私の居場所
【Vol.10:The girl takes a nap by the lake】
あたしはひどい扱い受けていたと思う
出来の良い兄と比べられ
「いらない子」と言われることは日常茶飯事だった
父はひどく癇癪持ちで
要領よく勉強できないあたしをよく叩いた
家の中はいつもピリピリしていて
あたしが不用意に笑おうものなら
「何がおかしいのか、何も一人前に出来ないくせに」
と怒鳴られた
母はひどく神経質で
あたしが他の子に見劣りすることを
とても不満に思っていたようだった
成績の悪いあたしを塾に通わせ
学校の宿題と塾の宿題
2つが終わらないうちには、決して寝かせようとしなかった
18になって
あたしは家を飛び出した
最初は友達の家を転々としていた
風俗は嫌だったし、悪いこともしたくはなかった
なんとかバイトで食いつないでいたけど
まっとうな暮らしではなかったと思う
誰かが守ってくれるとか
何かが頼れるとか
思えたことはなかった
経験不問の採用試験を何社も受けてみた
行き詰まるたびに
幼い頃からの辛い思い出が蘇りそうになり
頭を振る
稀ならず体調不良にも悩まされた
独りを自覚するほど
吐き気が襲ってきた
そんなあたしがココを見つけたのは
20歳のある冬の日だった
バイトの連続で疲れ果てていたとき
ふと、ココアが飲みたくなって
『ピージ・ブリーシス』
という名の喫茶店に入った
若いマスターがひとり
席は10席にも満たない
小さな店だった
その時のココアが絶品だったわけでもなかったが
なんとなくあたしはこの店が気に入って
そのあともよく通うようになった
店はいつもあまり客がいなかったので
あたしはマスターと話すようになっていた
瞬く間に数年が過ぎた
あたしはやっと事務の正社員の仕事につくことができた
薄給ではあったが、ちゃんとした正社員扱いだった
初めて安定して明日行くところがある生活は
どれだけあたしを心強くしただろうか
その仕事が決まった日も
あたしはピージ・ブリーシスに行った
マスターはあたしの話を聞いて一緒に喜んでくれた
それからも、ほとんど欠かさず
週に1回は店に通った
ピージ・ブリーシスという名が
ギリシャ語で『水飲み場』という意味だと教えてもらったのは
だいぶ経ってからだった
マスターは別に気の利いたことを言うわけではないし
コーヒーもココアも普通の味だった
ただ、あたしにとって
いつも、そこにいる誰かがいたのは
いつでも、行くことができる場所があったのは
生まれて初めてだった
いつの間にか
吐き気も頭痛もなくなっていた
夜中に一人で泣くことも少なくなっていた
あたしは、ピージ・ブリーシスで
たまたま知り合った人と結婚した
結婚式に親なんか呼ばなかった
むしろ、マスターを呼びたいくらいだった
今日も、私は夫と一緒に
ピージ・プリーシスでコーヒーを飲んでいる
「どうしたの?」
夫が私の顔を見て不思議そうにした
ああ、何かにやけてたかも
今、あたしは幸せだ
辛いことがいっぱいあって
長いことたった一人で歯を食いしばっていたけれど
たった一杯のココアを飲むために入った場所が、
あたしの人生を支える大切な場所になっていった
ココは『水飲み場』という名前の
あたしのキセキなんだ




