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33.黒と群青の密談Ⅲ

 その日も、魔術師団の助けを借りて邸に戻ったのは深夜といっていい時間だった。あちらに泊まることを選ぶこともできたが、今日は訳あってそうしなかった。


 儀式部屋に現れた俺を、行儀良く背筋を伸ばしたエルが出迎えてくれた。


「お疲れさん」


「ああ。お前も」


 いつも通り軽い言葉を交わし、皆が寝静まってすっかり静かになった廊下をふたりで歩く。特に取り決めていたわけではないが、自然と同じ方向を目指して。


 執務室に入ると、エルが俺の代わりに魔石ランプに灯りを入れてくれた。室内がぼんやりと明るくなった瞬間……俺の目はやつの後頭部に釘付けになった。


「ちょっと待て、お前。髪を縛ってるやつ!!」


「ああ。このリボンか? 昨日、ルシア様からいただいた」


 エルがとんでもないことをなんでもないことのように言ったので、つい頭に血が上る。


「はああああ!?!?」


「バカ!! 痛い!! 引っ張るな!!」


 俺はすかさずヤツの長い尻尾を捕まえ、抵抗する声を無視して髪飾りを凝視した。


 黒地に銀で、蔦のような模様が几帳面に刺してある。さすがに熟練の職人が仕立てたものと比べたら見劣りするかもしれないが。


 美しい紋様だ……俺はその丁寧な仕事に見惚れて、おもわぶ息を呑む。だって、ルシアが俺に歪んだブドウの刺繍……初めての作品をくれたのは、ついこのあいだの話だ。


 こんな短い間に、ここまで上手くなったなんて。もともと筋が良かったのかもしれないが、たくさん努力したんだろう。


 いつもルシアが仕事の時に座っている席を見る。そこに一心に針を刺している姿が鮮やかに思い浮かび、胸がじわっと熱くなる。


 価値がないと呪いのように言い聞かされ、理不尽に押さえつけられて育った彼女は、『私には何もない』と涙をこぼしていた。それがどうだ。今や小さいながらも自分で輝き始めているじゃないか。


 ……もし髪が長ければ、俺にも同じものをくれただろうか。俺はエルを解放して、自分の少し長い程度の襟足をやる方なくいじる。


「近頃、ルシア様は邸の人間にこうして刺繍を施した贈り物をされてる。もらったのは俺だけじゃないぞ」


 エルは髪を整えながら呆れ顔をしていた。


「……俺にはあれから何もくれないな……」


「……なんだ? 妬いてるのか……?」


「そういうわけじゃねえよ」


 意地の悪い笑顔はもしかすると激励の意味もあるのだろうが、今の俺には笑ってかわす余裕がなかった。


 ルシアから刺繍をもらうどころか、実家から戻って以来まともに話せてない。


 まあ、俺のせいだけど……足を引きずるようにして執務机に向かう。背もたれに身を預けると、椅子が微かに軋む音を上げた。


 鉛のように体が重ちいのは、単なる疲れからか、魔力が切れそうだからか。額の裏側くらいでいろんな思考が渦を巻いているからか。


 とりあえず、魔力を補ってやらねばならない。


「悪い、吸っていいか」


「どうぞ」


 エルが頷いたので、俺は魔石クズを小瓶から出して、水晶のパイプに詰める。火の代わりに魔力をほんの少しだけ流すと、魔石クズはパチパチと音を立て、柔らかい光を放ちはじめた。俺はそこから放出される魔力を胸の中まで入れる。


 パイプを咥えて深い呼吸を繰り返すたびに、じわじわと体に魔力が溶けていく。


 魔石由来の魔力は強すぎて一度に多く取り込めない。やりすぎると魔力核……魂とほぼ同義だが……が拒否反応を起こし、最悪は死に至るという。


 最低限必要な魔力は補給できるが、気持ちが悪い。泥水を飲まされているみたいだ。ついでに腹の古傷も痛む。別に耐え難いほどの苦しみでもないが、憂鬱になる。


 こうも気分が悪いと、どうしても求めてしまう。


 彼女の魔力を吸ってもなんの違和感もなく、まるで澄んだ水のようにするすると体に馴染む。簡単に、ひとつの苦しみもなく、全盛期を遥かに超える出力が叶って心が弾んだ。彼女はまるで自分のために誂えられたようだと思った。


 だから、生涯大切にしようと思って、彼女にもそう言った。とても軽い気持ちで。


 彼女の気持ちなど、何も考えずに。


 ……今日、王都に住む信頼できる人に彼女の今後を任せられることになった。彼女の心残りについても、少しでも和らげてやれるまであと少しだ。全て終わったら手を離す。そうしたら。


 ……自由になった君は、どこで生きることを望むだろう。


 ルシアの笑顔を思い出すと、ひとかけらの希望が消えない。もしかしたら、俺のそばがいいと言ってくれるのではないかと。


 そんな甘い考えを、首を振って追い出す。


 いや、誰が自分を道具呼ばわりした人間と一緒にいたいものか。離れる選択肢があるのなら、そっちを選ぶに決まっている。


 彼女の幸せのためなら、選ばれなくても構わない。もう腹を括れていたと思っていたのに、準備が整っていくにつれて、みっともなく揺れている。


 もう何もいらないから、ただ抱きしめてほしいと。


 魔力をもらえないと困るからじゃない。魔術師でいることを諦めなければならないかもしれないことよりも、ずっと耐え難いものがある。


 ……寂しい。ただただ君の香りと温もりが恋しい。


 彼女がいなくなったあと、俺はどうやって生きていけばいいんだろう。


 深いため息と共に、吸い終わったパイプを静かに置く。魔力が抜けた魔石クズが、白い灰になっている。


 黙って俺を見守っていたエルが咳払いをした。


「……疲れてるところ悪いが、報告させてもらうぞ」


 気持ちを仕切り直すために眉間を揉んで、前を向く。


「ごめん、頼む」


 エルは淡々と話し始めた。


「自警団に協力を仰いで改めて領内を調査したが、色付きの子供はひとりもいない……ということで」


「まあ、そういうことなら、上に報告はいらないな」


 エルの口ぶりから、いたんだろうなと察する。だが、今はそれ以上は触れない。密かに守りを固めるにとどめておこう。


 結局、被害者がいわゆる色付きの人間であることから、人攫い事件の捜査まで魔術師団が担当することになった。


 攫われたのは子供ばかりで、わかっているだけで六名。ここ数日は目立った動きがない。ついでに手がかりもない。探索魔法にも、検問にも引っかからない。正直、お手上げ状態だ。


 しかし、大きな儀式魔法の生贄にされる可能性もある以上、手をこまねいているわけにもいかない。そんなわけで……とにかく人手が足りないからと、田舎に引っ込んでいる俺まで駆り出されているというわけだ。


 その間、邸で俺のやるべきことを全て肩代わりしてくれているエルの顔にも、微かに疲れが滲んでいる。


「ほんと、苦労かけて悪いな」


「別に。俺はお前にこき使われるためについてきたんだ。まあ昔から、きつい仕事には慣れているしな」


 冗談めかした口調が、かえって頼もしかった。


 ……ちなみに、『色付き』の子供がどうなるか。


 まずは、該当者を見つけたら、領主には国に報告する義務がある。その中でも健康状態に問題のない者は魔術師候補として、十二歳になる年の春に魔術学院に強制的に入れられることになる。


 魔法を学び極めた者に与えられる魔術師の称号は、開国の祖と同じとあって名誉あるものとされる。


 平民の身分から、立身出世を目指せる……と言えば聞こえはいいのだが。 平民が学院に入ったところで待っているのは、理不尽な世界だ。


 貴族からの熾烈な差別、読み書きもままならない状態で始まる専門教育。それでも歯を食いばって食らいつき、卒業できれば安泰かと言えば、そうでもない。


 平民出身の魔術師を受け入れる場所は少なく、結局は危険な任務……暗黒地帯の調査や魔獣対策部隊に回されることが多い。


 国の安全を守るために絶対必要な仕事だが、地味危険キツい汚いの四重苦、殉職者もたまに出る。そんな過酷な現場は、平民出身の者と、俺のような物好きに支えられている。


 しかし、貴族は当然のように魔法を使うが、全員が厳しい魔法の訓練を受けて魔術師になるわけじゃない。嗜みとして家庭教師に教わるくらいだ。魔法を使わない自由もある。


 それなのに、素質を持った平民には当然のように苦労を押し付けようとするなんて変な話だとは誰も思わない。


 平民には手の届かない地位を約束されるので、それが建前とされる。だが、家族や友人とも離れ、まるっきり生き方を変えなければならない。だから本人がその道を望んだとき……そこで初めて動き出すべきだと考えている。


 もちろん、その場合もただ報告して終わりというわけではなく、きちんと自分が後ろ盾になると約束してから……。


 まるで針を飲んだように、喉の奥がちくりと痛む。


 ……色付きの子に対しては、自然とこんなふうに考えられたのになあ。


 ルシアには、どうだった?


 とたんに口の中が苦くなる。別にパイプのせいではない。舌が痺れているのは、罪悪感のせいだ。


「……魔獣が出現した件についてはどうだったんだ?」


 意識を目の前のエルに戻す。エルもかつては俺と同じ……魔獣対策部隊に所属していたから、魔獣事件の動向は気になるのだろう。


 俺は書類を取り出しながら答えた。


「やはり迷い込みではなく、誰かが意図的に召喚していると判断した。先日の飛竜との関連も疑われていたが、こっちはタチの悪いイタズラと結論されそうだ」


「イタズラ……なあ」


 机の上に並べた書類の上に魔力を流すと、中に刻まれていた魔獣の姿が映し出された。報告されているのは小型低級のものが数種類。どれも危険性の高くないものばかりだ。


 次に王都の地図。魔獣の出現箇所に印がしてある。特に法則性はなく、ひと気のない路地から、常に賑わう広場までさまざまだ。強いて言うなら、どれも白昼堂々という時間帯であることくらいか。


 ……法律で固く禁じられているとはいえ、犬猫くらいの大きさのものを喚ぶのはそんなに難しい魔法ではない。


「どこかのイタズラ好きな御令息が、覚えたての召喚魔法を試した……程度のことなのではないかと。その線で捜査されそうだ」


 エルは納得いかないといった顔をしている。だが実は、少年の時の俺も図鑑で見た魔獣を実際に見たいと思い、やらかしかけたことがある。ちなみにその時は父と家庭教師にどやされ、罰として庭の柿の木に括り付けられた。まあ、いわゆる黒歴史というやつだ。


「あの日の飛竜もやはり誰かが……まあ、そうだよな、誰かが暗黒地帯から直接喚ばなければ、あの大きさのものが王都近くまで飛んでくることはない」


 エルは小さく唸ってから腕を組む。まさにその通りで、魔獣対策部隊が見逃すわけがない。


「直接関係あるかはわからないが、ひとつ嫌な情報が出てきた」


「何だ?」


 訝しげな銀の目線を受け止めて、俺は続ける。


「暗黒地帯の奥地での調査任務にあたっていた魔術師がひとり、その前日に連絡が取れたのを最後に消えてるらしい」


「……は、なんで今さらそんな話が出てくるんだ」


 エルが珍しく狼狽えたのも仕方ない。ルシアがこの邸に来てから……つまり、飛竜が出現してからもうすぐ二ヶ月。その間、魔術師がひとり消えたのをずっと放置していたわけだ。


「ほんと、なんで今さら……だが、まあ、そんなもんだろ」


 俺の言わんとすることを感じたのだろう。エルが息を呑んだのがわかった。


 消えた場所が危険な場所ゆえ、事実の確認に時間がかかっていたらしいのもあるが……色付きの人間は、同じ魔術師でありながらも軽く扱われる。危険なところに容赦なく放り込まれ、いなくなってもそこまで気にされない。


 今回も、そうだったということ。


「……まさか犯人は、その消えた魔術師だと?」


「そこまでは。だが、偶然にしては、とは思っている」


 執務室に、飲み込みきれないほどの沈黙が落ちた。


 ◆


 エルへの報告を終えたあと。いちおう寝支度だけは整えたが、俺は自室の机に向かっていた。明日までに必要な書類や手紙の準備のためだ。あまりにも量が多いので、おそらく今夜は眠れないだろう。


 ランプの灯りを頼りに、慎重にペンを走らせていく。


 明日は久々の休暇だが、私用で王都に出向くことになっている。日の出とともに馬車で発ち、用事とついでに仕事も済ませ、翌々日に戻ってくる予定だ。


 やがて空が白みかけた頃、ようやく全て書き終えて、俺は息をついた。


「よし……」


 それから身支度を整え、ルシアの部屋の前に立った。申し訳ないと思いながら、ドアに手をかける。息と足音を殺し、眠る彼女のそばにそっと近づいた。男として感心できない行いなのは承知だが、出かける前に一目だけでも会いたかった。


 薄暗い部屋の中で目を凝らす。机の上には刺しかけの刺繍が置いてある。今度は誰に贈るものだろうか。


 振り返ると、ベッドの中の彼女は静かに寝息を立てていた。手を伸ばしても届かない位置から数秒だけ見つめ、部屋を出ようとした時、


「セドリックさま」


 確かに名前を呼ばれ、息が止まった。


「ご、ごめん……」


 全身が冷たくなる中ゆっくりと振り返ったが、彼女の目は閉じられたまま。寝言だったと安心する間もなく、今度は心臓が止まりそうになった。


 彼女の白い頬を、一筋の涙が落ちていくのを見てしまったからだ。


 きっと夢の中でまで俺に縛り付けられて、彼女を苦しめているのだ。早く、手を離さなければ。


 俺は歯を食いしばり、逃げるように部屋を後にした。

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