199.~ジャッジ先生の楽しい魔石講座~
先生っていうのはちょっと……恥ずかしいので。え、そのまま……?
ええと、では、魔石について説明します。
道具屋からすると、一番の定番商品です。これについては、いろんな店で同じ認識だと思います。
ただ鑑定する立場から言うと、魔石は奥が深いです。奥が深すぎて難しいって言う鑑定士も多いので、こちらの評価は一律とは……あっ、はい、分かりました。じゃあ今回は、鑑定士として説明します。
魔石の価値は、大きく分けて二つあって、実用的か装飾的かです。
これは商品的な分類なんですけど、鑑定基準はほとんど変わらないので、鑑定士としてはあまり分けて考えません。実用性に優れたものは装飾的にも価値が高い、っていう感じです。
え? はい、その、装飾品としての魔石がやけに高い、のは。これは道具屋としての話なんですけど、商品の値付けとしてはやっぱり、装飾的な価値が重視されるので……。
し、市場価値に合わせてのことなのでぼったくりではないです。
鑑定士として話を進めます!
魔石の価値は、とにかく質の高さです。この質は、魔力の含有量だと思ってください。
はい、そうなんです。これも、装飾的な価値にも言えることなんですよ。
魔力の含有量は、魔石のいろんな要素で図ることができます。
一つは、形です。真球に近いほど、含有“可能”量が多くなります。
採掘では自然な球を望めないので、冒険者の人たちが魔物からとってきてくれるもの限定ですね。
キャパシティは大きいのに魔力自体は少ない、とかもあります。そうなると、同じキャパシティのものより価値は下がるんですけど、魔力の補充ができそうなら、却って高値がついたりもします。
はい、大きさはあんまり関係ないです。
次に、色味です。鮮やかなほど、魔力量が多いっていうことになります。
ただこれが一番、鑑定士泣かせというか、僕たちも慎重になる部分でして……。
一属性しか含んでない魔石って、実は滅多にないんです。それが、色の濁りに出ます。
濁ってるけど、いろんな属性が均等に混ざってるだけで、魔力量自体は多いとか。
あ、今回は価値の説明だけ、ですか?
ならやっぱり、一属性の鮮やかな色が一番高いです。
実用的にも使いやすいし、装飾的にも人気が高いんですよ。
あとは、採掘で手に入る魔石なら、元になった鉱石とか。
これは、さっきの二つのおさらいみたいになるんですけど、いいですか?
は、はいっ。じゃあ、説明します。
採掘でいう魔石は、“魔力を蓄えた鉱石”です。
掘り出したものを、粉砕して肥料にしたり、真球に削って疑似的に魔力量を上げたり。
そうです。天然物にはだいぶ劣りますけど、人の手で真球に削っても効果あるんですよ。
ただ上がるのは含有“可能”量なので、魔力の補充ができるタイプじゃないと意味がないんですけど……。でも、身近な生活の中にある魔石はこれが一番多いです。
大体はそういう使われ方をするんですけど、元になった鉱石で違う場合があります。
貴金属、いわゆる宝石がもとになった魔石は……凄いです。希少価値も、魔力資産的にも。
魔力量、含有可能量、どちらも膨大で、宝石の種類ごとに確定で一属性しか持ちません。
つまり色味も最上で、しかも凄く加工しやすいので、まず間違いなく装飾品になります。
真球以外に加工すると、ちょっと魔力が減ったり、色味が少しだけ変わったりするんですけど。デザイン的な価値は上がるので、トントンでしょうか。あとは持ち主の好みですね。
じゃあ、まとめますね。
魔石の質は、形・色で見ます。まん丸ほど、色鮮やかなほど、質が高いです。
合計魔力量・含有可能量を重視するなら魔物からの魔石。
単一魔力量・装飾的価値を重視するなら鉱石からの魔石。
これだけ覚えてもらえるなら、買い手として困ることはないと思います!
ただ、迷宮産の魔石には通用しなかったりするんですけど……。
え、敢えて迷宮産の魔石を説明するなら、ですか?
その……性能も価値も、ナナメに飛びぬけていく感じでしょうか。
ナナメ上にも、ナナメ下にも、飛びぬけます。
ジャッジ先生の楽しい魔石講座 ~Fin~
リゼルは反省していた。
王都パルテダにいた頃、宿の女将に『子供に軽々しく高価なものを与えていけない』と言われたことがある。それを真摯に受け止めていたつもりだったが、まだまだ配慮が足りなかった。
魔法学院の少年に、ボス素材である魔石を渡したことだ。
その結果、支配者に件の魔石を利用され、少年が刀傷沙汰に巻き込まれてしまった。
「子供に高価なものを持たせると、悪い大人に目を付けられるんですね」
「どうした」
しみじみと零すリゼルに、ナハスが胡乱な眼差しを向ける。
二人は今、サルスの大橋の上、野営地寄りで立ち話をしていた。
「お前に子供はいないだろう。……いないな?」
「いませんよ」
神妙な顔をして念を押すナハスに、リゼルは可笑しそうに返す。
「ただ、それを実感する機会があったというか」
「まぁ、そういうものだろう。悪い大人が元凶だというのは大前提だが、子供では自衛するにも限度がある。トラブルに対処する力がないうちは、巻き込まれる切っ掛けになりそうなものは持たせないほうが良いだろうな」
「ナハスさん、お子さんいました?」
「いないぞ」
国民を守る軍人として、というにはやけに具体的だった。
下に妹が二人と弟が一人いると聞いたことがあるので、そのおかげかもしれない。
「それにしても、お前はそのあたりの分別がついていなかったか?」
「気をつけてはいたんです。王都でお世話になった方に、そういう注意を受けたことがあるので」
「一度やらかしてるのか」
「頂き物のお菓子を、近所の子におすそ分けしまして」
「それは、問題ないんじゃないか?」
「それなりに高価なのと、あと一般に出回らないお菓子だったみたいです」
「流石は王都だな。そんな贅沢な菓子があるのか」
感心したように告げるナハスは、リゼルがそれをどこで手に入れたかは問いかけない。
すでに王都の貴族と親交があることを知っているうえ、何なら自国の王族とも懇意にしている。
どこぞの国王から貰ったのだと言われても、ナハスは驚かない。思うところは多々あるが。
「しかし珍しいな。リゼル殿が受けた注意を失念するとは」
「はい、我ながら見通しが甘かったですね」
「甘くなる理由があったんだろう」
ナハスは眼差しの温度を変えることなく言いきった。
親しみから贈られたフォローなのか、それとも信頼からくる柔らかな断定なのか。あるいは、己の非だけを話して聞かせたリゼルを少しだけ諫めたのかもしれない。
リゼルにしてみれば、ナハスの求める部分を話すと言い訳みたいになるので避けたのだが。
「理由、というほどでもないんですけど」
大橋の上を通り抜ける風が、野営地にいる魔鳥の声を運んでくる。
それに耳を澄ませながらリゼルは少しだけ思案し、問いかけに応えた。
「軽々しく与えるのがいけない、と言われたので」
「重々しかったのか」
「はい」
「お前から見てもか」
「はい」
やけに念を込めて確認されるな、と思っていた時だ。
ナハスがふいに周囲を見回し、内緒話をするかのように微かに身をかがめる。
近づく顔がやけに深刻なのが気になったが、ひとまずリゼルは応えるように耳を寄せた。
「……国か?」
「え?」
「国の存亡に関わる事態か?」
国の存亡が関わらないと、物事を深刻に捉えないと思われている。
否定しておきたいが、残念ながらできなかった。なにせ今回はナハスの言うとおりだ。
「それは置いておくとして」
「おい」
ひとまずリゼルは流した。
「軽々しくない事情があったのは確かで、それと子供一人が負うリスクを天秤にかけました」
確かに、予想だにしない方法で魔石を利用された。
支配者による遠隔利用。それを生かしてのターゲッティング。予測しようと思うと、彼と同等の頭脳と思考が必要であり、それが可能な人物などリゼルには一人しか思いつかない。開き直るわけでは決してないが、事実としてリゼルには無理だったのだ。
だがそれでも、女将からの警告が当てはまる品だという認識はあった。
「軽蔑しますか?」
大橋を風が通り抜けていく。
リゼルは微笑んだ。すべての非難を受け入れる覚悟も、負い目も一切見せることなく。
それらはリゼルの中に、当たり前に存在するものだ。そうであれという教育を受けている。
そのうえで問いかけたのは、聞くべきだと考えたからだ。リゼル側でもサルス側でもない、アスタルニアの人間から見て、己の行いは清濁どちらに位置するのだろうかと。
「それは」
参った、という風にナハスが思案する。
悩みきった顔に僅かな苦さが混じっているのは、彼が軍人だからなのだろう。
「……お前を肯定してやることはできない」
リゼルは何も言わない。
「ただ、全部お前が悪いと非難することもできん」
またナハスもそれ以上、何かを言うことはなかった。
彼も軍人だ。まったく縁のない問いかけではなかっただろう。どちらを選んでも最善を掴めない問題で、それでも答えを出さなければならなくなった時、選ばなかった一方の怨嗟を真正面から受け入れる。その覚悟ができる人間だった。
だからこその、不確かな返答なのだろう。
「ままなりませんね」
「そうだな」
二人は可笑しそうに破顔した。
「とはいえ、預かるって言ったからには返さないといけないので」
今、件の魔石はリゼルの手にある。
取り出して手のひらに乗せれば、ナハスが難しそうな顔をして覗き込んだ。
「これがそうか。魔石か?」
「はい。アスタルニアで手に入れたんですよ」
漆黒の魔石は、滑らかな感触に反して艶がない。
人知の及ばぬ魔力を内包せしめるそれは、光すら吸い込んでいるかのような闇色をしている。
とはいえ今は、支配者に勝手に使われたので空っぽだが。
「魔石はどれも一緒にしか見えんな。これを悪用した奴も、鑑定士にでもなればいいものを」
「鑑定はプロでも難しいみたいですしね」
「……返さないほうがいいんじゃないか?」
「それが、今も少し無理を言って預かってるんです」
「その子供が手放すのを嫌がったのか? まあ、必要ではあるんだろうが」
実際は“必要性から返却を渋られた”というよりは、“魔力とはいえ吐いちゃったやつだし”という羞恥心が理由なのだが、リゼルは否定しなかった。ナハスの言葉も間違ってはいない。
「そこでナハスさんに相談なんですけど」
「俺にか」
「俺も、流石にこのまま返す訳にはいかないと思ってるんです」
やはり、また似たようなことが起きては困る。
この魔石の何が問題か。それは繰り返し空間魔法使いの魔力を受け止められることだ。
一度の放出(イレヴン曰く嘔吐)でさえ、魔力溜まりを生み出しかねない膨大な量の魔力だ。それを吸収した魔石を、リゼルは当初、魔法学院の研究に生かしてもらおうと考えていた。
その想定が、先走った支配者に実現されてしまったのは皮肉だが。
「代わりに、こっちをあげようと思って」
リゼルはポーチから、もう一つの魔石を取り出した。
「これはどんな魔石なんだ?」
「草むしり大会の景品です」
よく分からん、という顔をされた。
「優勝したんですよ」
「……そうか、頑張ったな」
「これまでで一番、パーティ一丸になれた気がします」
「草むしりでか」
「はい」
冒険者として何かが間違っていないだろうか、と考えるナハスを尻目にリゼルは満足げだ。
なにせ普段はパーティを組んでいようが個人主義。各々の得意を生かして立ち回るのが基本で、同じ分野に足並み揃えて挑むことなど滅多にない。
けれど今回は違う。しかも優勝までできたのだ。
リゼルたちのパーティに限れば、そこらの迷宮のボスを倒すよりも快挙と言える。
「この魔石が、そっちの……よく分からんが良い魔石の代わりになるのか?」
「一回だけの使い切りになりますけどね。ただ、本来はそれが普通なので」
「ああ、成程。それなら悪い大人とやらに目をつけられにくいか」
つまりはごく普通に、容れ物に空間魔法を付与するための方法だ。
少年はすでにその方法を聞いているというし、今後も魔石に困ることもないだろう。空間魔法に関する商品を増やしたいインサイが、いくらでも高品質な魔石を融通してくれる。
「ただ、これも高価なものには変わりなくて」
「草むしりの景品なのにか」
「冒険者の頂点に立った証ですよ。これぐらいのものじゃないと」
「もう一度言うが、草むしりの景品なのにか」
何をしているんだ冒険者と。
そんなナハスの考えは、草むしり中の冒険者のほとんどが考えていたことなので正しい。
どちらかと言わずとも、これに誇らしさを感じているリゼルがおかしい。
「ナハスさんから見てどうでしょう。子供にあげるのは問題ありそうですか?」
「それは……」
ナハスが眉間にこぶしを押し当てながら、唸る。
「……まず聞くが、一刀たちは良いのか。パーティで手に入れたものだろう」
「そこを気にかけること、お互いあんまりないので」
リゼルたちの素材の扱いは早い者勝ちだ。
誰かの持っている素材が欲しければ「ちょうだい」と言うし、そもそも自分の手持ちであれば使っていいかの確認すらしない。いざ欲しい時になくても「じゃあいいや」で終わるからだ。
「ただ今回はクァトが特に頑張ってくれたので、彼に確認をとる流れでジルとイレヴンにも聞いてみました。全員、まったく問題ないっていう回答でしたね」
「なら良いのか。その時に、今みたいな相談はしなかったのか?」
「一応したんですけど」
リゼルは苦笑する。
一応というより、駄目元でと言うほうが正しいか。
「何ていうんでしょう。ジルとイレヴンは、俺と違うところで子供への配慮がないというか」
「ああ……」
「クァトも出身が出身なので、幼いことが“被害の対象になりやすい”っていう考えと結びつかないんだと思います。こちらの質問の意図が理解できなかったみたいなので」
「まあ、そうか」
クァトはそもそも、そのせいで支配者からの搾取に気づいていなかった節がある。
結果として良くない大人に利用された代表なのだが、家族に心配かけたこと以外を問題視している様子はない。それは帰省してからも変わらないので、一族全体が独自の危機意識を持つのだろう。
「だから、こういうのはナハスさんに相談するのが一番かなと」
「……こういう時ばかり頼ってくるんだからな、お前は」
仕方なさそうに溜息をついたナハスに、リゼルは笑みを零す。
元教え子の兄から指摘された「甘えるようになった」というのを、改めて実感したからだ。
「詳しい事情は分からないが、その子供は魔石を持つ必要があるんだな」
「はい」
「その魔石は、そういった……高価って言えばいいのか。そうじゃないと駄目なのか?」
「そうですね。品質が低いと危ないので」
「ならリゼル殿が渡すか、周りの大人が渡すかの違いしかないな。筋を通すべきだと思うなら、あげてもいいんじゃないか。お前のことだ、その子供の保護者にも話は通しているんだろう」
「はい。その子が師事している方に」
問題なさそうだと、リゼルは安堵する。
ナハスから後押しを貰えた時の、この安心感は何だろうか。ジルやイレヴンからは決して得ることができないタイプの安心感だ。恐らくリゼル自身も与えることができないだろう。
そこには、ただの得意分野の違いでは説明しきれない何かがある。
流石はナハスだと感心していれば、気づいた彼に怪訝そうな目をされてしまった。
「なんだ一体」
「流石はナハスさんだな、と」
「特に変わったことも言ってないだろう」
その時だった。
不思議そうにするナハスに、ふいに声がかかる。
「おーい、ナハス」
「どうした」
一人の魔鳥騎兵が、野営地から駆け寄ってくる。
大きく振り上げられた片手には、抜け落ちたのだろう魔鳥の羽が握られていた。
「お久しぶりです」
「お、そういやサルスじゃ初だな」
リゼルも顔見知りの騎兵だったので、軽く挨拶を交わす。
そのまま思い出話に花が咲きそうになるも、リゼルはさりげなくナハス宛の本題へと話を誘導した。思い出話も楽しそうだが、ナハスの視線がひたすら魔鳥の羽を凝視しているのが気になった。
「それは……お前の魔鳥の羽か?」
「ああ、そうだった。そうそう、ちょうど今抜けたんだよ」
羽だけで魔鳥を特定してみせることについては、もう驚かない。
「今日、魔法学院に行くんだろ。先生方に渡してやってくれ」
「そういえば抜けた羽があればと頼んでいたな」
また魔法学院に行くのかと、リゼルは少しばかり意外に思う。
リゼルが冒険者講習をこなしたように、ナハスも魔鳥講習を依頼されたのだろうか。
魔鳥騎兵団の根幹は厳重に機密が守られているが、彼らは軍人だ。それをどこまで話していいかの判断は、友好的な態度からは読み取れないほどシビアに守られている。
だからこそ話せる範囲については遠慮なく語るし、講習を引き受けていてもおかしくはないが。
「じゃあ頼んだぞ。あんま気負わないようにな」
「ああ」
騎兵の少し苦さのある笑みと、ナハスの敢えて平然とみせる声に、そうではないと悟る。
魔法学院に、心構えが必要な用事。ならば間違いなく支配者関係なのだろう。
「ナハスさんも学院に行く用事が?」
「ああ、これからな。お前も行くのか?」
「はい。この魔石を渡す子が学院にいるので」
「なんだ。偶然だな」
朗らかに笑う顔に、リゼルもいつもと変わらず微笑んだ。
「折角だし、一緒に行きませんか?」
二人はいたって平静のまま魔法学院を訪れていた。
今ナハスは、とある研究室に向かうリゼルに同行している。馴染みの教授がいるらしい。
ナハスも本来の目的に向かう前に、魔鳥の羽を渡しておきたいと思っていた。以前に学院を訪問した際、あらゆる研究者に羽を欲しがられたので、恐らく誰に渡しても問題はないだろう。
だが道行く研究者に、前触れもなく魔鳥の羽を押しつける訳にもいかない。
ならばリゼルに、顔見知りの教授とやらを紹介してもらおうと考えたのだ。
「しかしその子供は、代わりの魔石で納得してくれるのか?」
「大丈夫ですよ」
「とはいえ、元の魔石を手放したがらなかったんだろう」
「ここで学んでる子ですし、きちんと説明したら分かってくれるはずです」
そういうものか、とナハスは納得しがたく思いながらも頷いた。
アスタルニアの子供たちのことを思い出す。子供らしく理性より感情を優先し、大きく笑って力強く怒り、全身全霊で泣いて目いっぱい喜ぶ。そんな子供たちに、大人であれと求めたことなど一度もない。
大人が子供から、危険なものを取り上げることに不満はない。
ただ、譲れないものを飲み込ませてしまうやるせなさがあった。
「そうか……大人に混ざって学んでいるなら、そういうこともあるか」
「はい。理解が早い子たちばかりで助かります」
平然と告げるリゼルを、何も言えずに見つめることしかできなかった。
大人にとって都合の良い子供がいることを、喜んでいいのか。だがナハスはふと、リゼルがそうだったのかもしれないと思った。大人の言うことをよく聞いて、期待されればそれに応えるような良い子だったのだろう。
それが何故、今になって好き放題やっているのかは疑問ではあるが置いておく。
ナハスとて決して、マイペースに思うがままに、そんな冒険者たちが嫌いではないのだ。
「この部屋ですよ」
「そうか」
そうして訪れた先に、リゼルの目的である少年はいた。
ナハスが魔鳥の羽に狂喜乱舞する白衣の大人を落ち着かせている隣で、リゼルは丁寧に少年へと魔石の説明をしている。落ち着いた口調と柔らかな声色が、相手の心を逆立てることはない。
元の魔石は返せないから、代わりの魔石を用意したこと。
ナハスには理解しきれなかったが、今後は正規の手段で“魔力の処理”を行ってほしいこと。
そのための道具を“村”に取りにいくことが手間なら、個別での入手も手配できること。等々。
リゼルは一から順番に、可能なかぎり分かりやすく少年へと言葉を綴っていた。
「……前の魔石、使わないで持ってるとかもダメ?」
「すみません」
予想していた質問にも、リゼルは頷かない。
困ったような微笑みに、少年も何も言えなくなったようだった。
仕方のないことなのかもしれない。だが――ナハスがそう憂いかけた時だ。
「実は、仕様上の不具合が発覚したんです」
「じゃあしょうがないや」
一発だった。
予想だにしないリゼルの説明に、少年は訳知り顔で納得していた。
その顔に未練など微塵もない。あれほど渋っていた魔石をあっさりと諦めたのだ。
「すみません。渡す前に気づければ良かったんですけど」
「ううん、いい。気づけってほうがムリとか先生よく言ってるし。誤作動とか?」
「はい。想定してない魔力の干渉を受けちゃって」
「属性先生が時々うなってるやつだ」
理解が早いってこういうことかとナハスは思った。
世界は自分が思うよりも広いんだな、とも思った。
大人びた子供がいるというよりも、根っからの研究者気質が、恵まれた環境でのびのびと才覚を育てているようにしか見えなかった。ナハスが心配することなど何もなかったのだ。
いや、これはこれで別の不安はあるのだが。いまだに狂喜乱舞している大人を見て、こうはなってくれるなと願う。
「……前の、すごい魔石だったんでしょ。これ、貰っていいの?」
「勿論です。これ、草むしりの景品なんですよ」
「ふぅん」
少年が不思議そうに魔石を眺め、じゃあいいかとばかりにポケットに突っ込んだ。
購入して与えるのは問題があると判断したからこそ、リゼルは草むしりで勝ち取ってきたのか。
ナハスはそう思いかけ、考えるのを止めた。草むしりの部分がどうしても消化しきれない。
「では教授、また後で寄らせてもらいますね」
「うん? ああ、そうか、そうだね。じゃあ小生はそれまで翁を呼んで羽の解析でも――」
「先生、明日までに論文終わってないとヤバいんじゃないの?」
「ぐ……ッ」
まるで至宝を賜ったかのように羽を掲げたまま、教授が崩れ落ちる。
よれた白衣が力なく床に広がり、彼の無念をひしひしと伝えてくるようだった。
そんな姿を尻目に、リゼルにもまだ他の用事があるのかとナハスが考えていた時だ。
「ナハスさん、行きましょうか」
「ん?」
促された意味が分からず、思わず聞き返してしまった。
「支配者さんのところですよね。ご一緒します」
バレていたかと苦笑する。
確かにナハスが学院を訪れたのは、そのためだ。魔鳥騎兵を代表して訪問し、支配者の処遇および魔法学院というものを知り、ようやく心のわだかまりを取り除くことができた。
ガラスケースでさらし者という大きすぎるインパクトに、諸々吹っ飛んでいったともいう。
とにかく思うところのあった騎兵たちは全員、区切りをつけることができたのだ。
そこで“次”の段階として、支配者と直接話をしてみてはどうだと、外交を担当している王子から打診があった。国だの何だの難しいことは考えず、話したければ機会は作ってやれると。
それを受けて騎兵団で話し合い、申し出を受けた結果が今この場にいるナハスだった。
「そんなに気負って見えたか?」
「そんなことないですよ。最初は魔鳥についての講義を開くのかな、と思ってましたし」
「はは、俺が学院で先生役か」
「あり得ますよ。俺も冒険者講習で先生をしたので」
一瞬、答えに窮してしまったのは気づかれていないと思いたい。
「じゃあ頼めるか。正直、道順に自信がなくてな」
「前は通らなかった道ですしね」
恐らく、案内がなくとも支配者のもとにはたどり着ける。
だがリゼルは、道中少しでも気楽でいられるようにと気を使ってくれたのだろう。
ナハスはその気遣いを有難く思い、それならばと素直に申し出を受け入れた。
そして今、リゼルはガラス張りの研究室から追い出されていた。
ナハスに続いて、当たり前のように入室しようとしたら何故か止められてしまったのだ。
「待て」
「はい」
「なんだ、どうして入ってきた」
肩に置かれた手のひらは力強いが、決して乱暴ではない。
入るなという意図でもってその場に留められてはいるも、押し出すような素振りは微塵もない。
優しいな、と。リゼルはそう思いながら、なんてことなさそうに告げる。
「駄目でしたか?」
「駄目じゃ……いや、すまん。俺の勘違いだな。道案内だけ頼んだつもりだったんだ」
「道案内もそうですけど、通訳が必要かなと思いまして」
「通訳?」
支配者の新しい研究室は、扉の開閉を国所属の近衛が行っている。
このあたりは以前と変わりがない。近衛が研究者や子供たちに絡まれるようになっただけだ。
よって二人がやり取りしている隣では、どうすればいいのかと途方に暮れる近衛がいる。
「冒険者先生だ」
「面会できるの? いいな。大人しか入っちゃ駄目なんだよ」
「ねぇ冒険者先生、この本のさ、ここのこと聞いてきてくれる?」
「昨日やってた魔力の置き換えのやつも、教えてって頼んできて!」
ついでに支配者の研究を見て学ぶことが日課になっている子供たちもいる。
リゼルはひとまず、子供たちから対応することにした。
「このお兄さんが、魔鳥の羽を持ってきてくれましたよ。鳥の教授のところです」
わっと歓声を上げて子供たちが駆けていった。
これで良しと頷いて、次に隣で遠い目をしている近衛を見る。
「俺も一緒に入っていいですか?」
「……魔鳥騎兵様が、同行が必要だとおっしゃるのでしたら」
実際に面会許可をとったのは、ナハスではなくアスタルニアの王族だ。
許容範囲も広くなるというものだろう。付け加えるなら、リゼルはすでに支配者と交流を持っている。接触して問題ないという判断が上層部から下りているようなものだ。
「そうですね。ナハスさんが嫌だっていうなら、止めておきます」
あとはナハス次第だ。
離れていく手を見送りながら、リゼルは彼の返答を待つ。
「嫌だとも思っていないし、隠すべきことがあるわけでもない。お前が、善意で同行しようと言ってくれているのも分かる。通訳というのは……よく分からんが、必要だと言うならそうなんだろう」
「はい」
「ただリゼル殿は、あの男と因縁があるんじゃないのか」
眉を顰め、言い聞かせるように告げる声には心配が滲んでいた。
マルケイドの大侵攻で、リゼルが支配者の思惑を挫いたことをナハスは知っている。
だからこその気遣いに、リゼルは目元を緩ませながら告げた。
「支配者さんはそういうの気にしないので大丈夫です」
「気に……いや俺は、お前にだな」
「俺もサルスに来てから、改めて交流したりもしてますし」
「どういうことだ。何かまた無茶なことでもしてるじゃないだろうな」
「ん、心外です」
失礼なと苦笑するリゼルの隣では、衛兵が再び遠い目をしていた。
「支配者さんとは、きちんと手順を踏んで面会しました」
「お前は何をするにもそうやって、周りに文句を言わせないところがあるからな……」
呆れたようなナハスだったが、気遣い不要というのは伝わったのだろう。
仕方なさそうに首の後ろを撫でながら、諦めたように笑みを浮かべる。
「じゃあ頼めるか」
「任せてください。翻訳から解説まで、力になれるよう頑張ります」
「だから何だそれは」
怪訝そうなナハスが、切り替えるように顔を引き締める。
リゼルはその横顔を見ながら、果たして何を問うのだろうと思案する。
恐らく何を問おうが、支配者から欲しい言葉は引き出せない。ナハスも承知のうえだろう。
己の理想の探求のため、悪意なく一都市を蹂躙できる人間など理解できないはずだ。
「(真面目だからなぁ)」
言葉を交わしておくべきだと、きっとそれだけだ。
サルスを訪れている騎兵たちと話し合っての結論だろう。なんの役にも立たなくとも、何かを納得できなくとも、信者たちから伝えられた偶像ではなく、支配者という人間を知りたかったのだ。
ガラス扉を潜るナハスの背を見つめながら、分かるなと内心で頷く。
リゼルも本から著者の人物像を推し量ったりするが、それですべてが分かるとは思っていない。
「失礼する」
ナハスの声が、ガラス張りの研究室に満ちた。
思ったほどの反響はない。静寂ゆえに、よく響いて聞こえるだけだ。
外からの音が入ってこないのだろう。耳を澄ましてようやく、近くを歩く研究者たちの話し声が聞こえてくるほどだ。大人子供問わず、「今のはどうやった」「その資料を読ませてくれ」とガラス越しに叫んでもなお、支配者が一切気にかけなかった秘密が分かった。
ちなみにその光景を初めて目撃した際に、リゼルは「悪いことをしたかな」と考えたので、それが少しだけ救われた気がした。恐らく本来は騒音対策ではなく、内通者との接触を阻むための防音性能なのだろう。
研究室の真ん中では、支配者がこちらに背を向けて座っていた。
「貴殿が“異形の支配者”か」
彼はナハスの問いに応えない。
ただ手元の紙束を捲り、まとめた数字を確認している。己の研究にしか興味がないのだろう。
相変わらずだなと、リゼルはナハスの後ろから顔を出した。
「支配者さん、こんにちは。先日は遠隔での魔法発動を見せていただき有難うございます」
「……」
支配者の手が止まる。
彼は振り返りもせず、リゼルの声に応えた。
「報告しろ」
「貴方の想定どおりに発動したと思いますよ」
「そんなものは分かりきっている。私が聞きたいのは魔力伝達の厳密な精度であり、距離による微細なブレであり、魔石の保有魔力に対する発動時間の比率だ。意味のない問答をさせるな」
「流石にそこまでは教えられません。俺がサルスに怒られるので」
次の瞬間、支配者が紙束を机に叩きつけた。
ナハスの手がリゼルを庇うように動く。伸ばされた手を、リゼルはそっと下ろさせた。
「では、一つだけお伝えしますね」
「さっさとしろ」
忌々しげな声が、突き刺すような強さで促す。
だがリゼルは気にかけることなく、にこりと笑って告げた。
「残念ながら、的は外していましたよ」
ゆっくりと、支配者が振り返る。
陰鬱とした両眼がリゼルを見据えた。理解しがたい気狂いを見るかのようだった。
「いかれている」
向けられた言葉は心外だが、振り返らせるのには成功した。
今ならばいけそうだなと、リゼルは隣のナハスへと手のひらを向ける。
「紹介しますね。アスタルニア魔鳥騎兵団の副隊長、ナハスさんです」
そこでようやく、支配者の目がナハスを映す。
彼は叩きつけたばかりの紙束を手に取り、再びそれに目を通しながらも告げた。
「あの醜悪極まりない使役魔法の使い手か」
ひと言目から飛ばすなぁ、とリゼルは思った。
支配者の声色は常識を語るかのようで、そこに相手を貶めようという意図などない。彼にとっての当たり前のことを、当たり前のように口に出しただけなのだろう。
だがナハスにとっては、己の誇りをこき下ろされたと同じこと。にもかかわらず眉を寄せるだけで済んだのは、彼の忍耐力が優れているからに外ならない。これが他の騎兵なら、支配者はすでにぶん殴られている。
だからこそリゼルは、なるべくナハスの心を荒げないよう囁いた。
「知ってるよ、だそうです」
二度見された。
「通訳か?」
「はい」
「翻訳は本当に合ってるのか?」
「大体合ってます」
内緒話をするかのように顔を寄せ合い、話し合う。
自らの研究データに目を通している支配者がそれを気にかける様子はない。
「……解説を頼む」
「支配者さんにとっては世の使役魔法すべてが格下で、魔鳥騎兵に限った皮肉じゃないんです。なので皮肉自体に大した意図はなくて、取り上げるべきは“知っていること”だけかなと」
まさか本当に通訳が必要だとは、と言わんばかりのナハスだが、ひとまずは飲み込むことにしたのだろう。彼はリゼルと視線を合わせ、しっかりと頷いた。
「引き続き頼むぞ」
「分かりました」
リゼルは任せろ、と頷いた。よほどの専門用語が出なければ問題はない。
ここでの専門用語とはその言葉どおり、研究者同士でしか通じない用語を指す。
「貴殿は魔鳥騎兵を不快だと言ったらしいな」
ナハスが、仕切り直すように支配者と向き合った。
「魔鳥騎兵の根幹について何かを知ったのか」
「一から十まで説明されなければ理解できない無能と話しているつもりか?」
「知らないそうです」
「それで何故不快だと? 俺たちが貴殿に何かした訳じゃないだろう」
「見るに堪えないものを不快に思うことの何が悪い」
「なんとなく気に入らないそうです」
なんか緊張感が薄れるな、というナハスの視線もリゼルは気にしない。
支配者には聞こえないよう、斜め後ろからこそりと通訳を入れていく。
それにしても、支配者にしては素直に質問に答えている。恐らく事前に、今日の客人の問いには必ず答えるように、という命令があったのだろう。
支配者に国への忠誠はないが、研究が続けられなくなる可能性は理解しているようだ。
「そのせいでお前の部下が魔鳥騎兵団を襲撃したことについては、どう思っている」
ナハスの問いかけに、支配者は紙束を捲りながら片眉を上げた。
傲慢を感じさせる眼差しがより強調される。彼の目はいつでも如実に相手を見下していた。
「私に部下はいない」
「そうか。ならば助手だ」
「いないと言っている」
弾かれるように、ナハスがリゼルを見る。
リゼルは数秒だけ思案し、予想であることを前置きしてから告げた。
「支配者さんにとって、俺と信者さんは似たようなものなんです」
「なんだと、そんなに自分を卑下するな。お前はあいつらとは違って俺たちを――」
「有難うございます。でも、そうじゃなくて」
すかさずフォローを入れてくれるナハスを、嬉しく思いながら遮る。
これはリゼルのミスだ。例え方を間違えた。ナハスの信者らへの嫌悪感が想像以上だったのだ。
それも当たり前ではあるので、意外というほどでもないのだが。
「さっきの俺と支配者さんの会話、覚えてますか?」
「……結果を報告しろ、とやらか」
「それです。すみません、ナハスさんに不信感を抱かせるような会話でしたね」
「そんなものはない。俺がリゼル殿を疑うことはないからな」
ナハスはあっさりと首を振る。
すぐに思い当たる程度には、引っ掛かるものがあったはずだ。それでも彼は、些細な疑惑も抱かなかったという。他者を信じることに長けた、アスタルニアの国民らしい言葉だった。
リゼルは微かに頬を緩め、言葉を続ける。
「信者さんたちは、ここの研究者たちに言わせると“取り巻き”だったそうです。役割としての、あるいは学院の形式に当て嵌めただけの助手。ここの来る前に訪れた研究室で見た、教授と子供の信頼関係なんてなかったと思います」
「それは……だが、襲撃犯たちは実際に奴を“師”と呼んでただろう」
「彼らにとっては、そうだったんでしょうね」
信者たちは支配者に師事していた。それが許されていると信じ込めるほど崇拝していた。
だが、支配者からすれば違う。
「支配者さんの研究は一人で成立します。必要なものがあればサルスに用意させればいい」
「……最初から、助手なんて必要ないということか」
「そうですね。必要な本を棚に取りに行くよりは、持ってこいと一声かければ、その間に進められる作業がある。自分で人手をサルスに申請するよりも、都合よく動く存在が湧き出てきたから同様に。率先して彼のために尽くそうという人間がいて、不都合がないから好きにさせたっていうだけなんです」
「都合よく使っていただけか?」
「使ってあげるほどの関心はないですよ。何かを頼んだことなんてないでしょうし」
支配者はきっと、信者たちが消えても不便を覚えなかったはずだ。
彼の傲慢な自尊心は、探求のすえの結実でのみ満たされる。大侵攻の支配も、それによるマルケイドの壊滅も、己に箔をつける“研究結果”に外ならない。多少は気分を良くしたかもしれないが、それだけだ。
支配者は彼らに脳を求めず、己の腕の余り物のように扱った。
当然、学びなど与えない。支配者に追随する信者は、己で新しいものを生み出すこともない。
「この学院の師弟としては異質ですね。歪、と言ってもいいかもしれません」
「そうか」
そう吐息のように零したナハスは、安堵したように見えた。
魔法学院を視察し、そのあり様を見て感じたものが。間違っていないと確信できたのか。
そこに微かな哀れみが含まれているのは、信者への優しさからではなく同情なのだろう。
「質問がないなら出ていけ」
ふいに支配者が立ち上がる。
データに目を通し終えたのか。こちらに背を向けて実験機材を並べ始めた。
その手元は澱みなく動き、彼が何十、何百回も繰り返してきた作業なのだと伺わせる。
「最後に一つだけ聞きたい」
ナハスの言葉に、支配者はもう振り返らない。
「お前にとって使役魔法は何だ?」
「私の才覚にもっとも合致した研究分野だ」
支配者は一切の躊躇なく言い放った。
そこの好きも嫌いもない。他者より優れた己の叡智を、さらに飛躍させることができると。
そのために使役魔法は存在するのだと、常識を語るかのように断言してみせた。
「……」
リゼルは静かにナハスを伺う。
海の果てを眺めているかのような真っ直ぐな瞳が、ただ支配者の背中を見ていた。
通訳は必要なさそうだと、外で待つ衛兵に合図を送る。
「面会に応じてもらい感謝する」
分厚いガラス製の扉が開いた。
研究に必要なものが揃ってさえいれば、支配者が自分からその扉を潜ることはない。
リゼルはナハスに先に退室してもらおうと、立ち位置を二人の間に変えつつ促した。
「魔鳥だったか。繁殖に成功しているならば使い捨てればいいものを」
間に合わなかった。
最後の最後でかまされたひと言(支配者曰くの有意義なアドバイス)が、見事にナハスの逆鱗に触れた。彼は潜りかけた扉から踵を返し、支配者に掴みかかろうと床を踏みしめる。それを、二人の間に入っていたリゼルは阻んだ。
リゼルとしてはナハスの肩を持ち、好きに振舞わせてあげたいが今日だけは難しい。
王族の許可によって実現した面会で、あらゆる権利を奪われながらもいまだ重要人物の位置にある支配者を害せば、冷静になった後のナハスの後悔はどれほどか。
他の騎兵は「どうして殴らなかった」と文句を言いそうだし、肝心の王族は「殴ったとしても何とでもしてやったぞ」と笑い飛ばしそうだが、ナハス自身が己を責めそうなので止めるべきだろう。ついでに、衛兵も隣で決死の覚悟で謝罪を繰り返している。
そうして、リゼルはナハスを宥めるように声をかけた。
「ナハスさん大丈夫です、支配者さんには俺が後でちょっとした嫌がらせをしておくので」
これには支配者の手も一瞬止まった。
「また無茶なことをしようとするんじゃないぞ」
ついでにナハスも止まった。
よしと頷くリゼルの隣。一人の衛兵が、一体何が起こるのかと途方に暮れていた。
その後、何事もなかったかのようにナハスと解散したリゼルは教授の研究室へと向かった。
研究室には魔鳥の羽に引き寄せられた子供たちと、同じく魔鳥の羽に引き寄せられた研究者たちが、ありとあらゆる研究機材を揃えて大挙していた。リゼルは微笑み、部屋を覗き込む。
「今なら支配者さんが、魔鳥研究に協力してくれるそうです」
群衆は即座に中庭へと駆け出して行った。
なにせ支配者の研究室は、建設したてホヤホヤということもあり最新機材が揃っている。
更に学院関係者は面会フリー。アポイントなく支配者のもとに突っ込んでいけるのだ。
「いやいや、小生も論文さえなければ……」
部屋に残されたのは、机に向かう教授ただ一人。
猫背をさらに丸め、羽毛交じりの白髪をかき混ぜながら、彼はリゼルを振り返る。
「さて、彼が本当にそう言ったのかい?」
「そんなようなものです」
その言葉に、教授はにやりと笑ってみせる。
支配者の協調性が地に落ちていることなど、この学院の研究者なら常識のように知っていた。
だが偏屈な研究者など珍しくもないため、それを理由に支配者を遠巻きにすることはない。最高の実験環境を前にした研究者たちは何をはばかることもなく、支配者の発言の真意など二の次にして彼のもとへと突撃していった。
そこに混ざれない教授だけが、気まぐれにリゼルへと問いかけているに過ぎない。
「支配者さん、魔鳥騎兵のあり方に言及するほど興味があるみたいなので」
「ああ、使役魔法を専攻しているならね」
「なら発言に責任を持ってもらおうかなと」
「ふむ?」
リゼルはニヤニヤしている教授に応えるように、悪戯っぽく告げた。
「あとは、ちょっとした嫌がらせです」
「わははっ」
教授は膝を叩き、声を上げて笑う。
そうして二人はひとしきり雑談を楽しんだのち、当初の目的であった“少年に渡した魔石の取り扱いについて”の話し合いを進めるのだった。




