沼地の化け物の記憶
その化け物が奪った記憶に翡翠の記憶は混ざっているのか
夏妃の家での件から、数日が経過していた。
戸野の使いが街に目を光らせているお陰なのか、雨宮にアズマの強さが知れ渡ったお陰なのか
はたまた、雨宮が野球の試合に向けて躍起になっているお陰なのか。
雨宮の使いが姿を見せるような事も無く、皆もいつも通りの日常へと戻って行った。
時折、集まれる人数で集まっては野球の練習をするようにはなったが、それ以外は、私もまたいつも通り。
「白よ、これは何か関係があると思うか?」
依頼された仕事の情報を書類に纏めながら、ソファにもたれかかって目を閉じている白に声をかける。
ここ数日で急に増えた迷い猫探しの依頼。
その猫達が最後に目撃されている場所。
一件や二件なら偶然とも取れるが、随分と最後に目撃されている情報に偏りが見られる。
「沼地に、化け物がいるって噂」
元々、白は運動はあまり得意では無いと言っていた。
最近は野球の練習での披露が溜まっているらしく、いつもよりも余計に元気のない声で、そんな言葉を返された。
無理に事務所にまで顔を出さなくても、給料は支払うと言っているのだが……
少しでも力になりたいと、白なりに頑張っているのは言われなくとも見て取れる。
あまり変な事を言うと逆に責任を感じてしまうだろうと思い、私も余計な事は言わないようにしている。
「アズマかラーナにでも聞かされたか? 随分と古い噂だが……」
街の外れにある沼にまつわる噂。
化け物が住んでいるという噂。
だが、そんなのはどの沼や池にでもある、良くある噂話だ。
いくら最後の目撃情報が沼地に近い場所とは言え
まさか、そんな噂と迷い猫が消える話は繋がらないだろう。
「私の学校でもよく流れてるから、新しい噂なのかも」
「ふむ……どちらにせよ、やはり一度直接その沼に行く必要はありそうだな」
まだ高校生の間で、そんな噂が再び流れているとなると、その可能性は高い気がする。
肉食の外来魚が沼に捨てられてしまったのか。大きな蛇でもいるのか。
直接その沼地を見てみなければ、わからない事ばかりだろうと。
私がその提案をするとほぼ同時。
階段を上ってくる足音が響く。
「お客さん……いたた」
筋肉痛で身体が痛いようで、ゆっくりとソファから立ち上がり、白が身なりを整えて呟いた。
コンコンと。扉をノックされ、白がその扉を開く。
「こんにちは。白、ヴャクト。いきなりごめんね。ちょっと相談があるの」
開かれた扉から姿を現したのは夏妃だった。
「今、お茶を出すから。どうぞ」
白に案内されるままに、夏妃がソファに腰掛ける。
私も、先程まで整理していた書類を一度机に置き、対面するソファに腰を掛けた。
「夏妃の相談となると、雨宮が不穏な動きでもしていると言った所かな?」
「いえ、雨宮は今、野球の方で躍起になってるみたいだから。それに、戸野の使いも万が一の為に街中に配置してるから、その心配はしなくても大丈夫よ。ごめんね、本当はそれだけ伝えられたら良かったのだけれど」
どうにも、夏妃絡みの件になると私の勘が鈍るのが少し悔しいが
雨宮の問題は、本当にとりあえずは一安心と言った所のようだ。
「戸野の使いがいつも居てくれるお陰で、視線が気になって仕方無い」
お茶を差し出して、白が少しため息を吐いていた。
どうやら、野球練習だけでなく、そっちの気疲れも少しはあるようだ。
「あはは……そう言わないであげて。白と蒼が一番危ないのは私達も理解しての行動だから。白の見張りの人も、毎回気付かれて落ち込むって嘆いてたわよ」
「お姉さんの所にも張っているのは予想以上と言うか、念には念をと言った所なのかな」
白の言葉に追い打ちをかけて、少しイタズラに笑う。
あの日以降、戸野家は恐らく全員の所に見張りを立てているのだろう。
私も外出すると着いてくる視線を感じてはいた。
「普段、使い達にこういう仕事なんてさせないのもあるけれど、本当に皆、変な所で鋭いのやめてちょうだい……」
珍しく、夏妃が頭を抱えてしまっていた。
「もう……涼子に張らせてる人は喧嘩売られたなんて言うし、アズマに張らせてる人は自分の存在意義を見失い始めてるし、ラーナに張らせてる人なんて、天使が居たなんて訳のわからない事言い出しちゃうし……」
愚痴りだす夏妃。
夏妃からの連絡が遅れていたのは、そう言う見張り達の報告を逐一聞かされていたからなのだと理解する。
確かに、涼子は野性的な勘でそう言う視線に気付くだろうし
アズマは気付かなくても、普段から隙を見せない立ち振る舞いをしている。
ラーナも変な所で勘が鋭いし……
白はそう言う尾行には人一倍鋭い。
恐らく、凛もアズマに習うだけあって、隙は無いだろうし
リーノの鋭さもまた然り。
蒼も、私が想像していた以上に随分と勘の良い子だと言うのは、白から話を受けている。
そんな私達を張るのは骨の折れる作業だろうと。
戸野の使いを少し不憫に思う。
「戸野の使いに足りないのは精神力よ! もうっ!」
真っ当な戸野一族の性格は、使いのモノたちにも現れるのだろう。
遂には机を叩いて夏妃が感情を爆発させてしまっていた。
「あ、あまり振り向かないように気をつけるから……」
白が、そんな夏妃を宥めていた。
「わ、私も、今度お茶でも差し入れしておこう……」
「ラーナに張らせてる人がそれを受けて壊れ始めちゃったから、やめてあげて……皆は今まで通りで構わないの。私達の使いがダメなだけなの……」
今度はガックリと項垂れてしまう夏妃。
「戸野の使いの中でも一番精神的に強い人だったのに、ラーナを張るようになってから、やけにニコニコしだしたと言うか……ラーナ様、素敵っす! とか言い出してちょっと気持ち悪いんだから。アレ」
どうやら、一番の夏妃のダメージはそれらしい。
頼れる存在だった使いが、ラーナを見張っているうちに、どんどん骨を抜かれてしまった事に呆れ返っているようだった。
「えと、相談っていうのは……」
白がその言葉を口にすると、ハッとしたように夏妃が姿勢を正していた。
「ご、ごめん! 相談は全然違う事なの! その、実は会合の時に関係無い話題まで出てきちゃって……二人はこの街の沼地の幽霊の話って知ってる?」
夏妃の言葉に、今度は私と白が目を丸くする。
「まさか、夏妃からもそんな依頼を受ける事になるとはな」
言いながら、夏妃に先程の書類を開いて見せる。
「夏妃の猫も、行方不明に?」
「……猫じゃないの。でも、もしかしたら原因は同じかも知れない」
その書類に軽く目を通して、閉じたあと夏妃は静かに語る。
「最近、うちの一族の一人が、沼の近くで一人の女の子を保護したの。身寄りも無い、記憶もない女の子。両親は? って聞いても、わからないって言われちゃって」
「記憶のない女の子……」
白が、小さく呟く。
なるほど、戸野では片付けずに私達に相談と言うのはそういう事かと理解して
私は続けるように促す。
「木原鈴って自分の名前だけは覚えてる。でも、それだけ。どうしてあの場所に居たのか、いつからあの場所に居たのかすらわからないって。沼地の幽霊に会ってから、わからなくなったって。その子はそんな風に言ってるの」
「記憶を奪う幽霊か……非科学的だが、ふむ。迷い猫達も、その幽霊に出会って帰り道がわからなくなってしまっていると……」
一応、夏妃の話と迷い猫の話、辻褄は合う。
それに、非科学的だからこそ、私の仕事と言った所でもある。
「その子を放っておけないのは勿論なんだけど、もしかして、ラーナもなんて思っちゃって」
「最近の噂なのだろう? ラーナとは関係は無いと思うが……」
「でも、行く価値はある」
白が決意を固めたように言った。
無理に思い出させる事はしないようにと。
私の事など気にするなと。
そう言ってあるのに……全く。
「野球の日程と被るのではないか?」
半分諦めてはいるが、一応その件と被っては一大事だ。私は夏妃に向けて問う。
「雨宮の方がまだ人数も集めていないし、現状は提案を呑んだって所で止まっているから。それに、雨宮が人数集めたらすぐ試合って訳でも無いし、一ヶ月くらいは余裕あるわよ」
どうやら、その心配は杞憂で。
ラーナの記憶の話は、白から蒼へ。涼子から凛へと。
結局、アズマとラーナ以外の全員に知られてしまっている。
放っておけと言って、放っておくような人達でないのは、私もよく理解している。
「……もしも本当に記憶を奪う幽霊が存在するのなら、私達の記憶も奪われかねん。沼地に赴くのは最低限の人数で、もしもの為に他の皆にも伝えておこう」
小さくため息を吐き、皆へと情報を流す事にした。
私一人で動くと言っても、夏妃や白、リーノからどうせ怒られてしまう。
……いや、恐らく。
一番怒るのは、ラーナなのだろうと。
記憶は抜け落ちている筈なのに、夏妃の家で私に向けて怒ったその行為は過去、
姉妹として過ごしていた頃にラーナに叱られた時と同じだった事を思い出す。




