第10章:神流川の濁流と、青銅の虚像
天正十年(1582年)六月。
織田の将星として関東を差配する滝川一益の陣頭にいた佐野房綱の元に、文字通りの激震が走った。
「本能寺にて、織田信長公、不慮の最期――!」
天下の重しが突如として消え失せ、関東の諸将は一斉に浮き足立った。情報の錯綜は、そのまま領地と一族の崩壊に直結する。房綱は愛馬を止め、懐の帳面を取り出した。
そこには、彼が安土で密かに集めた諸国の兵糧価格と、街道を行き交う荷の動きが克明に記されている。
「信長公という巨星が堕ちた今、日ノ本は『信』を失う。ならば頼るべきは、目に見える『糧』のみ」
房綱は即座に佐野へ使者を飛ばした。命じたのは、領内における独自の「佐野銀(手形)」の通用停止ではない。逆に、その手形を用いて領民から「塩と米」を強烈な勢いで買い上げ、新城・春日岡の蔵に積み上げることであった。
乱世に逆戻りすれば、紙切れや銀よりも、明日を生きるための塩と米の価値が跳ね上がる。
房綱は、南の北条や北の上杉が動く前に、領内の物流の喉元を現物で押さえることで、他国が容易に手出しできないほどの兵糧的安定を、佐野の地に作り出したのである。
しかし、軍事の激流はそれを超える速度で押し寄せた。
「織田は潰れた。関東の主は、本来我ら北条であるはずだ」
小田原の総帥・北条氏政、そして前線の指揮官である武闘派・北条氏照の眼光が鋭く光る。彼らがまず狙いを定めたのは、後ろ盾を失って動揺する滝川一益であった。
北条は五万という圧倒的な大軍を動かし、神流川を挟んで一益の軍を急襲する。
関東戦国史上最大の野戦と呼ばれる「神流川の戦い」の幕開けであった。
この時、唐沢山城主・佐野宗綱は迷わなかった。
一益からの救援要請に応じ、すぐさま兵を率いて上野国の和田(現在の高崎市)へと出陣した。
「ここで一益殿を見捨てれば、次は我が佐野が北条の巨大な顎に呑まれるだけだ!」
宗綱は天明の技術が生んだ鉄砲隊を配備し、押し寄せる北条軍と激しく交戦した。
しかし、関東平野を埋め尽くさんとする北条の圧倒的な物量の前に織田軍は崩壊。一益は命からがら伊勢へと敗走してしまう。
戦場に残されたのは、佐野が北条に明確に牙を剥いたという「叛逆の事実」だけであった。
北条氏照の冷徹な視線が、上野から東へ、佐野の地へと注がれる。
「織田に媚び、我らに弓引いた唐沢の下野の虎どもを、生かしてはおかぬ」
数万の北条軍が、唐沢山城を目指して地鳴りを立てて進軍を始めた。対する宗綱の手元にある兵はわずか。
そこで宗綱は、かつて父や弟と共に星を観測するために磨き抜いた「青銅の鏡」を数百枚、唐沢山の山道の要所に配置した。
夕刻、西日が強く差し込む時間――。
反射した強烈な光が大気の揺らぎと重なり、麓を進む北条軍の目には、あたかも数千の鉄砲隊が整然と火縄に火を灯しているかのような「無数の不気味な光の点」として映し出された。
「戦わずして、相手の進軍を『迷い』という名の澱みに追い込む。これが我が防衛の算段よ」
北条軍の先鋒は、この異様な光景に呪術的な恐怖を感じ、二日間の足止めを余儀なくされた。
しかし、それも所詮は小手先の時間稼ぎ。巨大な北条という大質量を前に、佐野家は次第に翻弄されていくこととなる。




