第44話 ロレーヌ領の宿
「さあ、皆さん! 今日はこちらで一泊しますよ! もうすぐロレーヌ領は出ちゃいますからね」
私が言うと、みんなやれやれといった具合に外へと向かった。移動するクラスメイト達を何気なく眺めていると、ギオマー様が声をかけてきた。
「すまんな。こんな大人数で押しかけてしまって。俺が言うのもなんだが、許可をもらうときもめただろう? この宿も、かなり高級そうだし、申し訳ないな」
「いえ。この宿はエレオノーラ様からおすすめされた場所ですし、宿代は学園長が出してくれるというので思い切って予約してみたんです。それに、うちは一応観光地ですし、貴族を迎える土台はあるんですよ。それよりも、高位貴族の皆さんこそ、全員許可がもらえるとは思いませんでした」
私が返事をすると、ギオマー様は顔を曇らせた。
「ああ。まあうちは放任だからな。ビューロウに行くと報告すると、特に何の反発もなく認められたよ。南と東というのにな」
いつもとは違う暗い顔に、私は眉をひそめた。
「放任主義はいつものことさ。うちの親父はいつもむっつりしたままであんまり答えてくれんからな。秘術だって、俺にはまだ・・・」
「ギオマー! 今日の宿、すんごいらしいですよ! なんでも、巫女様も泊まったことがあるとか! 巫女様が滞在された部屋、見学できないかしら!」
ギオマー様が何か語ろうとしたところで、メリッサ様が急に呼びかけてきた。
「妹様! 妹様はご存じありませんか? 巫女様がどの部屋に泊まったか! 今なら見学させていただけるかもしれません! 何とか聞き出せないかしら? お金ならあるんです!」
「い、いえ。さすがにラーレお姉様がどこの部屋に泊まったかまでは・・・」
苦笑する私を気にも留めず、メリッサ様は楽しそうにはしゃぎまわっている。
「よし! 宿の人なら何か知ってるかもしれません! 突撃、あるのみです!」
メリッサ様は指を突き出すと、宿のほうへと走ろうとする。ギオマー様はやれやれといった具合に動こうとした。
「あ、ギオマー!」
急に呼び止められて、ギオマー様は怪訝な顔になった。
「おじさまは、決してギオマーのことを気にしていないわけじゃないよ。あの人はすごく口下手なだけで、家族のことをちゃんと気にかけている。この旅のことも、秘術のことも何か理由があると思うし」
ギオマー様は驚いた顔でメリッサ様の顔を見つめていた。
「さあギオマー! 早く早く! 店員さん、巫女様のこと忘れちゃうかもしれないから!」
走り去っていくメリッサ様を、ギオマー様は少しだけ呆然と見た。そして一息つくと、彼女を追いかけていった。何ともいえない2人の姿に、私はしばしあっけにとられて見送ってしまった。
「秘術、か。まさかギオマー様もまだ身に着けていないとはな」
ぎょっとして振り向くと、そこにいたのはアーダ様だった。アーダ様は私の視線に気づくと慌てて説明してくれた。
「いや、私もそうなんだ。カーキ―家には土魔法に関する秘術があるはずだが、私には教えられなかった。資質で弟に劣っているのは分かり切ったことだしな。私も努力はしたんだが、両親からはついぞ・・・」
アーダ様の声が小さくなっていく。
「ま、まあ貴族家にはいろいろありますよね。秘術が使えない貴族だって珍しくはないですし。失伝しちゃった家も、少なくないわけですから」
「う、うん」
一応返事はしてくれたけど、アーダ様は落ち込んだままだった。
私は思い切って、ビューロウの秘密を打ち明けることにした。
「ビューロウは身体強化の宗家だけあって、他にはない秘術が備わっています。でも、知っていますか? おじいさまは当主ですが、秘術を使いこなせるとまではいかないんですよ。お姉さまと比べると全然なんです」
アーダ様は驚いた様子だった。まさか魔法使いとして有名なおじいさまが秘術を使いこなすことができないとは思いもしなかったのだろう。
「でも、家中でおじいさまが侮られたことなどありません。それはたぶん、きちんと結果を出しているからだと思います。領地経営にしたって戦闘にしたって、誰にも負けない実績を残しているんですから」
私は誇らしくなって胸を張った。
「確かに、貴族にとって秘術は大切なものです。でも、私たち貴族にはそれ以上に大切なことがある。領民を豊かにして、その安全を守ることです。それさえできていれば、胸を張っていいと思いますよ。まあ、それが本当に難しいんですけどね」
アーダ様は驚いて、手を口に当てていた。
「私は知っています。まだ短い付き合いかもしれないけど、アーダ様は必死でできることをしているんだって。精いっぱい努力してること、私は分かっているつもりですから。きっと、頑張っていれば他のみんなも分かってくれます」
私は微笑んでアーダ様の緑の目を見つめた。
「それでもわかってくれる人がいなかったら・・・。そうですね。逃げちゃえばいいと思います。アーダ様の頑張りを認めてくれない人たちなんて、一緒にいても疲れちゃうだけですから。何だったら私のところに来たらいいんです。アーダ様なら、ビューロウはいつでも歓迎しますよ」
アーダ様は泣きそうな顔になった。私はそれに気づかないふりをしながら微笑みかけた。
「さあ。私たちも行きましょうか。あんまり待たせちゃうと、メリッサ様がまた暴走しちゃいますからね。ギオマー様がいるとはいえ、宿の人に迷惑かけちゃうかもしれません。急いで追いかけないと」
私は、アーダ様の手を引いて走り出したのだった。
※ エリザベート視点
「甘い、と思うかい? 確かに生き馬の目を射抜くような貴族社会では彼女の言葉は優しすぎるよね。でも、僕もエーファもそんな彼女が大好きなのさ。あの純粋さを壊そうとする奴を、消してもいいと思うほどね」
カトリンのほうを振り返った。茶化したように言う口調とは裏腹に、彼女の目は真剣身を帯びていた。
「私が考えていたのは別のことよ。やっぱりアーダはあれね。自己評価が低すぎる。それをうまくカバーできるのがアメリーなんでしょうけど。最近では、ハイリ―やメリッサまでもがアーダを気にかけているようだし」
面白がるようにこちらを観察してきたカトリンと目が合った。
「上位クラスの生徒でも発現できなかったバフューゼ・ギフトを、水魔法のレベルが2しかないのにあっさりと発動させるなんて、はっきり言ってかなり脅威よ。努力と才能の両方を持った者しかなしえない」
私は髪をいじりながら言葉を発し続けた。
「悪いけど、あの日アメリーがアーダを指名しなかったら私が引き抜いていた。貴女よりも優先したでしょうね。それをする前にアーダを取り込んだのはさすがビューロウの、といったところかしら」
カトリンは「だろうね」と低く笑った。やはり情報収集に長けたボートカンプ家の令嬢だけあって、この辺りは予想通りということか。
「さて。僕らも行こうか。この宿、結構有名なんだよね。何でもあのロレーヌ家の令嬢もひいきにしているとかでさ。あんまりギオマーたちを待たせるわけにはいかないからね」
そういって宿に向かうカトリンの背を私はゆっくりと追いかけていった。
「そうね。アーダを見ていればわかる。素質なんてただの一つの要素でしかない。大事なのは、その人に何ができるかってことよ。その意味で、私はアメリーにもアーダにも及ばない。だからあの地で、強くなるためのヒントを得ないと」
つぶやくと、そっとカトリンの背を睨んだ。
彼女が、何かしたわけではない。でも、カトリンにもアメリーにもアーダにも。だれにも負けない強さがある。私はそれがうらやましく、そしてちょっとだけ妬ましかった。
「今のままではだれも救えない。だれにも負けない、私だけの強さを身につけなければ、あの子を助けるなんてできるはずはないのよ」
つぶやく私に答える者はいない。
それでも、いやだからこそ。私は強くなるためのヒントを、必ずここで得なければならない。
私に残された時間は、きっと多くないのだから。




