第6話「いないはずの光」
部屋を出たあとも、夢見太郎の中の違和感は消えなかった。
何かが欠けている。
はっきりと形はわからないのに、確実に“あったもの”がない。
思い出そうとすると、空白に触れる。
触れた瞬間、頭が鈍く痛む。
それ以上は、進めない。
「……無理に思い出さない方がいい」
隣を歩く早乙女凛花が言う。
「削られたものは、戻らない」
あまりにも淡々としていた。
経験している人間の言い方だった。
「……でも」
太郎は言葉を探す。
「これ、気持ち悪いです」
正直な感覚だった。
自分の中に穴が空いている。
それを自覚しながら生きる感覚。
「慣れるわよ」
早乙女は即答した。
「嫌でもね」
それ以上は、何も言わなかった。
その日の業務は、ほとんど記憶に残っていない。
身体だけが動いていた。
笑顔を作る。
案内をする。
頭の中は、ずっと同じことを考えている。
——何を失った?
夕方。
閉園が近づき、人の流れが少しずつ引いていく。
光が柔らかくなる時間。
だが、太郎の中には一切の余裕がなかった。
「夢見」
不意に呼ばれる。
振り向くと、相沢悠斗が立っていた。
「今日、様子おかしいぞ」
「……そうですか」
「そうですか、じゃない」
少しだけ真面目な顔。
「無理すんなよ」
その一言に、ほんの少しだけ救われる。
普通の会話。
普通の人間。
まだ、ここにいる。
「……相沢さんって」
太郎は、思わず口にする。
「長いんですか、ここ」
「まあな」
軽く頷く。
「それなりに」
少し、迷う。
聞いていいのか。
だが。
「……変なこと、ありませんか」
踏み込んでしまった。
相沢は、一瞬だけ止まった。
ほんの一瞬。
だが確実に。
「……例えば?」
笑っている。
だが、その奥にあるものは違う。
「……その」
言葉を探す。
直接は言えない。
「記憶が、曖昧になるとか」
沈黙。
数秒。
「……疲れてんだよ」
軽く肩を叩かれる。
「この仕事、思ってるより神経使うからな」
それ以上は、踏み込まない。
踏み込ませない。
「……そう、ですよね」
太郎も、それ以上は言わなかった。
だが。
違和感は、消えない。
そのとき。
ふと、視界の端に“何か”が映った。
誰もいないはずの通路の奥。
立入禁止のロープの向こう。
“光”。
柔らかい、淡い光。
まるで。
そこだけ、違う世界のように。
「……あれ」
無意識に、足が動く。
「おい、夢見」
相沢の声が遠くなる。
ロープを越える。
本来なら、絶対に入ってはいけない場所。
だが。
引き寄せられるように、進んでしまう。
通路の奥。
人気のない、薄暗い空間。
そこに。
“それ”はあった。
古びたベンチ。
色褪せた装飾。
そして。
壁に、うっすらと残る“跡”。
何かが、あった痕跡。
看板のような。
だが、名前の部分だけが——
削れている。
「……なんだ、これ」
近づく。
触れた瞬間。
頭の中に、映像が流れ込んできた。
光。
笑い声。
優しい歌。
そして。
白いドレスの少女。
長い髪。
柔らかな笑顔。
誰かに手を振っている。
「……エルナ」
口が、勝手に動いた。
「エルナ……ルミナ……」
名前が、こぼれる。
その瞬間。
視界が大きく揺れた。
耳鳴り。
激しい痛み。
「っ、あああ……!」
頭を抱える。
無理やり、何かを押し込まれるような感覚。
そして同時に——
消される。
今見たものが、
“消されようとしている”。
「やめろ……!」
叫ぶ。
誰に向けてかわからない。
だが。
「……見つけちゃったんだね」
その声で、すべてが止まった。
顔を上げる。
そこにいた。
ミックー・マース。
いつもの笑顔。
だが今は、
はっきりと“邪魔された”空気があった。
「そこは、本当は無い場所なんだ」
静かに言う。
「消したからね」
太郎の呼吸が止まる。
「……今の、誰ですか」
震える声。
ミックーは、少しだけ目を細めた。
「名前、言えたね」
その一言で、確信する。
「エルナ・ルミナ」
ミックーは、否定しなかった。
「昔、いたキャラクターだよ」
あまりにもあっさりと。
「でも」
少しだけ間を置く。
「夢を壊しかけた」
空気が冷える。
「だから、消した」
その言葉は、
あまりにも軽かった。
「……なんで」
太郎の声は震えていた。
「“消す”って、そんな簡単に——」
「簡単じゃないよ」
初めて、少しだけ感情が乗る。
「だから、“完全に”消す」
静かに。
だが、絶対に揺らがない声。
「誰の記憶にも残らないように」
太郎は、理解してしまう。
だから。
“違和感”としてしか残らない。
「……でも、俺は」
「例外だね」
即答だった。
「契約したから」
その言葉で、すべてが繋がる。
契約した者だけが、
“消えたものの痕跡”に触れる。
「……あの子は」
太郎は、必死に言葉を絞り出す。
「何をしたんですか」
ミックーは、少しだけ考えた。
そして。
「“夢じゃないもの”を見せた」
その一言だけだった。
だが。
それが、この場所では致命的だとわかる。
「ここはね」
ミックーが続ける。
「夢であることが、すべてなんだ」
「現実を持ち込むと、壊れる」
「だから——」
「消す」
あまりにも、シンプルなルール。
太郎は、壁の跡を見る。
確かにそこにいた。
エルナ・ルミナ。
だが今は、
“いないことになっている”。
「……それでも」
太郎は、震えながら言う。
「完全には、消えてない」
この場所に、痕跡がある。
自分は、見た。
ミックーは、ほんの少しだけ笑った。
「そうだね」
「だから、困ってる」
その言葉に、
背筋が凍る。
「消え残りは、“バグ”だから」
一歩、近づく。
「修正しないといけない」
その視線が、
太郎に向く。
「君も含めて」
世界が、また一段深く沈んだ。




