翠憶が失われた日
それは優しくて、悲しい嘘
ラーナが頭を殴られて重症だと、電話が入った。
私とリーノは、すぐさま搬送された病院へと駆け付けた。
そこには、俯いて、小さな声で謝り続けている少女がいた。
「あ、えっと……ラーナの、じゃなくてラーナさんのご家族ですよね!?」
私とリーノの存在に気付くと、少女は立ち上がり駆け寄ってくる。
「リーノ、先にラーナの様子を見てきてくれ」
私の言葉に、リーノはコクコクと頷き、病室に足を進めていった。
「あたしのせいで……あたしを庇って! ラーナは! ラーナは……」
ポロポロと大粒の涙を流しながら、少女、樋木アズマは私に頭を下げ続ける。
話は学校からの電話で聞いていた。
曰く、ラーナとこの子は、いじめの現場を見てしまったと。
このアズマと言う子は、スポーツ万能で正義感がとても強い女の子だと。
それは確かラーナからも何度も聞かされていた事だった。
たまたま今回は運が悪かった。隙を見て鈍器で殴られそうになったアズマをラーナが庇って、重症を負ったと。
全く、家族に心配をかけてしまう事まで頭が回らないのがラーナらしいと言えばラーナらしい事だ。
「あたし、とんでもない事を……このままラーナが目を覚まさなかったら、あたし……あたし!!!」
どうやら、この子は相当パニックになってしまっているらしい。
いや、まだ中学生なのだ。仕方無い事だろう。
私はラーナをいつも撫でているように、アズマの頭にポンと手を載せ、同じ視線になるようにしゃがみ込んだ。
「大丈夫。キミも、ラーナも間違った事はしていない。……それにラーナが簡単に死ぬような子に見えるか?」
ガシガシと頭を撫でていると、アズマも少し落ち着いたようで、深く深呼吸をして、笑顔を見せてくれた。
「はいっ……! はいっ!」
まだ混乱はしているのだろう。瞳には涙が浮かんでいる。
それでも、ある程度の落ち着きは取り戻したみたいで
「本当に、ラーナだけじゃなく、あたしまでこんなのじゃ、ダメダメですよね。あの、ラーナが目を覚ましたら、あたしは怪我一つ無かったって伝えて下さい。
きっとラーナの事だから、自分よりあたしの心配してる筈なんで」
目元の涙を拭いながら、アズマちゃんは私に言伝を頼んだ。
「お姉さんにお任せ!」
少しおちゃらけて見せると、アズマはクスクスと笑って、そろそろ親族以外の面会が終わる時間だからと
私に手を振って駆け足で病院の廊下を走り抜けて行った。
道中、病院内で走るなと。看護師さんに捕まって怒られていたけど
なんだか、あの子らしいな。……なんて微笑ましく見送ったあとに
私もラーナの病室へと足を踏み入れた
「もう、ラーナお姉ちゃんは無茶しすぎです」
「あ、あはは……ごめんってば……」
リーノとラーナの声が聞こえる。どうやら、意識は取り戻していたらしい。
私も少しホッとして、ラーナの元へと歩みを寄せた。
「ラーナ、調子はどうだ?」
私が声をかけると、ラーナはキョトンとして、リーノに声をかけていた。
「え、えぇっと、リーノ……あの美人なお姉さんって、私の知り合い……?」
ラーナのその言葉に、私とリーノが顔を合わせる。
ラーナは、そう言う冗談を言うような娘じゃない。
リーノもそれは理解していた。
だからこそ、私達は、一瞬言葉が詰まった。
「ラーナお姉ちゃん……笑えない冗談はーー」
「私は、ラーナの担当医だ。知り合いって程では無いな」
リーノの言葉を遮り、私は咄嗟に嘘をついた。
「ヴャクト姉さん!?」
リーノの驚いたような声に、私は唇に人差し指を当てて、静かにするようにジェスチャーする。
「ラーナちゃん、ちょっとだけリーノちゃん借りていいかな?」
「あ、もちろんですっ! 担当の方とは知らずに失礼な言い方をしてしまって、なんだか申し訳ありません……」
態度は違えど、ラーナはやっぱりラーナだな。なんて、そんな事を感じたまま、私はリーノを連れて病室を一度離れた。
「どう言う事なのですか! なんでヴャクト姉さんだけ……」
激昂するリーノを宥めながら、私は本物のラーナの担当医の元へと足を進めた。
「精密検査をした時には脳波に異常は見られなかったのですが……」
担当医に話を聞くも、やはり原因は良くわからないとの事で……ただ
「脳というのはとても厄介な作りをしてまして……もしかしたら、一時的な脳障害で、ヴャクトさんだけの記憶が抜け落ちてしまっているという事も……」
そう担当医は繋げて、頭を抱えていた。
「時間をかければ、思い出すという事もありますから、気落ちせずに……」
「時間ってどれくらいなのです!? 半月? 一年? それとも……」
私より、リーノの方が激昂していた。
いや、そのお陰で、多分私は冷静で居られたのかも知れない。
「リーノ落ち着け。私だけが記憶から抜け落ちた。そう言う事だろう?」
担当医は少し申し訳無さそうに、コクリと頷いた。
「私とラーナが共に暮らすのは、あまり良い事ではないのだろうか?」
それは、この短い会話の中で、私が出そうとした結論への後押しのような問いだった。
「そうですね……無理に思い出そうとさせるのは、あまりオススメは出来ません」
担当医の言葉で、私は決心した。
「ヴャクト姉さん!?」
リーノは私と似て勘が鋭い。その一言で理解できたのだろう。
「私は、あの家を出て、一人で暮らす事にしよう。大丈夫。別に居なくなるわけじゃない」
リーノの頭を撫でて、笑って見せる。
リャグーシカの姓を捨て、陰からラーナを見守る存在になろう。
その為には探偵なんて良いかな。
私は私の道を選ぶ事にした。
私が居ないことが、ラーナへの負担にならないと言うのなら
私は甘んじてそれを受け入れよう。
この程度、ラーナやアズマの痛みに比べたら、どうと言うことはない。




