第76話 隅川陸将
「……」
「戸高さん、これは貴重な日本酒でしてね。冷えた状態のまま『異次元倉庫』に入れていたから、最高の状態ですよ」
「……なんという飲み口のよさだ! 軽やかでフルーティーさもあって」
「戸高司令、伊作さんのお酒コレクションは最高ですね」
「国防隊の上層部がこれから最悪な決断をする可能性が高いので最低の気分だが、このお酒はいい!」
「それはもう仕方がないですよ」
「今はいいお酒を楽しみましょう」
戸高さんに頼まれて朝山駐屯地の隅川陸将と会ってきたのだが、そのせいで戸高さんはえらく落ち込んでいた。
隅川陸将が、安城陸将のように残念な人だったからではない。
隅川陸将はキャリア幹部特有のエリート風を吹かせるような嫌な人でなく、むしろ人格者だった。
国防隊の将官としても優秀で、部下たちからも慕われており、今の自分たちの状況を正確に把握していた。
『現有戦力で、水無月市の解放は難しい。私はすぐに報告書を上にあげたのだが……』
『やはり、上は聞き入れませんか?』
『ああ、だいぶ追い込まれているようだな』
国防隊は多くの予算と物資を消費しておきながら、いまだアンデッドから一つも街を取り戻していない。
無謀な作戦で犠牲者を出し、食料と物資、武器、弾薬も無駄に消耗させた。
苦しい生活を送っている国民の不満が溜まっており、彼らの声を代弁するかのように政治家が国防隊に圧力をかけていると、隅川陸将が説明してくれた。
『選挙はしばらくないのだから、大人しくしていればいいのに……』
アンデッドのせいで多くの政治家も死んでいたが、こんな状況では選挙もできない。
だがいつ選挙が行われるかわからず。だからこそ余計に、政治家による仕事をしているアピールが激しくなっているのだろう。
『選挙が行われた時に、人気がないと落選するからな』
『だからって、勝てない戦いをする必要があるのですか? 『あーーーあ、失敗しちゃった。ゴメンね』では済みませんよ』
『安城陸将の時と同じなんだが、政治家全員が軍事に詳しいわけではないからな。それと戸高陸将補には悪いが、君が新明町を解放してしまったのも、政治家たちがうるさい原因でもあるんだ』
『……』
『戸高陸将補が指揮する戦力だけで新明町を解放できたのなら、援軍を送れば水無月市も解放できる、と政治家たちは考えたわけだ』
『そういうことですよ、伊作さん』
新明町の解放は、レベリングを兼ねた威力偵察でボスアンデッドに遭遇。
なんとか勝利できた副産物だし、戸高さんが詳細な報告書を出しているのだが、人は信じたい事実しか信じたくないのか。
もしくは、政治家に読解力がないか。
そんなことはないと信じたいが、貴族にもそんなバカが一定数いたのを思い出した。
『私が国防官である以上、上からの命令には逆らえない。職を賭して反対するという手もあるが……』
『隅川陸将、それは悪手ですね』
なぜなら、もし水無月市解放作戦に反対した隅川陸将が命令不服従で処罰されて朝山駐屯地の司令職を解任されると、松代から新しい司令官がやってくるからだ。
そして彼らは、その職を失わないように、勝算のない水無月市の解放作戦を実行するだろう。
成功すれば、次の統合幕僚長は確実というのもあった。
『多分、及川陸将補か、津川陸将補あたりだろうが。彼らは出世欲が強いし、上からの命令にも従順だ』
『彼らが水無月市に進撃したら、ろくな結果にならないでしょうね』
ただ多くの物資と人員を消耗して敗北するのが目に見えている。
戸高さんと隅川陸将の共通した意見であり、国防隊には安城陸将のような人が一定数いるということか。
『問題は負けたあとだ。このダメージのせいで、対アンデッド戦で人類はますます不利に追いやられる』
松代の国防隊本部が、これまで苦労して育てた戦力も失ってしまうのだから。
『焦ってもろくなことがないが、時間が経てば経つほど国民の不満は増し、政治家が上層部に戦えと命じてくる。なぜかシビリアンコントロールの方が暴走するという、救いのない話さ』
と、自嘲気味に言う隅川陸将。
戦前、軍部の暴走があの悲惨な戦争を招いた。
それを反省して国防隊のシビリアンコントロールを強化したら、今度は国民と政治家の暴走に国防隊が巻き込まれつつあるという。
なんという皮肉なんだろう。
『もし上から水無月市解放を命じられたら、可能な限り開始時期を延ばしてはみるが……』
『それに失敗したら、犠牲が少ないうちに『勝利の可能性はナシ!』と判断して撤退するしかない。私は左遷されるだろうが、無理に戦い続けて犠牲者を増やすよりはマシだ』
隅川陸将は、統合幕僚長職に未練がないのかな?
そんなことを思っていたら、その表情から読まれてしまったのか。
私に対し意味ありげな表情を浮かべながら言葉を続けた。
『確かに私は次の統合幕僚長候補と言われているが、政治家の御用聞きになんてなりたくないね』
『……はははっ、そうですか……』
周囲から出世頭だと思われていても、本人にその気はないケースか。
私は仕事があれば幸せという生活を送っており、まったく縁のない話だけど。




