鈴の欠片
それは小さな約束
「私は、この沼嫌いじゃないんだけどなぁ……」
木々に囲まれていて、確かに少し不気味なんだけれど。
怖いものが苦手な私には珍しく、そこは居心地の良い場所だった。
なんとなく澄んだ空気が流れている気がして。
泳ぐ鯉を眺めながら、皆が怖いから近付きたくないなんて言うその沼を眺めていた。
沼に化け物が居るなんて噂を耳にして、そんな化け物なんて居ないって信じたくて。
「あれ、珍しいね。こんな汚い沼眺めてる人なんて」
ボーッと、そんな風に眺めていたら
一人のお姉さんが、声をかけてきた。
「もしかして、沼地の化け物を捕まえてやろうなんて考えてたり?」
私の隣にしゃがみ込み、少しイタズラな笑みでそんな事を訊ねられる。
「そんな怖い存在は、きっと居ないと思う。それに、言う程汚い沼でもないんだよ?」
そう言って私は、指をさす。
指の先には、綺麗に咲く大きな蓮の花。
「本当に汚れた場所には、あんなに綺麗な花は咲かないと思うから」
私の言葉に目を丸くして、お姉さんはクスクスと笑っていた。
「昔はね、ここも沼なんて呼ばれてなかったんだ。街が大きくなって、人が移動して。気付いたら誰も管理なんてしなくなって、誰かがゴミを捨てたりして。そうやって汚れて行った」
少し悲しそうに、お姉さんは話をしてくれた。
昔はこっちの方にも家があった事。
この沼は、その頃にはその家の人達の生活に使われていた事。
街が大きくなるに連れて、住んでいた人達も駅の近くへと引っ越してしまった事。
そうやって人が居なくなると、今度は悪い人がゴミを不法投棄するようになって……
そして今になってしまった事。
「でも、ゴミなんて見当たらないよ?」
枯れ葉や枯れ草なんかはあるけれど、大きなゴミは見たことが無い。
「うん。私が全部掃除した。私に出来る事なんて、それくらいだから」
私の疑問に、お姉さんが答えてくれた。
「お姉さんは、この沼を大切にしてるんだね」
きっと、怖くない理由はそれなんだと。
なんとなくそんな事を思いながら、お姉さんに笑いかける。
そうすると、お姉さんは一つ古い言い伝えがあると言って、その言い伝えを話してくれた。
昔、離れ離れになる姉妹が、毎年この季節。
この池でまた会おうと約束をした。
でも、何年経っても、妹が姿を見せる事は無かった。
……妹は、姉と別れた数ヶ月後、足に大きな怪我をしてしまい、動く事なんて出来なくなってしまっていた。
そんな事を知らない姉は、何年も待ち続けた。待ち続けて、待ち続けて……そのまま最期まで、妹とは出会う事なく亡くなった。
そして、姉が亡くなった頃に妹の娘が大きくなり、その話を知る事になった。
今度は妹の娘がまだ見ぬ母の姉を待ち続けた。
そうやって、何年も何代も繰り返される、すれ違い続ける姉妹のお話。
それはなんだかとても寂しい話で……
でも、そうやって何代も続く程に、いつか会いたいと願う二人の想いは温かくて。
お姉さんがこの沼を一人でも手入れしてる理由。
言い伝えを守るだけって訳でも無い気がして……
「お姉さんは、もしかして……」
「珍しく人が居るから、もしかして。なんてちょっと期待しちゃったけど、今年もすれ違いだね」
私の言葉を遮るように、お姉さんは少し照れ臭そうに笑っていた。
やっぱり。と、納得してしまう言い方。
「相手に言い伝えが伝わってない可能性だって、もしかしたらそんな約束忘れてる可能性だってあるけど。それでも、待ち続けてみるんだ。この足が動く限り」
温かい想いなのに、まるで呪いみたいな、悲しい話。
もしも私がリーノやヴャクトお姉ちゃんと離れ離れになる事があったら。
そのお話を私達に置き換えたら。
きっと私達もこうやって何年も、何代も繰り返す気がした。
相手が忘れてるなんて事は、きっと無い筈だから。
忘れていても、きっと何処かでその記憶は残っている筈だから。
「何も出来ないけれど、私もその言い伝え、広めるね」
何処にいるかもわからない相手。探すのも見つけるのも難しいから、私に出来るのは
そんなお話があると残していく事だけな気がした。
広まれば、いつかきっと出会える日が来ると思って。
「優しいね。でも、長い想いは呪いに変わるから、広めなくていいんだ」
お姉さんは、私の言葉に首を振って。
そんな悲しい事を言って立ち上がる。
「もしも呪いに変わった時、この沼は本当の意味で終わるから。キミも、あまり近付かないように……ね」
お姉さんのそんな悲しい言葉で、沼地の化け物の正体を、理解してしまう。
それは、長い想いを重ねてしまった結果。
たった一人をずっと待ち続けてしまった結果。
それがどれ程までに強い想いを残すか知っているから……
その想いが叶わなかった時、どんな想いが残るかを理解しているから。
無関係な人を巻き込まない為に、お姉さんが作り出した化け物。
それが沼地の化け物。
「私も、きっと長くは待てないと思う……だから」
「その時は、私がその残った呪いを消すから。そんなに思い詰めないで……」
偶然知ってしまった。偶然出会ってしまった。
私は自分の髪飾りに触れて。
これも縁なのだと、そう思って。
「私にもお姉ちゃんと妹がいるから、待ち続けちゃうその気持ち、なんとなくわかるの」
小さく、そのお姉さんに笑いかける。
「本当に、キミは優しいね」
クスリと。
それは鈴の音色みたいな微笑みの音。




