第2話「声」
翌日。
夢見太郎は、昨日の言葉を引きずったまま出勤していた。
——“本物の笑顔って、なんだと思う?”
あの問いが、頭から離れない。
考えれば考えるほど、自分の笑顔がわからなくなる。
「おい新人、顔死んでるぞ」
横から声が飛んできた。
相沢悠斗だ。
「……そんなにですか」
「そんなに。完全に“楽しくない人の顔”」
軽く笑いながらも、視線は鋭い。
「無理して作ってもバレるって。ここ、そういう場所だからな」
「……難しいですね」
「まあな。でもさ」
悠斗は少しだけ声を落とした。
「“見てる側”も、結構シビアなんだよ」
「見てる側?」
「キャラクターだよ」
一瞬、冗談かと思った。
だが悠斗は真顔だった。
「……何ですか、それ」
「いや、気にすんな。忘れて」
それ以上は言わなかった。
だがその言葉は、妙に引っかかった。
その日の担当は、パレードの裏方だった。
表に出ることはない。
キャラクターの導線管理や、タイミングの調整。
“夢を裏で支える仕事”。
太郎は指示通りに動きながら、キャラクターたちを遠くから見ていた。
完璧な動き。
決められた仕草。
同じタイミングで振られる手。
——すごいな。
純粋に、そう思った。
だが同時に、違和感もあった。
“揃いすぎている”。
人間がやっているにしては、ズレがない。
呼吸すら、合いすぎている。
その中に——
あの存在がいた。
ミックー・マース。
このテーマパークの象徴。
誰よりも、完璧に“夢”を体現するキャラクター。
子どもたちに囲まれ、手を振り、軽やかに動く。
非の打ち所がない。
——これが、プロか。
そう思った、その時。
ミックーが、一瞬だけ動きを止めた。
ほんの一瞬。
誰も気づかないほどの違和感。
だが、太郎にははっきり見えた。
“ズレた”。
そして。
ミックーの顔が、こちらを向いた。
目が合う。
着ぐるみのはずのその目が、
確かに、“意志”を持っていた。
次の瞬間、何事もなかったかのように動き出す。
完璧な笑顔に戻る。
——気のせいか?
太郎は首を振った。
そんなはずはない。
疲れているだけだ。
パレードが終わり、片付けが始まる。
太郎は指示を受けて、控え室の奥へ向かった。
普段は入らないエリア。
キャラクター専用の通路。
静かだった。
人の気配がない。
だが、奥からかすかに音がする。
——誰かいる?
太郎は足を進めた。
一歩。
また一歩。
そして、角を曲がった瞬間。
見てしまった。
ミックー・マースが、そこにいた。
誰もいない通路の真ん中で、立っている。
背を向けたまま。
動かない。
太郎は、声をかけるべきか迷った。
「あの……」
その瞬間。
ミックーの肩が、わずかに揺れた。
そして、ゆっくりと振り返る。
顔は、いつもの笑顔のまま。
だが。
何かが違う。
——軽くない。
その笑顔には、“重さ”があった。
次の瞬間。
「……見たね」
声が、聞こえた。
低く。
はっきりと。
着ぐるみの中からではない。
直接、頭に響くような声。
太郎の体が固まる。
「え……?」
理解が追いつかない。
だが、確かに。
ミックーが、喋っている。
「新人だね」
ゆっくりと、一歩近づいてくる。
足音が、妙に重い。
「名前は?」
太郎は、反射的に答えていた。
「……ゆ、夢見太郎です」
ミックーは、数秒黙った。
そのまま、じっと見つめてくる。
笑顔のまま。
だが、笑っていない。
「夢見、ね」
その言葉に、何かが含まれていた。
「いい名前だ」
一歩、さらに近づく。
「ここに来る人間は、だいたい二種類だ」
静かな声。
だが、逃げ場を与えない圧がある。
「夢を見る側と」
もう一歩。
「夢を壊さないために、壊れる側」
太郎は、後ずさる。
足が震えている。
「……な、何なんですか……」
やっと絞り出した声。
ミックーは、ほんの少しだけ首を傾げた。
「まだ、知らないんだね」
その声は、どこか優しかった。
だが次の瞬間。
“笑顔が、消えた”。
ぴたりと。
完全に。
表情が、無になった。
空気が変わる。
温度が下がる。
「じゃあ」
静かに言う。
「選べるうちに、選んだ方がいい」
再び、笑顔が貼り付く。
完璧な、あの顔。
「知らないままでいるか」
一歩、距離を詰める。
「知って、戻れなくなるか」
太郎は、言葉を失った。
心臓の音だけが、やけに大きく響く。
「……どうして、俺に」
震える声で問う。
ミックーは、少しだけ間を置いた。
「目が合ったからだよ」
あまりにも、あっさりとした理由。
「君は、“気づく側”だ」
その言葉が、やけに重くのしかかる。
そして。
ミックーは、太郎の横を通り過ぎた。
「……また会おう、夢見太郎」
そのまま、奥の闇へ消えていく。
足音だけが、しばらく残った。
太郎は、その場に立ち尽くしていた。
何も理解できない。
だが、一つだけ確かなことがある。
ここは、ただのテーマパークじゃない。
夢を見せる場所でもあるが、
同時に——
何かを隠している場所だ。
そして自分は、
それに触れてしまった。
知らなければよかったのかもしれない。
だが。
もう遅い。
“声”を聞いてしまったから。
夢の中に、
現実が混ざり始めている。




