさ」
「……寄付?全部?」
チャーリーの言葉に、コロは絶句した。
これほど常軌を逸した力があれば、王城に住むことも、富を独占することも容易いはずだ。
しかしこの男は、傲慢に振る舞うどころか、最低限の生活費以外をすべて見ず知らずの他者、それも孤児へと投げ打ち、使い慣れた鉄の剣一本で満ち足りている。
そんな事を、嘘の匂いひとつさせず、平然と言い放ったのだ。
「……意味が分からない」
「ん、よく言われる」
「だって、特別な力を持った人類って、もっとこう、自分の欲望に忠実で、傲慢なものじゃないの?なんでそんな、無報酬で人助けをしたり、孤児院に大金を寄付したり……そんな非効率な真似をするの?」
「非効率?いやいや、とんでもない」
チャーリーは足元の小石を軽く蹴り飛ばし、コロとウルに向かって、悪戯っぽく片目をつぶった。
「これ以上ないくらい、極めて合理的な計算に基づいた『投資』のつもりだよ」
「投資……?」
「ふふん、そう!俺は君たちから、助けた見返りを貰うつもりはない。その代わり……ちょっと、俺と『約束』をしてくれないか?」
チャーリーは人差し指を立てて、コロの目の前に突き出した。
『やはり何か見返りを要求してくるか……』
「……どんな約束?」
一人と一匹は固唾を飲み込んで、チャーリーの言葉を待つ。
「そう。これから先、君たちの旅の途中で困っている奴がいたとする。そうしたら、種族を問わず『三人まで』は無償で助けてやってほしい。そして、助けた相手にも同じことを頼んでくれ。……俺が欲しいのは、その約束だけだ」
その突拍子もない要求に、コロは呆れたように肩を竦めた。
「……三人?そんなの非効率だよ。もしその助けた相手が、恩を仇で返したり、誰一人助けなかったら、あなたの善意の連鎖はそこで途絶える。仕組みとしてすぐに破綻するよ」
コロの至極真っ当な言葉に、チャーリーは両手を越しに当てて、大げさに笑ってみせた。
「はっはっは!そりゃあ、履行しない奴だっているさ」
「でしょ?」
「でもね、コロちゃん。俺は人間族だ」
チャーリーは自らの胸を、トン、と軽く叩いた。
その仕草は、先ほどまでの飄々とした態度とは裏腹に、極めて重く、切実な響きを持っていた。
「あと数十年もすれば、寿命で死ぬ。どれだけ時間の流れを操作する力があっても、寿命っていう絶対的なタイムリミットからは逃れられないんだ。俺はね、常に死に向かって歩いている」
コロとウルは黙ってチャーリーの言葉を聞いている。
「俺が直接会うことのできない、百年後、二百年後の俺の子や孫が、もし絶望的なピンチに陥った時。……俺はもう、助けてやれない。こんなズルくて卑怯な力を持っていてもだ」
「……」
『……』
「でもね、誰か一人が『昔、先祖が誰かに助けられたから』って手を貸してくれるかもしれない。……だから、手数をとにかく増やすんだ」
「……手数?」
「そうさ?滅茶苦茶助ける。それはもう滅茶苦茶!これでもかってくらい人助けをする。そして毎回、報酬として同じ願いを依頼する。そうすればね、数パーセントの裏切りなんて誤差だよ、誤差。確率の波を広げておけば、いつか誰かが、俺の子孫を助けてくれる。不安なんて、手数の多さで塗り潰せばいいのさ」
命を落とすリスクを取ってまで「不確定な未来の子孫への投資」を行うという、狂気的なまでの長期的合理性。
短命な人類だからこそ到達したその執念の境地に、コロは言葉を失った。
もしかしたら、自身がラミアに助けられた過去も、女神が何かの気まぐれで自分の魂を拾い上げてくれことも。
大昔の『頭の狂った誰かさん』が撒いた手数の、確率の波の一つだったのだろうかと思ったコロ。
連鎖する人類の「愛」という名の異常な生存戦略を前に、コロの『器』の奥底で、何かが小さく震えた気がした。
『……チッ』
少しずつ傷が塞がり始めたウルも、その言葉にピクリと耳を伏せた。
圧倒的な暴力の前で手も足も出なかった彼だが、チャーリーの「自分が死んだ後の者を想う」という言葉に、何か思うところがあったのか。
微かに喉を鳴らし、そっぽを向く。
「ま、そういうわけで。銀髪の可愛い子ちゃんと、誇り高き狼さん。俺の『手数』の一つになってくれないか?」
チャーリーはニカッと笑い、右手を差し出した。
コロはしばらくその手を見つめていたが、やがて「……分かった」と短く答え、仕方がないというようにその手を握り返した。
「三人、ね。約束するよ」
『不甲斐ないが、命を救われたからな……。俺も約束は守ると誓う』
「ウルも『助けてもらった以上、ちゃんと約束は守る』って言ってる」
一人と一匹の言葉にチャーリーは人懐っこく、そして屈託ない笑みを浮かべてみせた。
程なくしてウルの怪我もすっかり回復した頃。
コロとウルは次の町へと向かうが、チャーリーは先程の町に戻るとのことだった。
別れの握手が終わると、チャーリーは「よしっ」と立ち上がり、巨大な魔石が入ったずっしりと重い麻袋を背負い直した。
「それじゃ、俺はこの魔石を換金しに、一旦バズムの町へ戻るよ。君たちは?」
「私たちは、予定通りこのまま山を越えて次の街へ向かうよ」
「そっか。デーモンなんてそうホイホイと出てこないとは思うけど、道中、気をつけてな」
ひらひらと手を振り、来た道を引き返そうとするチャーリーの背中に、コロは思わず声をかけていた。
「ねえ、お兄さん」
「んー?」
「……本当に、それだけでいいの?」
「へ、何が?」
「その力があれば、もっと楽に、もっと自分勝手に生きられるはずだよ。……毎日毎日、見ず知らずの誰かのために命を張って、報酬も全部寄付しちゃうなんて」
コロの言葉に、チャーリーは足を止め、少しだけ困ったように眉を下げて笑った。
「自分の努力もなしでね、なぜか使える異常な力だからね。こんなズルくて卑怯な力を、自分だけのために使ってたら、なんだかバチが当たりそうじゃないか」
「バチって……」
「それにさ、せっかくなら多くの人に還元したいんだよ。俺はたまたま、この力を預かってるだけのただの人間族の冴えない男だからね」
それは、規格外の力を持つ変異種特有の傲慢さや万能感とは無縁の、あまりにも地に足の着いた言葉だった。
自らの力を「異常」で「ズルい」と自覚し、決して己を特別視しない。
その徹底した客観性と精神の在り方に、コロは言葉に詰まる。
『……フン。どこまでも奇妙な男だ。それで、貴様はその途方もない「手数」の種まきを、いつまで続けるつもりだ?』
ウルの問いかけをコロが通訳すると、チャーリーは雲一つない霊峰の空を見上げ、ニカッと笑って見せた。
「続けるさ、ずっと、ずーっと。朝、起きた時にベッドから自力で起き上がれる限りは、ね」
それは、不老不死の魔物や神の言葉ではない。
いつか必ず老いて衰え、死を迎える「人類」としての、力強くも泥臭い決意表明だった。
「もう起き上がれなくなった時、「ああ、もう十分にやりきったな」って思えるくらい、ひたすらやり続けるさ。いつかどこかの女の人と世帯を持ったら、その時、暮らす町を拠点として、手が届く範囲で。だからね、若い今のうち!徹底的に『三人の約束』をやりまくる!」
「そっか」
それを聞いたコロもウルも、その表情は清々しいものだった。
「じゃあな、コロちゃん、ウル君!『三人の約束』、くれぐれも頼んだぜ!」
チャーリーはそう言い残すと、今度こそ振り返ることなく、足取り軽く山道を下っていった。
ボロボロの外套を羽織ったその背中は、やがて岩肌の向こうへと消えていく。
「……行っちゃったね」
『ああ。だが……己の努力の上にない力をひけらかす輩は虫酸が走るが、あれは例外だ。……不思議と、不快感はない』
「ふふ、そうだね。ウルがあんなにボコボコにされたのに、全然悔しそうじゃないもん」
『フン、余計な一言だ。ああ、だが、今、とても清々しい気分だな』
「だね」
コロはクスリと笑い、チャーリーが消えた方角から視線を外すと、改めて前を向いた。
「さ、行こっか。私たちも、あの男の『手数』の一つとして、しっかり履行しないとね」
『ああ、気持ちのいい人類だったしな。しっかりと筋は通したい』
「だね」
一人と一匹は、先ほどまでの死の恐怖など微塵も感じさせない、いつもの淡々とした足取りで、霊峰の険しい山道を歩き始めた。
※ ※ ※
その日の夜。
次の街へ向かう道中で野営をし、深い眠りについたコロの意識は、気づけば見慣れた真っ白な空間――女神の領域へと引き込まれていた。
「コロ!よかった、本当によかったわ……。私の可愛いコロ……」
空間に降り立つなり、コロは涙目になった見目麗しい女神に、ギュッと力強く抱きしめられた。
「ふふ、女神様、苦しいよ……!」
「だって……!あのままじゃコロが死んでしまうところだったんですもの!もう、ヒヤヒヤしたのよ……!」
相変わらずの過保護っぷりを発揮してコロの銀髪を撫で回す女神に、コロは幸せそうに瞳を閉じて、されるがままに身を任せた。
「やっぱり、あのチャーリーとかいう人類を差し向けたのは女神様だったんだね」
「ええ、そうよ。偶然近くに、あのデーモンを倒せそうな良さそうな人類がいたから、天啓を与えてみたの」
「天啓?」
「ええ。人類に直接言葉を伝えること」
女神はコロから少し身を離すと、ほんの少しだけバツの悪そうな顔をした。
そんな女神の仕草に、コロは思い返すような遠い目をしながら口を開いた。
「天啓……聞いたことがないね。女神様から天啓を受けたって話は、全く聞いたことがないかな」
「ええ。あんまり、ああいう直接的な干渉はしたことはないのよ。ほら、人類って、神様からお告げなんかを貰っちゃうと『自分は選ばれた特別な存在なんだ』って勘違いして、すぐに傲慢になるじゃない?だから、ちょっと心配で賭けでもあったんだけど……」
言い訳するようにコロをギュッと抱きしめたまま、そう弁明する女神。
しかし、コロはその言葉を遮るように、小さく首を横に振った。
「ううん。あのお兄さんはね、そういう人類臭さとは無縁そうな……とても気持ちのいい人類だったよ」
「あら、そうだったの?」
「うん。私もウルも驚いちゃったんだけどね。特別な力を持ってるのに、全然傲慢じゃなくてさ。ボロボロの外套を着て、ただの鉄の剣を大事そうに持ってて……『こんなズルくて卑怯な力、自分だけのために使ってたらバチが当たる』なんて言って笑う、変な人類だった」
グリグリと頬を女神の胸にこすりつけるコロ。
「私、今までね、『無償の善意』とか『見返りを求めない愛』みたいな不確かなものは、非効率で計算に合わないって思ってた」
「コロ……」
「でもね、あのお兄さんは違ったんだ。自分が死んだずっと先の未来で、自分の子孫が助かる確率を少しでも上げるために、今、全力で他人に恩を売るんだって。それを『極めて合理的な投資』だって言い切ったんだよ」
短命な人類という絶対的な弱点から逆算された、狂気的なまでの長期的合理性。
コロの氷藍色の瞳に、静かな熱が灯る。
「私のチマチマした損得勘定なんて、足元にも及ばないくらい、凄まじい計算だった。……『誰かを想う』ってことも、あんな風に立派な生存戦略になるんだって、ちょっと感動しちゃったかな」
コロが自身の「合理性」の枠組みが広がったことを素直に報告すると、女神は少しだけ驚いたように目を丸くした。
そして、愛おしそうに目を細め、コロへ優しく微笑み返す。
「そう……。コロがそんな風に思えるなんて、今回は本当に、素晴らしい偶然が重なったのね」
「偶然じゃなくて、女神様が引き当てた『確率の波』でしょ。……ありがとう、助かったよ」
コロが素直に感謝を告げると、女神は嬉しそうにもう一度、今度は先ほどよりもずっと優しく、コロを抱きしめた。
人類が何百年もかけて紡いできた『手数』と、過保護な女神の『愛』。
計算式では決して測りきれないその温かい余韻を胸に抱いたまま、コロは深い眠りの中へと落ちていくのだった。
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