198.絶叫のち感極まる
あけましておめでとうございます!
魔鳥騎兵団がサルスを訪れていようが、冒険者たちは変わらない。
日々の生活の糧を得るため、ギルドに訪れては依頼を勢いよく吟味する。
「おい俺らが今それ取ろうとしてただろうが」
「腕短ぇの可哀そっすね」
そんな風に軽率に始まった殴り合いの隣で、リゼルたちもまた依頼を探していた。
「今日はどんな依頼の気分ですか?」
「迷宮かなァ」
「お前はどうなんだよ」
「なんでも来いの気分です」
「頼もしっ」
ならば迷宮かと、三人は関連する依頼を探して視線を彷徨わせる。
迷宮関係の依頼というのはもっともメジャーなものだ。なにせ冒険者以外には頼めない。
ギルドがノウハウを独占しているおかげで、多くの冒険者たちは食いっぱぐれないのだ。
「(あ)」
習慣のように低ランクから目を通していたリゼルは、ふと気づいた。
美しく並んだ依頼用紙、そのなかの一枚に書かれた依頼人に見覚えがあったからだ。
いや、正しくは依頼内容から依頼人に検討がついたのだが。
【魔鳥の羽をくれ】
ランク:F
依頼人:魔法学院・使役魔法研究室主任
報酬:1枚につき銀貨10枚~(交渉可能)
依頼内容:魔鳥騎兵団の野営地の周囲をひたすらうろついて拾ってきてほしい。
魔鳥騎兵への直接の声かけはNG(自警団確認済み)。
間違いなくガイコツ先生の依頼だ。
さらに恐らく、既に本人が自警団からNGを食らっている。
サルスの子供たちも虎視眈々と魔鳥の羽を狙っているというし、湖の範囲内での確保は難しい。
ならば冒険者に頼み、サルスの領地外で空中散歩を楽しむ魔鳥のものを狙おうと思ったのか。
ナハス曰く魔鳥の羽は抜けにくいというので、だいぶ運の要素が強い依頼だ。
「(こういうのを地雷依頼っていうんだな)」
最近リゼルはそれが分かってきた。
ただリゼルのなかでは“地雷イコール避ける”という認識がないので、受ける時は受けるが。
「ニィサンこれは?」
「いいんじゃねぇの」
とはいえ今日は、迷宮に潜る気分のイレヴンがいる。恐らくジルも同様に。
よって心の中でガイコツ先生の健闘を祈り、二人が眺めている依頼へと目を通した。
【石材調達】
ランク:B
依頼人:北区の彫刻工房
報酬:石材1個あたり銀貨20枚
依頼内容:“美術館迷路”に出現するという“凶暴な胸像”の石材が欲しい。
この素材なら、どんなフリルもレース生地も彫刻で再現できるはずなんだ。
汚れやひび割れがなく、一度でも熱を通したり濡らしていないものに限る。
リゼルはサルスを訪れたばかりの頃を思い出した。
なんとなく覗いた工房で、ふんだんにフリルを身にまとったレディマリオネットを、無心で掘り続けている職人を見た。間違いなく仕事ではなく趣味で掘っていた熱烈な姿を今も覚えている。
二人もまた、薄っすらと思い出してきたのだろう。
もしやあの時の、というなんとも言えない表情を浮かべている。
「これに決定でいいですか?」
「……」
「うん……」
いつかの偏執的とも思える職人の姿に、何かしら思うところがあるのだろうか。
複雑そうなジルたちであったが、嫌だと拒否するほどでもなかったようで渋々頷いていた。
迷宮“美術館迷路”はサルスからやや離れた位置にある。
内部は名前のとおり、石造りの豪奢なギャラリーを模していて、両サイドにずらりと絵画が並んだ通路が続く。絵画は迷宮絵画に限ってはいないようで、どこかの街中の様子であったり、何らかの抽象画であったりと多種多様だった。
迷宮の一部であるので傷つけようと思って傷つけられるものでもないだろうが、リゼルは傷つけないようにしないとと考えてしまう。少しだけ、戦いにくい迷宮だ。
「レイ子爵が喜びそうな迷宮ですね」
「貴族の目に適うような絵画があんのかよ」
「どうでしょう」
リゼルはすぐ傍の絵画に近づき、まじまじと鑑賞してみる。
一見すると世に出回る絵画と遜色がない。キャンバスの凹凸や筆の運びまで見ることができる。
構図にしても一切の違和感がなく、額縁など絵画のために誂えたのかと感じるほどだ。
「もしかしたら実在する絵画の複製なのかもしれませんね」
「ならおかしくねぇ? 絵画マニアが観光ツアー組んでそうなのに」
世の絵画が一堂に集まる迷宮。
その存在が知れ渡れば、レイを筆頭にその手の蒐集家がこぞってやってくるだろう。
金に糸目を付けず冒険者を雇い入れ、連日のように迷宮見学に訪れているはずだ。
「噂が出回らねぇんだろ」
「は?」
イレヴンの問いに、簡潔に答えたのはジルだった。
彼は絵画の一つ一つに目を通しているリゼルを指し、呆れたように告げる。
「こいつ以外の誰が絵なんざ興味持つんだよ」
「あー……そゆこと」
冒険者にとっては、迷宮内によくある装飾に過ぎないのだ。
だからこそ気にならない。絵画について何か思うことがあるとすれば、初見で「絵ばっか」とひ声こぼすのが関の山。暗いな、狭いな、と同じように環境として認識するだけで終わる。
冒険者が必要とする要素以外の価値など、普通は気づきすらしない。
「とはいえ知っている絵画はないので何とも……」
ううん、と思案しながら告げるリゼルは、そんなことなど知る由もないだろうが。
「そろそろ行くぞ」
「はい」
放っておくとずっと見ていそうなリゼルに、ジルが声をかける。
リゼルとて教養として美術を学んだことがあるくらいで、強い思い入れがある訳ではない。
凄まじさや美しさを目の当たりにして感嘆はするが、それだけだ。あっさりと絵画から離れる。
「ジルは踏破してるんですよね」
「ああ」
「胸像出んのどこ?」
「覚えてねぇ。そこそこ進んだあたりで出てきて深いとこでは見なかった」
「なら中間層でしょうか」
三人は入ったばかりの位置にある、床の魔法陣の前で話し合う。
迷宮らしいと言うべきか。魔法陣の描かれた巨大な絵画が、床に固定されていた。
まるで顔料が発光しているかのように、ぼんやりと灯るそれをリゼルは見下ろす。
「なんだか踏みつけるのに躊躇しますね」
「リーダーはなァ」
とはいえ踏まなければ先には進めない。
躊躇なく絵画の上に立つジルとイレヴンに続き、リゼルも普段より静かに足を踏み入れた。
体重をかけるのが躊躇われて、なんとなくジルの腕に捕まってしまう。
「あんま美術品として見てんなよ」
「え?」
どういうことかと思った矢先、魔法陣の光が視界を埋め尽くす。
瞬きの間に景色が変わった。真正面に暗い色合いの絵画が現れ、こちらを向いている。
そこには、こちらに照準を合わせた弓矢が描かれていた。
「あ、成程」
納得すると同時に射られた矢が、目前で止まった。
それを握りしめたジルの手が、何事もなかったかのように下ろされる。
「こういうのもあるんですね」
「げぇ、全部の絵チェックしなきゃじゃん」
「でかい絵だけ見りゃ食らっても致命傷は避けれんだろ」
「それニィサンだけじゃなくて?」
矢だけが消えた絵画を見れば、やはり平面であり普通の絵でしかない。
にょきっと生えてきたのだろうか。裏側を見ようとしたが、額ごと固定されていて無理だった。
「罠が多いタイプの迷宮なんですね」
「迷路っつうのは?」
「そのうち分かる」
三人は大理石の床を歩き出した。
絵画は途切れることなく並んでいる。大きさも額の種類も、作風すらバラバラだが、不思議と調和して見えた。だからだろうか。かなりの数の絵画が視界に入るが、乱雑さはなく静謐とした空気感に満ちている。
見回せば、天井や床にも絵画が飾られているのが見えた。
「床のやつって落とし穴とかだったりすんのかな」
「いかにもな穴ではないですけど」
一応は避けて通りすぎながらも見下ろせば、真上から見た草原の絵画だった。
ちょうどリゼルたちの目線の高さから見たように描かれており、酷く写実的だ。
まるで本当に、四角い額縁の範囲だけ草が生い茂っているかのように見える。
「自然光もないのに、不思議ですね」
「今更だろ」
「そうなんですけど」
迷宮だから仕方ない。それは承知だが、感動してしまうのも仕方ない。
迷宮のこだわりを正しく楽しんでいるのだから良いのではと、リゼルはいつも思う。
「あ」
リゼルは一枚の絵画の前で足を止めた。
「リーダー?」
「見てください。窓がありますよ」
目線の高さに、小窓を描いた絵画が展示されている。
いや、実際の窓に額縁を嵌めこんでいるのだ。凹凸のない造りは一見して絵画と見紛うだろう。
ジルが額縁を掴むが微動だにしない。代わりに、両開きの窓の片方を押し込んだ。
「お、宝箱」
「誰が開けますか?」
「お前だろ」
自分で見つけたのだからと促され、リゼルは額縁の奥にある小さなスペースに手を入れる。
小さめの宝箱は木製の簡素なものだった。美術品溢れるギャラリーには似合わない気もするが、何が入っているのか。リゼルの宝箱遍歴からすると、絵画の可能性が高そうではあるが。
「この迷宮なら絵画が出るのが普通な気もしますし」
「リーダーがなんか言い聞かせてる」
「こいつも諦めねぇよな」
いろいろ言われたが気にせず、木箱を開く。
中には瓶詰の絵の具が一つ、入っていた。絵の具はガラスを貫通する勢いで七色に光っている。
確かに希少ではある。世界に二つとない絵の具だろう。だが求めていたのはこれではない。
「これで何が描けんだよ」
「クスリでぶっ飛んだ奴がこんな色の夢見たとか言ってた」
身も蓋もないコメントに、リゼルは粛々と遺憾の意を表明するのだった。
邂逅する魔物は、およそ美術館に縁がなさそうなものもいた。
天井に飾られた雨空の絵画の下、しとしとと雨粒が漏れる通路にデザインフロッグが跳ねる。
海の中を描いた絵画の並びでは、悠々と泳ぐトゲウオがこちらを見つけて背中の棘を飛ばす。
はたまたこの場に相応しく、飾られた鎧や、絵画から溶け出た顔料が不定形のまま襲い来る。
「剣汚れんのすっげぇ嫌!」
「てめぇ爆発する魔石かなんか持ってただろ」
「飛び散って服汚れんのも嫌!」
マーブルのスライムもどきを切り捨てながら、イレヴンが声を張り上げる。
先ほどから一戦を終えるたびに拭いていたが、とうとう我慢の限界のようだ。リゼルもいろいろと対策を打ってはいるのだが、倒すだけならまだしも、飛び散らかさないとなると難しい。
なにせスライムもどきは、近寄らないと出てこないのだ。
遠距離から処理することもできなければ、距離を置こうにも異様に素早かったりする。
「あそこの海の絵画に、こっちから投げ込んだりできませんか?」
「それで終わんなら最高じゃん。ニィサンやって」
残る一匹のスライムもどきは、床で蠢きながらマーブルのシャボン玉を立ち上らせている。
嫌そうな顔をしたジルが、シャボン玉を避けてスライムもどきを見た。シャボン玉に触れると、凄まじい爆ぜ方をして吹き飛ばされるのだ。ジルやイレヴンは平気で斬るが、それでも生身で触れてしまえば弾かれる。
当然シャボン玉が弾ければ絵の具も飛び散るし、何だったら壁や床に触れたシャボン玉が勝手に弾ける。そのあたりはリゼルが三人分防いでいるが、純粋な強さとは違うところで手ごわい難敵だった。
「……」
ジルがひたすら嫌そうながらも動いた。
彼とて剣が汚れるのは嫌なのだ。大きく踏み込み、逃げる隙を与えずマーブルの不定形を掬い、その勢いのまま目的の絵画へと叩きつける。
パァンッと破裂音が通路に響いた。魔物は衝撃ではじけ飛び、マーブルは一面に飛び散った。
「おい」
「すみません」
「ごめんって」
ジルに咄嗟に張った魔力防壁に、その前面にべったりと飛沫がかかっていた。
先ほどまで生きた魔物を描いていた絵画は、今やただの絵画と化している。一方通行らしい。
ジルが舌打ちと共に汚れたグローブを外し、予備のものを身に着けた。
「次も地道に倒していくしかないですね」
「えー、前に飴こびりついた時も凄ぇキレられたのに」
「あのおっさんか」
「そう、前教えてもらったとこ。あそこが一番ウデ良いっぽいのにさァ」
「俺だって顔料つきで持ってきゃキレられんだよ」
こまめに手入れをするしかないかと、ジルたちは慣れた手つきで剣を拭きとる。
リゼルもいろいろと学んでいるが、剣についてはまだまだ素人の域を出ない。というより、知識だけでは立ち行かない分野なのだ。切れ味が落ちたと言われても、そのうえでジルやイレヴンが平素と変わらず魔物を切り捨てるので、何がどう変わったのか理解しきれない。
「つうか“胸像”出なくねぇ?」
「もっと彫刻とかが飾ってある場所に行かないとダメなんでしょうか」
「つっても絵しかねぇし」
話していると、行き止まりに着いてしまった。
リゼルは周りを見渡す。ここまでに通路の分岐はなかったはずだ。
なんとなく隣を見れば一枚の絵画が目に入る。これはもしやとジルを伺えば、緩慢に頷かれた。
「ここに入るんですね」
「ああ」
縦に長い長方形の額縁は、リゼルの膝の高さから頭一つ上までの大きさだった。
描かれていたのは、もし隣に部屋があるとしたらこう見えただろうという絵画。奥行すらも感じさせる出来ではあるが、当然ながら、斜めから覗こうが部屋の内部を見渡せる訳ではない。
「いかにも通り抜けられそうですね」
「マジで行けんの? さっきの魔物はグチャッたけど」
キャンバス生地に描かれた、緻密で美しい小部屋へとリゼルは手を伸ばす。
指先が絵画に潜り込んだ。そのまま横に動かせば、窓枠に触れるように額縁を掴むことができる。
その感触を楽しむリゼルの隣から、イレヴンもその手元を覗き込んだ。
「これマジで通り抜けるだけ? 絵になったりしねぇの?」
「ねぇよ」
「通り抜けた部分は見えないので、絵画を突き破るのに近いのかも」
「リーダーどんな感じ?」
「ちょっと抵抗がありますね。薄い顔料の膜を通り抜けるみたいな感触です」
だが手を引き抜いてみても、手袋はまったく汚れていない。
先行するジルに続いて、リゼル、イレヴンと額縁を跨ぐ。
「あー……なんかある感じする。顔気持ちわる。膜っぽいのついてねぇ?」
「何もついてないですよ」
雑に顔面をこすっているイレヴンに、リゼルもぺたぺたと頬を触ってやる。
蛇の獣人は鱗の部分が稀に脱皮するというので、その感触を思い出して違和感があるのだろう。
ちなみに脱皮だが、本人たち的にはあまり見られて好ましいものではないらしい。なんとしても隠すべきとまではいかないが、イレヴン曰く寝ぐせに近いのだとか。身だしなみ的になんか微妙という感覚らしい。
野生のヘビほど頻繁ではないので、リゼルもそういった状態を見たことはないのだが。
「おい、こっち来い」
「ジル?」
ふいに呼ばれ、リゼルとイレヴンは顔を見合わせてそちらへ向かう。
何処にも通路が見当たらない部屋は、壁の全面と、天井や床にも絵画が飾られている。
ジルは部屋の中央にあるもっとも大きな床の絵画、その傍に立って見下ろしていた。
「階段の絵画でもありましたか?」
「似たようなもんではある」
「何それ」
床の絵画を囲むように三人はそれを覗き込んだ。
薄っすらとした雲の向こう、遥か遠くに大地がある。いや、そう見えるように描かれている。
上空から大地を見下ろすような景色は、今にも風の音が聞こえてきそうなほどリアルだった。
「これに飛び込めとか言ってる?」
「他に道がねぇだろ」
「マジで言ってる?」
「しつけぇ」
一歩踏み出せば、高高度から大地に叩きつけられるだろう。
間違いなく初見では誰も飛び込まない。普通に死にそうだ。そう考える冒険者のためのヒントが、先ほど通り抜けてきた絵画だったのだろう。潜れば進めるよという発想を植えつけるためだ。
リゼルは膝をつき、両手を絵画に伸ばす。目を伏せ、息を止め、ゆっくりと顔を沈めた。
「(これは……)」
次の部屋が見える、という希望的観測に反して、そこは正しく上空だった。
雲はゆっくりと流れているが、一切の音がない。絵画の中だからだろうか。空中に伏せるような形で浮かぶ絵画があり、リゼルはそこから逆さまに顔を出していた。
鼓膜に影響はなく、呼吸にも問題はなさそうだ。ふっと息を吐いてみても、呼吸音は聞こえない。
「通り抜けるだけなら大丈夫かな」
自分の声すら聞こえなかった。
感心していると、ふとリゼルの顔の隣に手が現れる。ジルの手だ。ということは先ほどから、落ちないように装備を引っ掴んでくれているのも彼だろう。
その指先が優しく頬に触れ、顎に滑り、すくい上げようとするのに逆らうことなく従った。視界が広大な大地から展示室へと戻り、やや不機嫌そうなジルの顔を映す。
「呼んでんだろうが」
「すみません、聞こえなくて」
「あ?」
「リーダーだいじょぶ?」
「もう大丈夫ですよ。絵の中だけみたいです」
無音の空間なので外からの音も遮断されたのだろう。そう説明すれば納得したらしい。
ジルの手が離れたのち、リゼルはさてどうしようかと思案する。
「絵画を潜ると、そのまま空の上に出るみたいですね」
「で、地面にぶつかんだ?」
「必殺にも程があんだろ」
「絵画から入るなら、絵画から出られるはずなんですけど」
額縁みたいなものも見当たらなかったしと、考えていた時だ。
リゼルと同じく顔を突っ込んでみていたイレヴンが、ずぼりと絵画から顔を上げた。
「これアレかも、地面が絵っぽい?」
「え?」
「下からそれっぽい匂いする」
二又の舌で唇をなぞりながら、それなりの確信を持ってイレヴンは告げた。
成程と、リゼルも頷く。それならば落下するだけで自然と通り抜けられるはずだ。
「落ちた勢いで通り抜けた先が大理石とか死ぬだろ」
「さっきのスライムもどきみたいになりそう」
先ほどジルの手によって壁のシミになった魔物を思い出す。
それは確かに避けたい。だが、リゼルは自信を持って口を開いた。
「迷宮なので大丈夫ですよ」
「何がだよ」
「落として致命傷を与えたいだけなら、地面を絵画にする必要はないですし」
「そうかも。つかニィサン前にこういうの見てねぇの?」
「壁の絵では見た」
ジル曰く橋が描かれた絵画で、実際に橋を渡り、その終点にある絵画へ潜ったという。
扱いとしては階層ごとの区切りのようだ。つまりは、その“縦バージョン”というだけのこと。
「死なねぇならすげぇ楽しそう」
「イレヴンは好きそうですね」
途端に楽しそうなイレヴンに、リゼルは可笑しそうに笑う。
「他に道もなかったはずですし、覚悟を決めましょう」
「そこは言い切れよ」
「迷宮相手にすべてお見通しなんて言えませんよ」
大丈夫だと確信があるからこその、冗談交じりの会話だった。
冒険者は迷宮のこだわりに振り回され、時に振り回され、はたまた振り回されながらも、稀に救われることがないこともない。つまりは迷宮が決して、こだわりを曲げないことを知っているのだ。
進行に必須の絵画の回廊が、必殺の罠になることは決してない。
「俺とイレヴンはジルに捕まって、せーので飛びましょうか」
「とにかくニィサンが一番最初に着地するようにしねぇと」
「ガチの地面だった時のこと考えんなら俺が着地できる可能性は捨てろ」
そしてリゼルの合図と同時に、三人は絵画に足を踏み入れた。
直後に感じたのは、落ちるに任せた自由落下だった。だが風を感じることはなく、抵抗の一切ない水中を沈むかのようだった。風圧で呼吸ができないということもない。
そして自らの鼓動すら届かない無音。リゼルの視線の先では、艶めく赤髪がはためいている。
「(楽しそう)」
当のイレヴンはもの凄く楽しそうだ。
空中で器用に体勢を変えながら、落下の速度に変化をつけたりと遊んでいる。
仏頂面のまま地面を睨みつけているジルとは雲泥の差だった。
「イレヴン」
呼びかけてみる。音にはならなかったが、蛇の瞳孔を持つ瞳がリゼルを向いた。
着地までにジルにしっかりと捕まってねと、そう伝えるようにジルを指してみる。
何がどう伝わったのか噴き出された。ジェスチャーで会話するのは意外と難しかった。
「(そろそろかな)」
地面が遠すぎて、落下速度が遅く感じたのは少しの間のこと。
迫りくる地面に、このスピードでの激突は原型を留めないだろうなと他人事のように思う。
腕をジルに捕まれ、引き寄せられた。隣ではイレヴンが、ジルの腰ベルトを掴もうとして拒否されている。腰ベルトを掴むなと言いたいのか、先ほど噴き出されたことへの意趣返しか。
両方だろうなとリゼルは笑い、次第に激しさを増していく空中での攻防を眺めていた。
「~~~~ッ」
恐らく文句を叫んでいるだろうイレヴンを、リゼルはおいでおいでと手招いた。
イレヴンの腕がしっかりと肩に腕を回される。ジルの手が腰に移り、彼の体に強く固定された。
ジルの体が反転し、背中を地面に向けた体勢になる。リゼルは少しでも衝撃を軽くするために魔法を発動するか考え、止めておいた。恐らく下手に手を出すよりも、迷宮の空気の読み方を信じるほうが良い。
そしてついに、三人の体が顔料で描かれた地面へと触れ――、
「わ」
「ぎゃっ」
「ッ」
大量の緩衝材へと突っ込んだ。
「ジル、平気ですか?」
「ああ」
「イレヴン?」
「もっかいやりたい」
誰も怪我はなさそうだと、リゼルは起き上がる。
見渡せば、空中散歩を始める前にいたのと同じような部屋だった。ただし部屋中に大量の布、羊毛、藁など、思いつく限りの美術品用の緩衝材が、床も見えないほど大量に敷き詰められている。
「とりあえず部屋を出ないと」
「扉埋まってんだろ」
「あそこに見えんのドアの端っこじゃねぇ?」
見上げれば、一面の空が描かれた絵画のある展示室。
リゼルたちは庭の隅に宝物を埋める犬のように、部屋の隅を黙々と掘り返したのだった。
苦労の甲斐あってか、たどり着いた通路には彫刻も展示されていた。
相変わらず両サイドに絵画は並ぶが、その隙間を縫うように石像などが配置されている。
「そういや石材ってどうやってとんの?」
「知らねぇ」
「ニィサン死ぬほどぶっ壊してんじゃねぇの?」
「だからぶっ壊れんだよ」
依頼人が求める石材は無傷のものだという。
だがターゲットの“凶暴な胸像”に限らず、無機物系の魔物はとにかく原型を留めないほどに壊さなければ倒せない。ゴーレムのように核を壊せば、というタイプは実のところ少数派だ。
「生け捕り?」
「そんで生きたままフリル彫られんのか」
「胸像としてのアイデンティティの崩壊ですね」
三人はその光景を想像し、流石に惨いなと方針を改める。
「素材として持ち帰れるのは頭部だけらしいです」
「えー、頭ぶっ壊すのが早いのに」
「頭だけでも生きてそうですよね」
「生きてはねぇだろ」
そうして無機物の魔物の生に思いを馳せていた時だ。
通路の先に、動く何かを発見する。足を止めて目を凝らせば、浮遊する胸像が二体見えた。
通路の両端にある展示台から浮き上がり、宙を彷徨い、元の位置に戻る動作を繰り返している。
「首に継ぎ目とかありそうですか?」
「ねぇ」
「なら無傷で頭を残すのは運頼みになりそうですね」
「数探さなきゃじゃん。リーダー何個狙ってんの?」
「最低でも三つは欲しいな、と思ったんですけど」
リゼルは彫刻という制作分野に詳しくないが、恐らく依頼人にとっても初めて扱う素材だ。
一つだけでは厳しいだろうと、複数入手を狙っている。依頼用紙にも個数の制限はなかった。
「とりあえず頭だけは避けて、普通に倒してみましょう」
三人は浮遊する胸像へと足を進める。
二体は同時にリゼルたちへと気づいた。直後、リゼルは銃口を定めて攻撃を開始する。
撃ち出された魔力の弾が、胸像の体にいくつかの穴を空けた。
「ヒビは……あ、良かった。入りにくそうですよ」
「上等だな」
浮遊していた魔物が、いきなり速度を上げて突っ込んでくる。
当たれば骨の何本かは持っていかれるだろう勢いを、三人は危なげなく避ける。
「頭から突っ込まれると斬れねぇんだけど」
「防壁もぶつかったら割れそうですし」
「壁にぶつかっても欠けんだろ」
普通に倒す分にはそれほど苦戦しない相手だが、素材入手を狙うと一気に難度が上がる。
依頼では度々あるケースだ。
「俺はひとまず穴を空けたほうをそのまま狙ってみますね」
「俺らは?」
「いろいろ試してみてください」
いろいろとは、と顔を見合わせているジルとイレヴンを尻目に、リゼルは魔銃を構えた。
突っ込んでくる胸像を避け、離れた位置で方向転換する隙を狙い、像の下部を狙い撃つ。
チマチマと下から削っていけば何とかならないか、という考えだ。ジルやイレヴンは面倒臭がるが、リゼルはこうした地道な作業が嫌いではない。
そうしながら、なんとなしにジルとイレヴンのほうを伺った。
「浮い、っぐぇ」
「もっと力入れろ」
「じゃあニィサンがやって」
突撃する胸像を捕獲しようとしたイレヴンが、一瞬浮いたのち振り落とされていた。
生け捕りを考えたのだろうか。少しも勢いを殺せなかったあたり難しそうだ。
「(ん、もう削れるところが……)」
そうしている内に、リゼルも削れる部分はあらかた削ってしまった。
胸像の首と肩の境目、そのあたりまで何とか削れたのだが動きを止める様子はない。
やはり首も削りきらないと駄目なのだろうか。これからは今以上に慎重にならないといけない。
「ゴーレムは斬れんのにさァ」
「無理なもんは無理だろ」
「まぁそういうの分かるけど。俺もいけるヤツといけねぇヤツいるし」
相変わらずチマチマと削るリゼルを、よくやるとばかりに二人は眺めていた。
彼らが相手をしていた魔物はすでに粉々になって床に落ちている。すれ違いざまにジルが剣を叩きつけたらこうなった。一応は体部分を狙ったが、ヒビ割れが広がったうえに、勢いのままに頭部が吹っ飛んだのだ。
「撃つのに集中したいです」
「ん」
真面目な顔で告げたリゼルを、ジルが持ち上げる。
「リーダーが職人の顔してる」
「何の職人のつもりだよ」
リゼルはジルに回避を任せ、飛び交う胸像を目で追っていた。
胸像の首の断面、その端をかすめるように狙いを定める。もはや狙える場所が他にない。
そうして狙い定めること何度目か。首の名残が僅かな出っ張りだけになった頃、浮かんでいたそれが力を失い、ふらふらと数度揺れてから落下する。
「ゲットー」
滑り込んだイレヴンが見事にキャッチしてくれた。
ようやく倒せたのかと力を抜いたリゼルは、労いと共にジルに地面へと下ろされた。
「イレヴン、有難うございま」
「こいつすっげぇ噛もうとしてくる!」
倒せていなかった。
「キッモ、無理キモい!」
「イレヴン、頑張って、落とさないように」
「だってさァ!」
胸像の顔をリゼルたちに向けるように、両手で掴み上げながらイレヴンが駆けてきた。
石材の質感をそのままに、胸像は大きく口を開いて歯を打ち鳴らしている。ジルは引いた。
「どうしましょう、口から割れていくかも」
だがリゼルはそれどころではない。
折角ここまで削りきったのに、こんなところで失敗してしまうのかと心配していた。
「あ、そうだ。ニィサンこれ持ってて」
「……」
駆け出すイレヴンに胸像を押し付けられ、ジルはめちゃくちゃ嫌そうに受け取った。
もはや呻き声すら上げだした胸像を、リゼルがまじまじと見つめているのが何とも言えない。
「あったあった」
来た道を戻るように駆けていったイレヴンは、それほど時間をかけずに戻ってきた。
その腕には、先ほど三人を受け止めてくれた緩衝材が抱えられている。
「ああ、成程。これを嚙ませるんですね」
「これ用じゃん、絶対」
恐らくそんなことはない。
そう思うジルの前で、イレヴンはどんどんと布切れや羊毛を彫刻の口に押し込んでいく。
美術品など相応に扱ったことがないだろうに、それが手慣れて見えるのは何故なのか。その理由はきっと考えるまでもない。詰め込まれた緩衝材の隙間からは、最期の力を振り絞ったとばかりの呻き声が聞こえてきた。
「あとは首の断面キレイにすれば死にそう」
「あ、俺ヤスリ持ってますよ」
リゼルが嬉しそうに、いつかの宝箱から出てきたヤスリを取り出した。
いくら使っても歯が擦り減らないヤスリだ。人によってはまごうことなき宝物だろうが、冒険者的にはハズレ枠。それを冒険者として真っ当に役立てることができて嬉しいのだろう。
「貸して、俺やる」
「有難うございます」
ほのほのと微笑むリゼルから、イレヴンの手にヤスリが渡った。
「じゃあニィサン押さえててー」
直後、子供の工作のような音が豪奢な美術館に響き渡る。
上機嫌で石材を削るイレヴンと、一応とばかりにジルが砕いた彫刻の欠片を集めているリゼル。手元にある胸像は凶暴性を露わにしたような顔であり、緩衝材を突っ込まれた口の洞穴からは、いまだに呪われそうな呻き声が漏れている。
「……」
こういう拷問、探せばありそうだよなと。
ジルは同情も哀れみもない感想を抱きながら、呻き声が消えるのを気長に待った。
その後も“凶暴な胸像”とは遭遇したが、最終的に手に入った頭は二つだった。
リゼルが地道に削って手に入れたものと、ジルとイレヴンが胴体を狙ってひたすら砕き倒し、運よく無傷に済んだもの。前者は最初以降には成功しなかったし、後者は何十体倒してようやくといった具合で、二人のモチベーションが下がりに下がっていたので引き上げたのだ。
その代わりという訳ではないが、リゼルは砕けてしまった頭を一緒にギルドに納品した。
依頼用紙で語っていたような作品作りは無理だろうが、なるべく大きなものを選んだ。もちろん報酬にはならないが、試しに簡単なものを作ることはできるはずだ。
「練習素材はどれだけあってもいいでしょうし、喜んでくれるといいですね」
「あれが女の人形になんのか」
「完成したら変な呻き声あげそう」
三人が雑談に花を咲かせながら冒険者ギルドを出た時だ。
出てきたばかりのギルド内から、腹の奥から声を出したかのような悲鳴が響き渡る。リゼルたちは一瞬だけ足を止めたが、深刻な何かが起こった訳でもなさそうだと歩みを再開した。
だが、そのまま数秒歩いたのち。
「そういえば」
ふいにリゼルが、何かに思い至ったかのようにもう一度ギルドを振り返った。
どうしたのかと視線を寄こすジルたちに、眉尻を下げて微笑む。
「胸像、口の中に緩衝材を詰め込んだままでしたね」
凶悪な形相で、口に布を詰め込まれた彫像(生首)はかなりのインパクトがあるだろう。
つまり先ほどの雄叫びのごとき悲鳴は、それを目の当たりにした職員のものだ。リゼルが丁寧に緩衝材に包み、箱詰めにしたのが仇になった。しかも念のため、二つ目に手に入れた頭部にも同じ処理を施している。
「いやでも割れるよか良いし」
「あのまま依頼人のとこ持ち込まれんのか」
「彫刻家さんのインスピレーションが霧散したらどうしましょうね」
「あれ見てインスピレーション湧くほうが問題じゃねぇ?」
とはいえ頑張ったので、最高の作品を作り出してほしい。
三人はそんなことを話しながら、水路沿いの通りをのんびりと歩いたのだった。
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休暇読者さん方のこれからの一年が、幸溢れるものになりますように!




