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42.意外な訪問者、過去との決別

 ようやく自分の部屋に戻ってきた私は、ソファーに倒れ込み、体を丸めた。


 なんだか、起きられそうにないわ……。


 深く息をつく。ここまで体が重いのは、転送魔法のせいでも、王城に出向いて緊張したからでもない。


 ノックの後、ドアが開く。リーネが入って来て私の前に立ったので、ゆるゆると身を起こした。やはり、輝く瞳がそこにある。


 衝撃に備え、私は唇を結んで身構えた。


「奥様、お食事はどうされますか?」


 やっぱり!! また顔に熱が集まり、思わず耳を覆った私。


「リーネお願い、奥様はやめて……!! 恥ずかしいの!!」


「ええー。だって奥様になられたんでしょう……!?」


 リーネは背中を丸めて小さくなった私を見て、本当に嬉しそうにころころと笑った。


 ◆


 少し前。


 王城から、子爵邸の儀式用の部屋へ帰った私とエルンスト様を、使用人の皆様が総出で出迎えてくれた。ドアの前にきちっと整列している様子に、ただ事ではないと身構える私。


 全員が神妙な面持ちから一気に破顔する。


「奥様! おかえりなさいませ!」


「ひゃあああ!?」


 びっくりして腰が抜け、倒れそうになったところをエルンスト様が素早く支えてくださった。


 心臓が、破れてしまいそうなくらい大きく騒いでいる。


「ああ。どうなることかと思いましたが、ようやくセドリック様がご決断されたのですね」


 アンナが腕を組んで頷くと、隣にいたリーネも笑顔を弾けさせた。


「私、ずっと奥様って呼びたかったんですっ……!!」


 そんなことを思っていたのね。その少し後ろに立ったクララは、エプロンの裾で涙をしきりに拭っていた。


「お嬢様……いえ、奥様。よかった……ほんとうに、ほんとうにおめでとうございます……」


「あ、ありがとう……」


 私も本当に嬉しいけれど、この状況には恥ずかしさがちょっと勝っている。


「いやあ、おめでとうございます。とうとう結婚式の料理が作れるんですねえ……おれの右手が早く早くと疼いてますよ」


 ジェリーはぽきぽきと指を鳴らしながら笑った。瞳の奥がめらめらと炎が燃えている……ように見えた。


「あっ、あのう……みなさんどうして知ってるんです?」


 私が倒れないように支えてくださっているエルンスト様が、イタズラっぽく微笑んだ。


「ああ。こんなに喜ばしいことはありませんからね。きちんと出迎えるようにと、通信魔法で皆に知らせたのです」


 本当に、抜かりのない方だ。


 ◆


 翌日。私は朝日を浴びながら、いつものように庭いじりに精を出していた。


 ひとりで水をやって、花がらや枯れ葉を取ってまわる。一通り終えると、空になったジョウロを持ったまま、まだ何もない一角を眺めていた。


「あら奥様。こんなところでどうされたのですか?」


 空になった洗濯カゴを抱えたアンナが近づいてきた。リーネも一緒だ。


「ここにセドリック様のお好きな花を植えたらいいのでは、と思って」


 私が言うと、アンナは邸の二階を見上げた。


「ああ、執務室の窓からよく見えますものね。喜ばれますよ、きっと。セドリック様が戻られたら相談されてみては?」


「そうね、そうするわ」


「早く元気になって帰ってきて欲しいですよね……あ、奥様。ほっぺとお尻に土がついてますよ」


 リーネに指摘されて、恥ずかしくなる。どうやら、花を触るのに夢中になりすぎたらしい。


「あとでお召し物を変えましょう。お顔を洗う準備もしておきます。お部屋でお待ちくださいね」


「ありがとう、よろしくね」


 メイドたちが邸に入っていくのを見送って、私も後に続こうとした時、


「こんにちは」


 聞き慣れない声。優しげでなめらかな中低音だ。


 振り返って、帽子を傾けてお相手の顔を見て……そのあまりの美しさに驚いた。


 セドリック様より背丈は低いけれど、すらりとして均整のとれた体格。輝く金の長髪を後ろでひとつに束ね、瞳は朝焼けの空を思わせる、明るい青紫色。見るからに上等な服に身を包み、品よく微笑んでいる。


 高貴な身分の方なのは明らかだ。セドリック様のお客様かしら? 私はは慌ててスカートの土を払い、訪問者に一礼する。


「ええと、セドリック様……旦那様? しゅじん? は留守にしておりまして」


 配偶者のことをなんと呼べばいいのか迷った私に、男性はにこやかな表情を崩さないまま答える。


「……知ってるよ。僕は君、ルシア・ノイマンに用事があって来たんだ」


 フルネームを呼ばれ、また少し顔が熱くなる。私はセドリック様の妻になったというのを改めて思い知らされる。ついぼんやりしてしまった私を、男性は不思議そうに見ているのに気がついてハッとする。


「私に……? えっと……」


 首を傾げたところで、エルンスト様の悲鳴のような声が響く。


「エリオット殿下!!」


「え?」


「ああ、ハルトマン卿。君も元気そうでなにより」


 顔色を変えて走って来たエルンスト様に、鷹揚に手を振った男性。私からも血の気が引いた。その正体に、気がついてしまったからだ。


「エリオット……って……? まさか……」


「あはは、その『まさか』かな?」


 やっぱり王太子殿下だ!! 社交界にちゃんとデビューしていないせいでお顔を知る機会がなかったとはいえ……大慌てで跪く。


「ごごごごご、ご無礼をお許しください!!」


 しかし殿下は、なんの躊躇もなく膝を折って私に目線を合わせられた。


「あー、やめてやめて。今はそういう堅苦しいのは……今日はセドリックの友人として、可愛いお嫁さんと話をしたくて来たんだから」


 逃げるように部屋に戻り、身なりを整え直している間も目がぐるぐる回り、冷や汗が止まらない。


 確かにセドリック様は国王陛下の信任厚い、といった話は知っていたけれど……まさか王太子殿下と『お友達』だったなんて……とんでもない方の妻になってしまったわ。


 急いで準備を終えて応接室に入ると、殿下はエルンスト様とお話をされていた。


「大変お待たせいたしました」


 エルンスト様が私に席を譲ってくださったので着席する。王太子殿下が微笑む。


「大丈夫。きちんと連絡もせずに押しかけたこっちが悪いんだから。公務が詰まっててね、ギリギリまで予定を調整してたから」


 殿下とセドリック様とは魔術学院時代の同級生で、卒業後は魔獣対策部隊で主に前線に立っていたのだと語ってくださった。柔和でどこか女性的な見た目に似合わないご経歴の持ち主らしい。


 従者もつけずにふらりと現れた王太子殿下に、メイドたちは明らかに緊張している。


 しかし殿下はすっかりくつろいでいるようで、毒見役もいないのに何の躊躇もなくお茶に口をつけて目を細めた。そして、セドリック様の容体について説明を始めた。


「魔石の影響が心配だったけど、もう心配いらないとのことだ。まだ少し眠そうだけど、ずいぶん良くなってる。おまけに魔力の枯渇体質も少しだけど改善されたっていうんだよ。もう治らない、悪くなるだけだと言われていたのにだよ。ねえ君、いったいどんな魔法を使ったの?」


 殿下は前のめりになり、興味津々といった感じに目を輝かせた。


「わ、私はこの通り髪が灰色なので、魔法は使えないのですが……」


 しかし、殿下はなぜか納得したように頷いた。


「うーん、魔法ではないが、魔法には違いない……って感じなんだろうだなあ。互いに深く想い合っていたからこその……いやあ、愛だねえ……」


 揶揄うように言われ、体が一瞬で焼けこげる。


「あのっ!?」


「あはは。とにかく、数日中に帰れるとの見立てだ。とびきりの笑顔で出迎えてやってほしい……ってそんなの、僕がわざわざ言わなくても、だね」


「しっ、知らせてくださってありがとうございます」


 取り乱す私とは裏腹に、殿下は落ち着いた様子で足を組み直した。


「……さて、次はアルヴェン伯爵のことを話したいんだけど」


 そこまでの和やかな空気が一変する。背中に冷たいものを差し込まれたようだった。


 王太子殿下が、近しくもないはずの私の父の話題を持ち出すなんて誰が思うだろう。鼓動が嫌な意味で速くなる。


「今回の王城襲撃には、生贄が必要なほどの大規模な召喚魔法が使われた。そして……そのための生贄として使われるはずだったのはルシア、君だったようだ」


「えっ……」


 殿下はあくまで柔和な表情を崩さないまま、しかし少し声を低くして言った。


「……今回の犯人がね、事件の前に君の身柄を求めて伯爵に接触していたことがわかったんだ」


 血が凍りつく。父が私を買い戻そうとした理由に納得したものの……このことが何を意味するのかは、物知らずの私にもわかる。


 父が王城襲撃に関与したと認められれば……間違いなく厳罰が下ることになる。そうしたら私も、もうここにはいられなくなる……。


 すっかり体温を失った私に、殿下は春の日差しのように笑った。


「あくまで平民である彼が、どんな経緯で君がそれに相応しいことを知ったのかはよくわからないそうだけど……とにかく。セドリックが君を離さなかったおかげで、取引は成立しなかった。伯爵にもいちおう事情は聞いたけど、お金が目当てってだけで何も知らなかったそうだよ」


「そ、そうなのですか」


「正直、目先のお金にしか興味のない伯爵に国をひっくり返そうなんて野心も度胸もないだろう。まあ、人身売買の未遂で……多めの罰金を払ってもらうことになるくらいかな。すでに縁が切れている君にまで影響が及ぶことはないよ」


 胸を撫でおろしたけれど、すぐに複雑な気持ちになる。私の代わりに色付きの子供たちが攫われ、怖い目にあったということだから。魔力を絞り取られてしまった子供達は少しずつ回復していると聞かされても、それでもどんな顔をしていいのかわからない。


「まあ、実はこれすらも前置きで、本当の本題はここから。直接、君の意思を確かめなければならないと思ってね」


「はい」


 殿下は澄んだ声で言う。


「アルヴェン伯爵夫妻を、君を長年虐げていたという罪に問うことができる。これはそこそこ重い罪になる。罰金だけじゃ済まないかも」

 

 私が反応するよりも早く、微かに衣擦れの音がした。クララが身構えたのがわかった。


 私は口の中のものを飲み、手をぎゅっと握った。


 物心ついてから、『魔道具』としてノイマン子爵家に迎えられるまでの長い間、アルヴェン家で受けた仕打ちの数々が頭の中を駆け巡る。


 ……私はセドリック様に言われるまで、それらを灰色だから仕方のないもの、当然のことだと思っていた。


 だけど、そうではなかったと知り……もうなんの懸念もなくなった今になって、体でだけではなく心も深く傷ついていたことを自覚していた。


 暗い部屋にいた日々を思い出すと動悸がして胸が痛み、急に涙が止まらなくなったり、眠れなくなったりするようになった。


 今も、両親の顔を思い出して震えがきている。涙がこぼれそうになる。


「……クララ!」


「ルシアお嬢様!」


 アンナの制止を振り切ったクララが飛び出して来て、私を守るように震える肩に手を添えてくれた。やっぱりクララの手は温かい。


 殿下は割り入ってきたクララに目を向けたけれど、真摯な表情で私をまっすぐに見た。朝焼けの色の瞳が、強く輝いている。


「君は、どうしてほしい?」


 両親をきちんと罰してもらえれば、この暗い気持ちは消えるのかもしれない。


 ……けれど、私の心は決まっている。


 一度下を向いて、こぼれ落ちそうだった涙を拭う。もう私はひとりじゃないし、クララとふたりきりでもない。


「大丈夫よ」クララの手に自分の手を重ねて頷いてから、私は殿下をまっすぐに見つめ返した。


 息を大きく吸う。

 まだ恐怖は拭えないけれど、私は前を向きたいから。


「両親の処罰は望んでいません」


「え、どうして?」


 肩を跳ねさせて目を丸くした殿下に、私は胸の内を全て曝け出す。提案を突っぱねるのは不敬にあたるかもしれないけれど、正直に、全てを。


「私はもう、あの家とは関係のない人間です。今がとても幸せなので、過去のことはどうでもいいのです。これからは新しい家族や、一緒にいてくださる方を大切にして、前を向いて生きていきたい。与えられなかったものは多いですが、自分の力で手に入れていきます」


「へえ……」


「それに、妹たちや弟は、決して私を貶めたりしませんでした。両親を追い詰めればあの子達が苦しむことになります。特に弟はまだ小さいので……ですので……」


 両親に阻まれて、一切の関わりがなかっただけ……とも言えるけど。それでも何もされていないのに変わりはない。あちらが私のことをどう思っていたとしても、血の繋がったきょうだいたちが不幸になることを私は望まない。


 殿下はきょとんとして、しばらく思案するような様子を見せ、そして頷いた。


「……そうか。わかったよ。まあ、君が温情をかけてくれたからということはきっちり伝えておくけどね……じゃなきゃすっきりしないじゃないか。君の両親に一泡吹かせるために必死になって証拠を集めたセドリックも、それを知ってしまった僕も」


 やはり、セドリック様は私を思ってそこまでしてくれていたのか。お気持ちが無駄になるようなことをして申し訳ないと思う。


 だけど私はこれからの日々を、誰も恨まずに笑って生きていきたい。


「……申し訳ありません」


「大丈夫。なんと言うか、セドリックが君に惚れた理由がわかったよ。彼が君に会えてよかったと思う、本当に」


 殿下の優しい微笑みは、まるで朝日のように眩しかった。


「……ってまずい。もう帰らないと! 急な訪問だったのに、丁寧なもてなしをありがとう。ハルトマン卿、悪いんだけど儀式部屋を借りられるかな?」


「はい、ご案内します」


 殿下は隅に控えていたエルンスト様とメイドたちに声をかけると、私に向き直った。


「セドリックと、どうか末長くお幸せにね」


「温かいお心遣いに感謝いたします」


 別に髪の色が変わったわけでも、魔法の力を得たわけでもないけれど、私の心は幸せに満ちている。


 秋の始まりの頃には、想像もしていなかったことだ。


 ひとり応接室に残った私は、向かいの空席をぼうっと眺めていた。


「セドリック様……」


 まもなく帰ってくると分かっていても、寂しい気持ちが膨らむのを抑えられない。


「……早く会いたいわ」


 愛していると伝えたい。少しでも早く、その胸に飛び込みたい。

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